■文系のオレに量子力学を教えてくれ■

このエントリーをはてなブックマークに追加
820ご冗談でしょう?名無しさん
ウィグナー氏の友人問題では、猫の波動関数の収縮が生じるのが、箱の中の友人が猫を
観測した瞬間か、箱の外のウィグナー氏が友人から報告を聞いた瞬間かが問題となる。
コペンハーゲン解釈では、それは箱の外のウィグナー氏の立場で考えれば、どちらに
解釈しても物理的な観測結果は同じになると説明されている。
したがってどちらの解釈を採用しようがそれはその人間の哲学の問題であり、物理学の
問題ではないとされる。
果たして本当にそうか?
シュレーディンガーの猫の実験で、箱の中の友人が隠れていて原子が崩壊/非崩壊の
いずれにあるかを十分に短い周期で繰り返し観測し続けていたとする。
この場合、友人による原子の観測が原子の波動関数を収縮させないのであれば、原子は
遅かれ速かれ崩壊状態に遷移してしまい、ウィグナー氏が箱の蓋を開けた時には、猫は
ほぼ100%の確率で死んでいることになる。
これに対して、友人による原子の観測が原子の波動関数を収縮させているのであれば、
量子ゼノ効果が働いて原子はいつまでも非崩壊状態にとどまることになり、この結果
ウィグナー氏が箱の蓋を開けた時、猫はほぼ100%の確率でまだ生きていることになる。
この思考実験では、箱の中の友人による観測が原子の波動関数を収縮させているか否かを
、箱の外のウィグナー氏は猫の生/死という形で知ることが出来るので、上記のようなコペン
ハーゲン流のインチキな逃げ口上は許されない。
この思考実験は波動関数の収縮が単なる実験者の主観的の内部での知識の変化を意味
するものではなく、猫の生死という物理的出来事にも影響を及ぼし得る客観的物理的な
プロセスであることをも同時に明らかにしている。