僕の友人が大学の運動部で監督をしています。彼が用事でグラウンドに出られない時に、
部員がこう聞きに来たそうです。「何やっとけばいいんですか?」
彼はその問いに強い違和感を覚えました。当然です。これは「何をすべきか」を尋ねる
価値中立的な問いではないからです。そのように装っていますが、実際に聞いているの
は「それだけしておけばよい最低ライン」なのです。「あなたから文句を言われないミ
ニマムを開示してください」と、学生たちはそう言っているのです。
これも友人の医学部の先生から聞いた話です。授業の後に廊下を追って質問に来る学生
がいました。教科の内容について聞かれるのかと思って振り還ったら、「これ国家試験
に出ますか?」と聞かれた。
この二つは同じ質の質問です。学生たちは当然の質問をしているつもりですが、彼らが
聞いているのは「ミニマム」なのです。その商品を手に入れるための最低金額の開示を
求めている。
たから、「大学では何も勉強しませんでした」と誇らしげに語る若者は、最低の学習努
力で高値のつく学位記を手に入れた、己の力業に対する人々からの称賛を期待している
のです。
労働についても、彼らは同じ原則を適用します。「特技や適性を生かした職業に就きた
い」というのは、言い換えれば、「最小限の努力で最高の評価を受けるような仕事をし
たい」ということです。すでに自分が持っている能力や知識を高い交換比率で換金した
い、と。
最も少ない努力と引き換えに、最も高い報酬を提供してくれる職種、それを今の人たち
は「適職」と呼びます。就職活動をする若者たちは適職の発見に必死です。でも、それ
は消費者マインドがもたらした考え方に他なりません。
「賢い消費者」とは、最少の貨幣で、価値ある商品を手に入れることのできた者のこと
を言います。「賢い消費者になること」、それが今の子どもたちの全てのふるまいを支
配しています。
消賞者的基準からすれば、最低の学習努力で最高の学歴を手に入れたものがいちばん
「賢い学生」だということになります。だから、合格ぎりぎりの60点を狙ってくる。出
席日数の3分の2が必須なら、きっかり3分の1休むようにスケジュールを調整する。
60点で合格できる教科で70点を取ることは、100円で買える商品に200円払うよう
な無駄なことだと思っている。本当に学生たちはそう信じでいるんです。そういう人は、
自分が労働を通じて変化し成熟するということを考えていません。でも、「その仕事を
通じて成長し、別人になる」ということを求めない人のためのキャリアパスは存在しな
いのです。