ミラーのバレンタイン(5)
「さくらの奴、また何かあったのか?」
扉を挟んで、あの人の心配そうな声。
「今日は…違います」
一瞬の沈黙。
「…そっか」
何かを悟ったような、どこか寂しそうな、そんな口ぶり。
「入っても…いいか?」
もう私には拒めない。
あの人の寂しそうな声を聞いてしまったから。
その理由が、私にもわかってしまったから。
それに何よりも、私も会いたかったから。
私は静かにドアを開けた。
ミラーのバレンタイン(6)
「ありがとうな」
目の前に、私が大好きなあの穏やかな微笑み。
ぽんぽん。
優しく頭を撫でられる。
いつもなら、私の最高に幸せな瞬間。
幸せすぎてもう何も考えられなくなるひととき。
でも、今日は違う。
今日は特別な日。
1年に1日しかない特別な日。
それなのに、私には想いを込めたチョコレートがない。
悲しくて涙が出そうになる。
でも我慢。
そして笑顔。
今の私にはこの笑顔しかないから。
だから私にできる精一杯の微笑みを、あの人に向けた。
ミラーのバレンタイン(7)
私の笑顔に、あの人も笑顔で応えてくれる。
…はずだった。
でも今、あの人の顔から微笑みが消えている。
「どうしたんだ?そんな辛そうな顔して」
…え?
辛そう?
どうして?私はこんなにも笑顔なのに…。
「何か悲しいことあったのか?」
あの人が優しく訊いてくる。
なんでわかってしまうのだろう。
でも…言えない。
とても言えない。
私は慌ててふるふると首を横に振った。
ミラーのバレンタイン(8)
「そうか。でも無理するな」
温かい言葉。
そしてまた頭を撫でてくれた。
「あ…」
なんて優しいんだろう。
ただのカードでしかない私。
そんな私に、こんなにも優しくしてくれる。
体中の力が抜ける。
我慢できなかった。
まるで魔法で引き寄せられるように、私はあの人の胸に抱きついていた。
いけないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
途端に、こらえていたものがこみあげてくる。
「…ごめんなさい」
私の涙があの人のシャツを濡らした。
ミラーのバレンタイン(9)
いつの間にか私の笑顔は泣き顔に変わっていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
何度も何度も謝った。
そして、正直に話した。
嫌われてしまうかもしれない。
そう思うと怖かった。
でも、嘘をつくことの方がもっと怖かった。
だから、正直に全部話した。
今日じゃなければ、本当の笑顔で会いに行けたこと。
今日という日に、チョコレートをあげることができないこと。
それが悲しくて、辛くて、部屋に閉じこもっていたこと。
あの人の胸の中で、全部…正直に話した。
あの人は黙って最後まで聞いてくれた。
ときおり私の頭を優しく撫でてくれながら。
その心地よさに励まされて、私は話し終えることができた。
>>189-193 はにゃ〜ん、ミラーたんの切ない気持ちが伝わってくるよ。
続き頑張って!
ミラー×桃矢の絡み超絶キボンヌ
続きまだ?
ミラーのバレンタイン(10)
きっと嫌われてしまった。
あの人はもう微笑んでくれないかもしれない。
もう会ってくれないかもしれない。
怖くて怖くて、顔をあげることができなかった。
そんな私の頬に、あの人の暖かい指先が触れた。
そっと私の涙をぬぐってくれる。
「…あ」
思わず吐息が漏れる。
そしてつい顔をあげてしまった。
こんな泣き顔なんか見られたくなかったのに。
心からの笑顔を向けたかったのに。
泣いている私に、あの人が笑顔をくれるはずないのに。
でも私は顔をあげてしまった。
すぐに目を伏せようと思った。
それなのに、私の体は私の言うことを聞かなかった。
私の目はあの人の表情にくぎづけになっていた。
なぜならそこには、私が大好きなあの穏やかな微笑みがあったから。
ミラーのバレンタイン(11)
私は泣き顔のまま固まっていた。
それでもあの人は微笑んでくれていた。
ただのカードでしかない私。
今日という特別な日に何もあげられない私。
大好きな人の前で泣いてしまう私。
こんなダメな私に、あの人はまだ笑顔をくれる。
嬉しかった。
でも、また私がもらってしまった。
しかも、私がもらったのは笑顔だけじゃなかった。
「作ってみるか?」
「…え?」
一瞬、何のことかわからなかった。
「作ってみるか?チョコレート」
きょとんとする私。
あの人は私の頭を優しく撫でてくれながら微笑んでいる。
その瞬間、私は言葉の意味を理解した。
ミラーのバレンタイン(12)
作れる…?
私にも、作れる…!?
チョコレートが、作れる…!!
自分でも驚くくらいに、みるみる泣き顔が笑顔になっていく。
「やっと笑ったな」
あの人が可笑しそうに笑う。
恥ずかしい。
でもその何倍も嬉しい。
だから私は顔をそらさない。
笑顔。
それも、とびっきりの笑顔。
今までで一番より、もっと一番の笑顔。
嬉しくてたまらなかった。
チョコレートが作れることが。
一番の笑顔ができることが。
想いを伝えられることが。
あの人の後について階段を下りながら、私はその嬉しさに酔いしれた。
ミラーのバレンタイン(13)
初めてかけるエプロン。
初めて立つキッチン。
振り向けばすぐそこにあの人の微笑み。
私が振り向くたびに、あの人は笑顔で応えてくれる。
その上…
ぽんぽん。
いっぱい頭を撫でてもらえる。
さっきから顔がゆるみっぱなしの私。
そんな私に優しくていねいに教えてくれるあの人。
チョコレートをボールに入れて湯煎にする。
溶けたチョコレートをゆっくりとかき混ぜる。
その度に私は振り向き、あの人は笑顔でうなずく。
踏み台に乗っているから、こんなにも間近であの人の笑顔が見れる。
もう幸せすぎて、チョコレートと一緒に私も溶けてしまいそう。
ミラーのバレンタイン(14)
あの人が棚の奥から箱を出してくる。
「どれでも好きなの使っていいぞ」
丸、三角、四角、星…中にはいろいろな形の型。
その中の一つに、私の手が無意識にのびた。
感じる視線。
のびた指先がピタリと止まる。
私の指が目指したその先…それはもちろんハートの形。
それに気づいた瞬間、恥ずかしさで胸が詰まりそうになった。
頬が、耳が、あっという間に朱に染まる。
慌てて手を引っ込めようとした。
でももう遅かった。
ぽん。
また、頭を撫でられた。
「これでいいのか?」
あの人の優しい声。
私はもう、恥ずかしくて声が出せなかった。
だから、小さくうなづいた。
真っ赤な顔のまま…。
ありったけの勇気で…。
ミラーのバレンタイン(15)
ハートの型に、チョコレートを流し込む。
私の心を込めて。
私の願いを込めて。
私の想いを込めて。
できた。
私にもできた…!
初めて作った、手作りのチョコレート。
嬉しくて、また振り向いた。
そこには変わらぬあの人の微笑み。
そして私の頭を撫でてくれる。
私にはこれ以上ないほどのご褒美。
ミラーのバレンタイン(16)
「あとは冷蔵庫に入れて固めれば完成だ」
その言葉で、私は一瞬凍りついた。
今日…渡せない…。
目の前が真っ暗になる。
でも、あの人は笑顔で言ってくれた。
「この続きは、また今度来た時にな」
ぽんぽん。
また、私の頭を撫でる。
「待ってるから」
そして微笑み。
――待ってるから――。
あの人は今、そう言った。
待っててくれる…。
待っててもらえる…。
このチョコレートが、渡せる…!
そう思った瞬間、私の顔に笑顔がはじけた。
ミラーのバレンタイン(17)
「はいっ」
まるで本物のさくらさんのような、元気な返事。
幸せいっぱいの笑顔。
嬉しかった。
ただのカードでしかない私。
でも、そんな私がこんなにも幸せな気持ちになれる。
本当に嬉しかった。
やっぱり…会えてよかった…。
そう思った。
そして、誓った。
もし今度会うことができたら、このチョコレートを渡そう。
私の想いが全部つまった、このチョコレートを渡そう。
今日という特別な日じゃなくても、きっと渡そう。
その日が、私にとっての「特別な日」になるのだから。
それは明日かもしれない。
明後日かもしれない。
いつになるかはわからない。
でも、きっと渡そう。
きっとあの人は笑顔で受け取ってくれるから。
私も、私の一番の笑顔でこのチョコレートを渡そう。
ありったけの勇気を出して。
ありったけの想いを込めて。
ありったけの「好き」を伝えるために――。
―――――――――― 完 ――――――――――