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「さくらちゃん」
知世が教室のさくらの席にやってきて声をかけた。
両手は後ろ手。何かを持ち、それを隠しているのがまるわかりのポーズだ。
「なぁに?知世ちゃん」
にこやか微笑むさくらにつられ、知世も思わず顔がほころんだ。
背中に隠していたものを、右手に持ち替えて身体の前にまわし、両手で差し
出す。
「はい、どうぞ」
差し出されたのは、可愛らしいピンク色の包装紙に、見た目も綺麗な白いリ
ボンが施された掌に乗るくらいの四角い包みだった。
さくらは、一瞬、きょとんとしたが、すぐに少し引きつった笑顔を見せる。
「あ、ありがとう‥‥」
両手を差し出し、それを受け取ったさくらは、少しだけ困ったような顔で包
みを見つめた。
包みの中身を知世に聞くまでもなかった。
チョコレートだ。今日は2/14。バレンタインデー。キリスト教圏では、カー
ドやプレゼントをやり取りする習慣があるが、世界中でただ日本だけ「女性が
男性にチョコレートを送る」という風習を持っている。
当初、この風習は、女性からの愛の告白をチョコレートに託したものだった
のだが、いつの頃からか、男性の知人に全て配布するという、製菓業界にとっ
ては大きな販売拡大のイベントになっていた。
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しかし、例え「知人だから」という理由であれ、数の多寡は「男の沽券」に
関わってくる。もらって困った顔をする事は、男だったら考えられない。
けれど、さくらは女のコ。本来は、チョコレートを送る側だ。もらって複雑
な顔をするのは、無理からぬ事だろう。
いくらチアリーディング部で活躍していて、女のコのファンも多く、知世の
で18個目になるといっても、本来の意味を考えるとチョコレートを貰った事を
素直には喜べない。
とはいえ、せっかくの好意を無下にするなど考えも及ばないさくらは、他の
コからもらったチョコレートと同じく、持参したペーパーバックに丁寧に仕舞
い込んだ。
知世は、その様子を幸せそうな顔で見ていた。
受け取ってくれさえすれば、それでよかった。丹精をこめた手作りの一品。しかし、愛の告白を意味するそれを、女のコから受け取って、さくらが素直に
喜びはしない事は、重々承知している。ただ、渡せればそれでいいと思ってい
た。
「あ、知世ちゃん」
目的を完全に果たし、踵を返そうとした知世をさくらが呼び止めた。
チョコレートの詰まったペーパーバックをまさぐり、一つの包装を取り出し
た。
「これ、知世ちゃんに」
自身の名前に由来するのか、桜色の包装紙に花を模した緑の飾りリボンが施
されていた。
知世は、目を丸くしてそれを見、両手を差し出して受け取った。
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もし、知世以外の人物がこの挙動を見たら、受け取ったチョコレートをお裾
分けしようとしていると受け取っただろう。
だが、そうではない。今日、さくらが「受け取った」チョコレートは、知世
はすべて見ていた。その何れの包みとも違う。
それは、さくらが小狼に贈ったチョコレートと同じ包みだった。
「昨日、お父さんやお兄ちゃんの分もと思ってがんばって作ったんだけど、量
、間違えちゃって、多く出来過ぎちゃったの。
雪兎さんなら食べてくれるかなぁとも思ったけど、雪兎さんだけ2コってい
うのも、ちょっとへんでしょう?
余り物みたいで悪いんだけど、もしよかったら、もらってもらえるかなぁ?」
さくらの説明を茫然と聞いていた知世の表情が、次第に変わっていった。目
がキラキラと輝き、表情は破顔一笑のそれだ。
「あ、ありがとうございます!」
知世は、貰った包みをしっかりと胸に抱き、陶然とした表情でそう言った。
一番大好きな人から、チョコレートを貰えた、その幸せが心をいっぱいに満
たす。
「と、溶けちゃうよ‥‥」
さくらが心配そうに声をかけたが、知世はポワーッとした表情を浮かべ、チョ
コレートを抱きしめたまま立ち尽くしていた。