70 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :
「ストーカー行為」が「相手の意思に反すること」は「絶対条件」
だと言う解釈は各種ストーカー関連書物には一切書いていなかった。
さらに、PHP文庫の「ストーカーの心理学」やその他ストーカー
関連書物によると「恋愛当事者が愛し合っているか憎み合っているか
わからないケース」(恋愛当事者の一方は「相手はストーカーである」と
主張しているが、その主張をした人物が相手の行動を迷惑に思って
いるかどうかがはっきりしない場合もあれば、ストーカー被害者が
ストーカー加害者を愛してもいると同時に憎んでもいるような言動が
はっきり見られる場合もある)や「どちらがストーカー加害者で
どちらがストーカー被害者かわからないケース」(当事者はお互いに
「相手はストーカーである」と主張している。但し一方または双方の
ストーカー行為が証明されているかいないかは別にする)などが
存在するということが述べられている。
よって、「ストーカー行為」が成立するには「相手の意思に反すること」が
「絶対条件」であるということは極めて成立しにくいことは明らかであり
「相手の意思に反すること」は「原則条件」でしかない。
「例外として上げられるケース」にはいくつもの場合があり、これから
それらの根拠を挙げて、それらを論じていきたい。
71 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 07:26 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
第一のケースがこれらの「恋愛当事者が愛し合っているか
憎み合っているかわからないケース」や「どちらがストーカー加害者で
どちらがストーカー被害者かわからないケース」などである。
これらの場合は恋愛当事者の意思が不明確な状況で恋愛当事者の
一方または双方が相手をストーカー扱いした結果になる。
第二のケースとして「恋愛当事者の一方が相手に恋愛関係の終了を
告げると同時に相手をストーカー扱いした場合」である。
この場合は、恋愛当事者の一方が相手から暴力や不当な要求や
監視行為や脅迫や愚弄を受けた後に相手を「ストーカー」と
見なした場合が代表的な事例である。これは恋愛当事者の一方が
「恋愛関係にあった状態のもとでの相手の言動」を「ストーカー行為」と
判断したことになる。「恋愛当事者の一方が相手の言動をストーカー扱い
しているが、相手には恋愛関係の終了を告げていない場合」もこれに
準じたものである(その恋愛当事者が第三者にこれを相談しているか
どうかは別にする)。
よって、これらのケースによって「相手の意思に反さない状態でも
ストーカーと見なされる場合がある」ことを証明したことになる。
72 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 07:27 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
第三のケースとして「恋愛当事者の関係者には恋愛当事者の
言動を批判する権利がある」ことにより「恋愛当事者の一方の
関係者が他方をストーカー扱いした場合」である。恋愛当事者Aと
Bがいるとした場合の、Aの関係者Cにとっては、AとBが
恋愛関係になると言うことは自分の意思とは関係無くBと関係を
持たざるを得なくなってしまうことである。
それでBの言動を知ったCが「Bと自分が関係者になることの
不利益」を理由にしてAに「Bとの恋愛関係を持ってはならない」
と要求することは正当である。この状況でCがBの言動を「乱暴な
言動や不当な要求」を理由としてBを「ストーカー」や
「ストーカー予備軍」(Cの表現によっては「ストーカー扱い」と
誤解される場合もある)と判断することも許される。
同様にAとBが恋愛関係になった後もCが「Bと自分が関係者に
なることの不利益」を理由として、Aに「Bとの恋愛を断ち切ること」を
要求したり、この要求が通らなかった場合にはCはAとの関係を
断ち切ることも許されると言うことである。
この際にCがBをストーカーと見なすことは前述と同様の理由である。
また、Cが「AとBが恋愛関係にあることはAにとって不利益」と
判断した場合にAに「Aのためだから」という理由でBとの
恋愛関係を持たないように説得することは許される。AがBと
恋愛関係を持ってしまった後も、CはAに「Bとの恋愛関係」を
断ち切るように説得することは許される。
この場合にも、CがBの言動を理由に、Bを「ストーカー」と
見なすことも当然含まれる。
73 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 07:27 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
第四のケースとして「恋愛当事者が公人で、しかもその当事者が
自分の恋愛の正当性を世間に対して主張した場合」である。
この場合には、誰もがその恋愛当事者の言動を批判する権利が
あることは言うまでもあるまい。
恋愛当事者の言動が世間に知れ渡っている上にその恋愛当事者が
世間に対してその恋愛を「素晴らしい恋愛」と主張する以上、この
恋愛内容を知った人間全てが恋愛当事者の恋愛に伴う言動を自由に
評価することは当然のことである。
まして、その恋愛当事者が「西から日が昇る」と言う表現が
ふさわしいほどに正当性に欠ける恋愛を行い、恋愛当事者がその恋愛を
「素晴らしい恋愛」と世間に主張した場合には、その恋愛を知った者の
全てが恋愛当事者の恋愛を批判する権利があることは言うまでも
無いことである。
「恋愛当事者の恋愛の言動に対する批判を封じること」は
ほとんどの人間には不可能である。その恋愛当事者が言論を統制できるほどの
絶大な権力者であれば「自分の恋愛の言動に対する批判を封じること」は
可能であることも考えられる。
しかし、そのような権力者は日本国内には全く存在しないので
「公人である恋愛当事者の恋愛に伴う言動を批判することは誰でも
可能である。無論、恋愛当事者の言動を「ストーカー扱い」することは
誰でも可能なことである。また、恋愛当事者が公人であった場合には
その人物が自分の恋愛の正当性を世間に主張することが無くても、
「恋愛当事者の言動が第三者に批判されること」は十分ありえる
ことである。その場合も恋愛当事者の言動が第三者にストーカー扱い
されることも全く無いとは言えない。
74 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 07:27 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
「ストーカー行為」の成立条件において「相手の意思に反すること」を
「絶対条件」にすることの問題点を指摘していきたい。
「一つ目のケース」や「二つ目のケース」においては、恋愛当事者の
意思がはっきりしていなかったり、恋愛当事者が自分の意思に反することを
相手に表明する前に相手を「ストーカー」と判断したことになる。
しかし、「絶対条件」にした場合には恋愛当事者の精神的苦痛を
認めない結果になってしまう。
「三つ目のケース」においては、恋愛当事者一方の関係者が自分の
利益や恋愛当事者の一方のために恋愛当事者の他方を「ストーカー」と
判断したことになる。しかし、「絶対条件」にした場合には恋愛当事者の
関係者の意思や利益が否定される危険性を伴う結果になってしまう。
「四つ目のケース」においては恋愛当事者が世間に対して自分の恋愛の
正当性を主張したことに対し、これを知った第三者が恋愛当事者の
一方ないしは双方を「ストーカー」と判断したことになる。
しかし、「絶対条件」にした場合には「西から日が昇る」ほどの不当な
恋愛が美化されてしまうことを誰も防ぐことが出来なくなる結果に
なってしまう。
よって、「ストーカー行為」の成立条件において「相手の意思に
反すること」を絶対条件にすることはいろいろな矛盾点を
生み出すことになる。
「相手の意思に反すること」は「絶対条件」ではなくて「原則条件」で
あり、例外を考慮しないとさまざまな問題が生ずる。
「ストーカー行為」が相手の意思に反しなくとも成立することは
やむをえないことである。
75 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 07:28 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
本村洋と本村弥生の場合に問題となるケースは「第四のケース」と
「第三のケース」である。本村洋は自ら出版した著書の
「天国からのラブレター」において自分と本村弥生との恋愛及びに
本村弥生の人格を「世間の人に知って欲しいほど素晴らしい」と
主張している。本村洋はマスコミに数多く顔を出すなど自らの考えが
世間に大きな影響を与えることを望んでいるので本村洋は公人である。
その公人である本村洋が本村弥生を「賞賛に値する、本当に
素晴らしい女性」と主張したのである。
もはや、本村洋の批判をすることは誰でも許されることになる。
もしこれが許されないのであれば、公人である本村洋の言動の
一部に対して「無条件での同意」を世間が強いられることになる。
よって、「第四のケース」が成立するのであり、世間の人々全て
(福田孝行も含む)が本村洋や本村弥生の言動や人格を堂々と
批判することが許される。まして、本村弥生の人格に批判的な考えを
持つ人間が本村弥生を公然と批判することは当然のことである。
76 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 09:58 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
「第三のケース」が本村洋と本村弥生に適用される根拠は、
本村弥生の親友と本村洋が恋愛関係にあったのにもかかわらず
本村弥生が自分の親友を裏切って本村洋と恋愛関係になったことと、
それに伴って本村弥生の女友達のほぼ全員が本村弥生に対して
強い不快感を抱き、その上で本村弥生と絶交したことである。
このことは本村弥生の女友達が「本村弥生と本村洋が恋愛関係に
なったこと」自体に反感を抱いたことであり「恋愛関係にある者同士の
言動を第三者が批判した」以前に「恋愛関係そのものを第三者が
批判した」にあたる。
本村弥生の女友達は「本村弥生が自分の親友を裏切って傷つけたことに
対する不快感」を理由に、本村弥生と絶交したのであり、これは
当然のことである。もし、これが許されないのであれば、本村弥生の女友達は
本村弥生との友人関係を自分の意思に反して続けることを強要される
結果になってしまう。
さらに、そのことを無視して本村弥生との友人関係を断ち切った本村弥生の
女友達は一方的に「非難」の対象になる。
そればかりではなく、この件を理由に「本村弥生の女友達に同情し、
本村洋や本村弥生を批判した人間」も一方的に「非難」の対象になる。
この件の場合では「恋愛関係そのもの及びに恋愛関係にある者同士の
言動に対する批判は絶対に許されない」という論理は本村弥生の女友達に
対する精神的蹂躙である。
77 :
ジハード ◆d6L5ag3yFQ :03/05/16 09:58 HOST:YahooBB219031116165.bbtec.net
本村弥生の女友達は本村弥生を「ストーカー」と判断していないとは言え、
本村弥生の恋愛を否定したことはまぎれも無い事実である。
本村弥生の女友達が本村弥生の本村洋に対する言動を知った場合に
本村弥生に対してますます不満を抱くであろうという推論は正当な
ものである。
親友を裏切った人間の言動を悪いほうに解釈することは正しいかどうかは
別にして別に不自然なことではない。まして、その裏切られた人物が
自分にとっての友達である場合における、その親友を裏切った人物の
言動を悪いほうに解釈する人間を批判することはほとんどの場合に
酷なことである。
よって、本村弥生の女友達が本村弥生をストーカー扱いするで
あろうと言う推論は正当であるし、本村弥生の女友達が「本村弥生を
ストーカー扱いする権利」を持っていることは、我々第三者が
「本村弥生をストーカー扱いする権利」を持っていること以上に
明白である。