【Kirin-City】キリンシティ☆3杯目

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66呑んべぇさん
世界に冠たる三菱鉛筆

東京三菱銀行の前身である三菱銀行と三菱信託銀行は元を辿れば三菱鉛筆財務部が独立してできたもの。
三菱重工業や三菱電機も三菱鉛筆が鉛筆製造の機械を自社生産するために、社内に新設した三菱鉛筆機械製作所が他の機械の生産も手がけるようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
三菱商事は三菱鉛筆販売部が販路を地球規模に拡大するために分社化して設立された。
三菱総研は三菱鉛筆の製品開発部が鉛筆製造技術の指導を日本国内だけでなく世界各国にもしていたことがきっかけである。
三菱地所は三菱鉛筆が将来の事業拡張に備えて確保しておいた用地を自社で使う予定が変更になったため、ビルを建設して賃貸に出し利益を上げようと設立した三菱鉛筆不動産部が発展したものだ。
三菱倉庫は三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために建てた一棟の倉庫がルーツとなっていて、その倉庫が全焼したのを契機に損害保険業務子会社をつくり後に東京海上となった。
三菱鉛筆独特の生命保険制度が今日の明治生命保険の母体となっていることは周知の事実であろう。
三菱製紙は鉛筆製造時に発生する木屑を有効利用する事業として始まって、三菱樹脂は鉛筆の芯に混ぜ込む樹脂の研究チームの流れを汲んでいる。
三菱製鋼、三菱伸銅は消しゴム付き鉛筆の消しゴムを留める金具の原料を作るために設立され、三菱マテリアル(旧三菱金属)は金属素材の調達部署であった。
三菱化学、三菱化工機、三菱ガス化学は消しゴム付き鉛筆の消しゴムを開発することからスタートし、三菱アルミニウム、三菱レイヨンは消しゴム付き鉛筆の金具のさらなる改良と発展のために素材研究スタッフが集まってできた。
三菱自動車工業及び三菱ふそうトラック・バス、新日本石油、日本郵船は鉛筆を国内と海外に普及させるために創業され、三菱電線工業とピーエス三菱はその際にインフラ整備の役割を果たした。
ニコン(旧日本工学)は三菱鉛筆が鉛筆を切断する際、より高速に切断できるように非接触で長さを測れる測距儀を製作したのが始まりである。
麒麟ビールは鉛筆の芯に使用する黒鉛を製造する際の熱源として当時使われていた麦わらの麦の有効利用のため創業され、同時に旭硝子は熱源を生かすための技術を模索した結果、設立された会社である。