雨の夜だった。タクシー乗り場で私はタクシーを待っていた。列には30人くらいの人たちが並んでいた。私はやっとその真ん中あたりまで来たところでタバコを取り出し、それに火をつけた。その時、声がした。
「消してくれる?」
思わず振り返った51歳の私。その男、年格好30代半ば、それまで連れの女と何やらペチャクチャしゃべっていた男。
「なんで?」
かろうじてそう言った私だったが、突然の命令口調に動揺は隠せなかった。つづいて、その男の口から出た言葉。
「こんだけ人がいるんや、わかるやろ、いい大人やったら」
関西弁が混じっている。
私は消した。携帯灰皿で。消したが釈然としない。男はすぐにまた、何ごともなかったかのように連れの女と明るい日常会話をはじめている。
私はその日常会話にことさらの意味を感じずにはいられない。明らかに、命令したことが自分の中で何の波風もたてなかったということを言おうとしている! それほど男の中では自分が善で、私が悪なのだ。
私はほとんど天に向かって叫んでいた。
「ダメなの? え、なんで!? 2カ月前までは灰皿がそこに置いてあったんだよ! 誰が決めたの? いつ決まったの? オレだって悪いことならしたくないさ! もしダメならタバコなんか金輪際売らないでくれる!?」
しかし、天から落ちてきていたのは、どっちの見方もせぬ夏の雨だった。
誤字発見
見方× 味方○