http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%9C%B0%E4%B8%8A%E7%B5%B5 ナスカの地上絵
カラワヤ族の故郷から西へ300マイル(約480キロ)行くと、ナスカ平原がある。巨大な鳥や動物の
絵、直線や幾何学模様などが地平線のかなたまで広がっている場所だ。
この地上絵の存在に最初に気づいたのはペルーの考古学者トリビオ・メヒーア・ヘスペ、1929年のこと
だった。だが、それが世に知られるようになったのは、1940年代にロングアイランド大学の歴史
家ポール・コソク博士が発表して以後だ。
1941年6月、コソクは古代の運河(化成の運河にたとえられてきた線)を探すために飛行機
でナスカ上空を飛び、赤い砂漠の表面に、まず鳥の線画を、つづいて巨大なくもを見た。さら
にコンドル、蝙蝠、シャチ、花などもあった。さらに崖の表面には、900フィート約270メート
ル)に達する人物像がああり、それはあたかも彼をもむかえいれるかのように両腕を広げ
ていた。
コソクはその線画を調べ、後にはドイツの学生マリア・ライトへと合同した。彼女は終世この地にとど
まることになる。彼女はその線画の目的についてはまったく不明としながらも、おそらく
何らかの天文学的な目的を持ったもの、たとえば巨大な暦などではないかと考えた。図案
に関しては、彼女の説によれば、ナスカの原住民が経済的に反映していたころ、彼らは氏族に
分かれており、これらの図は士族の紋章のようなものだったという。
直線と絵は、砂漠の表面の赤茶色の石を注意深く除去することによって造られている。こ
のパンパにはほとんど風が吹かないので、1000年もの間、そのままの姿をを留めていたのだ。
いうまでもなく、その石の年代を測る術はない。だが陶器や墓の副葬品などの工芸品から、
ナスカ族は北の隣人であるモチェ族と大体同時期にいたことが分かっている。