手がかりは他にもある。1997年春、私はメキシコにいた。「アトランティスからスフィンクスへ」に基づくTV
ドキュメンタリー制作のためだ。われわれは古代遺跡トゥーラで1日を過ごした。かつてトランと呼ばれ
た場所で、メキソコシティから50マイル(約80キロ)北にある。ここはかつてトルテカ王国の都であっ
た。これはアステカ王国に先んずる王国で、紀元700年ごろから900年ごろまで栄えた(だが
その文化は紀元前に遡る)。
トランの重要性は、伝説によればここが二つの神、つまりケツァルコアトルとテスカトポリカの最終決戦が行
われた場所であるとされている点にある。この二つの神は通常はそれぞれ善と悪の緒力を
表すとされる――だがトルテカ人に言わせれば、それはあまりにも単純な見方に過ぎると言う。
ケツァルコアトルは、ヴィラコチャ、コン・ティキ、ヴォータン等々の中南米の神と同一視されるが、彼ははるか
太古に東方からやってきた白い神だという。
私は自分の本で、19世紀のマヤ学者ブラッスール・ド・ブールブ-ルの見解を引用したことがある。彼
によれば、ケツァルコアトルとはアトランティスの生き残りであり、文明の技を携えてやってきた。伝説に
よれば、彼は最終的に「煙立つ鏡の王」テスカリポカ(この鏡は魔法の水晶と同様、遠く離れた
場所の光景を映し出したという)との戦いに敗北し、いつの日か再来することを約束しつ
つ、筏で去っていったと言うのだ。
そんなわけで、私は彼の最終戦争が行われたと言うトゥーラに興味を持っていた。私はまた、
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」の一節にも非常に惹かれていた。それによれば、トゥーラにあ
る4つの巨大な石像は、なかなかに興味深いものを手にしていると言う。これらの石像は
高さ16フィート(約4・9メートル)、角錐ピラミッドの頂の台の上に据えられている。このピラミッド
は明けの明星の神殿で、像はかつてこの神殿にあった木製の屋根を支えていた。
1880年、この祭祀遺跡を発見したフランスの探求家デジレ・シャルネは、いくつかの黒い玄武岩
のブロックを発見し、これを巨石像のあしであると考えた。彼はこれを「アトランティス人」と呼ん
だ。トゥーラの4つの巨石像が発見されたのはそれから60年後のことだが、それもまた同じ名
前で呼ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%EF%BC%9D%E3%83%92%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3 トゥーラ
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,:2008/06/21(土) 10:19:01 ID:qWcWp2bG0
奇妙なのはこの石造が手にしている謎の物体だ。それは彼らの両脇にぴったりと押し付け
られているが、それが何を表したものかを明らかにしたものは誰も居ない。
右手の物体は一見、ホルスターに入った西洋のガンマンの6連発銃のように見える。その銃身が
ホルスターの底から突き出しているのだ。だがその物体を(二本指で)つかんでいる取っ手の部
分は、何かの電動工具に似ている。右手にあるのは、しばしば学者によって矢の束と香料
袋といわれる。だがその平行線は曲がっていて、矢であるはずがない。グラハム・ハンコックは、
それは金属製の何かを表しているような気がすると述べている。
私はこれに強く惹かれたので、ジョイは写真に撮ってもらった。家の帰ってからよく調べた
が、その目的については何の手がかりも得られなかった。多くのガイドブックによれば、
それは投槍器だそうだが、そうみなすのは不可能だ。
後に、ショーン・モンゴメリは、ゼカリア・シッチンの「失われた王国」(1990)の中のトゥーラに関する
一説を指摘した。この本は彼の地球年代シリーズの第4巻だ。立派な学者たちの文献にシッチンの
名が引用されることはない。彼は、地球がかつて外宇宙からの訪問者によって植民地化さ
れたと信じている、エーリヒ・フォン・デニケンの同類と見なされているからだ。シッチンはシュメール
語のテキストに基づいて、これらの訪問者(彼は「アヌンナキ」と呼んでいる)は今から50万年近
く前に、太陽系の第二惑星ビルからやってきて、奴隷として使うために人間を作ったという。
だが、シッチンはある重要な点でデニケンとは異なっている――しっかりした学問的基盤だ。彼の
仮説を支持しようとしまいと、彼は情報源としては無限の鉱脈だ。「失われた王国」の中で、
彼はトランの石像を論じている。それによると、柱形の一つに彫られた彫刻は節に分かれた服
を着ており、一種のバックパックのようなものを背負っていると言う。その手にはトゥーラの
石像と同じ道具――ホルスターに入った拳銃に似たもの――を持ち、その先端を目の前にある岩
の表面に向けている。そしてその「拳銃」の銃身からは激しい炎が噴出している。
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,:2008/06/21(土) 10:29:10 ID:qWcWp2bG0
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この明けの明星の神殿」の地下には、さらに古いピラミッドが存在している。また完全に発掘
されては居ないが、内室と通路の痕跡が残されている。さらに石で彫られた管のようなも
のがあり、それは部品を組み合わせて作ったもので、直径は約18インチ(約46センチ)。
その角度はピラミッドと同じで、その先端まで通っている。アコスタによれば、それは水を排出す
るためのものだったと言う。だがシッチンは問う、単に排水目的なら粘土の管で十分なのに、
何故わざわざ精巧な石の管を彫ったのか?この石の管は明らかにピラミッドの構造の一部で
あり、その目的の一部である。シッチンは言う、「隣接する多数の小部屋を備えた多層の建物が
残されていると言う事実は、何らかの作業プロセスを示している。さらにまた、古代において、
トゥーラ川の水がこれらの建物の側を流れるように水路が作られているという事実は、この遺
跡において、非常古い時代に、テオティワカンと同様、何らかの浄水施設(金属の精錬のための)
があった可能性を示している」。
この見解は、リビア砂漠のガラスが何らかの産業プロセスの副産物である可能性を示唆するジョン・
ドーウィンとレンネル卿の仮説を思い起こさせる。
シッチンはさらに言う、「あの謎の道具は石を刻む道具ではなく、石を分析して鉱石を採取する
道具ではないのか?つまり言い換えるなら、非常に高度な採鉱具ではないのか?そして彼
らが求めていた鉱物とは金ではないのか?」。
なぜ金なのか?シッチンによれば、宇宙からの訪問の目的は地球の稀少鉱物の採取であり、中
でももっとも重要なのが金だった――科学的な目的のために必要だったのである。彼はアン
グロ=アメリカン・コーポレイションの報告を引用している。同社は考古学者たちに古代の鉱物を研究さ
せた。曰く、「採鉱技術は南アフリカにおいて、紀元前1万年以後のほとんどの時代におい
て用いられていた」。さらに彼によれば、ペルーでもメキシコでも、金は選鉱なべによってさいし
ゅされていたが、「このようなやりかたでは、これらの国々の莫大な宝物量を説明すること
はできない。」
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