Wikipediaで世界遺産

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9 スフィンクス

スフィンクスはこれに比べるとまだしも問題が少ないかもしれない。とはいえ、それも程度の問
題だ、われわれは特別の計らいで、スフィンクスのエンクロージャー(スフィンクスを取り囲む壁)の中に入れ
てもらうことができた。夜明け前は身震いするほど寒い。それから、陽光が砂漠の風景を
満たすと、耐えられないほど暑くなる。

 今回私が特に切望していたのはスフンクスのエンクロージャーをマじかで見ることだった。というのも、
私はスフィンクスはこれが二度目なのだが、前回は他の観光客同様、かなりはなれたところから
見学せざるを得なかったのだ。だが今回はジョン・ウェストの仮説、つまりスフィンクスは定説より数
千年も古いという説の根拠である、エンクロージャーの水による侵食の跡をこの目で見ることがで
きた。

 その説を最初に唱えたのはウェストではない。彼以前に、エキセントリックなフランスの錬金術師、ルネ・
シュワレール・ド・リュビックが同じ考えを提唱している。彼は生涯を掛けて、シャルトル大聖堂の赤と青
のステンドグラスが顔料を使わずに着色された謎を解こうとした。中世の職人の技にとりつかれ
た彼は、彼等の知識が何処から来たのかというなぞに挑んだのだ。

1930年代半ばにシュワレールは妻イシャとともにエジプトを訪れ、ラムセス6世の墓所を見た。その壁画
では、ファラオは3対4対5の直角三角形の斜辺として表されていた。このことは、古代エジ
プト人がピュタゴラス本人よりも1000年も前にピュタゴラスの定理を知っていたことを意味する。
シュワレールは俄然、中世の職人に知識が古代エジプトに遡るものであることを確信した。
41:2008/06/03(火) 10:45:15 ID:3fcDkuEE0

さらにスフィンクスのエンクロージャーを見るなり、シュワレールはその侵食が風砂によるものではなく、水に
よるものであることに気づいた。もしも岩の表面が「砂で研磨」されたのなら、それは層
状に侵食され、固い岩が突出して柔らかい岩が摩滅するはずだ。だがもしも「雨で研磨」
されたのなら、やはり層状にはなるが、水が流れ落ちるために縦方向の亀裂ができる。そ
してスフィンクスのエンクロージャーの壁面には、まさしく垂直方向と水平方向両方の風化作用が見られ
たのである。

このことは、実際にその壁面の前に立った我々には明瞭に見て取ることができた。岩は赤
ん坊のしりのように丸くなっていた。だがエジプトにはほとんど雨は降らない。シュワレールはー
―この地域に豊富な降水があった最後の時期は最後の氷河期の終わり、つまり、紀元前1
万年ごろだ、と推論した。このことはスフィンクスがアトランティスの生き残りによって作られたという
説を裏付けているようだ。

 スフィンクスは東を向いているが、元来はその前に二つの神殿が左右に配置されていた。現存
しているのはそのうちの右側のものだげで、これは、「スフィンクス神殿」と呼ばれている。その
200トンの石灰岩のブロックは実際にスフィンクスのいずれかの側の地面から直接切り出されたも
ので、それをどうやって今の位置に建てたのかは今もって不明だ。

地質学者によれば、スフィンクスは元来は石灰岩から突出した巨大な硬い岩の塊で、遠い昔に、
この岩に恐らくライオンの頭を模した彫刻が施された(それが刻まれたのがもしもしし座の時
代、すなわち紀元前1万年だったとしたら、納得できる話だ)。

その後、ライオンの身体も付け加えようという話になり、石灰岩に硬い岩を掘って、ブロックを造
った。こうして、スフィンクスの周囲の壁ができた。ある時点で、後代の王がライオンの顔を自分の
顔に彫刻しなおそうと考えたが、そのために体全体が小さくなってしまった。今見ると、
その顔はばかでかい身体に比べて不釣合いなほど小さい。
42:2008/06/03(火) 10:46:49 ID:3fcDkuEE0

初期の探検家たちがエジプトにやってきた頃、スフィンクスは首まで砂に埋もれていた。つまり、
それは数千年の間、砂の衣で守られていたらしい。スフィンクスの両手の間から見つかった銘板
によれば、トトメメス4世は夢の中でこの砂を取り除けるように太陽神から依頼されたー―紀元
前1425年ごろのことだという。

 スフィンクスは長さ240フィート(約73メートル)、高さ60フィート(約18メートル)。そ
の最後尾まで歩いて行くと、巨大な石のブロックによる修復の跡があった。これは明らかに、
大ピラミッドを造ったクフ王の息子であるカフラー王によるものだ。

カフラー王は紀元前2500年ごろの人であり、考古学者によればスフィンクスはそのわずか50年ほど
前に、彼の父によって作られたものとされている。だが、建造後たった50年で修復の必要
が生じたというのは奇妙な話だ。その侵食の度合いからして、スフィンクスはクフとカフラーの時代に
はすでに少なくとも何世紀かはたっていたのではないだろうか?

朝の9時半ごろになると、極悪非道なまでに暑くなってきた。深いグラスの冷たい飲み物
が欲しくてたまらない。そこでわれわれは朝食を恋しがっていたジョン・ウェストとともにホテルに
退散した。食事をしながら、ジョンと面白い話をした。考古学者によればスフィンクスの顔はカフラー
王のそれだとされているが、そうではないということを彼は証明したというのだ。

というのも、スフィンクス神殿の中から小さな像が発掘されたのだが、考古学者はこれをカフラー王
の像だと宣言した。だがジョンに言わせれば、その像はスフィンクスの顔とは似ても似つかない。
そこで彼は、警察で複願術をやっているフランク・ドミンゴという人物をニューヨークから呼び寄せ、
これを見せた。
43:2008/06/03(火) 10:50:28 ID:3fcDkuEE0
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC&action=edit&redlink=1    N0、、、.

二つの顔を見比べたドミンゴは、両者はまったく似ても似つかないと宣言した。彼はカフラー王

の顔と、見る影もないスフフィンクスの顔(歴史上のいつかに大砲の的にでもされたかのような惨
状だ)の比例尺の図までも描いた。ドミンゴによれば、スフィンクスの顎はカフラー王のそれよりも遥
かに発達しており、スフィンクスの耳から口の端に引いた線が32度であるのに対して、カフラー王の
それは14度しかなかった。この違いが決めてだった。

 朝食の後、みんなでカイロ博物館へ行って、スフィンクス神殿で発掘されたカフラー王の像を見た。ジ
ョイも私も、それがスフィンクスとは似ても似つかないという点で一致した。

博物館の入り口ホールでは、例のピラミッドの空撮写真も見た。ロバート・ボーヴァルにインスピレーション
を与え、ギザのピラミッドはオリオン座の3つ星の反映だという仮説の元になったものだ。

前述したように、ボーヴァルによれば、ナイルとギザの3大ピラミッドの関係は、ちょうどオリオン座の
3つ星と天の川の関係に対応しているという。まさに「鏡像」そのものなのだ。