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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9 スフィンクス
スフィンクスの建造年代、、、、。


1998年11月、ジョイと私はエジプトに出発した。古代文明に興味を持つ著述家たちと一緒に
ナイルを遡行しようというのだ。一緒に旅行したメンバーはジョン・ウェスト、ロバート・ボーヴァル、ロバート・
テンプル、マイケル・ペイジェント、ラルフ・エリス、それに古代の二元論宗教の専門家であるユーリー・ストヤノフ。
この旅で、私は「アトランティス・ブループリント」の材料を集めるつもりだった。帰ってすぐ執筆に
取り掛かる手はずになっていたのだ。我々はカイロに飛び、タクシーでホテル・メナハウスに向かった。スフ
ィンクスまで半マイル(約800メートル)のロケーションだ。翌朝は5時半に起きた。ピラミッドの後ろか
ら昇る日の出を見ようというのだ。

 写真を眺めている限りでは、ピラミッドは全然なぞでもなんでもない。要はでかい石を積み
上げただけの代物だ。だが実際に大ピラミッドのすぐ前に立つと、たちまち問題が明らかにな
る。一段目、二段目、まあたぶん3段目くらいまでなら、重さ二トンから六トンの石灰岩
のブロックを積み上げるのはそう難しくはなさそうだ。たぶん人力だけで何とかなるだろう。

だが実際には、その上さらに200段も巨石を積み上げなくてはならないのである。た
とえば、そう、150段目のブロックはどうやって積み上げる?傾斜路を造って引きずっていくか?
だがその高さまで石を引き上げるだけの傾斜路を造るには、ピラミッドそれ自体と同じだ
けの材料が居る。さらに崩壊を避けようと思えば、その斜面もまた硬い石で築かねばなら
ない。
38:2008/06/03(火) 10:39:06 ID:3fcDkuEE0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89 ピラミッド

では、ヘロトドスが言ったように、移動式の吊り上げ装置を使って一度に一つずつブロックを吊り
上げたら銅だろう?だがこの方法だと、たった一つのブロックを吊り上げて据え付けるだけで
1日がかりだ。そしてたとえ1日25個ずつ積んだとしても、ピラミッドの建造には274年も
かかってしまう(合計230万個もの石が使われていることを忘れてはならない)。ヘロトドスは
その建造にたった20年しかかからなかったといっているが、建造者が我々の知らない秘密
でも使ったのでない限り、そんなことは不可能だ。

 巨大なクレーンを借りてきたら?否、今この世の中にすら、そんなことのできるクレー
ンは存在しない。

 風力はどうだろう?モーリーン・クレモンズというアメリカの面白い研究が、ピラミッドの建造に風力が
使われたかもしれないことをしめす実験を行っている。2001年、彼女は巨大なたこをつか
って、何トンもの石やオベリスクを空中に吊り上げ、目的の場所に設置して見せたのだ。だが
彼女自身もみとめているように、大ピラミッドの中心に据えられた80トンもの巨石に関して
はどうやったのか見当もつかない。そしてこれらのブロックを見た観光客全員が合致すると思
うが、これをどうやって持ち上げたかという問題は何処からどう考えても想像を絶してい
る。1980年代、ジョセフ・ジョックマンズという注目すべき研究者がー―彼は「ジャランドリス」という
筆名を使っていたがー―その挑戦に関する大胆かつ広範な本を書いた。その中で彼は「不
可能な技術者の偉業――クレーンもなく、ただ梃子(てこ)もしくは人力によってのみ設置さ
れた石のブロック」についてかたっている。
39:2008/06/03(火) 10:41:04 ID:3fcDkuEE0

「1978年、日本テレビ局のプロジェクト〔エジプト・ピラミッド再現計画、NTV系〕が、ギザの第
3ピラミッドのすぐ南東に「ミニ・ピラミッド」を建造する許可をエジプト政府から得た。このプロジ
ェクトの目的はそのサイズではなく、技術だった。日本人たちは古代エジプト人が使ったものと
まったく同じと考えられる技術――あるいは少なくとも彼等が使用したと現代の考古学者
が主張している技術――を使ってピラミッドを完成させようというのである。

 日本人たちの目的は、近くの丘から石を切り出し、これを筏に乗せてナイル川を運び、人数
にものをいわせ、掛け声に合わせてロープで引っ張るよいと巻け方式で現場まで引きずり、
最終的に単純な梃子を使ってこの石を持ち上げ、ピラミッドを造ることにあった。

だが作業が開始されるや否や、彼らは太刀打ちできない問題に直面することとなった。ま
ず第一に、、石切り場の石は手製の道具のほとんどをまったく受けつけず、作業員は圧搾空
気で動かす削岩機に頼らざるを得なかった。次にこの石は、気で作った筏ではちゃんとナイル
川に浮いてはくれず、結局は汽船で運搬することになった。接岸すると、日本人に雇われ
たアラブの作業員が大勢で寄ってたかってこれを引っ張ろうとしたが、石はびくともせず、
川の沈泥や砂漠の砂に沈んでいくばかりだった。これでもまた現代のテクノロジーが召集され、
限界ぎりぎりの重量を負わされた巨大トラックがこの巨石を現場まで運んだのだった。

そして、大量の労務者がロープや椅子、滑車を使っても石を引き上げることはできなかった
ので、一縷の希望として巨大クレーンとヘリコプターが投入された。だがそれでもー―今日の
テクノロジーにおける最も強力な吊り上げ機械を使ってもー―ピラミッドに石を据え付けるという
作業は遅々として進まず、多くのブロックが放置され、また手荒な扱いのために割れてしまっ
たのだ。この時点でエジプト人が介入し、許可していない重機によって砂漠の環境が破壊
されることを恐れ、作りかけの日本製ピラミッドらしきものを完全に撤去するように命じたの
だった」