8/25に「没後10年特集展示:成田亨」と土曜講座としてよりワークショップAで開催された際に、
参加者にA4サイズ一枚のテキストが配布されました。内容は成田亨、展示に掲げられている文面
と同じものでした。テキスト打ち込んでPDFファイルにしました。しばしUPしておきます。
http://yahoo.jp/sL49KI この日の様子は学芸員がビデオ撮影していました。(内容まとめて公開してほしい)
お話追加
・(成田浬氏は)展示品のなかに特に懐かしいものを見つけました。子供は入れる位の球状の
彫刻作品です。実際に子供のころ、この中に入ってころがして遊んでたんですよ。父は「穴から指だしたら
ケガするからきをつけろ」、って言っていました。さわっていいですか?と聞いたら「展示品ですので・・・」と
断られましたw」
芸術作品って触って良いものとそうでないものがあるんだよな。
例えばブロンズ像やFRPだと、公園に置いてあるようなものは触っていいようにできているし
美術館でも触れる彫刻の意味というものを追及している展示もあるが
成田氏の立体にブロンズ像は少ないし、強度追求してあるものも少なそう。
一括して触れちゃダメとした方が、安心ではあるか。
成田先生は、御自身のところにくる若い人を
割と拒まない人だったから、森本とかいうのに限らず、
「成田先生に師事していた」と称する特ヲタは結構いたらしい。
俺自身森本とは別に知ってるが、プロの芸術家にはなれなかったようだし、
「成田の弟子」をやたら吹聴するので、妙な違和感を感じていた。
個人的な印象だが、成田先生のお人柄が仇になって、「自称弟子」を
増やしてしまったのではないかという懸念を感じる。
ずばり訊くが、成田先生のところに通っていた特撮ファンの中で、
「成田先生の技術や発想を受け継ぎつつ、自分の才能を開花させ、
プロの彫刻家orデザイナーになった」という意味での弟子は
いるのか?
>>523 森本については、弟子を名乗っていいと言われていたのは事実だからな。
住み込み弟子はいないから、弟子を名乗っていいと言われていたわけだ。
遺稿集などの弟子不在発言は、住み込みの徒弟制度における弟子はいないというだけの事。
>俺自身森本とは別に知ってるが、プロの芸術家にはなれなかったようだし、
森本以外にも大江山の鬼の作業に携わった造形メインスタッフは数人いる。
森本たちメインスタッフと、教室生徒という感じだな。
>「成田の弟子」をやたら吹聴するので、妙な違和感を感じていた。
それも事実上弟子と名乗っていいと言われた人かもよ。
遺稿集となると芸術家の方々も読むだろうから、
住み込み徒弟制度における弟子と勘違いしてはならんと思ったんでないの?
森本を目録から悪意ではぶった人々は、一般職の社会人の方々。
最初の1週間の木による骨組と、最後のFRP型のつなぎ合わせには参加しているが
中途の粘土作業、石膏作業、FRP型作りにはあまり参加してない。
ブロンズ抜きで京都には行っているので弟子と名乗っていいとは言われてるのかもな。
成田教室の創立メンバーだから渋谷教室生は文句が言えん。
528 :
名無しさん:2012/09/02(日) 07:36:05.27 ID:g1burm62
>>524〜
>>527 諸君、無職の森本君のご登場である。
目録から外されたんは、当時の君がオブジェ制作の戦力になっていなかった証拠や。
何を今更、成田先生の弟子を語る必要性が有るんや。
>>526 この擁護派の意見を纏めると、森本は弟子ではないと言う結論になるよな?
●世間一般に、住み込み徒弟を弟子と言う
⇒森本は住み込み徒弟をしていない
●事実上の弟子である
⇒事実上の、と言う事は実際には弟子ではない
>>528 森本に言うのは間違ってないか?
聞くところによると酒呑童子の原型手伝いを約50日間作業して
早退は内10日も無いそうだぞ。
森本が早退したのは鬼彫刻完成前年の1989年中の手伝いの間だ。
その頃森本は週3〜2回手伝いに入っていて、締めの作業が濡れシーツを原型にかぶせるのを
脚立でつま先立ちで行うなど非常にきつく
それで終了作業は週1回だけ遠慮したいという事で、金曜日早く帰っただけだそうだ。
森本の他に弟子と名乗っていいと言われた渋谷教室のの生徒だが、1989年中には
手首などの作業をしていた生徒は週1〜2回
髪の毛の作業をしていた生徒は週1回で、金曜日のみ作業をしていた。
この二人は1990年、京都の台座製作ではかなり手伝いに入っていた。
髪の毛担当は、89年の時点では、東宝特撮の手伝いをしていた。それで髪の作業は進まなかった。
その人物は週1回の金曜サポートだったので、森本早退説は
彼か渋谷教室の他の手伝いから流れたようだが
現実はその頃から森本が着物担当など週3〜2回の作業。石膏やFRPは各日手伝い全員で行っていた。
森本の着物担当はなかば仕切りであって、他の手伝いも着物表面の手伝いはするのだが
いかんせん面積が多い為に当然であり、石膏型を作るのも大変だったようだな。
あれだけ大きいとどこもかしこも大変だったようだが。
あと、森本は石膏型とFRPについては髪や腕も含めて、かなりのパーツの作業をしている。
森本がいなくともあの彫刻ができたなど、ありえん。
それにしても投稿文字数制限ってのは面倒だな。
酒飲みまくってその帰り自転車だったのか?
酒飲んでの自転車運転って、れっきとした犯罪だぞ。
もう時効ではあるけど、「顰蹙行為」ではあるよなぁ。