【ウルトラマン】古谷敏【アマギ隊員】

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754どこの誰かは知らないけれど
19年前のGWに朝日に載った記事(5回連載の5回目)
古谷氏は当時47歳

91/05/03
俳優からぬいぐるみショーの世界に踏み出した古谷敏は、アマギ隊員の衣装を着て、
デパートの屋上に立った。1968年の秋だった。怪獣は円谷プロなどから借りてきた。
5体あれば、そこそこの実演に仕上がる。アルバイトの学生に振り付けを教えた。
古谷は司会をやった。

番組放映時にコネのできていた遊園地、商店会などに声をかけた。日当をもらい、
ショーをやらせてもらった。

古谷の頭には、東北へ行ったときの情景が残っていた。開演直前、はなを垂らした
少年が一人、入り口の前で待っていた。「金を忘れた」という。当時は有料が多かった。
「じゃあ、一緒に入ろう」と手を引いた。少年の目を見ながら、金がなくても見せてやる
方法はないものかと思った。

そのころ、スーパーの出店ラッシュが続いていた。開店の客寄せにショーをやれば、
無料でできる。一石二鳥だ、と考える。イトーヨーカ堂に話を持ちかけた。以来、
開店の催しをいっさい引き受けるようになる。

独立して3年後の71年、会社組織にし、古谷は経営に徹する。株式会社「ビン・プロモーション」
の社長である。時代とともに催しの質は変わり、年間の生活行事に合わせて商品を
宣伝していく形になっている。流通イベントと呼ぶ。社員は10人、年商はざっと4億円という。
ぬいぐるみを使ったショーは、今では半分に減った。

流通イベント業界での核になるのが、今の目標だ。だが、かつての情熱はないという。
「それは、目標であって、夢ではない。撮影をしていた時代が、人生の記念碑に思えます」

全身にみなぎっていた力を懐かしんで、ウルトラマンのビデオを見る。力がふつふつ
わいてくるのを覚える。高校2年生の息子は、父親が素顔で出るウルトラセブンの方をよく見る。
ピンチに陥ることの多いアマギ隊員に「なんだ、父さんやられてばかりだな」という。
「おれがやられなければ、ダン(主人公)の出番がないだろう」と笑いながら言い返す。

人と人とは支えあっている。主役がいれば、わき役も裏方も必要だ。黒衣の人生でいい。
そう思っている。

先月、円谷プロが主催してウルトラマン放映25周年の記念パーティーが開かれた。
が、会場に古谷の姿はなかった。

カラオケが好きだ、という。それを聞いて「表舞台への思いが残ってはいませんか」
と尋ねてみた。「あれば、いまの自分はありません」と答えた。

いきつけのスナックで、歌を聞かせてもらった。「北の旅人」「別れの夜明け」。
好きだったスター、石原裕次郎の歌を何曲も歌った。すらっと伸びた背が、
カラオケの舞台では窮屈そうだった。