プロ野球中継

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121P.N.名無し大好きっ子さん
関根潤三さんがLFの解説者に就任したのはS41年。
LF初の契約解説者で前年までの中継はQRと共同でフジテレビの解説者(楠安夫、児玉利一
服部受弘、山根俊英)が担当したほかにS40年は1年限りだったが、NRN解説者として渡海昇二も登場。
当時は放送日もLFは平日(S42年からは金曜を除いて、S44年からは」全日体制)、QRは土日のみだった。
おととしにLF開局50周年番組に出演した深沢弘元アナが関根さん起用について、「他局は当時から何人もの解説者を起用していたが、
関根さんの声が聴こえたらニッポン放送だと解るようにあえて関根さん1人しか起用しなかった」と発言。
それに対して関根さんは「1人の時代が長かった(S41〜44年)けど1人のほうが楽で良かった。何しろ毎日、生で野球の試合が見れたんだから・・」
それに対し松本秀夫アナは本当ですか?」と当時解説者が1人だったことを知り驚いていた。
ちなみに当時、自社製作の本番カードは当然ながら関根さん。裏送りの神宮、川崎などの首都圏他球場は実況がLFで解説者は系列局の解説者が担当。
例えば「大洋×中日」は解説・大矢根博臣(SF) 実況・枇杷阪明(LF)といったパターン。
また本番カードがネット受けの場合は関根さんが裏送りor予備カードに登場。
余談だがフジテレビもS43、44年の2シーズン解説者は児玉利一のみ。
神宮、川崎の自社製作はもちろん、関テレ、東海、広島テレビ製作の巨人戦全国中継やフジにネットされる試合はすべて児玉さん1人で担当だった。

122P.N.名無し大好きっ子さん:2006/08/12(土) 17:10:42 ID:ouo/T+8i
続き
S45年関根さんが広島のコーチに就任して後任は前年限りでアトムズを最後に現役引退した豊田泰光さんだった。
もう20年以上前になるがある書物で豊田さんが当時を「あの頃は毎日解説の仕事をしていたが、何を喋っていいのか
悩んだことがあった。昨日これを話したから、今日は何を喋ればいいのかと・・・」述懐していた。
関根さんとは逆に豊田さんにとって1人は苦痛だったようだ。
翌年に関根さんが復帰。以降LFの解説者は複数人体制となった。