>>277 >ところで、喪前さんのスタンスは家事ロボットなのかメイドさんロボなのかどっちなん?
いい質問ですな。お答えしましょう。
前に述べたが、私を含めメイドロボットが欲しい人は、淋しい人だと思う。つまり片割れがほしいのだ。
アダムがイブを欲しがったように、家に帰ったときに、もう一人の誰かに家にいてほしい。
ものをいわぬ家電でなく、女性の形の生命体に迎えられたい。そんな思いがあるに違いない。
イブを作りたい。妻を作りたい。母を作りたい。それが最終目標であるはずだ。
ところで、人間は、手足を切り落とせば人間でなくなるだろうか? 否。
胴体と頭だけになったとしても、極端なことをいえば脳だけになったとしても、
生きて思考する限り人間だろう。
ではマルチはどうか? 手足がなくなったとき、メイドロボットではなくなるのだろうか?
家電の場合、その仕事を行う能力がなくなったとき、それは家電ではない。ゴミだ。
だが、マルチの場合、仮に頭だけになったとしても、マルチであり、メイドロボットではないだろうか。
その理由は、マルチは、一個の人工生命対として我らは捉えているからである。
つまり、メイドロボットの最小条件は、「メイドであろうとする人工知能」だといえるのではないか。
その知能さえ作れば後は簡単だ、手の動かし方をインストールすればマジックハンドで
さまざまな作業を行ってくれるだろう。
だが、マジックハンドを動かす指令を出す、コンピューターはロボットとイコールではない。
四肢があることはメイドロボットの絶対条件ではないのである。
ここで最初に戻るが、なぜ生命で無ければならないか。それは、淋しさを癒されるとき
それは、別の生命体と心を通わすときであろう。 つまり、家に帰ったとき心安い
何かと心を通わせる条件を求める人が、メイドロボットを求めているのではないだろうか?
つまり、我々は人工生命を作らねばならない。
そう考えるのだがそれは私の考えだ。ここにいる人の受け止め方はまた違うだろう。
そもそもロボットとは何か? 自我とは何か?
生命とは何か? どんなプログラムをしたとき、我らは「生きている」と感じるのだろう?
ロボットと家電、機械との差は何か? 機械と生命との差は何か?
単純な答えを、このスレッドで皆ともに考えてゆきたい。そのための問いを後半で行っている。
たとえば
>「能動的、自立的に行動できるマシンをロボットと呼ぶ」
これでいいのか? とね。
そう分解して考え、答えを導き出せば、最初に作り出すべき最小の目標が
見えてくるのではないかと、思うからである。