大島渚の映画2

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337この子の名無しのお祝いに
大島は、三島由紀夫をモデルにした人物を二度描いている。
「儀式」のテルミチと、「戦メリ」のヨノイ。
両方とも、主人公よりも先に死ぬ。
(「戦メリ」の主人公はやはりハラなのだろうと仮定しての話)
「儀式」の場合は、三島に先に死なれてしまうかもしれない、自分は置き去りにされてしまうかもしれない、
という焦燥感が観客にも伝わってきて、それがサスペンスになっていたけれど、
「戦メリ」の場合だと、そういう焦燥感がまったくない。
「あいつはあいつ、俺は俺」と突き放してしまっている。
かといって主人公(ハラ)は、自分なりの‘戦後’を発見して生きていくこともしない。
彼もまた‘戦後’を見ずに死んでしまう。
しかも、「‘戦後’など見るに値しない」と考えて自死するのではなく、欧米に殺されてしまう。
殺されることについて、さして抵抗もしない。

「戦メリ」は実は「儀式」のB面の映画なんだろうし、
‘戦後’について何の焦りも感じなくなってしまっていた大島の腑抜けぶりが露呈した映画なんだと思う。
あの映画の緊張感のなさは、大島が三島を突き放して自分なりの‘戦後’を発見することに失敗したせいだ。

http://www.youtube.com/watch?v=CLlgNl2xz18
こんなものが、彼にとっての戦後だったとすると、やはり彼は「愛の亡霊」で引退しておくべきだったんだと思う。