【そんなことは】砂の器3【決まっとる】

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675この子の名無しのお祝いに
(神谷美惠子は悪人だった)
「砂の器」への感動が実は怪しいものだったのはショックだが、ハンセン病は他にも衝撃をもたらす。
神谷美惠子と言えば彼女の生きがいについての著作は今でもよく読まれている、療養所で働いた慈愛にあふれた医師というイメージではないだろうか。

しかし、らい予防法を廃止するよう要求するような反抗的な患者への神谷美惠子の目は、
 「こいつは救いようのないキ○ガイだ」というものだったようだ

 厚生労働省委託『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』より
  第十 ハンセン病医学・医療の歴史と実態 p234
 ttp://www.jlf.or.jp/work/hansen_report.shtml#saisyu
『ハンセン病が充分に治りきるには至っていない段階で長島愛生園に赴いた神谷には、ただただ脱帽するばかりである。
 だが、神谷は当時の療養所のあり方を肯定的に捉えていて、それを受容している患者に限りない慈愛の目を降り注いだが、それに批判的な患者には冷たい。
 この点は、鈴木禎一が「ハンセン病―人間回復へのたたかい―神谷美恵子氏の認識について―」(2003 年)で厳しく批判しているとおりである。神谷は、光田体制下での献身的な精神科医であった、と見ることが妥当であろう。』

砂の器や神谷美惠子を讃える事はすなわち、感傷主義でハンセン病患者を扱った文学=「ただ哀れな者として扱い、社会制度などに不満を述べる者は無視する」を今も生かすことなのかもしれない。