(差別を表面化すると何がおきるのか)
あまりこんな事は書きたくないが、「砂の器」についてハンセン病の扱いについて避けようする人は差別を肯定している可能性が高い。
厚生労働省委託『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』より
第十八 アイスターホテル宿泊拒否事件 p754
ttp://www.jlf.or.jp/work/hansen_report.shtml#saisyu 『今回のアイスター事件については、ハンセン病と回復者に対する差別の二重構造が明らかになったという指摘がある。(中略)回復者たちが同情されるべき存在としてうつむいて控えめに暮らす限りにおいては、この社会は同情し、理解を示す。
しかし、この人たちが強いられている忍従に対して立ち上がろうとすると、社会はそれに理解を示さない。それが差別・偏見であることに気づいていない、このような指摘である。差別意識のない差別・偏見といえようか。』
報告書の指摘は宿泊拒否事件についてだが、砂の器で起きている事も同じなのではないか。
主人公たちが「可哀そうな存在」である分には問題ないが、一端そこに隠されている差別を指摘し、責任を表面化させると社会はそれに理解を示さないのが映画に限らず現状なのかもしれない。