【そんなことは】砂の器3【決まっとる】

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666この子の名無しのお祝いに
(批判されない事情)
この板が古い邦画を語る為にあるとすれば、「砂の器」についてそのハンセン病の扱いについて批判的に検討することは大変意味があると思われる。なぜなら戦前の国策映画についてはそれが常識だからだ。

「砂の器」のハンセン病患者への扱いが現在の知識から誉められない、むしろ批判されるべきものであることは明白だろう。制作当時の大多数の意識がそのようなものであった為だからという事情はよく理解できる。
 しかしだから批判されるべきではない、当時の意識に左右された病気と差別の問題は除くべきだと考えるならそれは間違いだ。公開時の役割とは別に、現在でもそれが及ぼす影響に応じ批判されるべきだ。

これは戦前の国策映画や、同時期に自発的にそういう意図で作られた映画が、現在では戦争協力という本来の主旨に沿った方向では、まったく評価されない・言及されないことが示している。
 それらの映画は戦後の民主主義的意識があれば、誉めたくても誉められないのである。これらの映画は公開時はまさにその意図に沿って絶賛されたのであり、ここで起きたのは見る側の知識・意識の変化である。

この経験を「砂の器」にあてはめれば、映画会社が説明字幕をつけず、世間もそれでよしとする現在の状況が理解できよう。即ち、見る側のハンセン病についての知識はあるものの十分ではなく、本当の意味でそれを反省しようという意識がないということがこの事態を招いている。

見る側の意識が昔は仕方がない、面白かったからいいじゃないかでは、実はすまされないのが本当のところだろう。