【そんなことは】砂の器3【決まっとる】

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588この子の名無しのお祝いに
「砂の器」で親子が放浪するシーンはお遍路姿になっている。これは原作でそうなっている為だろうが、元をたどれば「小島の春」の悪い影響を受けていたのかもしれない。

小島の春の原作者でハンセン病患者の収容を行った小川正子さんは講演でこう語っている。
「皆さんのお生まれになった阿波の徳島は、四国の中でも最も人情の厚い、千年も前から弘法大師の慈悲の心のいきわたった土地柄です。
お遍路さんに接待するのを当然とされたため、らい病のお遍路さんを家に泊め、食事を与え看病しました。
そのため病菌がその家の人に感染して、その家から思いもかけない病人が生まれるという事になりました。
こんな割の合わないことになるのも、人々が医学的知識のないためであります。どうか皆さんはらい病が遺伝ではなく、伝染病だということを家の方々にもよく話してください。」

この講演はたいへん効果的だった、聞いた女学生=瀬戸内寂朝が感動して医者をめざした事が示している。
当時既に30年以上も療養所運営がなされ、ハンセン病の伝染性が極めて低いことは小川正子もよく知っていたはずだ。

それでもお遍路を一泊させただけでらい病が伝染する、などと言う作り話をすることが行われていた。
そしてそれが映画の形で今も、繰り返されているとしたらなんともやりきれない話だ。