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この子の名無しのお祝いに:
(現在批判されるべき理由)
この映画が、今批判されるべきなのは、ハンセン病について何も描かないことで、
現在でもうかつな観客を、危険な方向へ誘導する可能性を秘めていることだろう。
これは同じハンセン病を扱った「小島の春」と比較すれば理解しやすい、「小島の春」は戦前の患者の療養所への収容活動を、善意ある慈悲深い行為として描くが、
そこには患者がそうされるべきものだという映画の明確な姿勢が見える。
この映画を現在見ると、
知識のない客でも映画が当時のハンセン病患者への差別的な扱いを肯定的に描いたことを理解し、それと自分の意見を区別できる。
しかし「砂の器」では映画自体は、ハンセン病患者への態度を明確には示さず、なおかつサスペンスの出来や同情を誘う部分の出来がいいため、
無知な観客はこの映画がすごく良いものだと感じる。
そこでは、ハンセン病患者がどのように扱われたか明確には意識されない、
なぜならそれは自分の患者への認識が延長されただけだから。
それは自動的にごく当たり前のものとされる、批判もされないのに自分の考え方を再検討する者はいないからだ。
かくして「砂の器」は今も、客にハンセン病患者への自分勝手な認識を、あたかもそれが絶賛されたように錯覚させる効果を持つ事になる。
つまり74年時点の、ハンセン病患者は医学が救えない哀れな者という間違った認識を、はるか後になっても振りまき続ける可能性をもっていると言えよう。
もしこの意見に反対であれば、どの点についてなぜ反対か書いて欲しい。
その過程で自分が何を知っており、どう考えているか確認できるだろう。