【そんなことは】砂の器3【決まっとる】

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500この子の名無しのお祝いに
ハンセン病患者からみた歴史 を簡単にまとめよう
ttp://www.hansenkokubai.gr.jp/history/index.html

(1)明治から戦時中は、村落では差別され、法律による収容が始まる
・1907年収容法制化時点で既に、医学的に伝染力が弱いことが知れていながら、強制収容する国の非人間的政策。
・1919年では患者数は1万62611人(内入所者2000人)で患者の多くは村落にいたが、ここから収容が進むことになる
(このころ海外では治療薬の開発進む)

(2)戦後、らい予防法の制定により戦前の政策が継続され、強制収容が進む
・1948年には既にプロミンの日本での治癒効果が確認されてるのにも関わらず強制入院を法制化
・国際的には患者の解放、薬での治療が提言さているのに耳をかさない国
・患者がらい予防法反対運動をするも、とりあげられず
・1961 小説「砂の器」

(3)70年代以降、ほとんどの患者は収容され、マスコミでは問題は済んだこととされる。
・医学の進歩、戦後の人権尊重意識に逆行する甚だしい人権侵害が維持されているのに、ほとんどの日本人は見向きもしなかった
・1980年で患者数8000人 新規患者は74〜06年で50人以下
・1970 映画「あつい壁」昭和28年のらい患者を親にもつ子供の収容に関わる事件を描いた映画
・1974 映画「砂の器」公開

(4)1996年 らい予防法廃止