2 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/06(水) 21:04:32 ID:pQX9brQ5
これは内部でも嫌がられていたらしい。でも興行的にジリ貧だったから仕方なかった。
ロマンXといっても、映画的に造り込まれた作品は小沼勝「箱の中の女 処女いけにえ」
「いんこう」「箱の中の女2」那須博之「タブーX倒錯」川崎善広「瓶詰め地獄」
など、ごく僅かだったと思う。後は企画ものAVみたいな作り方をした外注作品ばかりだった。
「ロマンポルノの終焉を早めた」というよりも、AVの登場で、既にストーリー
性のあるポルノグラフィーが観客に嫌われていた時代だった。
一般客にとっては、とにかく濡れ場を見せろ、映画が観たいんじゃない、という
欲求の方が遥かに強かった。これが旧来型のにっかつの映画人たちには誤算だったと思う。
3 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/06(水) 21:06:10 ID:pQX9brQ5
彼らとしては、ピンクやブルーフィルム、ホテルなどで流しているエロビデオ
と一線を画した「映画」だからこそ客が来る、というプライドと思い込みがあったのでは?
(にっかつもホテル放映用のビデオや初期AV、ヌードビデオ等は作っていたんだけどね)
だがロマンXも最後のカンフル剤でしかなかったな。似た内容ならAVを観ればいいんだし。
結局、ロマンポルノ・ピンク的な「ストーリー性のあるポルノ」は、エロVシネといまだに
制作されているピンク映画の中に細々と残されていくこととなった。
単館レイトや特集上映等ではロマンポルノやピンクも受けてるけどね。でも
エロ映画館自体はもう駄目だな。関係ないが林由美香も亡くなったね。合掌。
4 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/06(水) 23:55:26 ID:hfigl6xe
まあ組合的な発想だからどうしようもないよね。
AVはゲリラだった分、強かったということじゃないの〜
5 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/07(木) 01:08:50 ID:dj2Yq5Os
>>4 「ストーリー性のあるポルノグラフィー」自体が、所詮は時代の徒花的な
産物に過ぎなかったのかもしれない。
実は観客はもっとストレートで直截的なものを観たがっていた。にっかつも
その欲求に応えて「ロマンX」に乗り出したのだが、だがそれも、AV的な領
域に近づくほど、映画館で上映される必要もない(ビデオの普及率も
高まっていた時期だったこともあり、AVを観ればそれで済む)という自己矛盾に近づいていった。
ロマンポルノ自体の興収が82〜83年を頂点に急落していたからね。後は何をやってももう駄目でした。
ロマンXにでもすがるしかなかったわけです。これも徐々に飽きられたけどね。
検索すると、ロマンXのポスターを描いていた方がいました。面白いなあ。
ttp://yotsuba.saiin.net/~kanai/garou/roman-x/romanx01.html
6 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/08(金) 16:29:41 ID:mO5M6Qd4
伊集院剛
7 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/10(日) 13:26:20 ID:6doVbBWz
“ダブルX”とか“スキャンダルX”てのもあったけど、それらもロマンXと関係あったの?
>>7 “ダブルX”や“スキャンダルX”は、ロマンXから派生したレーベル。
正確にはどれだけ作られたのかは今となってはよくわからない。
9 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/10(日) 19:35:45 ID:eRR5b5Dk
ロッポニカというのもあったな
10 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/11(月) 11:24:00 ID:TJmytrn7
>>9 ロッポニカはにっかつがロマンポルノ路線を捨てた後に立ち上げた路線。
といってもそれが何だったのかはわからんが。
>>3 実は90年代のロマンポルノ・ピンク映画衰退期というのは、
ピンクの派生型のゲイポルノはむしろ繁盛してた時期だったりする。
ゲイポルノは市場がぐっと小さくなって特殊な環境とはいえ、ピンクと
共通してる事も多いし、観客も一部は共通してる事もある。
ゲイポルノ映画館の場合は、映画以上に「出会いの場」というか
……ハッテン場という意味合いもあったわけで、それが生き延びる
力になっていたんだと思う。今みたいにネットも2chも無かったし。
>>4が言うようににっかつは頭が固くなってしまってたんだろうね。
ロマンポルノの場合は日活一社だし。
東映がVシネを始めたように、日活も本格的にエロOVといったビデオ
業界に斬り込むべきだったとは思う。
さもなくば、上記のゲイポルノのように映画以外の特殊な付加価値
を付けるほかなかっただろうな。
12 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/14(木) 19:43:15 ID:J4wHyD8Y
>>11 テレビ映画の制作にもあまり参入してなかったからなあ。
13 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/15(金) 00:04:46 ID:Z8dRp1Hq
小路谷秀樹、高槻彰も撮ってたね。
>>11 >東映がVシネを始めたように、日活も本格的にエロOVといったビデオ
>業界に斬り込むべきだったとは思う。
どうかなあ・・・日本におけるVオリのいちおうの第1作は東映の「クライムハンタ− 怒りの銃弾」(89)
と言われるが、Vオリも調子が良かったのは最初の2、3年だからね。
あの頃は何を出しても売れていて、キネ旬まで「東映Xシネマの黄金時代」という
太鼓持ち特集を組むほどだった。
ただ各社が参入したらAVと同じくたちまち焼け野原の消耗戦になった。いまだにリリースさ
れてるのが不思議。ちなみに、ビデオメーカーの離職率は異様に高い・・・。
にっかつが参入したのは中原俊の「Doki Doki ヴァージン
もういちど I LOVE YOU」(90)からだったと思う。
中原氏が当時語っていたが、「とりあえずやってみますか」という感じだったらしい。
にっかつはその後、92年にエロス作家シリーズ第1弾とか称して、小沼勝に
「蕾のルチア」を撮らせたが、これが売れずに第2弾以降は出なかった・・・。
まあ、高樹澪は実はほとんど脱いでいないので売れるはずもないのだが。
ちなみに、東映と東映ビデオ、にっかつとにっかつビデオはいちおう別会社。
にっかつビデオは、社内にマニアがいたのか、偶然版権が手に入っただけ
なのか、ロジャー・コーマン等の伝説のSF・ホラー作品を発売していたことで有名。
現在の日活は改組してビデオ事業部も社内に入れたんじゃなかったかな?
にっかつビデオ最大のヒット作は道交法に触れてシリーズが打ち止めになった「首都高速トライアル」
シリーズでしょ? ロッポニカの第1作をビデオ化したらたまたま売れてシリーズになったんだよね。
>>12 いや、70年代からにっかつ(にっかつ撮影所)を使用していたTV映画(TVドラマ)
も結構あったでしょ? スタジオレンタルだけではなく、昔のTV作品を見ていると「制作協力」
「制作」名目で「日活撮影所」(にっかつ撮影所)の名前をちょくちょく見掛ける。
現在は「女王の教室」の制作協力がにっかつ撮影所。確かに、東映のように
放映後の権利まで持つ形態のものは少なかったかもしれないが・・・。
ついでに書くと、にっかつのテレビ部を経て脚本家になったのが両沢和幸や龍居由佳里、北川悦吏子。
両沢氏はプロデューサーや演出までこなす。助監督や制作部に回されていた頃は小沼組で
「箱の中の女」とかやってたらしい。そんな人が今は「エースをねらえ!」だって。
ちなみに日テレに転職したのが佐藤敦。社員ではないが、にっかつ経由
でTVの人気脚本家になったのが伴一彦や吉本昌弘。けっこうTV界には貢献している。
17 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/16(土) 23:43:24 ID:jp5qkBA4
にっかつビデオフィルムズってあったよね。
サトウトシキは、そこのAVで監督デビューだった気が…
19 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/19(火) 16:25:43 ID:1021MX1O
ロマンXは映倫の他にビデ倫も通さないとだめだったの?
20 :
この子の名無しのお祝いに:2005/07/20(水) 02:28:48 ID:aWYfj2/P
ロマンXともなると知らん監督が多いな。ビデオの人とかか?
生撮りビデオに至っては、クレジットなしも。
21 :
この子の名無しのお祝いに:2005/08/01(月) 16:45:22 ID:SOABDrNh
ロマンX・生撮りシリーズの主演で今もメジャーで活躍してるのは・・・・・・
22 :
この子の名無しのお祝いに:2005/09/01(木) 16:43:58 ID:PpOL2akf
なんたらかんたらエキサイティングムービー
23 :
この子の名無しのお祝いに:2005/09/14(水) 19:45:01 ID:xRvaKXoE
「ザッツ・ロマンポルノ」でのロマンXの説明を照らし合わせると「箱の中の女」と「いんこう」(同じ小沼勝監督作品)はどう違うんだ?
24 :
この子の名無しのお祝いに:
「ザ・絶頂感」は映画館で見るような感じの作品じゃないでしょ?