ttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041213i411.htm 戦前の映画スター、山路ふみ子さんが死去
戦前の映画スターで、戦後は慈善事業や文化活動に取り組んだ山路ふみ子(やまじ・ふみこ、本名・大久保ふみ子=おおくぼ・ふみこ)さんが、
6日午前9時10分、心不全で亡くなっていたことが13日、分かった。92歳だった。
親族のみで密葬を済ませた。お別れの会は、19日午後1時から、東京都新宿区戸山3の20の1の学習院女子大2号館B1「やわらぎホール」で。
自宅は千代田区平河町1の7の5。喪主は山路ふみ子文化財団理事長、岩崎光洋(いわさき・みつひろ)氏。
神戸市出身。ミス神戸になったのがきっかけで映画界入りし、1930年に「神戸行進曲」で初主演した。
その後、溝口健二監督によって演技を磨かれ、同監督の「愛怨峡」(37年)、「露営の歌」(38年)など
で戦前を代表する女優の1人となった。出演作品は100本を超える。
戦後は2作品に出演しただけで映画界を引退。63年、経営していた料亭を閉め、
その土地などを処分した私財を元に「山路ふみ子自然科学振興財団」を設立し、若手の学者、研究者の育成に努めた。
また、76年には、映画人を育成する「山路ふみ子文化財団」を設立。これまでに28回にわたって
映画界に功労のあった人を顕彰してきた。ほかにも、「山路ふみ子専門看護教育研究助成基金」などを設立、各方面に援助の手を差し延べた。
72年に藍綬褒章を受章したほか、93年には、ネパールへの教育支援に対して同国から外国人の最高位勲章「ゴルカ・ダ・クシン・バブ」を受けた。
2004/12/13/19:17