理系の人って宗教とか信じているの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
6345

宗教には盲信が伴うのが一般的ではあるが全てではない。一般に目にするような宗教は大衆向けの掛け算の99だからね。しかし脳の仕組みから言って誰でも普段の行動や思考はテーブル参照をしている。歩くときにいちいち手足の動かしかたを計算しないのと同様、自明な推論にはショートカットができる。盲信との違いは演算テーブルの検算を自分でやったかどうかの違いだ。たとえば人付き合いのノウハウには確固とした法則なんてないから経験に基いて書換えて行くしかない。そこで既存の演算テーブルをどっかの宗教から「自覚的に」拝借する。これは盲信か?

>>44
「単なる「公理」であって、現実の世界とはなんら関係ない」を自覚しているキリスト教系の神学者や牧師はいるぞ。キリスト教のような古くてでかい宗教ではその古さゆえに変な教義が残ったまま、そのでかさゆえに修正もされにくくなっているだろうが、布教側がそのくらいの認識に達していないようでは現在の高い教育を受けた信者のニーズに対応できないだろう。

44氏や57氏のいう「それはもはや信仰とは呼べない」というのは、「盲信」を「宗教の定義」にしているからではないか?

まあ私の言う宗教も私なりの「宗教一般のあるべき姿」に基いて拡大解釈されたものだが。
それに既存の特定宗教が抱える問題点を擁護するつもりは毛頭無い。
しかしたまたま思い浮かぶ範囲の特定宗教が気に食わないからといって宗教一般の存在意義否定側に振り切ってしまうのは理性的なスタンスとは思えんぞ。