1 :
Nanashi_et_al.:
理系の人って非科学的なこととか宗教とか信じている人いるのかな
と思って・・・
どうなのさ?
2 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 03:22
どうなんだろうね、宗教とか(とかの意味がわからんが)信じていないけれど、
研究の仮定は、盲目的に信じていないと、研究をするのはきついんだよな。
Ω
4 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 05:15
駄スレ削除
5 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 06:29
いやいやなかなか興味深いテーマだと思うよ
6 :
名無子:2001/02/27(火) 06:49
無宗教国でしかもオウムとかのせいで「宗教」っていうものに対するイメージ悪いからなぁ。
俺は全く信じてないが
「盲目的にそういうものを信じることができれば本人は幸せだろうなぁ」とは思う
7 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 07:00
でも仏教徒だって言われたら危ないやつと思う前に感心しそうな
気がする。
仏教って日本人は誰もが心の奥で信奉してる宗教だと思うよ。
俺は一応、無神論者だが仏像を叩き壊せとか言われたら
それは俺にはできない。
踏絵はできる?
9 :
名無子:2001/02/27(火) 07:34
10 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 07:46
そりゃ、君、ファシストだって、マルキシストだって、
信じた人は幸せだったろうね。
でも、ほんとにそれでいいの?
盲目的に信じることって、やっぱ否定的に捕らえられべきことだと思うよ。それが世界の常識にならなきゃ、世の中、なかなかよく
ならないよ。マジでさ。
11 :
10:2001/02/27(火) 07:53
>>7 アフガニスタンを支配するタリバンは偶像破壊の指令を出したそう
だよ。無神論者は仏像をたたき壊せなんて言わないが、信心深い
イスラム原理主義者のかたがたは世界的に貴重な仏教石像を壊して
まわってるらしい。そういや、明治維新にも排仏毀釈ってのがあったな。
なんだかだ言ったって、結局はいがみあいの元になってるのが
現状だよ。>宗教
12 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 08:32
イスラム教って偶像崇拝を禁止してるからな
13 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 12:15
>>7-9
仏像を壊したり踏み絵をしたりは確かに俺にはできない。しかし、それ
は宗教を信じることとはちょっと違うと思う。
弥勒菩薩なんて芸術的価値を感じるし、建築様式なんかもそうだね。
なにより他人の大切にしている心の拠り所を土足で踏みにじる失礼な行為
ができないだけ。
そういえば遺伝の法則のメンデルは教会の牧師だったね。
14 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 13:46
科学者→疑うのが仕事。
宗教家→信じるのが仕事。
でも科学者で宗教家っているよな。
15 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 13:51
科学者の仕事
間違いは、間違いであると主張する。
正しいことは、正しいと主張する。
16 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 13:55
信仰と宗教って区別してる?
17 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 15:03
科学が万能だって信じちゃってる人にとっては、
科学が進行の対象であり、宗教であるといえる。
18 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 16:05
科学は一種の宗教だと思うな。
そう言っている教授もいた。
19 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 16:43
>>13 同意。
ぬいぐるみをバラバラに引き裂け、と言われたら、
だれだって躊躇するだろうし。
平気でできるやつは、人間でも平気でバラバラにできそう。
20 :
地学系の学生:2001/02/27(火) 19:49
いまのところ宗教に入れこまなくても十分やっていけるので信じていません。
科学をやってる人でも、1つくらい不合理なものを嗜んでもよいのでは?
人に迷惑がかかるようなものでなければ…
宗教は世界各地で揉め事の種になっているようですがね。
毎朝念仏を大声でしかも早口で30分も唱えているアパートの下の住人には、氏んでくれないかなと思います。猛烈に迷惑です。
21 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 20:53
宗教=非合理的=迷信
と思っている奴は、幼稚園児と同レベルの認識。
宗教とは本来、非常に合理的なものなのだよ。
しかし、ある神を信仰している人間が合理的だとは限らない。
> 宗教とは本来、非常に合理的なものなのだよ。
説明もとむ。できなきゃドキュソ扱い。
23 :
地学系の学生 :2001/02/27(火) 21:23
アパートの一室で朝っぱらから大声で念仏を唱えることの合理性はどこに。
24 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 21:32
「科学的態度=可能な限り何でも疑ってかかる」
は正しいが、
「宗教的態度=なんでも盲目的に信じる」
はちがう。
科学的な追求が及ばない深い思索の領域はいつの時代にもあるもので、
そのようなところで宗教的な理由をつけてなにかを信じることに関して
は、別に矛盾することはないと思う。
25 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 21:34
いわゆる有名な科学者というものは、宗教、なかでもキリスト教
信仰者が多い。宗教と科学のつながりというのは大きいと思うよ。
26 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 21:42
>25
具体例きぼーん。特に近代で。
「神はサイコロを振らない」は単なる負け惜しみで
言っただけだと思うぞ。
27 :
:2001/02/27(火) 22:10
シャカとかの悟りってけっこう真実をいいあててるのがすごい。
科学文化が特に進んだ国はもともとキリスト教中心の国が
多いんだから科学者にキリスト教徒が多いのは当たり前だわな。
というか宗教と科学の話になるとよく出てくる
「科学万能」という言葉…これは謎な言葉だ。おそらく
「世の中の謎は最終的にはすべて科学が明らかにしてくれる」
という程度の意味だろうとは思うのだが(それでも必ずしも
それが正しいと言い切るつもりはない)、多くの科学批判は
この言葉を「現代科学技術が万能」という意味で用いている
ような気がする。それで何か現在未解明の現象を見つけると
「ほうら、科学って万能じゃないでしょ!」みたいなことを言う。
まあそういうのは論外だが。
29 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 23:12
科学っていうのは結局近世以後に確立されてきた
ものの考え方の一体系にすぎないんだし、宗教に
したって成立はちょっと古いかもしれないけど考
え方の体系っていうことでは変わりがないと思う。
でも立脚している立場があまりにも違うから、科
学することと信仰することを矛盾なくできるって
ことは考えにくいです。
科学者で信仰を持っている人って、どのへんで折
り合いをつけているんでしょう。
30 :
Nanashi_et_al.:2001/02/27(火) 23:18
宗教を全否定する気は全くないけど、宗教を利用した戦争、詐欺など
マイナス面があまりにも目立つから嫌。
もちろん本当に人類のために地道に活動している人も多いのだろうけど
「宗教は麻薬だ」というのはかなり当たっていると思う。
31 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 01:02
>>24 具体例をあげてみれ。
単なる宗教かぶれだろ、あんた。
32 :
24:2001/02/28(水) 02:00
煽りご苦労さま。せっかくだから説明しておく。
たとえば
「集合論は絶対に矛盾しないのか」
とか
「キリストは実在したのか」
とか
「あなたが明日、隕石の直撃を受けて死ぬことはないのか」
について、理論的に答えを出すことができるだろうか?
科学的考察というのは多かれ少なかれ帰納によっているのであって、人の
発する疑問の中で、おのずと知れることに限界がある。いつの時代も、程
度の差こそあってもわからないことは宗教の領域だ。それが宗教の定義だと
いってもいいだろう。
念のために注意しておくと、だからといって科学が現在の宗教の領域を絶対的に
侵してはならないとか、知れることに限りがあるから科学はいらないとか、
そういうアホなことを言っているつもりはない。
単純に、世の中いくらかがんばってみればわかることはわかるし、それでもわからん
ことはわからんもので、時には、絶対にわからないということがわかることだってある
ものなのだ。で、わからんことを全部放置しておけるならある意味人類幸せなのだが、
少なくともすべての人がそうではないわけだ。だってたとえば明日の命がどうなるか
知れないのでは、たいていの人はおちおち生活できないでしょ。
それは科学者だって例外じゃない。
33 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 02:24
>>33 受験オタクに用はない。
医学部行く奴なら、いくらでも居るだろ。
35 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 02:43
宗教は道徳。
カルトじゃ無い宗教って結構当たり前の事を言ってる。
ただ、それをキリストやブッダがさも説いたように言って、
崇めなさい。と、いって布教してる奴らが鼻につく。
宗教って神や教祖を崇めることじゃなくて、彼らが遺した言動から、
自分の今までの行いを省み、これからの行動を考えることじゃないの?
たとえば、「神が天地を創造しまし生物を生み出しました。」からは、
「私達を作って頂いた神様に感謝します。」じゃなくて、
「思いやりで人々と接し、人生を精一杯生きよう。」と言うものだと思うんだが。
そうかんがえると、宗教と科学って全く別物やないか?
36 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 03:23
「法によって人に依らざれ」(日蓮)
37 :
23:2001/02/28(水) 03:33
宗教とは人が生きる上での理論の原理原則なんだってば。
一種の公理系。
その公理系をどう解釈して展開するかが教義なんだよ。
だから、その公理系を受け入れる限り、非常に合理的にできているんだよ。
だれでもぶつかる、悩みや迷い、不安、突然の不幸、不思議な現象など、
自分にとって疑問に思い考えさせられることがあったとき、
その考えの基底となる公理系を提供するのが宗教なの!
35の宗教は「道徳」と定義しているけど、道徳という言葉自体もあいまいで、
「当たり前のこと」と思う道徳も決して当たり前ではない。
それらの裏づけを与えるのが宗教なのよ。
神様がいいいました。はいそうですか。信じます。ってのが宗教じゃないのよ。
38 :
37=21!=23:2001/02/28(水) 03:34
39 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 07:07
多くの人は公理系そのものではなく、そこから「導かれる」
「定理」だけを盲信しているのが諸悪の根源。
導出の過程に考えを馳せる事の信者と、それを説明しようと
もしない宗教者達。
さまざまな物語はそれを寓話として表現しようとしているが、
それは方便ならざる騙しになっている。
そのため邪心を持った者や心得違いしたものによる偽定理が
溢れ、それを盲信する凶信者が溢れている。
公理そのものは実は非常に個人的体験と信念との合致があって
初めて受け入れ可能なもののはず(構成的論理学を考えよ)。
仏陀が悟りを広めるのを躊躇ったのもそういう理由からであろう。
仏陀に布教を勧めたブラーフマンとはあるいは悪魔であったのかもしれない。
40 :
意味不明:2001/02/28(水) 07:35
37さんや39さんのいう定理や、公理ってなんのことやら、
さっぱりわかりません。
いったい何を指して、定理、公理っていってるんでしょうか?
具体例でも出して頂きたい。
>神様がいいいました。はいそうですか。信じます。
これが、宗教の公理になっているようにしか
私には感じられません。
41 :
Dr.sabbat:2001/02/28(水) 15:45
だいたい、科学と宗教とを対立した構図と捕らえることが間違っ
ているし、葬式仏教程度の信仰と宗教者のそれをごっちゃにして
論ずることがあさはかだ。
キリスト教だって、その宗派によって実践していることはバラ
バラだし、新約聖書の内容をよく読めば、如何に歪曲して利用さ
れているかがわかる。仏教も然り。
宗教ってのは政治形態の一つだ。だいたい、瞑想や幻覚を見る
などの現象は、科学的に説明できるだろ。それを如何に利用して
きたかと言うのが、学問としてとるべきアプローチであって、否
定するしないの問題ではない。
42 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 15:53
すべて、神に行き着く
すべては神から導かれるのです。
それが神というものだからなのです。
44 :
う゛ぁか評論家:2001/02/28(水) 18:57
40の言う通りだね。
公理かなんか知らんが、37や39が言ってるのは、要するに
>神様がいいいました。はいそうですか。信じます。
っていう範囲をどこまで拡げるかって話にすぎんだろ。
原理主義者は教典の一字一句まで「公理」とみなそうとするが、
現実主義的な信者は、できるだけ現実と矛盾しないよう、「公理」
を抽象的なものに限定しようとしてるだけなんじゃないか?
どっちみち、それが単なる「公理」であって、現実の世界とは
なんら関係ないかもしれないということを確実に認識してるよう
な信者なんかいないよ。それはもう信者じゃない。
45 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 22:27
宗教ってのは無知蒙昧な民衆向けの行動指針となるような価値基準だろう。要するに掛け算の99だ。プログラマー的に言うと「演算時間を嫌ってテーブル参照している」ってやつ。
知識や思考力があんまり無くても正しい行動がとれるんで、ちゃんとした教育が普及していない社会ではけっこう有効だったろう。
教育が普及した社会では日常生活レベルの行動基準ぐらいは誰でもきちんと考えて正しい行動がとれる。
で、残ってくるのは「自分は何のために生きているのか」とかいう、回答の無い、しかも自分の生死を選ぶと言う重要な価値基準だ。
この点で現在、哲学者は実用的な指針を提供出来ていないので、宗教も捨てたものではない。
46 :
Nanashi_et_al.:2001/02/28(水) 22:53
なぜ宗教が生まれたか
47 :
46へ:2001/02/28(水) 23:43
おそらく作るととても便利だからだよ。
この世で起きるいろいろな事、
例えば、地震とか日食とか別に何でもいいけど、そういった物事は
「人間を超越した神という存在」を設定すると簡単に説明できる。
そして「神の存在に対する問い」を否定すると、
この論理系への攻撃は困難になり独立する
これが宗教誕生の瞬間なんじゃないかな。
ここに書いたのは一つの例で別に神が出てくる必要はないと思う。
物事には誰もが納得する理由なんてないんだから、
人があることを信じたらそれはもう宗教だよ。
科学も例外ではないと思うし、
究極的には「自分は生きてると信じる」ことも一種の宗教でしょう。
それらの中でも取り分けよく信じられている物が「常識」ってやつだよ。
48 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 00:03
世の中、公式丸暗記の馬鹿理系がはびこるのと同じ原理だよ
49 :
んなこたぁない!:2001/03/01(木) 00:06
>>45 君の言う通りだとすれば、「知識や思考力」がある人は、そもそも
「日常生活レベルの行動基準」を頭ごなしに宗教から教えてもらう
必要はないんだろ?同様に、「回答の無い」「重要な価値基準」
に対しても、宗教から指針を与えられる必要もなかろうよ。
「知識や思考力」のある人なら、「回答の無い」問題もあるのだ
という事実を容易に受け入れることができるんじゃないかな?
50 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 00:13
>49
>「知識や思考力」のある人なら、「回答の無い」問題もあるのだ
>という事実を容易に受け入れることができるんじゃないかな?
こういう考え方も一種の指針だな。それはそれでいいと思うぞ。
つまり、君のように自分の指針に固執する余り、他の指針を認められない
人間の思考の硬直性が宗教・宗派の分離や争いをもたらしているというこ
とに気付き給え。
カトリックで工業大学生だが
なんだか矛盾してること多いよ
そんなことを科学的に確かめようとする俺はとっても不信仰
52 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 01:55
科学は帰結する真実を追究するもの
宗教は演繹する真実を追究するもの
53 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 08:51
科学は消去法的に真実を追究するもの
宗教は背理法的に真実を追究するもの
なんとでもいえる。
意味なし。
54 :
49:2001/03/01(木) 09:03
>>50 指針じゃないよ。実際、答の無い問題があるんだという「事実」を
認める認識能力があるかどうかの問題。その事実を素直に認めるこ
とができずに、神に頼っているのが宗教の本質だよ。価値観の問題
じゃなくて、事実認識の問題。
もっとも、なんでも相対化したがる不毛な態度で、「事実」も多様
な価値観によって相対化されるんだと言い出せば、もはや議論して
も意味ないがね。勝手に自分の信念を貫け、ってことになる。
まさに、己の価値観に固執する争いの頑強になるわけだよ。
学習しろ。
55 :
↑:2001/03/01(木) 09:04
頑強 ×
元凶 ○
56 :
31:2001/03/01(木) 09:16
>>32 だから、あなたも言ってるように、「わからんことはわからん」っ
て認めりゃいいのよ。
それを認めずに、そのわからんはずの問題に誰かが適当に出した
答えを盲目的に信じる態度ってのは、いったい何なの?ってことさ。
それで気が楽になるんだからいいじゃん、って言われれば、はあ
そうですか、としか答えようがないが、理性的な答えじゃないよね。
信じたいから信じるんだ、って言ってるだけ。子供の論理。(藁
57 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 09:44
答えがない問題なら、何を答えにしようが間違いではないのは確か
だけど、「信じる」と言ってしまった時点で、他の答えを拒絶する
ことになってしまうのではないかな。排他性の始まりだと思うよ。
「俺としては、とりあえず、この神様の言い分を採用しとくこと
にするわ」、っていう作業仮説くらいの感覚なら構わんけどね。
それなら、科学的な態度とたいしてかわりはない。でも、そういう
態度はもはや信仰とは呼べないだろうね。
58 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 12:22
哲学と宗教の関係は、科学理論と科学技術の関係に似ている。
生活の指針を、死ぬまで作業仮説のままにはできない。
59 :
Nanashi_et_al.:2001/03/01(木) 12:46
哲学と宗教の関係は、思想とと政治の関係に...似てねーな。
60 :
25:2001/03/01(木) 14:13
ガリレオ・ガリレイ
アインシュタイン
>26
61 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 00:53
有名な科学者で宗教を否定している人っていない?
62 :
45:2001/03/02(金) 04:48
>生活の指針を、死ぬまで作業仮説のままにはできない。
うむ、そういう事だよナ。
答えが無い哲学的疑問でも自分の生きがいに関わるような問題は暫定的解答でも準備しておかないと不安定極まりないでしょう。
「人生に意味なんて無い」をそのまま受け入れる一種の虚無主義は、受け入れるのはいいがそこから行動指針はなにも出てこないので悪くすると「意味無いんだから何やったっていい、人生どうなったっていい」という破れかぶれにも成り得る。
「不安定でもいいじゃん、人それぞれ悩めばいい」っていうのは、まあそうなんだが、成績も良く傍目には何の問題も中学生が「生きる意味が分からない」と書き残して自殺したという記事を読んで「ああやっぱりこういう人いるんだ」と思った中学時代の私は、自分でも同じ悩みを持ちながら「こういうのは救う方法は無いのか?」と考えていた。だいたいその頃はみんな考えるだろ?
虚無主義を受け入れつつ、自暴自棄にもならず、無気力にもならない、と言うのは仏教の諦観に近いものがあるね。思春期の中高生にはちと敷居がたかいよこれは。
実際私自身「答えが無い」のを受け入れられるようになるまで中学生から5年以上かかったよ。
63 :
45:2001/03/02(金) 04:53
宗教には盲信が伴うのが一般的ではあるが全てではない。一般に目にするような宗教は大衆向けの掛け算の99だからね。しかし脳の仕組みから言って誰でも普段の行動や思考はテーブル参照をしている。歩くときにいちいち手足の動かしかたを計算しないのと同様、自明な推論にはショートカットができる。盲信との違いは演算テーブルの検算を自分でやったかどうかの違いだ。たとえば人付き合いのノウハウには確固とした法則なんてないから経験に基いて書換えて行くしかない。そこで既存の演算テーブルをどっかの宗教から「自覚的に」拝借する。これは盲信か?
>>44 「単なる「公理」であって、現実の世界とはなんら関係ない」を自覚しているキリスト教系の神学者や牧師はいるぞ。キリスト教のような古くてでかい宗教ではその古さゆえに変な教義が残ったまま、そのでかさゆえに修正もされにくくなっているだろうが、布教側がそのくらいの認識に達していないようでは現在の高い教育を受けた信者のニーズに対応できないだろう。
44氏や57氏のいう「それはもはや信仰とは呼べない」というのは、「盲信」を「宗教の定義」にしているからではないか?
まあ私の言う宗教も私なりの「宗教一般のあるべき姿」に基いて拡大解釈されたものだが。
それに既存の特定宗教が抱える問題点を擁護するつもりは毛頭無い。
しかしたまたま思い浮かぶ範囲の特定宗教が気に食わないからといって宗教一般の存在意義否定側に振り切ってしまうのは理性的なスタンスとは思えんぞ。
科学者なら宗教の発生の原因くらい考えている上での信仰だよな?
65 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 09:33
ガリレオやアインシュタインが宗教者というのは本当?
それこそとても信じられない。
66 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 09:38
>>65 アインシュタインはクリスチャンだったし、ガリレオに至っては当時の教皇のバックアップ受けてたよ。
これは中世の天文学者に多い例。事実コペルニクスも教会から敵視されるどころか、厚遇されてる。
ガリレオのいわゆる宗教裁判にしたって、建前だけだったしね。
現代ならともかく、中世、近世で科学と宗教、キリスト教は不可分だよ。
67 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 10:17
天才数学者ラマヌジャンは宗教信者だよ。
ついでにニュートンモナー
69 :
57:2001/03/02(金) 18:43
>> 68
生活の指針が死ぬまで作業仮説でもいいじゃん。なんでいかんの?
死ぬまで同じ指針に固執しろっつーのか?可塑性のない人間にろくなことはないぞ。
作業仮説=虚無主義ってのは間違い。「わからない=意味はない」ではないぞ。
「人生に意味はない」と信じ切ってしまったら、そもそも作業
仮説ですらないしね。(藁
70 :
44:2001/03/02(金) 18:57
>>63 だから、参照テーブルがひとつっきゃない、と決め込んだ瞬間に
盲信が始まってるんだよ。事と次第によっては、いつでも他の
テーブルに変えてもいいぞって、思ってるんだったら盲信とは
呼べないだろうが、そう思ってる信者っているのかね?
そんなこと表明したら信仰が浅いって言われないか?(藁
「キリスト教系の神学者や牧師」のように、宗教と現実について
本気で考え続けて行ってれば、まともな人間なら、公理の範囲を
抽象的なもの、現実世界から遊離したもの、に狭めていかざるを
えなくなるわけよ。
聖職者=原理主義者ってわけじゃないんだから、当然だよ。
公理の範囲がどうであれ、その公理を盲信してなきゃ、敬虔な信者
とは呼ばれないんじゃないの?
71 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 19:14
まともな人間なら宗教利用者でも「決め込んで」るやつなんかいないといってるんじゃないのか?
72 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 19:18
↑すまん書き込まれてしまった。無視してくれ
>そんなこと表明したら信仰が浅いって言われないか?(藁
それはあんたの宗教観だろ?
一般大衆向けとか、昔の典型的な教義とかそういうステロタイプだろ。
73 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 19:24
っつーか「固執しろ」っつってるやつがどこにいる?
なんか全然レス読めて無くないか?
自分が「宗教は全部盲信」だという認識に固執しているとは思わないのか?
74 :
Nanashi_et_al.:2001/03/02(金) 19:44
>66
アインシュタインはユダヤ人。
メシアニックジューイッシュを除けば
ユダヤ人=ユダヤ教でしょ。
75 :
44(続き):2001/03/02(金) 20:19
晩飯休憩はさんで書いてます。(藁
>>66 >宗教一般の存在意義否定側に振り切ってしまうのは理性的なスタンスとは思えんぞ。
なにも、宗教の存在意義を否定してるわけじゃないよ。
ただ、それが「答えの出ない問題に解答を与えているから」という
ような表現には首肯しかねるのよ。まるで、民間療法の存在意義は
「正当医学では直せない病気を治せるから」と言ってるようなもん
でしょ。
実際には、ほんとの「答」でも、「治療」でもない、単なる気休め程度。
もちろん、気休めには気休めとしての、決して小さくはない存在
意義はあると思うよ。そういう意味で存在意義を評価するという
のであれば異論はないさ。
76 :
44(続きの続き):2001/03/02(金) 20:24
でもさ、それはあくまで社会にとってそれなりの価値があるってことで、
個人の感覚としては、信仰者を見るにつけ、民間療法を信じてる
人を見る時のような哀れを感じざるをえないよ。
77 :
44:2001/03/02(金) 20:29
>>72 そうかもしれんね。あくまで俺の主観だかんね。
しかし、あなたの言う通りなら、「信仰を乗り換える準備はいつで
もある」と意見表明してる宗教者の実例がわんさとあるんだろうね?
教えて頂戴。
78 :
45:2001/03/03(土) 06:52
いや、ワンサとはおらんとおもう(w
もちろん立場上表立って改宗上等なんて言う布教家はいないでしょう。信仰が「自分の存在価値を無条件に認める」という「生きがい生成の(単なる)方法論」であって「神が言うから」のような何らかの根拠を振りかざしてごり押しするような物ではないという認識をもっていると言う意味だよ。それを聞いてそういう在り方ならそれもアリかな、と思ったのさ。
実のところ私自身>76には同感だよ。
私が「大衆向けの」なんて大衆を馬鹿にしたような言い方をせねばならないのもそういう意味。
教育で100%の人間を民間療法や盲信的宗教を必要としない水準まで引き上げる事ができればむろんそれが理想だがやはり理想論だという感が強い。
それより最近は多様性重視の、ピンからきりまでの存在を許す教育に興味があるね。
79 :
Nanashi_et_al.:2001/03/05(月) 04:29
80 :
Nanashi_et_al.:2001/03/05(月) 11:04
理系的考察としては、事実かどうかは結局
物証:
1.本物。2.捏造。3.隠滅(使用不能)
証言:
1.真実。2.思い違い。3.意図的偽証(嘘)
これらの組み合わせから真実を推定するしかない。
上記の情報源に直接アクセスできないなら
(一方的、かつ伝聞による告発)、傍観者である
我々が告発の信頼性の多寡について論じるのは
あまり意味がない。
というのが、私の理系的発想。
一個の人間としては、明快な根拠なしに、信じたいと
思うこと、信じたくないと思うことはたくさんありますが。
81 :
Nanashi_et_al.:2001/03/05(月) 13:23
疑問をはさむ余地はいくらでもあるけど、検証する立場にないし。
大体あまり関心を持つ気になれない(笑)。
82 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 08:09
これが妄想だった場合、肩入れしてた人がリバウンドで何でも妄想扱いするようになりそうだな。
83 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 09:42
>>78 改宗の可能性を念頭においた「信仰」なんてないでしょ。そりゃ、
あまりにも不信心だよ。(藁
許すも許さないも、どうやったってピンからキリまで存在する
のが現実だろ。そういう認識の上で、お互いができるだけ幸福
に暮らせる道を模索していくしかないのは当然だと思うよ。
だからといって、ピンでもキリでもいいんだよ、と価値判断を
放棄すれば悪貨が良貨を駆逐するだけだと思うがな。教育の
場においては特にそうだろ。
84 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 10:25
>>66 読むべし!
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN4-87502-326-X.html アインシュタイン、神を語る
宇宙・科学・宗教・平和
--------------------------------------------------------------------------------
ウィリアム・ヘルマンス
雑賀紀彦=訳
定価 本体2200円+税
四六判/上製 256頁 2000.4
20世紀を変えた科学者アインシュタインは、ユダヤ系ドイツ人としてヒトラー率いるナチに脅かされ、米国亡命を余儀なくされた。彼の科学精神を支えた信仰とは何だったのか? 平和主義の詩人との対話から、その思想背景が浮かび上がる。
85 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 10:48
ケプラーは神学を学んだ人であったが、神の創られた世界には必ず法則があるはずだと信じて天文学を学び、みずから惑星を観察していわゆる現代でも通用する「ケプラーの惑星運動の法則」を発見したのである。
ほんとの話。
86 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 10:50
ついでに・・・
ガリレオの自然科学観がカトリックに糾弾された時も、実はガリレオは聖書に従わない事を裁かれたのではなく、カトリックが頼る所のアリストテレスの権威に従わない事を裁かれたのである。
87 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 10:55
>>86 ここらへんは入り組んでいてややこしいのですが・・
西ヨーロッパの諸大学ではアリストテレスなどの古代ギリシアの哲学者の言葉が論理学や自然科学の教育の基礎となっていて、カトリック教会は聖書の権威を強化するためにそういう異教徒の著作を用いて、元来の聖書思想を排除していたのである。
という話も聞かれます。
88 :
87:2001/03/08(木) 10:59
中世カトリックのへんは、わかりずらい(自分も概要しかしらない)と思うので、読み飛ばすかご自分で調べてください。
89 :
名無し職人:2001/03/08(木) 11:12
90 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 11:49
アインシュタインの言葉
「存在の世界に妥当する諸規則は合理的である。すなわち、理性によって理
解しうるものだ、という可能性への信仰も、また宗教分野に属する。わたしには、
この深い信仰を持たない真の科学者を考えることができない。・・宗教無き科学
はびっこであり、科学なき宗教はめくらなのである。」
91 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 13:15
>>83 まーだ話が食い違ってるな。
改宗の可能性にこだわっているようだが、それは科学の物の考え方である「もし○○というのがはっきりしたらこの考えは捨てねばならん」という可能性でしょ。
つまり考えを変える条件となる「根拠」だ。
そもそも信仰に「根拠」なんてない。
根拠がない事を信じるのが気持ち悪いのは理系人間じゃなくてもいっしょだ。人間の脳の知識獲得の仕組みから言っても。
根拠無しでなにかを信じる事は難しいから「神の教え」とかいって根拠モドキをつかっていいるだけ。
人生の価値とか生きている理由とか答えのない問題なんだから何信じようと根拠がないのはみんな一緒だろ。
なんで考えを変える準備残しておくひつようがあるんだ?
布教家が不信心を非難するのは意味もなくいろんな信仰をさまよう事を防ぐ手段にすぎんな。
君は信仰とか信心という言葉のイメージにとらわれすぎて私の言ってる事が読めてない。
92 :
Nanashi_et_al.:2001/03/08(木) 13:40
研究やっていたら、信じている暇はないね。
そゆひとはそのまま突っ走ればよかろう。
いつか何かに挫折したとき過剰に打ち砕かれない事を祈る。
94 :
Nanashi_et_al.:2001/03/11(日) 23:55
自分自身の力では、どうにもできない圧倒的な力を前にしたとき、
神の存在を信じたくなるものなんだよ。
俺の場合、特定の既成宗教に帰依しているわけではないが、
自分で「神」と名づけた存在が、俺の宗教であると思ってる。
95 :
Nanashi_et_al.:2001/03/12(月) 07:53
松本智津夫は自分で店をやってた時あることに気付きました。
その「あること」とは・・・・。
96 :
ねここねこ:2001/03/12(月) 10:25
思うのだが、、、
神って「親」みたいな存在なんですよね?
と云うことは、宗教を信じている人は
「神からの自立」って考えないのかな?
人は、一人で歩いてこそ価値が有ると思う
神の力は借りない
例え、間違った答えだとしても
自分で選択することが重要なのだ
とか、思ったりしないの?
97 :
45:2001/03/12(月) 14:27
それは任意だろう。
自立の必要性を感じる人は努力すればよい。
私も長年自立を目指したけど、なんだか無駄な足掻きだった気がしなくもないね。
答えは無いんだからどっち選んだって間違う事は有り得ない。
「人は、一人で歩いてこそ価値が有ると思う
神の力は借りない
例え、間違った答えだとしても
自分で選択することが重要なのだ 」
これはあなたのつくったあなた自身の「信仰」だということです。
ちなみに仏教なんかは本来かなりそれに近い教えではないでしょうかね。
ところで私の以前の発言から、私が何らかの宗教を信じている人間だと思った人がいるかもしれませんが、信じている特定宗教はありません。
98 :
ねここねこ:2001/03/12(月) 15:29
>45(97)
確かにどのような考えを持つかさえも
個人の選択の結果だし
難しいの〜
つーか、一度宗教を盲目的に信じてる人に言ってみたい
どんな反応をするのだろうか?
99 :
Nanashi_et_al.:2001/03/14(水) 12:39
98>
脳内に回路ができてるからねぇ。
以前創価な人に問うたことがあるが、何かにつけ膨大な創価的
世界観の話が出てきて話がすすまんかった。
100 :
Nanashi_et_al.:2001/03/14(水) 12:54
キリスト圏の研究者は精神と物質は別物として扱ってる。
科学はあくまでも物質に関することが専門で、精神に関す
ることは宗教に属する分野だと言うこと。
精神的なことや道徳的なことなどは、科学的に立証できる
ものは少ないですから、合理的な考えだと思います。
無批判に神様を信じるのもだめだと思うけど、世の中は
物質や数式に還元できるものではないことを意識しない
科学者もだめだと思いう。アインシュタインはそういう
ことを言ったんじゃないの?<90
101 :
Nanashi_et_al.:2001/03/14(水) 16:05
しかし、アインシュタインがクリスチャンとは驚きだね。
アインシュタインって実はたいしたことないんじゃない?
神様がおつくりになったこの世の基本的ルールを知りたいっていうのがヨーロッパ伝来の科学者のスタンスなんじゃ?
103 :
おぱ:2001/03/15(木) 00:29
アインシュタインはユダヤ人です。
迫害を逃れてプリンストンにきました。
104 :
Nanashi_et_al.:2001/03/15(木) 00:31
>101
ナンデだよ
105 :
ÅsiÅ:2001/03/15(木) 21:57
物理学会誌の公募欄に某大学の物理助教授応募資格:
基督教を信仰すること。しかも牧師の推薦必要。
どう思う?
106 :
Nanashi_et_al.:2001/03/15(木) 22:14
うちは、坊主が本業、副業で旧帝大助教授をやっています。
盆やお彼岸時には、実家の寺でお経を詠んでいます
107 :
Nanashi_et_al.:2001/03/15(木) 23:15
>>105 それってクリスチャンサイエンスてやつですか。まさか日本にも生息してやがったとわ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 23:34
真円や真球を美しいと思う心が宗教よ。
音楽を聴いて感動する心が宗教よ。
109 :
Nanashi_et_al.:2001/03/16(金) 13:11
理路整然とした理論や数式が美しいと思うのも宗教よ。
110 :
Nanashi_et_al.:2001/03/16(金) 13:16
しゅう‐きょう【宗教】‥ケウ
(religion) 神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから
分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの
連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム・
自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教から、呪物崇拝・多神教などの
形態を経て、今日の世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教
などに至るまで、文化段階・民族などの違いによって多種多様。
多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形でもつ。
111 :
Dr.sabbat:2001/03/19(月) 16:40
で、けつろんは?
112 :
Nanashi_et_al.:2001/03/22(木) 01:07
科学は科学、宗教は宗教。
113 :
Nanashi_et_al.:2001/03/22(木) 11:59
オレってば宗教という言葉自体に偏見を持っていたが
このスレけっこう面白かったage
114 :
Nanashi_et_al.:2001/03/23(金) 02:22
近代西欧科学はプロテスタンティズムの精神から生まれたんだよ.
こんなの常識だろが.
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 02:31
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 02:42
>>116 本来はベースがあってのプロテスタンティズムなんだけど、
所詮はMETAな創造界に過ぎないからファシズム化するってことさ。
118 :
Nanashi_et_al.:2001/03/23(金) 02:44
>>117 ごめん話に附いてけない.よかったら噛み砕いて教
えてくんないかな?
119 :
Nanashi_et_al.:2001/03/23(金) 03:59
どっかにあさはらの声のファイルおちてたな。
winの操作ごとにすべてその声を割り当てられるってやつ。
あゆ、のもあったな。
おい、このスレ一度でも通しで読んだか?
すげー浮いてるぞ>119