この相反する分野らで、どれが真理に近いのか!?
どれが間違っているのか!?
さあ一大論戦の始まりだ−
とりあえず俺は哲学畑の人間だから、お前らに以下を否定してみてほしい。
私の街、私の家、私の手…ものは私に極限まで近づく。その延長において。
その極限とは?それを脳科学に求めることはできる。
手は私ではないのか。手に触れること。手に、思いが触れる。これは手を意識しだすことか。
思いは、触覚を介す。手に身体が触れて、これが手だ、と思う。このときの思いは、手を思い、
手が思いであり、手の思いが私に触れる。しかし手が、思いに触れるのでは決してない。
また思いは、触覚に触れる。触覚は、全て部分外部分である。
部分外部分は、その部分の内部分を含まない、純粋な外部分である。つまり、触覚は身体を含まない。
触覚と身体の臨界点。触覚は、身体に触れそうになり、身体から、外部に触れようとするが、決して
外部には触れ得ない。むしろ身体が外部に触れる。
このとき、思いは、身体に触れる。身体は、触覚を外部として、触覚に触れそうになる。
身体が触覚に近づくほど、身体は触れることを思い、触れることの思いを私に告ぎながら、
私は触覚に触れる。私だけが触覚に触れることができる。身体にはそれがどこまでもできない。
>>3 主張したいことを一文でまとめてくれ。
キーワードは触覚と意識らしいが。
>>1 いいかげんさぁ理解しようよ
科学は帰納的演繹的に現象を記述するだけで
真理なんて概念はないんだよ
宗教と哲学とでやってくれ
6 :
Nanashi_et_al.:2007/10/18(木) 21:04:38
宗教と哲学は科学で説明がつく
すべてのコトワリは科学で説明つくんだよ
神様の具現化だって科学でできるのだから
7 :
Nanashi_et_al.:2007/10/18(木) 21:12:08
神様が具現化したらそれは神様なのか?
さあ哲学タイム
>>6 >>7 >>8 まず,神の定義を書けよwww
宗教だの科学だのの前に議論の基本がなってねぇwwwwwww
とりあえず3つとも詐欺の常連だな
>>6 科学も哲学によって説明可能だが?
ベルグソンやデリダを科学で説明してみよ
------------------------------------------
科学ってのは
1.仮説が立てられる
2.仮説を裏付ける実験結果が得られる
3.第三者が追試して同じ結果が得られる
4.他の科学者が否定を試みるが未だ明確な否定に至らない
こういう事をもって、「現時点での事実」とする学問。
-------------------------------------------
【「理」の進化論】
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/25373933.html 人間が行う二項対立的な発想自体のなかに、
正しい正しくない的な「価値」観概念が入りこみがち。
【自然科学や技術の世界は、価値の観点からは中立である。】
そこに正しい答えが一つある。ということは、人間の意思は介入しえないということである。
意思が介入しなければ、選択はありえない。選択がなければ、自由もない。
換言するならば、自然科学や技術の世界は、価値の観点からは中立である。
しかるに自由とは、価値にかかわる問題である。
このことは「科学的真理」なるものの存在の否定を意味する。
存在しうるものは「科学的正確さ」にすぎない。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1177604847/77 【存在しうるものは「科学的正確さ」にすぎない。】
方法を、信念や観念でくくるのは間違い(不正確)。
科学ってのは「考え方」つまり「方法論」の一種。
哲学や宗教と同列に並べる言葉ではない。
14 :
Nanashi_et_al.:2007/10/19(金) 13:24:48
宗教と科学は真っ向から対立する存在にみえるのは何故?
神の上に成り立つ宗教と西洋哲学は科学を突き詰めると崩壊するのではないか…
と単純に思った
15 :
Nanashi_et_al.:2007/10/19(金) 13:54:19
>宗教と科学は真っ向から対立する存在にみえるのは何故?
宗教的に真理とされてきたことを科学が論破してしまったから。
別に対立はしないと思うけどね。
極端な言い方をすれば、宗教は思考停止を要求し、科学は思考停止しないことを要求する。
ただ、人間の信念なんかは、どうしてそう信じるに至ったかなんてことを
検証するkとはできないだろうから、結局は宗教も科学も並存するんじゃないかな?
思考停止を求められるのは宗教というか信者だな。
科学でもその恩恵にあずかる消費者などは思考停止しててもかまわんし。
18 :
kyrie ◆.RYdSpBfEI :2007/10/20(土) 00:08:45
科学は、それに組すると思うところの者が常に従わなければいけないガイドライン。
哲学にはそれがない。論理学に従おうと科学に従おうとそれは学者毎の自由。
エンターテイメントとしては、哲学が一番優れていると思うぬ。
20 :
Nanashi_et_al.:2007/10/22(月) 10:04:13
宗教を科学的見地から分析するとどうなるんだろ
肥大した大脳が生み出した妄想
中世ではな、よく教会に雷が落ちて、鐘を鳴らしていた牧師だの修道士だのが
毎年死んでたんだよ。もちろんそれは、「神の怒り」として認識されてた。
(いま考えれば、教会の鐘鳴らし塔は当時どの建物より高かったから、落雷は当たり前なんだが)
でも雷のメカニズムを科学的に解明したベンジャミン・フランクリンは、
教会に避雷針を取り付けることを提案したんだ。
当時は教会の反発があったけど、時代を重ねて徐々に避雷針が広まり、
結果として落雷による死者は減った。教会も科学を認めざるを得ない。
このような、一見「科学vs宗教」で科学が勝利したように見えるケースは数多い。
でもこれってさ、科学が宗教に勝利したわけじゃないと思うんだ。
共存の道を示しただけで。
だって科学と宗教なんて、互いに侵食はするけど、やっぱ全然違うもんなんだよ。
哲学のことは知らんが、あれは文学の一環じゃないかとオレは思っている。
根拠がまったくない直観でしかないけど
哲学=宗教=科学=何らかの概念
精密に分析すればこう結論されると思う。
この3つはまったく区別がつかないはず
>>22 >>23 神の怒りは避雷針により避けられる.神よわっwww
宗教の考えた雷の概念(絶対神の怒り?)より科学の考えた雷の概念(電荷の移動?)の方がより正確,もしくは有用だったといえる.
まあ,人間が避雷針を作ったら,神は他の方法で怒りを示しているのかもしれない.が,その場合でも,絶対神の怒りの表現のうち一つを
人間が封じ込めれたわけで,絶対神としてそれはいかがなものか,と自分には思える.
少なくとも,宗教の概念は自然現象の説明には向いていない.
だけど,科学の概念は人間の精神や心,生き方の問題を解決できず(もしくは難しい),宗教や哲学の方が向いていると思える.
25 :
Nanashi_et_al.:2007/10/22(月) 18:50:58
26 :
Nanashi_et_al.:2007/10/22(月) 18:52:55
防衛機制につけこんで利権やらなんやらがはびこったものが今の宗教
何故世の中にはこんなにたくさん宗教が存在してるかわかる?
>>11 ベルグソンとデリダって言っただけで普通の理系が理解できると思ってるの?
お前も不可知論持ち込んで有耶無耶に自分のフィールドに持ち込んで、
こっちが明らかに知らない専門用語で畳み掛けるようなインチキ論者な気がしてならないよ
28 :
Nanashi_et_al.:2007/10/22(月) 19:14:55
専門用語や難解な言葉でしか言えない奴は詭弁屋と相場で決まってる
誰にでもわかる文章で書いたら粗が目立ってしまうからね
どうせ最後は循環論で煙に巻かれるだけだな。
30 :
Nanashi_et_al.:2007/10/22(月) 21:36:34
いまどき人格神を信じてる奴はいないだろうな。
で、科学も神を全否定はしていない。神は「存在してもいい」
科学は「どうやって」には答えられるが「なぜ」には答えられない。
31 :
Nanashi_et_al.:2007/10/23(火) 01:00:52
宗教や哲学も「なぜ」には答えられない。
>科学も神を全否定はしていない。神は「存在してもいい」
否定も肯定もしない。そもそもその存在の如何を前提にしてない。
事実を認定承認するための技術方法論にすぎないのだから。
むしろ宗教による科学の思考を阻害してきた歴史の経緯からいえば、
「神は死んだ」というところから、近代科学の思考は始まっているのかもしれない。
科学が万物を対象にするのであれば、神もまた研究対象にならねばならないのですよ
それが心理学だとか精神分析学に委ねられようとも。
「なぜ神という観念が人のうちに存在するか?」
これは科学と哲学に共通の問いだと思う
>>33 【科学者が科学の基本を知らない】
http://kaoru.to/hypothesis.htm >科学が万物を対象にするのであれば、
>神もまた研究対象にならねばならないのですよ
だれが「万物を対象にする」といったのかね?
>それが心理学だとか精神分析学に委ねられようとも。
「心理学だとか精神分析学」は擬似科学ね。行動主義以外は。
認知科学や生理学は別として。
>「なぜ神という観念が人のうちに存在するか?」
>これは科学と哲学に共通の問いだと思う
全然! ナンセンス。
たぶん学生だろ?
学生に科学の何たるかを真剣に問うてもなぁー
それで科学者が科学を理解していないなんて言うことになってもなぁー
と思ふ
39 :
Nanashi_et_al.:2007/10/24(水) 17:03:23
>>35 >学生に科学の何たるかを真剣に問うてもなぁー
>それで科学者が科学を理解していないなんて言うことになってもなぁー
ニヤニヤ…
>>34 >だれが「万物を対象にする」といったのかね?
じゃあ万物を対象にしなくてもいいということですか、科学は。
未知の部分を残しておいていいということですか。
そうじゃないでしょう。
現に超常現象をも無理やり科学的に体系づけようとするのが科学者だと思う
>「心理学だとか精神分析学」は擬似科学ね。行動主義以外は。
認知科学や生理学は別として。
確かにそうだ。しかし神を研究するに際し、科学者はそれら疑似科学を避けて
通れないのでは?
>>「なぜ神という観念が人のうちに存在するか?」
>>これは科学と哲学に共通の問いだと思う
>全然! ナンセンス。
ではあなたは、「なぜ神という観念が人のうちに存在するか?」という問いに
暫定的でいいので答えてみてください。「神」という観念があるのは、
ひとつの事実であり、事実を対象としある最新の体系(パラダイム)に
押し込めるのが科学でしょう?
>>40 そもそも人の中にある神の概念が一定でないからなぁ.
ネイティブアメリカン,ユダヤ等ヤハウェ系,中国,ケルト,日本全て微妙に違う.
あえて共通点があるとすれば,人間以外に人間的なものを考えたところかなぁ.
唯一神ですら人間チックだし,その他神と言われるものは大体人間に似ている.
動物神もいるけど.
何かの概念(この例で言えば)と似た別のものを想像するのが人間の特性なのかな?
43 :
42:2007/10/26(金) 22:18:15
>>40的には神は観念であって,
「何故人類は似たような(例えば神)観念を持つのか」
という問いでOK?
それなら脳科学とか動物の社会性とか色々な手法で解決できる気がする.
あと,ある体系に押し込めるのは科学ではない.ある事実を説明できる概念を作るのが科学だと思う.
説明できなきゃ新しい概念を作るだけだから押し込める必要はない.(量子力学とかね.)
「何故人類は似たような観念を持つのか」ということで、神についていうなら、
「どっかのバカが言い出したことが受け継がれてる」ってだけでいいんじゃないの?
別に「神という観念が、人類には生得的に存在する」わけじゃないでしょ?
昔のヨーロッパでは、「神という観念が、人類には生得的に存在する」ってことを
証明しようとしてた人たちが居たってのを、どっかで読んだ気がするけど。
科学への偏見を直してから出直してこい
人間は自分の姿に似せて神を作った。
47 :
Nanashi_et_al.:2007/10/30(火) 07:47:31
科学は哲学だかね。
48 :
Nanashi_et_al.:2007/10/30(火) 07:50:43
宗教も哲学だった・・・。宗教VS科学にすれば・・・。
49 :
Nanashi_et_al.:2007/11/07(水) 15:46:17
哲学は疑うところから始まる、
科学は仮説を立てるところから始まる、
宗教は信じることから始まる。
三者三様で、それぞれの部分を相互にもっていることもある。
だが、哲学には反証は不要、科学に信じることは不要、
宗教に実証など不要なわけ。これを間違えるとトンデモになる。
50 :
Nanashi_et_al.:2007/11/08(木) 09:39:19
IQ 分野 (学んでる分野と平均IQの関係)
130.0 物理学
129.0 数学
128.5 コンピュータ科学
128.0 経済学
127.5 化学工学
127.0 物質科学
126.0 電気工学
125.5 機械工学
125.0 哲学
124.0 化学
123.0 地学
122.0 生産工学
122.0 土木工学
121.5 生物学
120.1 英語文学
120.0 宗教学/神学
119.8 政治学
119.7 歴史学
118.0 美術史
117.7 人間学/考古学
116.5 建築学
116.0 商学
115.0 社会学
114.0 心理学
114.0 医学
112.0 情報学
109.0 教育学
106.0 行政学
http://motls.blogspot.com/2006/03/iq-in-different-fields.html
51 :
Nanashi_et_al.:2007/11/11(日) 17:43:16
IQのテストってどうやってるの?
数学的要素が絡むなら理系が有利なの当たり前じゃないか…
>>51 かといってIQサプリ的なものばかりでも困る。