疑似科学を考える

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80Nanashi_et_al.

【オカルティズムやカルトの世界は、自由の観点からは極端である。】

そこに正しい真理が一つある。
ということは、人間の意思は介入しえないということである。
意思が介入しなければ、選択はありえない。
選択がなければ、自由もない。
換言するならば、オカルティズムやカルトの世界は、自由の観点からは極端である。
しかるに真理とは、価値にかかわる問題である。
このことは「(宗教的)真理」なるものの存在の肯定を意味する。
存在しうるものは「宗教的観念(思いつき)信念(思いこみ)」にすぎない。