科学関係ぶっちゃけスレ

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322:2008/10/25(土) 21:48:39
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4オクターヴ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9ピュタゴラス

ヘイズは、さらに世界の様々な大宗教に研究を進めた――彼はイランに住んでいた頃にイスラムに興
味を持つようになった。そして彼は、いくつもの大宗教の中で、3、7、22といった数
が重要な役割を果たしているのを知って驚愕した。円周率πは22÷7だ。彼の「無限の
調和」には、頻繁に登場する3、7、22の例がいくつも挙げられている。ヘイズはこれら、
及び他の数字を「ヘルメス・コード」と名づけた。彼によればヘルメスコードは進化のコードである――
つまり生命と、より高度な進化レヴェルに上昇しようとする運動と関係しているのだ。世界中
のシャーマンは音楽によって精霊と交感できることを認めている、とジェレミー・ナーバイは述べたが、
その言葉には見かけよりも遥かに深い意味が潜んでいる。

ユングによれば、易が機能するのは彼の言う「意味のある偶然」による。ナーバイと同様、ユング
もまた、我々の住むこの宇宙とは19世紀の科学が措定した機械的な宇宙でなく、「知性の
ある宇宙」であることを認めている。真剣な意図を持って3つのコインを投げるという行為に
よって、易に――あるいは、その背後にある意義深い原理に――問いかけるとき、それは
64の大成卦の中から適切な解答を選んでくれている(リヒャルト・ヴィルヘルムによる1951年の独
訳版「易経」への序文の中で、彼はすでに30年以上も易に頼ってきたことを告白している)。

これらすべてが、ハプグッドのいうはるか太古の「高度科学」の問題に関する洞察を提供し
てくれている。もしもハプグッドがナーバイの本を読んでいたら、8万種の植物の効能に関する
キリシャリ族の洞察は高度な知識と認定しうることに同意していただろう。また、1年の長さ―
―小数点以下4位に至るまで――4角い花崗岩のレリーフに暗号化していた古代エジプト人の能
力に関してもだ。
323:2008/10/25(土) 21:59:23

、、、  ゲーテの能動的注視   、、、



ここでナーバイが、エドワード・ホールが、マイケル・ヘイズが、ユングが、シュワレール・ド・リュビックが述べてい
ることは、自然は意味に充ち満ちており、そして現在のわれわれはそれに対して盲目とな
ってしまったということだ。

それどころか、現代人は自分自身がどのように「盲目」であるのか、ということすらわか
らない。我々が見るのはただ鼻先にあるものだけであり、どれほど目を見開いてもそれ以
上は見ることができない。

だが「盲目」というのはそれだけではない。ウィリアム・ジェイムズが「人間の盲目性について」
で述べているような盲目性というものがある。ノース・キャロライナの山地で馬車に乗っていたとき、
彼は新しく開墾された区画(コウヴと呼ばれていた)を嫌悪をこめて眺め、何と醜いのだ
ろうと考えた。一体どんな人間がここに住んでいるのか、と御者に尋ねると、御者は陽気
に答えた。「こうゆうコウヴのひとつも手に入れるまでァ、死んでも死に切れねェってもん
でさァ」。入植者たちはそれぞれのコウヴを人生の勝利と見なし、それを美しいものと考え
ているという事実を、突如としてジェイムズは知った。

われわれはしばしば事物に自分自身の考えを押し付け、無頓着になることによって、それ
にたいして盲目となる。それは、自分はそれについてすでに理解しているという思い込み
によるものだ。ジェイムズはコウヴを醜いと確信しており、実はその醜さは彼自身の目にある
のだとは思いもしなかった。
324:2008/10/25(土) 22:23:02
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2 マイケル・ヘイズ
だがたとえそれを頭で分かっているつもりでも、我々にとっては古代エジプト人の――ある
いは、我々の祖先であるクロマニオン人の――世界観は我々のそれとはまったく異なっており、
彼ら自身の「高度に発達した科学」を築き上げていた、ということを理解することは極め
て困難だ。そこでいくつかの実例を挙げてみることにしよう。

この「古代人の視覚」を自然に手に入れていたごく小数の人々の中に、詩人のゲーテがいる。
ゲーテの科学観を見れば、それがどのようなものであるのかを理解することができるだろう。
そのために、私自身がゲーテの科学観を知るに至った次第をご説明しよう。

私は十代の頃に、懐かしいエヴリマン叢書で初めて「ファウスト」を呼んで以来、ゲーテのファンだった。
人生に対する無常の感覚に彩られた彼の学者としてのヴィジョンは、16歳の私の深い心の琴線
に触れた。彼の作品の良質な英訳は稀だが、何年もの間に私は手当たり次第に彼の本を集
めていた。

何年か前、私は「ゲーテの色彩論」という英訳本を見つけたが、それを買うかどうかかなり
迷った。私はゲーテが熱狂的なアマチュア科学者だったことを知っていたが、基本的にはそれ以上
のものではない、と思っていたのだ――要はアマチュアだ。だがともかく、私はその本を買った
――そして読みもしないまま書棚に放置していた。

私は、ゲーテのどの一部にせよ、これを放逐してしまう危険性を認識するべきだったのだ。

たとえは私は、顎間骨についての彼の見解が最終的に正しかったことが証明されたのを知
っていた。この骨は上顎部にあり、切歯を支えているもので、あらゆる動物がそれを持っ
ている。だが1780年代に、著名なオランダの解剖学者ペーテルカンペルが、人間の独自な点は顎
にそれを持たないことだ、と宣言した。だが、ダーウィンやラマルクよりもはるか以前から進化論
だったゲーテは、そんなことはありえないと確信していた。そこでゲーテは山と積まれた動物
と人間の頭骸骨を研究し、人間にも痕跡的にではあるが顎間骨はあることを発見した。
325Nanashi_et_al.:2008/10/26(日) 16:09:46
● 子持ち予想犬、天才予想犬プリンちゃん
http://www.geocities.co.jp/AnimalPark/5784/

個人リンク
http://www2s.biglobe.ne.jp/~eba/ 大洋ホエールズだ!
http://www.morinono.net/ MoRinono


緊急のときは
ギコ太郎掲示板
http://jbbs.shitaraba.com/sports/12734/gikotaro.html
326:2008/10/27(月) 23:38:53
だがカンペル等科学者に対してこの発見を報告すると、科学者たちは彼をアマチュアとして一蹴し
たのだ。だがダーウィンのころまでには、正しいのはゲーテでありカンペルが誤っていたことが認め
られるようになった。

とはいうものの、こと色彩に関する限り、ゲーテといえども定説に異議を唱えるなんて不可
能に思えた。学校で終わったとおり、白い光は実際には虹の7色からなっている――赤、
橙、黄、緑、青、藍、紫だ。ニュートンは簡単な実験でこのことを証明して見せた。ブラインドに小さな穴を開け、細い一条の光線しか入らないようにして、これをプリズムに通したの
だ。すると光線は7色に分かれた。まさしくそれが結論ではないか?

ゲーテはプリズムを借りてきて、ニュートンの実験を追試しようとした。そして直ちにおかしなこと
に気づいたのだ。そのプリズムを通して白いテーブルの上を見ても、それは7色のテーブルには
見えない。それは依然として白いテーブルであり、7色に見えたのはその縁の周りだけだった。
そしてこのことは一般に事実とされている。色彩は、一種の教会すなわち縁があるときにのみ現れるのだ。

ゲーテは一枚の紙を用意した。上半分が白く、下半分の黒いものだ。その真ん中の線のとこ
ろでプリズムを覗くと、赤、橙、黄の色が白いほうの半分に走っているのが見えた。だが意
図的に黒い境界を見ると、虹の暗いほうの色が見えたのだ――境界近くがライトブルー、それ
からダークブルー(藍)、そして紫である。つまり色彩の順序は、虹の順序である赤、黄、緑、
藍、紫ではなく、黄、橙、赤、藍、紫だったのだ。明らかにニュートンの法則に反している。


そこでゲーテは、一見して実に奇妙な結論を引き出した。暑い日に空を見ると頭上は深い青
だが、地平線に近づくに連れて色彩は明るくなる。そこでは、大気――光を蓄積している
――は厚い。だが、ロケットに乗って上昇すると、空は徐々に青く、暗くなっていき、漆黒の
宇宙に至る。
327:2008/10/28(火) 06:55:43
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%81%AE%E8%89%B2%E5%BD%A9%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89光

一方、太陽が真上にあるとき、それは黄色い。だが地平線上に降りてくるとその光は赤く
なる。つまり、太陽光線に関する限り、大気は3つの明るい色を作る。黄、橙、赤だ。闇
に関する限り(外宇宙)、大気は3つの暗い色を作る。青、藍、紫だ。

これを示すために、ゲーテは暗い色彩――青、藍、紫――は闇の希釈によって作られるので
あり、明るい色彩――黄、橙、赤―-は光の濃密化によって作られる、と述べた。

これを読んだとき、私自身は髪を掻きむしって本を窓から投げ捨てたくなった。いったい、
ゲーテのこの説のどこがニュートンより優れているというのか?そしていずれにせよ、それがどう
したというのか?

そんなとき、友人のエディ・キャンベルが、アンリ・ボルトフトの「自然の全体性――ゲーテの科挙の方法」
という本を貸してくれた。著者は物理学者ディヴィッド・ボームの弟子だった科学者だ。

一見して難しげな本で、読むのに何年もかかりそうだったので、自分用のを一冊買った。
で、一年以上書棚にほったらかしにしていた。だがようやく覚悟を決めて読み始めると、
それはこれまで買った中で最も重要な本の一つであることがわかったのだ。

ボルトフトの本には興味深い新事実が示されていた。まず第一に、ゲーテは色彩を観察するとき、
目を閉じて、今見たばかりんぽものを脳裏に浮かべていたという。正しい順序で色彩を見
ようと努め、最終的に実際のリアルさで脳裏に描き出したというのだ。つまり、先に述べ
た「直感像」を実践していたのだ。一体何のために?
328:2008/10/28(火) 07:10:57
今見たばかりんぽものを脳裏に  →  今見たばかりのものを脳裏に  、、、


ボルトフトによれば――

「ゲーテの方法で色彩という現象を観察するためには、通常よりもさらに能動的に見ること
が必要となる。

「観察」という述語は、あまりにも受動的である。われわれは観察というものを、単に現
象を前にして目を開いているということ、と解釈しがちである、、、ゲーテの方法で現象を観
察するためには、見ることの方向性を逆転させるかのように見ることが必要である。つま
り見る主体と見られる対象の方向の逆転である。これは、見るということに注意を向ける
ことによって達成される。つまり単に視覚的印象を得るのではなく、目を向けている対象を真に見
ることができるのである。それはあたかも見るという行為に没入するようなもの
である。このようにすることで、われわれは色彩の本質を体験することができるようにな
るのだ」

そしてイマジネーションの中に色彩を再現するゲーテの方法について述べた後に、ボルトフトは次のよう
に説明する。「その目的は、現象との接触を深化させることの出来る器官の開発である、、、、」

ゲーテはこれを「能動的注視」と呼んでいる。私に言わせれば、これこそが現代人と古代人
の違いなのだ。現代人よりもはるかに密接に自然と接触していた古代人は、この能動的注
視に驚くほど熟達していた。

たまたま、ボルトフトのゲーテ論を読んでいたのは明るい夏の日の朝6時30分ごろで、私はベッド
に腰掛けていた。突如私は、彼の言うことを理解した。窓から庭の木々や潅木を見て、私
は意図的にゲーテの言うとおりにやってみた――つまり能動的に見ることにしたのだ。
329:2008/10/28(火) 07:25:33
能動的注視  、、、体験において対等でない、、、。


ゲーテはこれを「能動的注視」と呼んでいる。私に言わせれば、これこそが現代人と古代人
の違いなのだ。現代人よりもはるかに密接に自然と接触していた古代人は、この能動的注
視に驚くほど熟達していた。
                        >>

そうか?
330:2008/10/28(火) 07:27:00
能動的注視  以前の問題がある
331:2008/10/28(火) 07:31:01
それでわかったのだが、私が普段庭を見ているとき、常に受動的にそれを見ていた。それ
を当たり前とし、目に見えるすべてのものをすでに知っていると思い込んでいたのだ。底
で私はすべての観念と先入観を排し、あたかも初めて見た他人の庭であるかのように見て
みた。

次の瞬間、私は自然の中に引き込まれたように感じた。草や潅木が突然よりリアルに、生き生
きとして見えた。さらに、それらが私と交流しているように感じられたのだ。まるで気の
置けない友人たちに囲まれているような、奇妙な感覚だった。完璧にくつろぐことができ
るクラブに入会したかのようだ。

多くの詩人たちがそうであるように、ゲーテはこの種の知覚を生まれつき備えていたのだ。「フ
ァウスト」の中で、彼は自然を「神の生ける衣服」と呼んでいる。彼の叙情詩には、押し寄せ
るような驚くべき生命力がみなぎっている。それはファン・ゴッホの後期の作品――「イトスギの
ある道」と「星月夜」―-を思い起こさせる。木々は緑の炎となり、空に向かって遠吠えす
る。

よく知られた話だが、ゲーテと詩人シラーは、イェナで行われていた退屈な科学の講義を抜け出し
た。そしてゲーテは、自然を記述するほかの方法があるに違いない、と言った――それをバラ
バラに分割するのではなく、それを生きた現実として、全体から部分へと向かう方法だ。シラ
ーは肩をすくめた。「ああ、まあ机上の空論って奴だね」。

だが彼は間違っていた。ゲーテにとってはそれは机上の空論ではなかったのだ。それは彼が
木々や花々や草を見るときに見えている何かだった.それらは生きているかのように見えた
のだ、あたかも自然全体が、ある意味において、一つの有機体であるかのように。

一つのエクササイズとして、「能動的注視」でもって庭を見て欲しい。絵のような静物とし
て見るのではなく、それが絶えず運動していることを認識するようにするのだ――極めて
ゆっくりとした運動だが、運動には違いない――そして植物が、虫や鳥や蜂と同様、生き
ているのだと言うことを認識して欲しい。
332、めいちゃん:2008/10/28(火) 07:49:18
>>328

破綻的に疲労していて、尚且つ、その場をしのがざるを得ないときも、

能動的注視になる、、、。

能動的注視はきこえよいが、8割方良い意味は無い、、、。

333、ミジンコ:2008/10/28(火) 07:57:10

破綻的に疲労していて、尚且つ、その場をしのがざるを得ないときも、

能動的注視になる、、、。    、、、、、奴、、、がいる、、、。



334、ミジンコ:2008/10/28(火) 08:14:02
日常的には、能動的注視だが、いざとなると、白を切ったり、受動的注視になるとか、、、。

、、、いろんな奴も居ると言う種類の話にもなってくる、、、。

能動的注視なんか  されたら、  普通は、疲れますよ、、、。

  、、、ぶっちゃけ、能動的注視は、変な事になる、、、、。

335、ミジンコ:2008/10/28(火) 10:29:44
>>331 やはり、ゲーテタイプの触手系は、混乱の元だ、、。人体実験が起きるのもうなづける、、。

確かに能動的注視は植物に対して為されるなら害は少なく有益なものと言えるかも知れないが、、、。

いわゆる感情移入説関係の方面にも通じてくるんですよ、、、。曰く、芸術の支柱となる領域の話です、、。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9Bゴッホ

昔は、麦畑を黄色の絵で表現したらゴッホ等は、狂人とみなされたエピソードがあるが、

後になってそのような黄色の麦畑の生き生きとしたゴッホの発見による見解は、受け継がれる事になる、、、。
336:2008/10/28(火) 10:32:16
、、、  二つに分割した脳   、、、



もちろん、ゲーテが46時中、常にこういう状態だったわけではない。だれでもそうであるよう
に、かれにも疲れているときくらいある。そういう時は物事を機械的に見ていただろう。
だが広く目覚めているとき、彼には自然がファン・ゴッホの絵の様に見えている。

そして、ボルトフトが述べたように、これは努力の問題ではない。知覚のための器官を発達さ
せるかどうかという問題なのだ。

ウィリアム・ブレイクは言う、「知覚の扉を清めれば、あらゆるものがありのままに見える――無限
の存在として」。「知覚の扉」にこの言葉を引用しているオールダス・ハクスリーは、精神変性物質で
あるメスカリンを摂取したときの体験を記録している。あらゆるものが突如として、はるかにリア
ルに見えるようになったのだ。これはまさしくボルトフトが語っているものだ。

だがナーバイが言うように、アメリカ先住民のキリシャリ族が今もこの「器官」を持っているのに対し
て、現代人は何世紀も前に失ってしまったのだ。この「器官」こそ、ドイツの著述家ゴットフリー
ト・ベンの言う「原初のヴィジョン」だ。

何故それを失ったのか?複雑で多忙な生活に適応するために機械的な知覚を発達させたか
らだ。ワーズワースは完璧にそれを理解していた。彼のオード「霊魂不滅を思う」に示されている
通りである。子供にとってはあらゆるものが新しくワクワクさせるものであり、「燦然たる
新しき夢」である。なぜなら子供は現在を生きており、あらゆるものが鮮明かつ明瞭に見
えるからだ。だがその後、生きることがより困難に、かつ厳しいものになるに連れて、若者
を「牢獄の影が閉ざし始める」。大人になるころには、彼は常に急ぎ、あの「燦然たる夢」
は日常の光の中に色褪せる。すなわち、彼はもはやものごとを「見る」ことに労力を割く
ことがなくなるのだ。
337:2008/10/28(火) 10:47:01
>>335   宗教も芸術も科学も手段であって目的ではない意味では、

芸術が目的となってしまったゴッホの問題点は、悪魔的なものを感じさせるものがあると

言われるかもしれません、、、、。

338:2008/10/28(火) 10:52:21
人間は、状況によっては、ゴッホのようになるし、カタルシスの働きをする事になる

と言う意味も出てくる訳だが、物凄く厄介な領域に入り込んだ扱いの話であると言う事になる、、。

339:2008/10/28(火) 10:53:31
いわゆる問題作と言う奴ですね、、、。
340:2008/10/28(火) 10:56:18
いわゆるマルキシズムなどの思想に通じるものと言うか、、、。

ある種の行動に結びつきうるような信念の源泉と言うか、、、。

、、、、つまり、なんらかの形で疎外された情念って残っちゃうんですよね、、、。
341:2008/10/28(火) 18:10:34
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AFウィリアム・ブレイク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9ワーズワース
子供がお気に入りのTV番組を前にすると、全感覚をそこに集中させる――話しかけても気
づかないほどだ。そして誰もが、窓に当たる雨の音を聞く心地よい感覚を覚えているだろ
う。小説家のローラ・デル・リヴォは、ボールのように丸まったという話をして、そして言った、「い
いでしょ、私?」。そう、確かに君はいいよ――完璧にそれだけに集中して、少しの「ほこ
ろび」も許さないなら。だが大人になれば、我々は誰もがほころびだらけになる――注意
を薄く広げすぎ、稀釈されたリアリティを現実として受け入れる。こうして「ある種の盲目」が
出来上がる。

動物はそうではない。彼らは現在にのみ満足し、そして興味を惹くものに全神経を注ぎ込
む。我々のように「文明化された」人間は、そのやり方を忘れてしまった。そして我々は、
自分自身をごまかしていることにすら気づかない。物事はこんなもんだと思い込んでいる
からだ。

この稀釈された混濁した意識の生み出す最悪の効果は、われわれをストレスで満たし、どうで
もいい事柄に対して不安を抱かせることだ。そしてときおり、たとえば休日の外出などで
真実の意識の息吹を感じたときは、それは単に休日だからと考え、我々が常に注意の力を
習慣的に台無しにしていることに気づかない。それはちょうど、酸素不足に陥るまで、呼
吸が浅すぎる気づかないようなものだ。

プリンストンの心理学者ジュリアン・ジェインズによれば、このようなことが始まったのはごく最近の
ことだ。その著書「二院制意識の崩壊における意識の起源」(1976)によれば、「分裂
脳の研究」の結果、現代人の意識は極めて萎縮してしまっていることが明らかとなった。
今の人間は脳の半分にしか住んでいない――すなわち左脳(言語、論理、日常生活への「対
処」に用いられる)である。彼によれば、右脳(直観、洞察、感情を司る)は見知らぬ他
人となってしまっている。そしてジェインズによれば、人間が「左脳人」となったのは紀元前
1250年に遡るという。
342:2008/10/28(火) 18:19:16
紀元前2千年紀の地中海世界を激震させた対戦の時代、旧来のこどものようなメンタリティでは、
もはやそれに対処することが出来なかった。人間は視野を狭め、脅迫的にならざるを得なか
ったのである――そして同時に、より残虐、かつ無慈悲に(緊張はわれわれを残酷にす
る)。この新しい精神状態において、人は神々や自分自身の深奥の自己との繋がりを絶たれ
てしまった。

紀元前1230年ごろ、アッシリアの暴君トゥクルティ・ニヌルタは石の祭壇を作ったが、そこには無人島
の神の玉座の前にひざまずくこの王の姿が描かれている。だが彼以前の王はすべて、王座
に神と共に座す自らの姿を描いてきたのだ。今や神は消え、人は「自立」するようになっ
たという。極めて面白い仮説であり、説得力もある。だが言うまでもなく、それが正しい
のかどうか、確かめる術はない。ただいえることは、進化史上ある時点で、これに似たよ
うなことが我々のみにおきたということだけだ。

ナーバイの「宇宙の蛇」によれば、彼の言うペルーのインディオには、これは当てはまらないようだ。
世界中のシャーマンがそうであるように、彼らは依然として神々と接触を保っている――あるい
は、少なくとも接触を保つ方法を知っている。このことはひとつの疑問を引き起こす。キリシ
ャリ族は宇宙の蛇から教えを授けられたと信じており、ナーバイはこの宇宙の蛇は実際にはDN
A分子のことだと考えている。では、彼等自身のDNAが植物の効能を教えてくれたのか?
彼らは自然そのもの、すなわち「神の生ける衣服」から直接学ぶことが出来るのか?

343:2008/10/28(火) 18:23:19
このことはまた、もうひとつの面白い問題に繋がる。計算を司るのは左脳なので、われわ
れは左脳は数学的な半球だと考えがちだ。だが、一流の数学者なら誰でも同意するように、
数学には詩や絵画と同じ種類の直感が必要なのだ。だからこそ、オリヴァー・サックスの学習障害
の双子は、巨大な素数を指摘しあって遊ぶことが出来たのだ。彼らは素数を「見る」こと
ができたに違いない。

ミケランジェロは石切り場の大理石の塊の中に、それで彫られていることになる彫刻を「見る」
ことができたし、ニコラ・テスラは設計図すら引いてはいけない機会の完成形を頭の中で「見る」
ことができた。実に奇妙なことに、現代人は「左脳人」となることによって、その理性の
部分の重要な部分を失ってしまったらしいのだ。これらのことを総合すると、われわれの
遠い祖先が、コンクリート・ミキサーなしに「高度に発達した科学」を所有できた秘密を垣間見るこ
とが出来ると思う。

あらゆる点から見て、高度科学に必要なものは理屈よりも直観だ。これには一流の科学者
なら誰でも同意するだろう。だが直観というものは、ほとんどの学者が認める以上に高度
な科学を作り出すことが出来るらしい。もしそうなら、ハプグッドの言う「高度に発達した
科学」を備えた10万年前の文明というのは、さほど矛盾したものではない。
344:2008/10/28(火) 18:39:11
345、ミジンコ:2008/10/28(火) 19:03:59
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF クオーク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6 素粒子物理学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E5%8E%9F%E5%AD%90水素原子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%9E%E3%83%B3マレー・ゲル=マン
、、、ミクロの透視能力  、、、


1996年5月、わが家のポストに、挑発的なタイトルの本が投函されていた。「クォークのESP」
(1980)だ。著者のスティーブン・フィリップスは、素粒子物理学で博士号をとったイギリス人で、
ケープタウン大学でそれを講じている。

 カリフォルニア大学で学位に取り組んでいたころ、彼は、ロサンゼルスの書店にふらりと立ち寄り、『シ
ークレット・ドクトリンの物理学』(1910)という本に出会う。著者はウィリアム・キングズランドという
神学者。パラパラとページをめくっていて、水素原子の図に目がとまった。その原子核には3
つの小さな点があった。あえてその図を見渡す科学者はほとんどいなかっただろう。なぜ
ならそれはちっとも水素原子には見えなかったからだ。

 いうまでもないが、水素原子は原子核の周囲を一つの電子が回っている。太陽の周囲を
回る一つの惑星のようなものだ。ところがこの図には6つの円があり、それが二つの3角
形に繋がっている。そしてそれぞれの円に、3つの点があるのだだがフィリップスは、マレー・ゲル
=マンが1961年に提唱した水素原子のモデルには3つの素粒子が含まれていることを知って
いた。ゲル=マンはこれをクォークと読んでいた。そしてフィリップスは、このクォーク自体、3つの「サ
ブクオーク」に分かれるのではないかと考えていた。


図の説明があるが割愛するか、、、。ちょっと、現時点では説明しがたい、、、。、、、まいったぁ〜、、、
346:2008/10/28(火) 19:12:13
 キングズランドは、「オカルト科学」という本の図を転載していた。その著者であるアニーベザントとC。
W・リードピーターは、人智学教会の有力な設立メンバーだ。彼らはヨガの修行によって、物質の基
本構造を透視できると思っていたらしい。

「オカルト科学の出版は1908年だ。そして1911年には、ラザフォード――そしてそのすぐ後には
ボーア――が原子の構造を記述した。今も受け入れられている、原子核と電子のモデルだ。
だから当然「オカルト科学」を真剣に考慮したものは誰もいなかった。―-タイトルを見ただけで、
物理学者なら肩をすくめただろう。

だがスティーブン・フィリップスは普通の物理学者ではなかった。彼はマルクス主義者の父と心霊主義者
の母の間に生まれた子供であり、子供の頃、父からは4インチの屈折望遠鏡を、母からはマダム・
ブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」を買い与えられた。だから彼は、スーパーストリングだのクオークだ
のの専門家になった後も、神智学に興味を持ち続けていた。

ベザントとリードビーターは、様々な元素、例えば金やプラチナやダイヤモンド、それに空気や砂など
の化合物に意識を集中させることによって研究を行った。まず最初に灰色の霞が現れ、こ
れを

「拡大」して光の点、すなわち「きらめく光点の球体であって、不可視の風に吹かれたか
のようにゆれたり漂ったりしているもの」にする。次にこの点は幾何学模様になるが、そ
れは元素の種類によって常に一定である。ベザントとリードピーターはこれをMPA(微小超原子)
と呼び、これらの中に物質の究極構成要素が含まれていると推測している。
347:2008/10/28(火) 19:23:59
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E4%BD%8D%E5%85%83%E7%B4%A0同位元素
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%B3アルゴンとか、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6%E7%90%86%E8%AB%96超ひも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9 生命の木
面白いことにベザントとリードビーターは特定の原子、例えばネオン、アルゴン、クリプトンなどがさまざま
な形を持つことに気づいていた――後にこれらは同位元素として知られることとなる。「クオ
ークのESP」で説得力を持って論じられているのが、ベザントとリードビーターがクオークのみならず、
さらに微小な素粒子までも認識していたという説だ。1980年にこの本が出版されたと
き、サブクォークなどというものはまったく知られていなかった。だが1996年には、シカゴ近
郊のフェルミ研究所の科学者たちが、その存在を強く示唆する実験を行っている。

「クォークのESP」の後には、さらに決定的な内容の「クォークのESPとスーパーストリング(超ひも)」
が、そしてその後、さらに最高傑作というべき「神の似姿としての人間と物質」が出版さ
れた。

ここでの彼の理論は、カバラの(生命の樹)は、夢見がちな神秘家が寄せ集めたリアリティに関す
る曖昧で象徴的な表現なのではなく、宇宙の基盤を成す数学的リアリティについて科学的に精確
な記述である、というものだ。

カバラの(生命の樹)とは実際の樹木ではなく、シャーマンの柱と同じ、天と地を繋ぐ象徴的な
軸である。そこには10の階梯すなわち「流出」があり、これはシャーマニズムにおける7もし
くは9の階梯と矛盾するように見える――だが、万物の基盤となる階梯は地(マルクト)であ
り、これを除けば9つの階梯が残る。

私への手紙の中で、スティーブン・フィリップスは次のように述べている。
348:2008/10/28(火) 19:29:54
「1976年に帰英した時、私はピュタゴラスのテトラクテュス(三角形の形に点を並べたもの)に夢
中になっていました。研究家が深まれば深まるほど、すべてのものがあるべき場所にピタリ
と収まるようになっていきました。(生命の樹)の内的・外的形態の区画は神名によって規
定されており、それは宇宙的意義を持つ数を暗号化していたのです。たとえばスーパーストリング
理論に固有の群論変数である248や496などです。驚くべきことに、168、すなわ
ち、リードビーターがUPA(私の最初の本でサブクォークと同一視したものです)の渦の中に数え
た回転数1680の核である数字は、ヘブライ語で(マルクト)のセフィラの物質的顕現を意味する単
語の数価と一致していたのです。

これはまさに、リードビーターの透視の客観性を示す独立した証拠です。同じ幾何学的オブジェクト
の諸側面を定量化する数字と、いくつかの神名の数字が常に一致することは、明らかに偶
然を超えています」

この章を書くためにスティーヴン・フィリップスの「クォークのESPとスーパーストリング」を読み返していた
とき、何年か前にフィリップスが書いた手紙が出てきた。そこには彼の子供の頃の「神秘体験」
の話があった。
「小さい頃、近くの公園によく行ったのです。遊びに行ったのではなくて、虫や鳥を見る
ためでした。9歳のとき、森の中に座って、ひらひら飛び回る蝶や葉を這い上がる蟻を見
ていました。一見すると何の目的もないようですが、私は突如気づいたのです。この世界
は意味のある活動に満ちた世界だ。それは人間の考える人生の意味を超越しているのです。
そう考えたとき「私」という感覚、世界から独立した「私」というものが消滅したのです。
色彩と音は鮮烈なものとなり、意味を失いました。私は生命から離れたものではなく、ま
さに生命のために集積しているすべてのものだったのです。それから私は愛に包まれてい
るのを感じました。というか、あらゆるところに、このすべてに浸透する愛があったので
す――私がそれを感じていたのではないのです。だってもはや「私」は存在しないのです
から。対象のイメージは、もはや私の意識の中でその意味を担っていませんでした。なぜなら
そこにあったのはこの愛の海だけなのですから。それから私は、突如、気づいていること
に気づきました。私は森の中に虫と一緒にいました。その多幸間は、何時間も持続しまし
た」

ナーバイの本の直後にこれを読んで、私は両者の類似に驚いた。蟻や蝶を見ているうちに、フィ
リップスはペルーの熱帯雨林にいたのかもしれない。そして興味深いことに、この意味ある活動
に満ちた世界が我々人間の意味の感覚と無関係だと考えた後、フィリップスはまず色彩と音の先
鋭化を体験した――「ゲーテ効果」と読んでもいいかもしれない。突然の「能動的注視」だ。
そしてこれは、自然の一体性の感覚となり、その中で彼自身のアイデンティティは消失した。

注目すべきことは、当時フィリップスはまだ9歳のことだ――「牢獄の影が閉ざし始める」年代
より以前のことだ。この状態は、自己意識が戻ったとき――「気づいていることに気づい
たとき」に消滅した。左脳が復帰し、自然の全一性の感覚が消滅したのだ。
350:2008/10/28(火) 19:37:13
T・E・ロレンスも同様の体験を書き記している。それが起こったのは、アラブ人の一団と共に旅
をしていたときだ。「この清澄な夜明けにわれわれは旅立った。太陽と共に感覚は目覚めて
いたが、夜の思考に疲れた知性はまだ惰眠を貪っていた。こういう朝には、一時間か二時
間の間、世界の音、匂い、色彩は、人間ひとりひとりに直接に触れるのだ。何らかのフィルター
を通したり、思考によって類型化されたりすることがない。それ自体によって、ありのま
まに存在しているように見えるのである、、、、」。

ロレンスによれば、彼の問題の根源は「思考に囚われる性質」である――つまり、右脳の意識
だ。ここでもまた、それがある種のフィルターとして働くのが分かる。つまりサングラスのようなも
のだ。思考に囚われるその性質がなければ、われわれは「あらゆるものがありのままに見
える――無限の存在として」。つまり通常の人格の境界が消滅するのだ。

また、フィリップスの言う「愛の海に囲まれた」体験も見過ごしてはならない。このような体験
は、生きた、好意的な力としての自然の感覚ももたらす。

ナーバイによれば、キリシャリ族は8万種の植物の効能に親しんでいるというが、このことはまた、
偉大なベンガルの科学者ジャガディス・チャンドラ・ボースの仕事を思い起こさせる。私がそれをは
じめて知ったのは、ピーター・トプキンズとクリストファー・バートの「植物の神秘生活」(1973)だ
った。ボースの最も驚くべき業績は、生物と無生物の間に厳密な境界は存在しないというこ
とを示したことだ。

ボースは1858年、インドの役人の子として生まれ、幼くして優れた才能を示したので、父
は彼をイギリスに留学させ、ケンブリッジで物理学、化学、植物学を学ばせた。だが、カルカッタ大学
の物理学教授に任命されると、彼は一種の偏見に直面することとなる。生涯にわたって続
くことになるそれは、彼に「身の程をわきまえさせよう」とする同僚たち――インド人、白
人を問わず――の嫉妬だった。彼はその才能が認められるまで何年もの間、無給で教えて
いた。彼はマルコーニ以前に電波の送信を行い、物理学者としての天才を示した。
351:2008/10/28(火) 19:41:43
彼はイギリスに招かれて王立研究所で講演を行い、それがあまりにも好評を博したため、王立
協会は政府にかけあって、研究所の設立資金4万ポンドを融通させた。だがここでもまた
インド人の同僚の嫉妬と中傷が彼を妨害した。1899年、ボースは奇妙な事実に気づいた―
―電波を受信するために金属のコヒーラー(検波器)を酷使すると、次第にその効果が薄れるの
だ。一方、しばらく「休ませて」やると、回復する。ボースは、生物と「無生物」、特に金属
の間の境界について研究を始めた。

王立協会の会長であるサー・マイケル・フォスターが研究所にやってきたので、ボースはグラフを見せた。
この傑出した科学者はがっかりした。

「これがどうしたのかね?もう半世紀も前から明らかになっていることだが」
「これは何だと思いますか?」とボースはたずねた。
「何故そんなことを聞く?筋肉反応の直線だろうが!」
「申し訳ありません」とボースは言った「実はこれは金属の錫の曲線なのです」。
「なんと!」フォスターは不信の叫びを上げて飛び上がった。ボースは鉄や胴など、他の金属によ
る類似の結果を見せた。彼はまた金属が記憶を持っていることも示した。金属の表面を酸
で腐食させた後に、その痕跡が消失するまで研磨する。だが実験によれば、それが腐食し
ていた箇所が判明するのだ。

次に彼は植物の葉を用いた実験を行った。それはちょうど人間と同様に麻酔をかけること
が出来るのだ。彼はクロロフォルムを用いて松の木にまで麻酔をかけ、それを移植して見せたのだ。

反発は依然として根強かった。王立協会で植物や金属に関する実験を行ったときには、生
理学の長老であるサー・ジョン・バードン=サンダーソンが、こんなことはありえないと実験を一蹴し
た。だが元教授のひとりがリンネ協会でエキジビジョンを手配してくれ、ボースは大成功を収めた。
だが危険な策略によって、またしても彼の実験結果は王立協会から発表することはできな
くなった。
352:2008/10/28(火) 19:47:25
最終的に、彼は植物の成長を秒単位で示すことの出来る装置まで発明した。そのひとつは、
光線を使って植物の「筋肉のような」運動を1万倍に拡大することが出来た。こうして5
9歳のとき彼はナイトの爵位を与えられ、自らの研究所を開くことが可能となった。

彼の人生に残された20年間で、彼は自然には「間隙」が存在しないということを示す実
験を続けた。動物、植物、そしていわゆる、「無生物」は、すべてが緩やかに遷移し合って
いる。ある講義の中で彼は万物の「浸透的統合」について語り、それによって彼は「30
世紀前、わが祖先がガンジスの畔で主張したメッセージ」を理解することが出来た、と述べた―
―つまり、つまり、自然の多様性の背後にある全一性のメッセージだ。

ゲーテとは違って、ボースは同僚たちから夢でも見ているんじゃないかと一蹴されることはな
かった。だが遥かに時代を先取りしていたという点では、彼もゲーテと同じ運命を共有した。
その結果、20世紀最大の科学者の一人である彼は、ほとんど忘れ去られることとなった
のだ。

当然、次のような疑問が湧く――どうすれば彼の研究を続けることが出来たのか?

その答は、ジェレミー・ナーバイの「宇宙の蛇」の中にある。科学者自ら「シャーマンのヴィジョン」を開
発すべく努める、あるいは少なくともその可能性を認めるということだ。治金学者サー・ロバ
ート・オースティンは、彼自身もまた金属は生きているという結論を出した、とボースに語ったが、
王立協会でそのことをほのめかしただけで一蹴されてしまったという。彼にはボースのよう
な強みがなかった――ボースはシャーマン的伝承に根ざす文化に育った人間だった。
353:2008/10/28(火) 19:49:15
、、、 ハプグッドの実験と洞察   、、、



興味深いことに、チャールズ・ハプグッドその人もまた晩年にはこのような考えを抱くにいたり、
最後の著書「霊の声」(1975)の長い序文の中でそれを表明している。

彼の出発点はチャンドラ・ボースの著作だった。その幅広い読書の中で、ハプグッドはボースの「生
物と無生物の反応」(1902)に出会った。特に彼の印象に残ったのは、ボースの電波受信
機の金属が、使いすぎると「疲労する」ことを示したことだ。だがさらにショックを受けたも
のは、もう一つの観測のほうだった――その受信機を数日間使用せずにおくと、それは不
活性となるのだ。

ボースは言う、「実際、刺激の欠如によってそれは怠惰となり」、再び活性化するには「強いショック」を与えねばならなかった。

ハプグッドは正しくも、そのいみするところは極めて重要であると考えた。結局のところ、「金
属疲労」というのはありふれた概念であり、純粋に機械的な述語で説明することが出来る。
だが「金属怠惰」を説明するのは困難だ。


 ハプグッドはさらに、現在ではよく知られているクリーヴ・バクスターの実験に言及している。バ
クスターは嘘発見器の専門店で、1960年半ば、研究所にあったダラセナの葉に嘘発見器を繋いで見
た。水を吸収したら電気抵抗が減るかどうか確認しようとしたのだが、驚いたことにその
反応ははるかに激烈で、ちょうど刺激を受けた人間のように反応したのだった。
354:2008/10/28(火) 19:57:18
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%9E%E7%96%B2%E5%8A%B4 金属疲労
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%98%E7%99%BA%E8%A6%8B%E5%99%A8 嘘発見器
彼はマッチで葉に火をつけてみようと思い立ち――仰天した。実際にマッチを擦る前に、発見器
の針が跳ね上がったのだ。この植物は明らかに彼の心を読んでいた。さらに彼が葉に火を
つけようと言う意図を持たず、単にマッチを擦っただけのときは植物は何の反応も示さなかっ
た。

彼の実験に寄れば、植物は犬が接近すると警戒を示すし、生きたエビを熱湯に投入すると衝撃
を受け、数秒間「卒倒」していた。それはケガをした指の凝固した血にまで反応した。
バクスターは植物が意識を持つことを証明したのだ。

さらにハプグッドは、フランクリン・レーヤー師の実験にも言及している。彼はデゥーク大学の超心理学者
J・B・ラインと共同で、たえず話しかけた植物は無視された植物よりも育成状況がよいという
ことを証明した。不吉なことに、成長しないように話しかけた植物は生育が悪く、しばし
ば枯死してしまった――「黒魔術」の効果が証明されたのである。

ハプグッドは常に理論家というよりも実験科学者であったから、キーン州立大学でこれらの実験
を追試してみた。ただ学生たちには、植物に話しかける代わりに自分の感情を――ポジティヴ、
またはネガティヴェなものを――植物にむけるように指導した。するとやはり愛を与えられた
植物は無視されたものよりも生育がよく、さらに憎しみを向けられた植物の生育は最悪だ
った。

ハプグッドの学生たちはそれぞれ一人で実験しており、そのために興味深い発見があった。
ある極めて美しい少女は、愛によって植物の生育をよくすることが出来ないのに、憎しみ
を向けたものを枯死させるのはいつもうまくいく、と不満を述べた。
355:2008/10/28(火) 20:00:57
彼女のことを理解するに連れてその理由がわかった。彼女は感情的にネガティヴな少女で、愛
するよりも憎むことのないほうがはるかに得意なのだった。「彼女はこの哀れな小さな種子に対
して、そのサイキックな力をナガティヴに使うのは得意だったが、ポジティヴに使うのは苦手な
のだった。だから種子は発芽することができなかった、、、、、、世が世なら、彼女は極めて有
能な魔女になっていただろう」。

ハプグッドはまた、イェール大学の生物学者ハロルド・サクストン・バーに論を進める。バーは生命に関係し
た微弱な電場を発見した。精密電圧計を樹木に装着すると、この電場を計測できるだけで
はなく、暴風や太陽黒点、そして季節の変化の際にそれが変動することまで判明したので
ある。女性は排卵の際に電気的活動が活発化する。ある不妊の女性はこの情報を元に妊娠
に成功したという。

バーによれば、蛙の卵にはこのような力の場が線状になって存在し、それがオタマジャクシ
の神経系になるという。そこで彼は、これらの「場」が実際に生きた細胞を形成している、
と考えた。ちょうどゼリーの鋳型がゼリーを形成するようなものだ。彼はこれをLフィールド(生
命場)と名づけた。

バーはまた精密電圧計を使って患者の癌を検知できる事を発見した――それも、手術で摘出
可能な初期の段階でだ。

ハプグッドによれば、バーの生命場は「われわれが意思、知性、霊と呼ぶもののすべての要件
を備えている」。彼は、例えば動物学者サー・アリスター・ハーディの記述する扁形動物に属する扁虫
を例に挙げてもよいかもしれない。

これはヒドラと呼ばれる腔腸動物を喰う。その刺胞を採り入れるためだ。この「爆弾」(刺胞
の毒)は捕食者の意をくじくためのものだが、扁虫に飲み込まれたときは爆発しない。ヒド
ラが消化されると、この「爆弾」は扁虫の胃の粘膜に捕らえられ、別の細胞に渡される。こ
の細胞は労務者のようにこれを運び、扁虫の皮膚に、先端を外に向けて、ちょうど砲門の
ように並べる。
356:2008/10/28(火) 20:18:11
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%B7扁虫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%89%E3%83%A9_(%E7%94%9F%E7%89%A9) ヒドラ
さらに、扁虫がヒドラを喰うのはこの武器を入手するためだけだ。皮膚に十分な刺胞を並べ
終えたら、たとえ飢えていてもヒドラには触れもしなくなる明らかに無意識的ではあるが合
目的的な力がここには働いている。

バーの後継者であるエドワード・ラッセルもまた、同様に重要な発見をしている。彼によれば、催
眠術師レナード・ラヴィッツは、被験者の催眠トランスの深さをバーの電圧計を使って計測することが
出来たという。つまり、肉体のLフィールドは精神の影響を受けるということだ。またラヴィッツ
によれば、精神不安定の患者のLフィールドは精神の影響を受けるということだ。またラヴィッツ
によれば、精神不安定の患者のLフィールドは症状発言の前に変動するという。

エドワードラッセルによれば、「思考場」(あるいはTフィールド)は生命場に影響を及ぼすことが出来
る。つまり思考は、ある意味では生命場を支配するのである。ハプグッドが指摘したように、
このことは「思考は宇宙の根源的な力である」といっているのと同じことだ。

ハプグッドはついに、物質科学というものはある意味ではものごとを逆さまに扱っている、
という結論に達した。思考は物質から流出したものではなく、物質の背後にある原動力な
のだ。要するにハーとラッセルは「霊」の、あるいは精神と呼んでも何と呼んでいいか、物質に
対するその優越性を示したのだ。
357:2008/10/28(火) 20:19:07

ハプグッドはさらにサイコメトリーに論を進める――例の、フォーセット大佐が信奉していたものだ――「サ
イキック」であるベーター・フルコスは、彼の2人の息子たちの写真を見て、その性格を精密に描写し
たのみならず、ということまで読み取ることが出来たのだ。

ハプグッドの視点は、マヌエル・コルドバとジェレミー・ナーバイの言う「シャーマン」的視点に徐々に近づき
つつある。そしてこれによって彼は、極めて興味深い推論を打ち立てた。ハプグッドは次の
ように自問した――インディオたちの雨乞いの踊りや豊作の踊りは迷信なのか、それとも実際
に効果があったのか。ハプグッドは考えた。「我々の祖先は少なくとも20万年前、恐らくは
その10倍も前から、大体今の我々と同じレベルの知性を持っていた」。

彼はニューメキシコのタオス・プレブロ族が、何時間も熱狂的に踊り続けるのを見たことがあった。も
しもそれが本当に迷信で、まったくの徒労だというなら、もうはるか昔にそのことに気づ
いていたのではないか。そして今、植物に語りかけるという彼自身の実験によって、人間
の精神が植物に影響を及ぼすことが明らかとなった。
358:2008/10/28(火) 20:25:06
、、、  焦点を外して見る  、、、



人間は少なくとも20万年前、もしかしたら200万年前から現代人と同レベルの知性を持って
いた、というハプグッドの指摘は興味深い。

1997年に発見された事実は、この仮説を裏づけているようだ。フロレス島(ジャワ島とバリ島の東)
のマタ・メンゲの古代の湖底を調べていたオーストリアの古人類学者グループが、石器を発見した。マイク・
モーウッドとニューイングランド大学(ニューサウスウェールズ)の学者たちがこの石器を発見した火山灰の湖底
は、80万年以上前、つまりホモ・エレクトゥスの時代と測定した。その付近で発見された動物の骨
も同じ年代だった。奇妙なことに、フロレス島は比較的小さな島で、古代人の痕跡があるとは
知られていなかった。最も近隣では、巨大な島であるジャワ島、つまりジャワ原人の故郷があ
る。ジャワ原人は我々最古の祖先で、やはりホモ・エレクトゥスに属する。

この原始的な人間がフロレス島に到達するには、島から島へと航海せねばならない。つまり10
マイル(約16キロ)の距離をわたる必要がある。大した距離ではないように思えるかもしれ
ないが、モーウッドによれば、ホモ・エレクトゥスは一般に「ややマシなチンパンジー」程度のものだった
と見なされている。だがもしも海を渡ることが出来たとすれば、とてもそんなものではす
まないはずだ。さらにモーウッドによれば、かなり大きな集団で海を渡るには相当の組織力が
必要であり、つまりホモ・エレクトゥスは何らかの言語能力を持っていたはずだ。

言い換えれば、100万年近く前の祖先は、皆で協力して筏を造る程度の知性を持っていたの
である。そしてもしも彼等がまだ言語を持っていなかったとしたら、何らかの直感的・直
接的コミュニケーション、つまり何らかの形のテレパシーがあったと考えざるを得ない――ハプグッドによ
る、人間の未知の能力に関する仮説を裏付けているようだ。
359:2008/10/30(木) 20:49:44
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/wild/1179102703/80
1964年4月、ハプグッドはまたしても、科学的興味をかき立てる現象と遭遇した。彼は心理
学者ケネス・ライアンズ博士の逆行催眠実験に参加した。ライアンズはジョージという名の被験者を逆行
催眠に書け、小学校に入学したばかりのころに遡らせた。するとジョージの声は子供の声に
なり、その日のことを詳細に語った。その後、ライアンズはジョージを前世にまで遡らせた。ジョ
ージは、自分の名はジェイムズで、時は1618年、場所はコーンヲールだ、と述べた。それから自分は
17歳のときにロンドンの監獄で死んだ、と語った。

これに興味を持ったハプグッドは、ライアンズをキーン州大学に招いて実験させた。彼も学生たちも
魅了され、過去世遡行実験は2年にわたって続いた。ハプグッドは言う、「あらゆる実験において、わ
れわれの被験者は過去に遡ったとき、その過去世の社会状況を正確に語った」。別の少女は
まったくフランス語が出来なかったが、フランスでの過去世に遡ったときには完璧なフランス
語を話した。ある16歳の少年は、イスタンブールのトリカブ宮殿――ピリ・レイスの海図が発見させた
場所――に行くように命じられ、その様子を詳細に描写した。

ハプグッドは考えた。もしも人間を過去に遡らせることが出来るなら、未来に送ることも出
来るのではないか。その結果は驚くべきものだった。

ジェイという学生は来週の水曜に行くように命じられた。彼はその日の状況――昼食のメニュー、
講義の課題、テストなど――を事細かに語った。今何処にいますか、とたずねると、今はキーン
空港にいて、ヴァーモント州モントピーリアから来た飛行士と会った、と答えた。飛行士は1年前に起
こった謎の飛行機事故の模様を詳細に語ったという。
翌週の水曜日のよる、ハプグッドはその日の出来事についてジェイについてたずねた。彼はキーン
空港に行き、モントピーリアから来た空港士に会い、件の事故の話を聞いたという。それ以外の
細々としたこと――課題とか――もまた、前週の日曜日に彼が語っていたことにぴったり
一致していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%AC%E7%9C%A0催眠
360:2008/10/30(木) 20:54:29
またヘンリーという学生は、翌木曜日に「早送り」された。彼によれば、近くのブラトルバロまで
のみにいくところで、友人に車を借りようとしているという。さらに数時間進めると、彼
は食堂で2人の女と一緒にいたが、女たちは夫の悪口を言いながら彼にモーションをかけ
ていた。だが彼は嫌気がさしていて、女たちの話の内容を言いたがらなかった。それから
彼は夜中の2時に家に戻り、犬の吠え声で家族を起こしてしまった。

次の金曜日、ハプグッドは学生会館でヘンリーを見かけた。彼は言った、「君が昨夜何処にいたか
当てて見せようか?」。「当たるはずないですよ」とヘンリーは答えた。「ブラトルバロへ行っただろ
う」。ヘンリーは目を丸くした。さらにハプグッドは、彼がクルマを借り、食堂へ行き、2人の女に会
ったという話をしたので、ヘンリーは仰天した。「女たちが何ていったか知らないんですか?」、
彼は心配してたずねた。ハプグッドは笑っていった、「いや、それは君がいいたがらくてね」。
さらにヘンリーによれば、彼は深夜2時に帰宅し、そのとき犬が吠えて家族がおきてしまった
という。

これらの催眠実験の意味するところは、他で書かれているよりもはるかに仰天すべきもの
だ。ハプグッドは言う、「、、、、場は、それが組織する材料に依存するのではない。磁石は鉄
粉を引き寄せ、一定のパターンを作る。この鉄粉を除去し、別の鉄粉を入れれば、磁石はそれ
で同じパターンを組織するだろう。肉体のLフィールドもまた、それと同様に肉体の死後も生
き延び、他の肉体を組織するのかもしれない。Tフィールドもまた、それを作り出した力が存在
する限り、いつまでも存在するのかもしれない。そして、この力とは、究極の創造力でな
くて何であろう?」。

懐疑論者はこう答えるだろう。「たとえ生命場や思考場が存在するとしても、それは物質に
よって生じるものかもしれない。光と熱が火によって生じるのと同様である」と。言い換
えれば、それらは独立した存在ではないということだ。

この説――物質こそが究極のリアリティーである――を論破することはほとんど不可能だ。ハプグ
ッドの逆行催眠ですら、物質的な述語によって説明することが出来る――細胞に保持された
無意識の記憶とか――あるいは単なる空想とか。
361:2008/10/30(木) 20:58:07
だがそのような説は本来予知に当てはまらない。

物質主義者の用語で言えば、未来はまだ起こってはいない。ゆえにそれを正しく予知する
ことは不可能だ。だが、キーン空港ででジェイの体験や、ブラトルバロでのヘンリーの体験を見る限り、
「科学的」説明はつけようがない。ハプグッドの言うことが真実であるならば、「Tフィールド」
――であれなんであれ――は、時間の制限を受けないと断定せざるを得ない。そして世界
中のシャーマンはこれを自明のこととして受け入れ、未来を予知することをまったく奇妙なこと

だとは考えないのに対して、われわれの現代的な「ものの見方」は、その意味するところ
を理解することすら困難にさせる。ましてや、ものの見方を変える方法など及びもつかな
い。

ロンドンの精神医学研究所に勤める神経精神科医ピーター・フェンウィック博士の最近の実験のことを知
ったら、ハプグッドは驚喜していただろう。1990年代に、バランティアの被験者をポリグラフに繋ぎ、
恐ろしい絵と穏やかな絵をランダムに見せたところ、恐ろしい絵が示される3・5秒前に恐怖
の反応が現れることが明らかとなったのだ。

2003年9月、サルフォード大学で行われた英国学術協会の科学際で、フェンウィックは「精神は脳の外
に存在するのかも知れない。それは脳の活動としてとらえるよりも、場として理解するべ
きものかもしれない」。と述べた。そして彼は、心臓発作に襲われた人が、肉体から出て自
分自身に組成措置が施されている様子を外から見ていたという事例を紹介している。さら
にまた、彼はきわめて高い頻度で起こる「臨終一致症候群」について語っている。これは、
親族が死んだことを伝える虫の知らせがあったとか、その瞬間に彼等の存在に気づいたと
いうような事例である。さらにハプグッドと同様、彼もまた祈りには治癒効果があり、心臓
病や不妊で入院している人に対して「ポジティヴな効果」があるという。
362:2008/10/30(木) 21:00:43
私にアンリ・ボルトフトの本を紹介してくれた友人であるエディ・キャンベルは、次のようなことを教え
てくれた。「このワークをする部屋のドアを閉め、それからコンピューターのキーボードの前に座る。両
手を額の縁のところに持ってきて、拳で作るトンネルの中に視線が納まるようにする。その状
態でキーボードを見詰め、目の焦点が合ったり外れたりするのに任せる。ちょっと運がよけれ
ばすぐにでも、そこらで売っている立体視の本を試してみたときと同じ様な「シフト」がある
だろう。そしてかなり運がよければ突然、見慣れたキーボードがまったく見知らぬ別物のよう
に見えるだろう。それこそつまり、ゲーテの言う能動的注視――「対象をそれ自身の中心に
おいて認識すること」だ」。

この技法のエッセンスは、ナーバイの言う「焦点を外す」ということだろう。その目的は通常の主
体=客体の知覚を消滅させることだ。ステーヴン・フィリップスの「神秘体験」にあるように、主体
と客体をある意味で合一させるのだ。

エディ・キャンベルによれば「ドイツ学派伝えられてきた知の技法があった。それは科学的発見の
ために能動的注視を用いるもので、たぶん中世初期以来の伝統だろう、、、、、コペルニクスは、1543
年に彼の宇宙像を「見た」。その宇宙像を裏づける客観的データを得られるようになる300年も前に」。

もしも彼の言うとおりなら、それは我々が「未開」と見なすような社会において、「高度に
発達した科学」を獲得する方法に関する手がかりとなるだろう。
363Nanashi_et_al.:2008/10/31(金) 10:40:05
翻訳してないのに翻訳者。
364:2009/01/01(木) 19:48:41




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365:2009/01/01(木) 19:49:50
明けましておめでとう御座います、、今年もヨロシクお願いします
            /;;;;;/ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
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              |;;;;;;;;l;;;;;;;;/'" ,r''{。;;;;;l`    , 〈 l。;;;}.〉 |_
           |;;;;;;;,-、;;|   ヽ`ー''"    ゙、 `ー'''  | |
              ゙、;;;|''ヽ l            , /      |ノ
             ヾ、ヽi                  |
              入__ ,、         ,.-、     /゙、
              l;;;;;;;;;;ノ \       ̄    /;;;;;;l
                ヽ;;;〈  | ゙ヽ、.        /ヽ;;;;;;ノ
               /;;;;;ヽ  |    ゙''‐- ,,_ ,.イ  /;;;;;;;ヽ
366Nanashi_et_al.:2009/01/09(金) 20:44:23
現代科学の問題・・・ってなんだろう
367,:2009/06/09(火) 10:04:14
,
368moondrop:2009/08/15(土) 20:15:21
369Nanashi_et_al.:2009/08/15(土) 20:19:48
ポイントは奈良大、千葉大の重鎮か?
370Nanashi_et_al.:2009/08/15(土) 20:25:21
最終戦と思われる
電撃戦の要領で連続集中攻撃を発起されたし
正確なターゲッティングがポイント 

古来からの権威を尊重されたし
法的根拠、政治的道義的優位、圧倒的リソースが確保されている
371Nanashi_et_al.
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1242783798/

科学が好きなら、若しくは得意ならこれの>>81の謎教えてください。。。

気になって眠れん。