科学関係ぶっちゃけスレ

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、、、  焦点を外して見る  、、、



人間は少なくとも20万年前、もしかしたら200万年前から現代人と同レベルの知性を持って
いた、というハプグッドの指摘は興味深い。

1997年に発見された事実は、この仮説を裏づけているようだ。フロレス島(ジャワ島とバリ島の東)
のマタ・メンゲの古代の湖底を調べていたオーストリアの古人類学者グループが、石器を発見した。マイク・
モーウッドとニューイングランド大学(ニューサウスウェールズ)の学者たちがこの石器を発見した火山灰の湖底
は、80万年以上前、つまりホモ・エレクトゥスの時代と測定した。その付近で発見された動物の骨
も同じ年代だった。奇妙なことに、フロレス島は比較的小さな島で、古代人の痕跡があるとは
知られていなかった。最も近隣では、巨大な島であるジャワ島、つまりジャワ原人の故郷があ
る。ジャワ原人は我々最古の祖先で、やはりホモ・エレクトゥスに属する。

この原始的な人間がフロレス島に到達するには、島から島へと航海せねばならない。つまり10
マイル(約16キロ)の距離をわたる必要がある。大した距離ではないように思えるかもしれ
ないが、モーウッドによれば、ホモ・エレクトゥスは一般に「ややマシなチンパンジー」程度のものだった
と見なされている。だがもしも海を渡ることが出来たとすれば、とてもそんなものではす
まないはずだ。さらにモーウッドによれば、かなり大きな集団で海を渡るには相当の組織力が
必要であり、つまりホモ・エレクトゥスは何らかの言語能力を持っていたはずだ。

言い換えれば、100万年近く前の祖先は、皆で協力して筏を造る程度の知性を持っていたの
である。そしてもしも彼等がまだ言語を持っていなかったとしたら、何らかの直感的・直
接的コミュニケーション、つまり何らかの形のテレパシーがあったと考えざるを得ない――ハプグッドによ
る、人間の未知の能力に関する仮説を裏付けているようだ。
359:2008/10/30(木) 20:49:44
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/wild/1179102703/80
1964年4月、ハプグッドはまたしても、科学的興味をかき立てる現象と遭遇した。彼は心理
学者ケネス・ライアンズ博士の逆行催眠実験に参加した。ライアンズはジョージという名の被験者を逆行
催眠に書け、小学校に入学したばかりのころに遡らせた。するとジョージの声は子供の声に
なり、その日のことを詳細に語った。その後、ライアンズはジョージを前世にまで遡らせた。ジョ
ージは、自分の名はジェイムズで、時は1618年、場所はコーンヲールだ、と述べた。それから自分は
17歳のときにロンドンの監獄で死んだ、と語った。

これに興味を持ったハプグッドは、ライアンズをキーン州大学に招いて実験させた。彼も学生たちも
魅了され、過去世遡行実験は2年にわたって続いた。ハプグッドは言う、「あらゆる実験において、わ
れわれの被験者は過去に遡ったとき、その過去世の社会状況を正確に語った」。別の少女は
まったくフランス語が出来なかったが、フランスでの過去世に遡ったときには完璧なフランス
語を話した。ある16歳の少年は、イスタンブールのトリカブ宮殿――ピリ・レイスの海図が発見させた
場所――に行くように命じられ、その様子を詳細に描写した。

ハプグッドは考えた。もしも人間を過去に遡らせることが出来るなら、未来に送ることも出
来るのではないか。その結果は驚くべきものだった。

ジェイという学生は来週の水曜に行くように命じられた。彼はその日の状況――昼食のメニュー、
講義の課題、テストなど――を事細かに語った。今何処にいますか、とたずねると、今はキーン
空港にいて、ヴァーモント州モントピーリアから来た飛行士と会った、と答えた。飛行士は1年前に起
こった謎の飛行機事故の模様を詳細に語ったという。
翌週の水曜日のよる、ハプグッドはその日の出来事についてジェイについてたずねた。彼はキーン
空港に行き、モントピーリアから来た空港士に会い、件の事故の話を聞いたという。それ以外の
細々としたこと――課題とか――もまた、前週の日曜日に彼が語っていたことにぴったり
一致していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%AC%E7%9C%A0催眠
360:2008/10/30(木) 20:54:29
またヘンリーという学生は、翌木曜日に「早送り」された。彼によれば、近くのブラトルバロまで
のみにいくところで、友人に車を借りようとしているという。さらに数時間進めると、彼
は食堂で2人の女と一緒にいたが、女たちは夫の悪口を言いながら彼にモーションをかけ
ていた。だが彼は嫌気がさしていて、女たちの話の内容を言いたがらなかった。それから
彼は夜中の2時に家に戻り、犬の吠え声で家族を起こしてしまった。

次の金曜日、ハプグッドは学生会館でヘンリーを見かけた。彼は言った、「君が昨夜何処にいたか
当てて見せようか?」。「当たるはずないですよ」とヘンリーは答えた。「ブラトルバロへ行っただろ
う」。ヘンリーは目を丸くした。さらにハプグッドは、彼がクルマを借り、食堂へ行き、2人の女に会
ったという話をしたので、ヘンリーは仰天した。「女たちが何ていったか知らないんですか?」、
彼は心配してたずねた。ハプグッドは笑っていった、「いや、それは君がいいたがらくてね」。
さらにヘンリーによれば、彼は深夜2時に帰宅し、そのとき犬が吠えて家族がおきてしまった
という。

これらの催眠実験の意味するところは、他で書かれているよりもはるかに仰天すべきもの
だ。ハプグッドは言う、「、、、、場は、それが組織する材料に依存するのではない。磁石は鉄
粉を引き寄せ、一定のパターンを作る。この鉄粉を除去し、別の鉄粉を入れれば、磁石はそれ
で同じパターンを組織するだろう。肉体のLフィールドもまた、それと同様に肉体の死後も生
き延び、他の肉体を組織するのかもしれない。Tフィールドもまた、それを作り出した力が存在
する限り、いつまでも存在するのかもしれない。そして、この力とは、究極の創造力でな
くて何であろう?」。

懐疑論者はこう答えるだろう。「たとえ生命場や思考場が存在するとしても、それは物質に
よって生じるものかもしれない。光と熱が火によって生じるのと同様である」と。言い換
えれば、それらは独立した存在ではないということだ。

この説――物質こそが究極のリアリティーである――を論破することはほとんど不可能だ。ハプグ
ッドの逆行催眠ですら、物質的な述語によって説明することが出来る――細胞に保持された
無意識の記憶とか――あるいは単なる空想とか。
361:2008/10/30(木) 20:58:07
だがそのような説は本来予知に当てはまらない。

物質主義者の用語で言えば、未来はまだ起こってはいない。ゆえにそれを正しく予知する
ことは不可能だ。だが、キーン空港ででジェイの体験や、ブラトルバロでのヘンリーの体験を見る限り、
「科学的」説明はつけようがない。ハプグッドの言うことが真実であるならば、「Tフィールド」
――であれなんであれ――は、時間の制限を受けないと断定せざるを得ない。そして世界
中のシャーマンはこれを自明のこととして受け入れ、未来を予知することをまったく奇妙なこと

だとは考えないのに対して、われわれの現代的な「ものの見方」は、その意味するところ
を理解することすら困難にさせる。ましてや、ものの見方を変える方法など及びもつかな
い。

ロンドンの精神医学研究所に勤める神経精神科医ピーター・フェンウィック博士の最近の実験のことを知
ったら、ハプグッドは驚喜していただろう。1990年代に、バランティアの被験者をポリグラフに繋ぎ、
恐ろしい絵と穏やかな絵をランダムに見せたところ、恐ろしい絵が示される3・5秒前に恐怖
の反応が現れることが明らかとなったのだ。

2003年9月、サルフォード大学で行われた英国学術協会の科学際で、フェンウィックは「精神は脳の外
に存在するのかも知れない。それは脳の活動としてとらえるよりも、場として理解するべ
きものかもしれない」。と述べた。そして彼は、心臓発作に襲われた人が、肉体から出て自
分自身に組成措置が施されている様子を外から見ていたという事例を紹介している。さら
にまた、彼はきわめて高い頻度で起こる「臨終一致症候群」について語っている。これは、
親族が死んだことを伝える虫の知らせがあったとか、その瞬間に彼等の存在に気づいたと
いうような事例である。さらにハプグッドと同様、彼もまた祈りには治癒効果があり、心臓
病や不妊で入院している人に対して「ポジティヴな効果」があるという。
362:2008/10/30(木) 21:00:43
私にアンリ・ボルトフトの本を紹介してくれた友人であるエディ・キャンベルは、次のようなことを教え
てくれた。「このワークをする部屋のドアを閉め、それからコンピューターのキーボードの前に座る。両
手を額の縁のところに持ってきて、拳で作るトンネルの中に視線が納まるようにする。その状
態でキーボードを見詰め、目の焦点が合ったり外れたりするのに任せる。ちょっと運がよけれ
ばすぐにでも、そこらで売っている立体視の本を試してみたときと同じ様な「シフト」がある
だろう。そしてかなり運がよければ突然、見慣れたキーボードがまったく見知らぬ別物のよう
に見えるだろう。それこそつまり、ゲーテの言う能動的注視――「対象をそれ自身の中心に
おいて認識すること」だ」。

この技法のエッセンスは、ナーバイの言う「焦点を外す」ということだろう。その目的は通常の主
体=客体の知覚を消滅させることだ。ステーヴン・フィリップスの「神秘体験」にあるように、主体
と客体をある意味で合一させるのだ。

エディ・キャンベルによれば「ドイツ学派伝えられてきた知の技法があった。それは科学的発見の
ために能動的注視を用いるもので、たぶん中世初期以来の伝統だろう、、、、、コペルニクスは、1543
年に彼の宇宙像を「見た」。その宇宙像を裏づける客観的データを得られるようになる300年も前に」。

もしも彼の言うとおりなら、それは我々が「未開」と見なすような社会において、「高度に
発達した科学」を獲得する方法に関する手がかりとなるだろう。