346 :
、:2008/10/28(火) 19:12:13
キングズランドは、「オカルト科学」という本の図を転載していた。その著者であるアニーベザントとC。
W・リードピーターは、人智学教会の有力な設立メンバーだ。彼らはヨガの修行によって、物質の基
本構造を透視できると思っていたらしい。
「オカルト科学の出版は1908年だ。そして1911年には、ラザフォード――そしてそのすぐ後には
ボーア――が原子の構造を記述した。今も受け入れられている、原子核と電子のモデルだ。
だから当然「オカルト科学」を真剣に考慮したものは誰もいなかった。―-タイトルを見ただけで、
物理学者なら肩をすくめただろう。
だがスティーブン・フィリップスは普通の物理学者ではなかった。彼はマルクス主義者の父と心霊主義者
の母の間に生まれた子供であり、子供の頃、父からは4インチの屈折望遠鏡を、母からはマダム・
ブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」を買い与えられた。だから彼は、スーパーストリングだのクオークだ
のの専門家になった後も、神智学に興味を持ち続けていた。
ベザントとリードビーターは、様々な元素、例えば金やプラチナやダイヤモンド、それに空気や砂など
の化合物に意識を集中させることによって研究を行った。まず最初に灰色の霞が現れ、こ
れを
「拡大」して光の点、すなわち「きらめく光点の球体であって、不可視の風に吹かれたか
のようにゆれたり漂ったりしているもの」にする。次にこの点は幾何学模様になるが、そ
れは元素の種類によって常に一定である。ベザントとリードピーターはこれをMPA(微小超原子)
と呼び、これらの中に物質の究極構成要素が含まれていると推測している。
347 :
、:2008/10/28(火) 19:23:59
348 :
、:2008/10/28(火) 19:29:54
「1976年に帰英した時、私はピュタゴラスのテトラクテュス(三角形の形に点を並べたもの)に夢
中になっていました。研究家が深まれば深まるほど、すべてのものがあるべき場所にピタリ
と収まるようになっていきました。(生命の樹)の内的・外的形態の区画は神名によって規
定されており、それは宇宙的意義を持つ数を暗号化していたのです。たとえばスーパーストリング
理論に固有の群論変数である248や496などです。驚くべきことに、168、すなわ
ち、リードビーターがUPA(私の最初の本でサブクォークと同一視したものです)の渦の中に数え
た回転数1680の核である数字は、ヘブライ語で(マルクト)のセフィラの物質的顕現を意味する単
語の数価と一致していたのです。
これはまさに、リードビーターの透視の客観性を示す独立した証拠です。同じ幾何学的オブジェクト
の諸側面を定量化する数字と、いくつかの神名の数字が常に一致することは、明らかに偶
然を超えています」
この章を書くためにスティーヴン・フィリップスの「クォークのESPとスーパーストリング」を読み返していた
とき、何年か前にフィリップスが書いた手紙が出てきた。そこには彼の子供の頃の「神秘体験」
の話があった。
「小さい頃、近くの公園によく行ったのです。遊びに行ったのではなくて、虫や鳥を見る
ためでした。9歳のとき、森の中に座って、ひらひら飛び回る蝶や葉を這い上がる蟻を見
ていました。一見すると何の目的もないようですが、私は突如気づいたのです。この世界
は意味のある活動に満ちた世界だ。それは人間の考える人生の意味を超越しているのです。
そう考えたとき「私」という感覚、世界から独立した「私」というものが消滅したのです。
色彩と音は鮮烈なものとなり、意味を失いました。私は生命から離れたものではなく、ま
さに生命のために集積しているすべてのものだったのです。それから私は愛に包まれてい
るのを感じました。というか、あらゆるところに、このすべてに浸透する愛があったので
す――私がそれを感じていたのではないのです。だってもはや「私」は存在しないのです
から。対象のイメージは、もはや私の意識の中でその意味を担っていませんでした。なぜなら
そこにあったのはこの愛の海だけなのですから。それから私は、突如、気づいていること
に気づきました。私は森の中に虫と一緒にいました。その多幸間は、何時間も持続しまし
た」
ナーバイの本の直後にこれを読んで、私は両者の類似に驚いた。蟻や蝶を見ているうちに、フィ
リップスはペルーの熱帯雨林にいたのかもしれない。そして興味深いことに、この意味ある活動
に満ちた世界が我々人間の意味の感覚と無関係だと考えた後、フィリップスはまず色彩と音の先
鋭化を体験した――「ゲーテ効果」と読んでもいいかもしれない。突然の「能動的注視」だ。
そしてこれは、自然の一体性の感覚となり、その中で彼自身のアイデンティティは消失した。
注目すべきことは、当時フィリップスはまだ9歳のことだ――「牢獄の影が閉ざし始める」年代
より以前のことだ。この状態は、自己意識が戻ったとき――「気づいていることに気づい
たとき」に消滅した。左脳が復帰し、自然の全一性の感覚が消滅したのだ。
350 :
、:2008/10/28(火) 19:37:13
T・E・ロレンスも同様の体験を書き記している。それが起こったのは、アラブ人の一団と共に旅
をしていたときだ。「この清澄な夜明けにわれわれは旅立った。太陽と共に感覚は目覚めて
いたが、夜の思考に疲れた知性はまだ惰眠を貪っていた。こういう朝には、一時間か二時
間の間、世界の音、匂い、色彩は、人間ひとりひとりに直接に触れるのだ。何らかのフィルター
を通したり、思考によって類型化されたりすることがない。それ自体によって、ありのま
まに存在しているように見えるのである、、、、」。
ロレンスによれば、彼の問題の根源は「思考に囚われる性質」である――つまり、右脳の意識
だ。ここでもまた、それがある種のフィルターとして働くのが分かる。つまりサングラスのようなも
のだ。思考に囚われるその性質がなければ、われわれは「あらゆるものがありのままに見
える――無限の存在として」。つまり通常の人格の境界が消滅するのだ。
また、フィリップスの言う「愛の海に囲まれた」体験も見過ごしてはならない。このような体験
は、生きた、好意的な力としての自然の感覚ももたらす。
ナーバイによれば、キリシャリ族は8万種の植物の効能に親しんでいるというが、このことはまた、
偉大なベンガルの科学者ジャガディス・チャンドラ・ボースの仕事を思い起こさせる。私がそれをは
じめて知ったのは、ピーター・トプキンズとクリストファー・バートの「植物の神秘生活」(1973)だ
った。ボースの最も驚くべき業績は、生物と無生物の間に厳密な境界は存在しないというこ
とを示したことだ。
ボースは1858年、インドの役人の子として生まれ、幼くして優れた才能を示したので、父
は彼をイギリスに留学させ、ケンブリッジで物理学、化学、植物学を学ばせた。だが、カルカッタ大学
の物理学教授に任命されると、彼は一種の偏見に直面することとなる。生涯にわたって続
くことになるそれは、彼に「身の程をわきまえさせよう」とする同僚たち――インド人、白
人を問わず――の嫉妬だった。彼はその才能が認められるまで何年もの間、無給で教えて
いた。彼はマルコーニ以前に電波の送信を行い、物理学者としての天才を示した。
351 :
、:2008/10/28(火) 19:41:43
彼はイギリスに招かれて王立研究所で講演を行い、それがあまりにも好評を博したため、王立
協会は政府にかけあって、研究所の設立資金4万ポンドを融通させた。だがここでもまた
インド人の同僚の嫉妬と中傷が彼を妨害した。1899年、ボースは奇妙な事実に気づいた―
―電波を受信するために金属のコヒーラー(検波器)を酷使すると、次第にその効果が薄れるの
だ。一方、しばらく「休ませて」やると、回復する。ボースは、生物と「無生物」、特に金属
の間の境界について研究を始めた。
王立協会の会長であるサー・マイケル・フォスターが研究所にやってきたので、ボースはグラフを見せた。
この傑出した科学者はがっかりした。
「これがどうしたのかね?もう半世紀も前から明らかになっていることだが」
「これは何だと思いますか?」とボースはたずねた。
「何故そんなことを聞く?筋肉反応の直線だろうが!」
「申し訳ありません」とボースは言った「実はこれは金属の錫の曲線なのです」。
「なんと!」フォスターは不信の叫びを上げて飛び上がった。ボースは鉄や胴など、他の金属によ
る類似の結果を見せた。彼はまた金属が記憶を持っていることも示した。金属の表面を酸
で腐食させた後に、その痕跡が消失するまで研磨する。だが実験によれば、それが腐食し
ていた箇所が判明するのだ。
次に彼は植物の葉を用いた実験を行った。それはちょうど人間と同様に麻酔をかけること
が出来るのだ。彼はクロロフォルムを用いて松の木にまで麻酔をかけ、それを移植して見せたのだ。
反発は依然として根強かった。王立協会で植物や金属に関する実験を行ったときには、生
理学の長老であるサー・ジョン・バードン=サンダーソンが、こんなことはありえないと実験を一蹴し
た。だが元教授のひとりがリンネ協会でエキジビジョンを手配してくれ、ボースは大成功を収めた。
だが危険な策略によって、またしても彼の実験結果は王立協会から発表することはできな
くなった。
352 :
、:2008/10/28(火) 19:47:25
最終的に、彼は植物の成長を秒単位で示すことの出来る装置まで発明した。そのひとつは、
光線を使って植物の「筋肉のような」運動を1万倍に拡大することが出来た。こうして5
9歳のとき彼はナイトの爵位を与えられ、自らの研究所を開くことが可能となった。
彼の人生に残された20年間で、彼は自然には「間隙」が存在しないということを示す実
験を続けた。動物、植物、そしていわゆる、「無生物」は、すべてが緩やかに遷移し合って
いる。ある講義の中で彼は万物の「浸透的統合」について語り、それによって彼は「30
世紀前、わが祖先がガンジスの畔で主張したメッセージ」を理解することが出来た、と述べた―
―つまり、つまり、自然の多様性の背後にある全一性のメッセージだ。
ゲーテとは違って、ボースは同僚たちから夢でも見ているんじゃないかと一蹴されることはな
かった。だが遥かに時代を先取りしていたという点では、彼もゲーテと同じ運命を共有した。
その結果、20世紀最大の科学者の一人である彼は、ほとんど忘れ去られることとなった
のだ。
当然、次のような疑問が湧く――どうすれば彼の研究を続けることが出来たのか?
その答は、ジェレミー・ナーバイの「宇宙の蛇」の中にある。科学者自ら「シャーマンのヴィジョン」を開
発すべく努める、あるいは少なくともその可能性を認めるということだ。治金学者サー・ロバ
ート・オースティンは、彼自身もまた金属は生きているという結論を出した、とボースに語ったが、
王立協会でそのことをほのめかしただけで一蹴されてしまったという。彼にはボースのよう
な強みがなかった――ボースはシャーマン的伝承に根ざす文化に育った人間だった。