1 :
729:
2006/04/05(水) 14:46:41 ID:ODxtZG/v
高橋信次が天上へ帰って、今年で30年目になります。
天は私達に何を求めているのでしょう。
何よりも大事にしなければならないのは“心の調和”という事になります。
その為にも反省は基本であります。
2 :
729:2006/05/26(金) 11:49:54
2006/04/05(水) 21:12:19 ID:ODxtZG/v
釈迦やイエス、それに高橋信次は中道という枠組みを構築したのでしょう。
その枠組みの中でどれほどの真実で満たせるか。
私達はしっかりと試されているのです。
3 :
729:2006/05/26(金) 11:51:10
2006/04/07(金) 00:21:39 ID:TgFn02/b
釈迦やイエス、高橋信次はどういう目で世の中を見ていたのか。
彼らにとっての真実とは神の思いを通して見ていたという事であろう。
だからこそ、高橋信次は神理という言葉を使っていたのである。
4 :
729:2006/05/26(金) 11:53:14
2006/04/07(金) 00:27:07 ID:TgFn02/b
私達が本来、見るべき世界を彼らは見ていた。
即ち、中道という一なる世界である。
5 :
729:2006/05/26(金) 11:54:37
2006/04/07(金) 20:28:23 ID:TgFn02/b
−マタイによる福音書 第6章 26〜28ー
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、
倉に取りいれることもしない。それだのに、
あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。
これは神の思いに満ちた世界の事をイエスは語っているのである。
6 :
729:2006/05/26(金) 11:57:23
2006/04/14(金) 00:39:53 ID:ubRN9iAR
Usedさんお返事ありがとうございました。
さて、イエスは神の業を表し、神の思いを語り、弟子達には神仰の人となるように
心を砕いていました。
ペテロでさえもイエスが捕らわれの身となるや、イエスを知らない人だと言います。
ではペテロ達はどの辺りから神仰の人となったのでしょう。
それはイエスが処刑された後、復活したあたりからでしょう。
永遠の真理は地上から離れた天上の世界にこそあるのだと、彼らは気づいて
いきます。
ここにキリスト教の原点があります。
地上の利害に左右されず、ひたすら神の思いから離れず、神仰者として生きて行く事
に喜びと充実感があるのでしょう。
7 :
729:2006/05/26(金) 11:58:25
2006/04/16(日) 00:11:16 ID:+wQGn5ni
リーノさんこんにちは。
>「神の業」とは何でしょうか? また、
>「神の思い」とは何でしょうか?
私達が目にするもの、手で触るもの、これらは全て神の意志によって表されたものです。
科学、医学、数学といった学問も全て神の意志を学んでいるという事になります。
イエスが行った「奇跡」は神の側から見ると特段不思議といった事ではないでしょう。
「神の業」「神の思い」とは、自転公転をもった惑星、そうした惑星が形成している太陽系
さらには宇宙全体、これらの存在と活動も神の思い(意志)によるものです。
宇宙的規模でいうとイエスの言葉や奇跡は神の一部だといえます。
イエス、釈迦、モーセという三分霊の存在も神の性質を一人で表すのは無理だからです。
さた、リーノさん神についての疑問は人類の永遠の課題であると思います。
ここに私なりの説明をしましたが、いかがでしたか。
8 :
729:2006/05/26(金) 11:59:25
2006/04/16(日) 00:43:31 ID:+wQGn5ni
>「永遠の真理は地上から離れた天上の世界にこそある」と、キリスト教では教えているということですか?
>たとえば「聖書」のどのあたりを読めば、それを確認できますか?
他の掲示板で書いてきましたとおり、20歳代の中ごろまでは漫画や空手の
世界に浸っていた私です。
‘76年の秋頃より他人の波動をより強くうけるようになり、生きているのも
辛い時期でもありました。
そこで色々な本を手にし宗教や心理学も多少学びました。
そうした時に高橋信次を知ったわけです。
ところがイエスについては当時の様子がわかるし、高橋信次とは実在界で直接
会うことにもなります。
これらは元GLA講師の渡辺先生には全て話しております。
ですから私がイエスや高橋信次について語る時は霊感をもって言っている
場合が多いのです。
9 :
729:2006/05/26(金) 12:01:02
2006/04/16(日) 13:22:31 ID:+wQGn5ni
リーノさんこんにちは。
>昨今はやりの秋葉系メイドカフェなども? または鬼畜系も? スーフリの数十人単位の輪姦も?
>そして小学校の無差別殺戮も? ボウリングフォーコロンバインも? ユダヤ人虐殺も?サリンも?原子爆弾も?
天国と地獄の違いを考えてみてもらえますか。
天国は善意に満ちた世界です。地獄は悪意に満ちた世界でしょう。
もし、悪意というものが世界を支配するのであれば天国は一瞬にしてなくなるでしょう。
高橋信次も言っておりますが、「心を愛で満たせ」という言葉があります。
この地上は善と悪が混在した世界であります。
それはこの地上が修行の場として存在しているからなのです。
修行には幾つか目的があります。
それは「心の調和」であり、「真・善・美の発見」でもあるでしょう。
人を殺傷したり騙したりと修行の道から外れる人がいるのも現実であります。
ですから、ここで大事なのは悪に負けない論理をどれだけ確立しているか、という事に
なるでしょう。
修行は現実と向き合う事から始まります。
しかし現実は善と悪が同時に混在している為に、私達の心は混乱を起こすわけです。
善へ心を向けるには許しも必要になるでしょう。
我執からどれだけ離脱できるかという問題もあるでしょう。
修行の道は平坦な道ではなく、楽な道でもないのです。
もし自己に甘いのであれば、まだまだ善には遠いという事になります。
10 :
729:2006/05/26(金) 22:14:25
2006/04/16(日) 14:28:55 ID:+wQGn5ni
>「科学、医学、数学」は「神の意思」である、ということですか?
>そこからどんな「神の思い」が読み取れるのでしょうか?
私達の身体の存在がある為に「生・老・病・死」もあるわけです。
即ち、身体の存在という意味を医学的に或いは経済的、政治的にも克服しなければ
幸福になり得ないという人間の質的事情があります。
もし神を私達人間同様に同じ存在だとするのなら、あらゆる病気もとっくに克服
しているはずであります。
ミクロの世界でも私達の五感で感知できない部分はたくさんあるでしょう。
宇宙の広さを考えた場合、私達の心でどれだけの広さを想像できるのでしょうか。
光の速さで数十年、数百年の距離というのは心で実感できるのでしょうか。
新幹線よりも早いスピードで回転しているこの地球にいる私達で、誰か一人でも
地球の回転スピードを体感した人はいるのでしょうか。
しかし現実的には今日一日、明るく快適に過ごしたい、そう願っているのが私達でしょう。
「幸福の追求」も人生であり、「真実の追究」も人生であります。
時間が限られた人生の中で何を選択するか、何かを犠牲にしなければならなくなった時、
どれだけの勇気ある決断ができるか。
真に少しでも神の実体を分かろうとするのであれば、自分を捨てる道を歩むしか
ないでしょう。
11 :
729:2006/05/26(金) 22:16:48
2006/04/17(月) 18:43:44 ID:nkoyUn4k
>>43 >善と悪の混在は“神の意志により始めからあった”のですか?
>それとも修行の道から外れた人間が作り出したものですか?
善と悪、陰と陽、優と劣などといったものは人間が作り出したものです。
一なる世界に帰依することも修行の目的であります。
原因のさらに原因の世界に入っていきますと皆同じという世界になるでしょう。
即ち、「腐っても鯛」という言葉があるように所詮人間は人間なのです。
たとえば無間地獄の中で苦しんでいる者がいるとしたら、それは明日の自分かも知れない。
また、仏のような天使がいたらそれは明日の自分かも知れない。
一生、障害とは無縁と思っていた私自身でさえも今は障害者です。
それでも「心の外は陰であり悪である」というのを高橋信次によって学んでいますので、
悲嘆する事なく、希望のある生活を送っているわけです。
12 :
729:2006/05/26(金) 22:17:57
2006/04/17(月) 22:59:46 ID:nkoyUn4k
>>善と悪、陰と陽、優と劣などといったものは人間が作り出したものです。
>であるならば、
>>私達が目にするもの、手で触るもの、これらは全て神の意志によって表されたもの
>ではない、ということでよろしいですか?
私は爬虫類が苦手なのですが、生物学者からすると好き嫌いよりも生態学への
探究心の方がつよいのではないでしょうか。
善と悪、陰と陽、優と劣などというのは手で触るものではなく、心で思う、感じるものでしょう。
学校という地球があり、教科書という大自然があります。
しかし私達はどれだけの学習をしているのでしょうか。
13 :
729:2006/05/26(金) 22:19:20
2006/04/18(火) 22:31:55 ID:ruiT81hP
リーノさん、信頼関係というものを考えてもらえますか。
残念ながら、今のあなたに何かを説明するという気力はなくなりました。
14 :
729:2006/05/26(金) 22:20:04
2006/04/19(水) 19:51:03 ID:DxOyY3d6
リーノさん、ありがとうございました。
15 :
729:2006/05/26(金) 22:21:03
2006/04/20(木) 23:35:46 ID:nY/nrZGD
今昔さん、心配ありがとう。
16 :
729:2006/05/26(金) 22:21:56
2006/04/22(土) 18:03:38 ID:Vc3zY+rl
ーイエスの悟り@ー
荒野に立つ一人の青年。
28歳のイエス、それまで理論では誰にも負けなかった。
しかし、いつの日からかイエスの心には虚しさが支配するようになっていた。
イエスは理の人である。
道理については自信があった。
話す相手がいないと虚しさがイエスを苦しめていた。
「この気持ちはなんだろう」
徐々に虚しい気持ちの実体がイエスに見えてきた。
17 :
729:2006/05/26(金) 22:22:40
2006/04/22(土) 18:27:46 ID:Vc3zY+rl
ーイエスの悟りAー
それまでイエスは幾度も神の名を使って議論し、勝利してきた。
もはや、これ以上の偽善者である自分を許す事ができない。
神といえば人々の間では真実の象徴として使われていた。
だからこそイエスは人より自信をもって神の名を使っていた。
そして、イエスは自らもう一つの神の実体を求めるようになっていた。
18 :
729:2006/05/26(金) 22:23:24
2006/04/24(月) 16:21:07 ID:nEr4dwIx
ーイエスの悟りBー
岩や小石、その中にたたずむイエス。
誰にも邪魔されず、自分の中で何か神の実体に触っている。
その神の実体を知りたい。
今日も日が暮れていく。
夜になるといつも焚き火をしている所へ、いつの間にか戻ってきたイエス。
何の収穫もない、うつろな表情でいつもイス代わりにしている石に腰掛ける。
その時、イエスの後ろの方から風が吹いた。
風は長く伸びたイエスの髪を左の頬へとたなびかせた。
それまで宙を泳いでいたイエスの瞳がピタッと止まった。
19 :
729:2006/05/27(土) 00:43:10
2006/04/26(水) 02:45:15 ID:6CS+fAQp
ーイエスの悟りCー
人気のない荒野。
孤独の中で、荒涼とした荒野でひたすら神を求めるイエス。
神の実体が分からないまま、真実を人々に伝える事は出来ない。
人に内在している真実は神の思いである。
既にイエスはこうした所にも気づいていた。
しかし、神の実体となるとイエスは暗中模索であった。
イエスは心の中でひたすら神を求め、実体の全容を掴みたいと願っていた。
この時、イエスに吹いた風はイエスの心を一変させた。
あっ!
20 :
729:2006/05/27(土) 00:44:11
2006/04/27(木) 02:07:39 ID:PqSAIlci
ーイエスの悟りDー
神を求めていたイエス。
しかしそれは突然、風にのってやって来た。
イエスの背後から髪を揺らし、そして、肩から左の頬へと神はそっと
自らの存在を示した。
まるでイエスの思いに呼応するかのような神の息吹。
周囲には誰一人おらず、自らの考えの中で神という概念に囚われていたイエス。
まるで父親か母親にでも、そっと手を添えられたかのようだった。
それまでのイエスだったら風に当たっても何にも感じなかっただろう。
神は以外にも予期せぬ方法でイエスの心に応えてきた。
21 :
729:2006/05/27(土) 00:45:09
2006/04/27(木) 23:55:56 ID:PqSAIlci
>ガラリヤ湖の水面を歩いて渡った、イエス。
>それを、信じられず湖の上を歩けなかった巌のペテロ、
>私には深く青いガラリア湖の画像が蘇えります。
水面の上を歩いたのは霊体のイエスだった。
高橋信次はそう言っております。
22 :
729:2006/05/27(土) 00:46:02
2006/04/28(金) 06:36:39 ID:G0YxZttM
ーイエスの悟りEー
天はあらゆる方法を用いて、使命をもった者を目覚めさせようとする。
その第一歩が一人にさせる事だ。
他人の考えに染まらず、己の心と向き合い、心の中に永遠の真実を発見していく。
それが天上の願いであろう。
イエスは幼少の頃から両親がそばにいても、愛情に満たされないところがあった。
成長するにつれ、自分の足りないものは神への愛情だと理解していくイエス。
イエスの気持ちが神意を受け入れる準備が整った時、心を揺り動かす風が
起こったのである。
風に触発されたイエスは目の前にある物を見た。
砂や小石、焚き火に使っている木の枝、水を入れている皮袋。
どれもが神意によって存在している事をイエスは知るのだった。
もはやイエスの神に対する思いは、言葉の世界から現実の世界へと降り立った。
あとは地上に神理の種を蒔くのみとなった。
23 :
729:2006/05/27(土) 00:46:47
2006/04/30(日) 05:00:50 ID:d5KcXdoo
ーイエスの悟りFー
神への思いがイエスの心と現実が一致した今、恐れるものは何もなかった。
地上に生まれ、神の愛情に触れたいと願っていたイエスの気持ちは満たされた。
人気のない荒野、それでも地上や大気は神の愛情で満たされていた。
何ものにも変えがたい喜びを全身で受けたイエスは、今にも地平線の向こうに沈もうと
している夕日を見た。
いつもと違って眩しい夕日。
今見ている夕日はいつもの夕日ではなかった。
神の愛情そのものであった。
思わずイエスは夕日に向かって右手を差し出した。
太陽を直に触る事はできないが、太陽が発している光や熱の中にいるだけでも
神の愛情に包まれているような幸福な気持ちで一杯だった。
24 :
729:2006/05/27(土) 00:47:35
2006/04/30(日) 13:49:00 ID:d5KcXdoo
ーイエスの悟りGー
釈迦は入滅の時、弟子達に向かって
「法を拠り所として生きていきなさい」と、言いまた
「法の中に私はいる、だから法と共に生きる者は私と共に居る事を知ってほしい」
などと言ったそうです。
夕日の光の中で神と出会ったイエスは、この時の釈迦の話をそのまま
体験した事になるのでしょう。
25 :
729:2006/05/27(土) 00:48:35
2006/05/03(水) 11:28:46 ID:78mZcmm8
モーセの十戒の中に
「あなたは殺してはならない」とあります。
天はモーセを通して人々に自由と平等への道を示したのです。
毎日、何処かで誰かが殺されています。
どの様な理由があろうとも、行為そのものはあってはならない事ですが
思う事もあってはならない事です。
しかし、現代にあっても心に思う世界について、はっきりと善悪の区別を
しておりません。
深夜の民放テレビ番組を見ていても、不神仰の極致というべき馬鹿げた
状況を写しております。
モーセの十戒では神仰者として生きるようにとも言っております。
自由と平等は快楽的なものではなく神仰に必要不可欠な環境であると
十戒は言っているのです。
26 :
729:2006/05/27(土) 00:49:39
2006/05/08(月) 01:47:24 ID:TYBgieUw
最近、あるヨットスクールの運営者が出所した事で、体罰についての議論がテレビ番組で
よく見かけるようになった。
そこで、私も体罰についてしばらく考えてみた。
先生が生徒をを殴る、先生の方はさほど恐怖感や不安といったものは無いはずだ。
しかし、殴られる生徒の方は恐怖感や不安で一杯のはずだと思う。
その恐怖感や不安が時間の経過と共に自衛の為の新たな暴力を生んでいく。
結論として体罰は良いのか悪いのかという問題になってしまう。
これは体罰を行う者の状態だと思う。
普段、上司の顔色を伺っていたり、女性に甘い顔をしたりしている先生に殴られて、それで、
はたして気分が良いだろうか。
体罰を行う者が、普段から体罰以上の真実をどれだけもっているかという問題があるでしょう。
人が人を教育する事は、殴る部分だけで一挙に解決できる事ではないと思う。
お互いに立場が違っても、共通しているのは皆、修行中だという事実であります。
修行という現実に、その者がどれだけ真剣かという所に真実を見ているのだろう。
27 :
729:2006/05/28(日) 00:33:14
2006/05/09(火) 06:43:11 ID:safCy/HC
Usedさん、ご感想ありがとうございます。
大宇宙、地球、水、緑。
どれもが希望であります。
君よ語れ愛を。
君よ知れ愛を。
28 :
729:2006/05/28(日) 00:34:08
2006/05/10(水) 19:32:38 ID:qw1crcj3
私達は前進する事を止めるわけにはいかない。
地上に出る事は生老病死を通過する覚悟がいる事。
身の丈以上に生い茂った雑草を掻き分けて私達は進む。
先人達が歩んだ道を忘れない。
29 :
729:2006/05/28(日) 00:35:07
2006/05/12(金) 03:22:32 ID:svmudTRi
水は生命に潤いを与える。
緑は新鮮を与える。
今を生きている事に感謝したい。
希望は生命の中で輝ける宝石。
30 :
729:2006/05/28(日) 00:36:03
2006/05/13(土) 03:40:13 ID:ddt/jLkE
人類の未来に光が見える。
イエスや釈迦、モーセなどが地上で法の種を蒔いたからだ。
悪に染まらず、苦難にめげず、辛抱強い者達。
ひたすらな思いで法の再来を待ち望む者達に栄光あれ。
31 :
729:2006/05/28(日) 00:37:00
2006/05/14(日) 01:41:17 ID:gGjuA/UO
(マタイによる福音書 第五章-5)
柔和な人たちは、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
法を受け継ぐ者達に栄光あれ。
32 :
729:2006/05/28(日) 00:38:19
2006/05/14(日) 22:15:40 ID:gGjuA/UO
私は霊能者でなければ預言者でもない。
いつからか、そう思う事にしている。
一般の人々と共に汗を流し、苦しみをも
共有して生きていこうと決心して今日まで
やってきた。
そして、最近思う事がある。
私は天にとってまだ有効らしい。
33 :
729:2006/05/28(日) 00:39:49
2006/05/16(火) 05:13:31 ID:RrCT7c3w
‘92年12月26日 東小金井のアパート
この日は会社の同僚が住んでいるアパートで、5人ほど集まって忘年会をやった。
そのうち、1人が競馬新聞を広げて翌日の有馬記念の予想を始めた。
私は競馬には全く興味がなかった。
しかし、みんながあまりにも熱心に予想しているのを見て、つい、私も競馬新聞を
覗いてみた。
すると、どういうわけか全16頭の中の1頭の名前だけが大きく見えて、他の馬の
名前は目に入らなかった。
そこで皆に言った。
「明日勝つのはこの馬だよ」「メジロパーマー、この馬だよ」
皆、呆気にとられている。
何故なら予想紙では16頭中の16番目の人気だったからだ。
34 :
729:2006/05/28(日) 00:40:40
2006/05/16(火) 05:41:37 ID:RrCT7c3w
私はメジロパーマーの単勝、複勝、そして枠連2−3を予想した。
仲間の一人が皆の馬券をまとめて買うというので、それぞれ千円で買ってもらった。
翌日、車の中でレースの実況を聞いていた。
すると、あれよあれよというまにメジロパーマーが逃げ切つて勝ってしまった。
単勝 4940円
複勝 1590円
枠連 2−3 3300円
馬連 03−06 31550円
この時、自分の中に何かがあると初めて気が付いた瞬間である。
35 :
729:2006/05/28(日) 00:42:22
2006/05/19(金) 22:04:04 ID:5JYGUKwD
皆さんの豁達なご意見として聞いております。
真摯な意見の交換であれば何かしら得るものもあるでしょう。
さて、イエスとユダの関係ですが、短い期間での様々な奇跡。
それに地上の常識を超えたイエスの言葉。
救世主としてのイエス。
ユダはそうした事を他の誰よりも強く信じていました。
世界はイエスという救世主によって一変する。
特にローマや司祭者達、イエスや天使によって滅ぼされるだろう。
ユダは特に将来の事が気になっていました。
一刻も早く見たい。
その事がユダを行動に駆り立てたのでしょう。
神や天上界が私達人間に望むのは心の調和であって、結果としての理論や
結果としての経済、政治というものでもないでしょう。
私達は常にどうあるべきかという原因の中にあるべきであって、
急いで結果を求めると、意外な落とし穴に落ちてしまう場合があるでしょう。
36 :
729:2006/05/28(日) 00:43:42
2006/05/20(土) 23:19:34 ID:fRIyOz5L
今年の2月からひと月ほど入院し、透析を受けていた時。
どこでもそうだろうが、透析は4,50人が同時に受ける。
その中に一人の老人がいた。
体重は50キロほどだろうか、随分とやせ細っている。
透析が終えたその老人を見た。
余程疲れたのだろう、意識がもうろうとしているようだ。
一人の看護婦さんがやってきて、その老人を抱き上げ車椅子へ運んでいる。
「決して長くはない命、でも頑張ろうね」
この老人を共に病気と闘う戦友のように思えた。
37 :
729:2006/05/28(日) 00:45:19
2006/05/24(水) 18:27:33 ID:nO4TP9tP
(マルコによる福音書 第10章25)
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を
通る方が、もっとやさしい
映画「フォーリング・ダウン」を見た。
精神異常者を演じていたマイケル・ダグラスが良かった。
数少ない面白い映画の一本だと思っている。
普通これは、単なる犯罪者・異常者であるが、見ている者がいつの間にか
この犯罪者に感情移入し同調してしまう。
犯罪者や異常者を憎み蔑視する事はよくある。
しかしそれでは誰も救われない。
宗教で最も難しいのはここであろうかと思う。
相手を理解し許す事がいかに大変な仕事であるか・・。
38 :
729:2006/05/28(日) 00:46:20
2006/05/28(日) 00:28:18 ID:Cg/pQXh2
イエス、モーセそして釈迦といった三方が同じ教団に所属していれば、
より強力な組織になるだろうと思う者達もいるだろう。
しかし、これら三方の神理・正法に対する見方、考え方は役割に応じて
それぞれに違っており、むしろ、お互いの仕事に悪い影響を与えてしまう
という事は充分に在り得るのです。
高橋信次の昇天が迫った頃に、エル・ランティとミカエルの自覚があったように
大天使二人の同場所での共存は在り得ないという事である。
一つの地球には一つの核と一つの軸である。
もし、この地球に二つや三つの核や軸があったなら、自転や公転はどう
なるのでしょうか。
39 :
729:2006/05/28(日) 07:43:31
名無し(K) [2005/05/06(金) 23:26]
ここ数日いろいろと考えた。
仕事上、毎日書き込むことは無理だが、余った時間で何とか信次先生が流布された神理を
こういう場でも学んでいけるのではと思い、新たな決意で再出発する事にした。
“名無し限定”という事だが、自分の発言に責任を持ちたいので(K)を付け加える。
私の体は既に崩壊の時期に入っているのかも知れない。
だから後悔のない人生を送りたい。思う存分やる。
40 :
729:2006/05/28(日) 07:45:21
名無し(K) [2005/05/09(月) 14:19]
今月下旬、三越デパートをリストラされた40代の男性が入社してくる。
どんな人なんだろう、今から楽しみだ。
そういえば昨年はダイエーをリストラされた人物が入社した。
昨年の12月の忘年会に以前、射殺された組長の奥さんが参加された。
子供を育てるためにいろいろと苦労されていたみたいだ。
社長は胸に心臓ペースメーカーを入れた体で毎日を頑張っている。
年は私と2つほどしか違わないので、よき相談相手になって共に仕事に
励んでいる。
一つの空の下、みんなそれぞれの人生に生活に何を学び何を考えているのだろう。
41 :
729:2006/05/28(日) 07:47:08
名無し(K) [2005/05/12(木) 18:03]
怒りや恨みはみんな体験からその意味を知っている。
そうした意味で体験によって得られる知識は偉大なものである。
ある時、中道の意味を体験によって知った。
ある人の悪い噂を耳にし、「へ〜、そうなんだ」と思っていた時、
その本人と会って話を聞いていると「あれ、」と思い、
その人の悪い噂と目の前にいる本人とが一致しない事に気付いた。
自分の心に相手を悪く思わない気持ちがあれば、善意な第三者的な立場で
善悪を正しく判断できると分かった。
悪く思う気持ちも、必要以上に正当化する気持ちも中道ではないということだ。
42 :
729:2006/05/28(日) 07:48:19
名無し(K) [2005/05/13(金) 21:41]
そうですよ人生色々ですよ。
だからこそ人生っておもしろいんです。
人生を楽しく思わない人って気の毒ですよ。
自殺を考える第一の原因は人生に楽しさを
見失った人なんでしょう。
43 :
729:2006/05/28(日) 07:50:53
名無し(K) [2005/05/15(日) 18:52]
人類の歴史は権力闘争の歴史といえる。
武力による権力、思想による権力、宗教による権力。
その一方で医学会は画期的な進歩を遂げようとしている。
21世紀の治療法として再生医療が大いに注目されている。
糖尿病の三大合併症の一つ、足の壊疽への血管再生により足の切断が
ほぼ、なくなっている。
腎機能不全もいずれ機能再生医療により、克服されるだろう。
体への難病克服のための治療法が大きく前進している。
あとは人間の中身がどこまで前進するかである。
これまではイエス、釈迦、モーゼ、高橋信次という点での存在でしか
なかった。
思想、哲学、宗教を超えたものが“神理”である、と信次先生は
言われる。
だからGLAは宗教ではないとも言っておられた。
信次先生との出会いは、それまでの私自身の存在への疑問が納得できる
ほどに理解できた。
中学生のころから私は一体何者だろうという疑問があり、上京したあとは
頭を抱え込んで悩むほどにまでになった。
もはや、人類に逃げ場はない。
44 :
729:2006/05/28(日) 07:52:21
名無し(K) [2005/05/16(月) 21:00]
今月5日ごろ、また知り合いの方が突然亡くなった。
80才前後の女性。
急に亡くなった方たちの共通点は、すごく人が良かったと言う事だった。
それだけに残念な思いがする。
もし自分が今日か明日、この地上を去るとしたら心に無念さが残らないか
と言う事をよく考えてしまう。
だからこそ、時々、「あ、わかった」と思っても結局、死を迎える自信が
なければ、そこで満足できない。
死に直面した気持ちにウソはつけないだろう。
他人にはいくらでもウソはつける。
45 :
729:2006/05/28(日) 07:54:48
名無し(K) [2005/05/18(水) 21:55]
ー人間・釈迦C 高橋信次 著ー
P109
「そなたは粗末な衣類を見て、人を評価してはならぬ。あの者たちは、
自ら足ることを知り、怒りも愚痴も汚れもない者たちだ。外観だけで
人を評価しようとすると、心の中の美しさを見失ってしまう。
心の美しき者こそ真の人間だ」
佳子さんへ
私はあなたが書かれた本は一冊も買つていません。
ただし、“真・創世記”三部作は別ですけど。
佳子さん、あなたの本はほとんどが立ち読みで分かるのです。
何が分かるのか、それはあなたの本の中の言葉がとてもむつかしいのです。
きっとあなたは自分を人に、それなりに見せようとしているんですね。
佳子さん、あなたは心に鎧をつけていませんか。
何かと軽んじられるのを恐れてはいませんか。
あなたの本が新しく出版されると、すぐチェックするのはあなたの言葉が
どれだけやさしくなっているかという事です。
でも残念ですが、これまでずっとガッカリの連続です。
佳子さん、心の姿はどんなに隠しても隠す事はできないんですよ。
どうか真の勇気を持って精進していって下さい。
46 :
729:2006/05/28(日) 07:58:01
名無し(K) [2005/05/21(土) 20:30]
地上は依然として混乱の連続である。
何かあれば怒り、恨みといった悪感情を相手にぶつけてしまう。
平和や調和への願いが希薄である。
自己確立への道を我々は見失ってはならない。
守護・指導霊(天上)の判断や考えは間違いなく我々を超えた考えを
持っている。
常に天上の彼らは何を考えているか、そうした事をも考える努力を
するべきだ。
47 :
729:2006/05/28(日) 16:31:42
名前:名無し(K) [2005/05/24(火) 20:16]
いつだったか、あるGLA支部を尋ねた時の事。
ドアを開け中へ入ると、すぐ右側にカウンターがあり、左側は丸いテーブルと2つの椅子があった。
その2つの椅子には主婦らしき女性2人が腰掛け、世間話に夢中の様子だった。
私がカウンターの前に立つと、奥にいた一人の男性が応対に出てくれた。
しかし、その男性は修行中ゆえに心揺れている様子だった。
私はこの方を強く抱きしめたいほど愛しかった。
「君の気持ち、すごくわかるよ、でも、でも、頑張るんだよ」
「反省って辛いよね、自分を強くしたいよね、やるしかないよ私達」
「苦しんでいるのは君だけではないよ」
48 :
729:2006/05/28(日) 16:32:47
前:名無し(K) [2005/06/09(木) 10:17]
人間には他の動物と違ってより大きな感情がある。
人間社会がそれなりに発展するのも、知性や理性に支えられた感情があるからだろう。
希望や感動も人間が持つ大切な感情だ。
しかし私達が最も気をつけなければならないのは、相手を攻撃する感情だろう。
世界各地で起こっている紛争も、結局感情がそうさせている。
思想や理論そのものには相手を傷つける力はないだろう。
相手を特定し攻撃的になるから問題が生じるのだと思う。
信次先生の神理でもそうだ。
攻撃的な人が自分の感情を神理に織り交ぜて話すと、それはもはや神理では
なく、相手を攻撃する道具の一つだろう。
49 :
729:2006/05/28(日) 16:33:58
名前:名無し(K) [2005/06/09(木) 10:56]
世の中には指導者と呼ばれる人は幾らでもいる。
時代によって、優先して教えるべき課題があるだろう。
現代では何が私達にとって大切な問題だろうか。
通信やコンピューターの発達によって、多くの人が距離に関係なく同時に
パソコンで書き込みという手法によって話し合える。
また、自分の考えを世に問うという事であれば、数百万円かけて自費出版
するしかなかった。
それも自らホームページ開設によって、あらゆる考えを主張できる時代に
なった。
今まで到底会える機会がない人とも、こうしたインターネットの世界では
簡単に接触する事ができる。
一人の人間が持てる情報量は昔と今とでは全く違う。
人間関係もそれだけ、より複雑になっていると言う事だろう。
こうした世の中でこれからの指導者は、具体的な人間関係をしっかり把握し、
一人の正しい人間のあり方を説くべきだろう。
50 :
729:2006/05/28(日) 16:35:00
名前:名無し(K) [2005/06/09(木) 20:12]
2chのほうはすごいな。
女性同士の戦いって、なんてすごいんだろう。
あっけにとられて言葉がない。
せめて冷静になって欲しいな。
こんなところで何を言ってもほとんど届かないけど。
さーてと寝るか、明日は仕事だ。
51 :
729:2006/05/28(日) 16:36:18
名前:名無し(K) [2005/06/12(日) 19:57]
ふー、今日は随分と名無しで書き込みをした。
でも名無しで書いても、つい熱が入ってしまうから、やっぱり私と
分かるかな。ま、いいや。
それにしても信次先生の教えが随分と違った方向に流れているな。
52 :
729:2006/05/28(日) 16:37:46
名前:名無し(K) [2005/06/14(火) 15:01]
信次先生のお弟子さんというと、私には次の三名の方のお名前が思い浮かぶ。
堀田先生、渡辺先生、大久保先生。
この三名の方の講演はそれぞれに聴かせて頂いた。
大久保先生の場合、GLA本部で聴いたのだが、堂々と「エル・ランティ」や
「ミカエル」という言葉を使われていたのには感銘を受けた。
また、信次先生を知ったきっかけは、九州で町を歩いていた時、他の通行人が
持っていた本を落とし、その本を通りかかった大久保先生が見て「あ、これだ」
と思われたそうだ。
その本が信次先生の書かれた本であったと、大久保先生は講演で言われていた。
大久保先生にはいつもすがすがしい印象を持っていた。
53 :
729:2006/05/28(日) 16:39:08
名前:名無し(K) [2005/06/15(水) 20:39]
都内のタクシー会社で、平均保有台数は100台から200台といったところだろう。
東京近郊では20台から50台が平均といったところかな。
昼間は他の社員もいて、さほど疲れない。
深夜となると、酔っ払った客も次第に乗車してくる。
夜、運転手も一日の売り上げの追い込みで徐々に気が張ってくる。
そうしたところで、運転手と客のトラブルが発生する。
夕方、他の社員は帰宅し、運行管理者だけが残る。
運行管理で最も大変なのは、お客からの苦情電話である。
昼間と違って、夜の客は酒が入っているので、苦情というよりは喧嘩を売るような
口調で言ってくる。
こちらは会社側として話さなければならないので、ひたすら相手の気持ちが
収まるまで謙虚に相手をするしかない。
我を出し合った人間関係には希望はおろか、楽しささえもないだろう。
自己優先、自己保身、反省の材料なんて幾らでもある。
54 :
729:2006/05/28(日) 16:40:28
名前:名無し(K) [2005/06/17(金) 23:12]
高橋信次についての議論をみてますが、ここで大切な注文をしておきたい。
仏教や他の宗教への知識があって、“高橋信次の神理なんて”という自信が
お在りの方、はっきり言って無謀です。
現、社会一般に広く知られている宗教、哲学、心理学、精神論といったものが
正しく、何の修正も必要がないのであれば、高橋信次はこの地上に出現する
必要はなかったのです。
だからこそ、高橋信次本人も言っておりましたが、神理を考える時はぜひとも
心を“白紙状態”にして考えて欲しいのです。
55 :
729:2006/05/28(日) 20:53:36
名無し(K) [2005/06/20(月) 22:49]
久しぶりに5年前に投稿した文章を読んだ。
あの時は霊的磁場を強く感じていた。何故なら、和正先生が相手だったからだ。
先生の“言霊使い”は活字の世界のお話ではなかったようだ。
あの後、2000年の9月頃より異常な冷気と異臭に襲われ、10月から翌年の2月まで
会社を休むほどに動けなかった。
一般の方は「馬鹿馬鹿しい」と思われるかも知れない。
しかし、和正先生も以前、命をかけて真幻魔大戦を執筆していた時期があったそうで、
GLA&高橋信次が持つ底知れない世界を私達は経験したのだろう。
もう一度心を“白紙状態”にする事の重要性を再確認したい。
56 :
729:2006/05/28(日) 20:54:45
名無し(K) [2005/06/24(金) 13:35]
>あの後、2000年の9月頃より異常な冷気と異臭に襲われ、10月から翌年の2月まで
>会社を休むほどに動けなかった。
会社を休んでいる間はパソコンを一度も起動する事はなかった。
手首が、くの字に曲がってほとんど力が入らず、ペットボトルのふたを開けるときも
ペンチを使用していた状態だった。
また、いつも口からは異物が吹き出ている状態で、大きいサイズのティッシュを
使っていても1日か2日で使い切っていた。
周囲は入院を勧めていたが、横になると一気に異物を吐き出してしまうので、とても、
入院できる状態ではなかった。
夜になって、寝る時は椅子に座ったまま、もう一つ椅子を前に用意して、そこへ足を
乗せて寝ていた。
そうした日が3ヶ月ほど続いただろうか。
体に異変をきたしていた頃は、階段も手すりに掴まっていないと上り下りも出来なかった。
それで、ようやく会社に復帰してパソコンを起動するとあの当時、プロパイダのメール
容量は数Mbぐらいしかなくて、とっくに容量一杯になっていた。
メールを見てみると、注文してないwolfguy.comからのメール配信がほとんどだった。
管理人さんにも心配をかけていた。
57 :
729:2006/05/28(日) 20:57:30
名無し(K) [2005/06/24(金) 15:13]
wolfguy.comへ書き込みをしていて、何よりも大変なのは誤解を受ける事だった。
他の人はどうか知らないが、私の場合はほとんどが和正先生を意識しての書き込みだった。
だから、先生に理解してもらっても他の方々には理解できないという場合が、結構
あったように思う。
それで、仕事復帰しても、ROMだけで書き込みはもうしないと決心していた。
それから11月になって、その月に発売されていたテレビ番組“テレパル誌”の読者欄で
こういう投稿記事が掲載されていた。
−フロッグ発言、実は確信犯なのでは?−
★先日『チャップリンの殺人狂時代』(NHKBS2)を見た。
その中でのセリフに「ひとりを殺せば殺人罪だが、戦争で何百人も殺せば英雄だ」
とあり胸に響いた。
いくら妻子のためとはいえ殺人を繰り返したこの主人公には同情する余地もなく、
詭弁ではあるのだが。
先日の国会での大橋巨泉の小泉首相への発言で、首相は言い間違えて「ショー・
ザ・フラッグ」を「ショー・ザ・フロッグ」といったが、どうも意図的にいった
としか思えない。
以前巨泉は「首相は頭の中が中世のままの人」と評したが、首相のこのことへの
反撃だったのでは。
その内心にはカエル顔の巨泉に対して「カナダと日本を往復し、日本に腰を落ち着
けていない両生類」との痛烈な批判がこめられていたのでは。
結局のところ、ふたりともに親米家であるのだから、この一件で互いにもっと知り
合うきっかけとしてもらいたいものだ。
こんな時勢だからこそ、ユーモアを忘れずに。
(神奈川県・千の神仏も雲隠れ/33歳・フリーター)
58 :
729:2006/05/28(日) 21:00:17
(つづく)
名無し(K) [2005/06/24(金) 15:13]
これを見た私は先生からのメッセージだとすぐに分かった。
私が“テレパル誌”を読んでいるのをご存知だったからだ。
10年ぐらい前に行き先を告げずに黙って引っ越した時があったが、その時に
あらゆる方法を使って私を探し出したのも先生だったと思っている。
そうして先生からのメッセージがあって、久しぶりに書き込みを再開した。
そしてさらに問題は起こった。
59 :
729:2006/05/28(日) 21:02:16
名無し(K) [2005/06/29(水) 23:41]
今、上の投稿記事の続きを書くために、ある準備をしております。
それでもう少し時間がかかると思います。
その間、どうしても私がここで明らかにしたい事を書きます。
60 :
729:2006/05/28(日) 21:02:59
名無し(K) [2005/06/29(水) 23:42]
【wolfguy.comへの投稿記事より】
タイトル Re:好きにすればいい
投稿者 問題児のきりん
登録日 2000年6月24日
Kフクダさん
わたしはあなたに一切の敵意はありません。批判もありません。
疑問があります。
それは「発言者の性別を把握できないことへの不満」です。なにか、不都合でも生じましたか。
わたしの想像を絶することですので、もしよろしければお答えしていただけますか。
今後の参考にいたします。
「出たがりや甘えが・・・・」という指摘は、わたしにも理解できないわけではありません。
わたしの過去の発言から生じた一騒動を御存知ですか?実にひどいものでした。
しかし、それもこれも「一部の平井和正読者」によるものです。わたしは全国の
平井和正読者がどれほどの数になるか知りませんが、当BBSのユーザーなど総数のほんの
一部だと思います。
自分をあたかも何かの代表のように位置付けて発言する者もおりますが、まあ、
そうっとしておきましょう。
あなたがどの発言者に不快を覚えたにせよ、ほんの、ほんの一部の読者に過ぎません。
61 :
729:2006/05/28(日) 21:04:02
名無し(K) [2005/06/29(水) 23:43]
(つづく)
「掲示板は楽しい場所であるべきですし、・・・」
6月8日にレスされた平井和正氏の発言です。
フクダさん。
何か不快がおありなのでしょうが、ここはひとつ、お気持ちを控えていただけませんか。
フクダさんは、平井和正という希有の小説家に愛情を抱いていることと存じます。
わたしもそうです。
平井和正読者への過剰な感情移入はお止めになった方が賢明と存じます。
彼等の中には善人もいるでしょうが、そうでない人もいるでしょう。良い人が愚かな
発言をすることもあれば、逆もあるでしょう。
読者にではなく、平井和正氏の今後の仕事に期待しようではありませんか。
あ。それからもうひとつ。
「嫌われ者はわたし一人で充分ですよ(笑)」
どうぞ、ご自愛ください。
どうして私が“キリン”というHNを使い始めたか、それはこの何ともすばらしい
投稿文が私宛に出されたからである。
今でもこの方には感謝している。
62 :
729:2006/05/28(日) 21:05:04
名無し(K) [2005/07/03(日) 00:09]
GLA会員を表明して書き込みに参加され、色々と苦労があるようだ。
こうした掲示板で会員を名乗る事は、自ら佳子さんに代わって批判を受ける為に
出て来たようなもの。
むろん、ご本人はそうした事を否定されるだろう。
私は会員ではないが、間違いなく一生を信次先生の教えに学んでいくつもりだ。
今の人間関係の中で、様々な感情が交差する世界で思い悩む事も沢山あるだろう。
そうした流れを私の立場から見ていて、結局、現会員であるかそうでないかの
違いが決定的な衝突を生んでいるように思える。
もし、同じ会員同士であれば、お互い相手に思いやりを持って向き合うだろうし、
衝突を回避する為に相手への思いやりを忘れる事はないと思う。
しかし、他人意識は時として感情丸出し、敵意丸出しになってしまう。
そこで私からのお願いです。
GLAでの“学び”が本物だと思われているのであれば、ぜひ、このまま
今まで通り続けるべきです。
GLAを擁護する為に出て来て、都合が悪くなると撤退する、これでは皆から
「今のGLAはあの程度」「GLAの教えは大した事がない」と言われても
当然でしょうね。
私もこうしたところで頑張っているのです。
今の私を支えているのは“継続は力なり”という言葉です。
63 :
729:2006/05/28(日) 21:05:48
名無し(K) [2005/07/06(水) 14:12]
漫画家・永島慎二が亡くなった。67歳だった。
おそらく平井先生と同じ年だと思う。
代表作に「漫画家残酷物語」「フーテン」「柔道一直線」などあるが、
田舎時代には「柔道一直線」を読んでいて、上京した頃は「フーテン」を
読んでいた。
「フーテン」を読んでいた頃は新宿や池袋を、よくぶらぶらしていた。
まだGLAを知らない時だったと思う。
あれだけの個性を持った漫画家はもう現れないだろう。
田舎時代から「COM」の愛読者だった私は虫プロの倒産、「フーテン」の
もつ哀愁が重なって、何かいつも、ちょっぴり悲しい気持ちがあった。
64 :
729:2006/05/29(月) 01:31:54
名無し(K) [2005/07/06(水) 23:55]
>>45に続きます。
wolfguy.comへ書き込みをし始めた頃、私へ最初に理解を示してくれた方がおられた。
私が異常な病に苦しんでいる頃、彼も又、癌と戦っていた。
だから先生が私に書き込みの再登場を望み、色々と手を尽くしておられた事が後で分かった。
彼が癌を発病し、入院しているのを知って驚いた。
先生は彼が入院している病院へお見舞いに行かれたりしていた。
私は急遽、実名で描いたばかりの絵を彼にと投稿した。
それは彼に「私は何とか生還した。だから、君も生還して欲しい」という願いを込めての
投稿だった。
その絵のタイトルは『丈よ出てこい』だった。
しかし、彼は30代の若さで亡くなった。
投稿した絵を描いたのには理由があった。
2001年の12月、突如として、私の気持ちは“子の権現”の仁王様のイメージで
一杯になってしまったのである。
写真でしか見た事がないのに、リアルなイメージが私を支配した。
それで、無我夢中になって描いた絵がこれ。
http://www.kf729.jp/siryou.htm 準備中というのは、どうしても一度、“子の権現”へ行って、その仁王様を見てみたいと、
行く準備をしていたのでした。
そして、今月の3日の日曜日、行ってきました。
この日は曇っていて、午後なのに霧が出てました。
65 :
729:2006/05/29(月) 01:33:15
宗教を考える名無しさん [2005/07/07(木) 16:29]
宗教組織であろうと政治団体であろうと企業組織であろうと、ある組織に入る
ことは、その組織の考え方、文化、行動様式に、自分自身を合わせてゆくこと
なのだろう。だからそこで大切にされるのは、一人一人の個人ではなく、組織
の考え方、文化、行動様式の方であり、いかにそれに沿えるか、沿っているか
が重要になる。「私」や「あなた」は置き忘れられてゆく。
66 :
729:2006/05/29(月) 01:34:06
宗教を考える名無しさん [2005/07/07(木) 16:30]
昨日はなぜかいらついていた。そして落ち込んでいた。はじめは原因がわか
らなかったが、よくよく見てみると、不安が根底にあった。
その不安は、
- 背中を挫傷で痛めている。
- 歯が痛かった。
- 新しくきた社長が39歳にもかかわらず超優秀で自分が情けなく思えた。
といった、つまらないところからきていた。
刺激に対する反応が持続したものである自己は、なんとまあ実体がないもの
なのか。その出自により根を持たない。
存続のための源泉は、
- 身体の活力(体力)
- 相対の世界での他との比較(能力)
- 自分の持ち物(物質)
- 他人の目(評価)
といったものでしかない。
これらのものが他より(またはかつてより)劣っていれば、たちまち不安に
襲われる。私とは、まるで空中に根をはやした木のようだ。
67 :
729:2006/05/29(月) 01:35:02
名無し(K) [2005/07/11(月) 14:27]
人それぞれに考えがあるだろう。
私が物事の結論を考える時、結局、死を迎えた時にその人の人生の結論が
見えてくるのではないかと思う。
木や草を燃やす時、いつも感じていた。
枯れた木や草はよく燃えるが、そうで無い場合は煙ばかりが出て、なかなか、
燃えない。
人の一生も、よく燃焼した人生であれば安らかな死を迎えられるだろう。
しかし、肉体にまつわる様々な思いを捨てる事のなかった人生の結末は
やはり、ゾッとする。
68 :
729:2006/05/29(月) 01:35:52
名無し(K) [2005/07/11(月) 21:36]
イエスは幼少の頃から弱い者の泣き叫ぶ声に苦しんでいた。
そしてイエスは弱者にとって、救いとは何だろうと考えるようになった。
苦しみに思い悩む事は地上に執着があるのであり、他者を苦しみに追いやる事は
自分を打ち砕く事の大切さを忘れているのだとイエスは気づくのでした。
人々の荒々しい心を見て、イエスは思うのでした。
彼らはまるで主人がいない野犬のようだ。
地上に出生している事は、間違いなく両親の存在があるからであり、そうした事実は
誰も否定できないだろう。
私達の魂や心の存在は神の存在を意味しているのである。
イエスや釈迦といった如来の使命は心や魂の救済の為に出生してくるのである。
経済や哲学、宗教などの学問は菩薩の方々の仕事である。
69 :
729:2006/05/29(月) 01:37:20
名無し(K) [2005/07/14(木) 18:07]
信次先生亡き後、どういう体制が求められていたのでしょうか。
佳子さん単独での体制がベストだったのでしょうか?
それは時の流れが証明しているでしょう。
信次先生から佳子さんにバトンタッチされて、しばらくGLA誌を毎月購読して
いたのですが、月刊誌に掲載されている会員の方々の表情が、どうも私には
馴染めず、毎月から年に数冊程度の購読に変化していったのも事実です。
佳子さんのGLAとは別に信次先生のお弟子さん達の勉強会もあって、私の
気持ちも安堵した次第です。
師の時代があれば、当然、弟子の時代もなければ不調和という事になるでしょう。
特に人の心を説いていた方の後、いきなり娘だけを後継者に指名して、弟子達を
全て、切り捨てるという理不尽な事は絶対ないのです。
95年に亡くなった信次先生のお弟子さんの一人、渡辺先生の教えも今尚、後に
続く方達によって、受け継がれています。
http://www.stkm.net/hikari2/
70 :
729:2006/05/29(月) 01:38:38
名無し(K) [2005/07/14(木) 22:59]
上京する少し前、佐世保の町をぶらぶらしていた時、ふと、こんな事を考え始めたのです。
「東京へ行って困った問題が起きた時、一人で解決できるのだろうか」
すると、自分の中から「そういう時は皆で話し合えばいいではないか」といった声が
聞こえてきたのです。
「えっ」と思い、自分の心の中を覗いてみた。
「あっ、誰かいる」
自分と全く同じ人達が2,3人、自分の中にいるのを感じ取ったのです。
それ以来、上京して、いざとなる時は内なる力(自分)が決着をつけてたように思います。
77年当時、GLAの会員にならなかったのも、何か、内なる力に引っ張られる気がして
常に一歩引いたところでGLAを見ていたように思う。
71 :
729:2006/05/29(月) 01:41:37
名無し(K) [2005/07/17(日) 22:54]
今年の一月、いつものように夕方、ウォーキングをしていて、その日は体調も良く、
いつもより倍ほど歩いた。
しかし、途中から冷や汗を全身にかき、なんだか気持ちが悪いなと思い、その日は
そのまま帰ってすぐ、シャワーを浴び、床についた。
そして、朝、目が覚めベッドから起きてみると、天井と床が同時に見えるという、
自分でも何が起きたのかしばらく事情が掴めなかった。
歩こうとしても、部屋の中を転がるばかりでどうにも立っていられず、それでも、
何とか、テレビの前に座って時間を見ていた。
すると、すぐに気を失い、しばらくして電話がなり、その音で目が覚めた。
会社からの電話だった。「既に出社している時間なのに、どうしたんだ」という
事だった。
「寝坊をしたんです」と言い訳をし、タクシーで会社へ駆けつけた。
いつものように机に座って、ボールペンを持って文字を書こうとするが、まるで駄目、
文字が見えないし、何とか描いてもバラバラな文字になってしまう。
社長がそんな私を見ていて、「これはいかん」とすぐ病院へ連れて行き、すぐに
入院となった。
72 :
729:2006/05/29(月) 15:32:43
(つづく)
名無し(K) [2005/07/17(日) 22:54]
入院して、すぐにCTスキャンをとった。
医師は脳腫瘍らしきものが写っていると言い、脳の手術の必要があるかも知れない
と言って、大学病院への転院の手続きをした。
大学病院ですぐ、MRIの検査をし、結果は脳の中で出血を起こしているという事だった。
親指ほどの影が写っていた。
血管が破損したのではなく、毛細血管からにじみ出たらしい。
医師は「これは放置して、血が周囲の細胞に吸収されて無くなるのを待つ」と言った。
それで、先週、最後のMRIの検査をして、出血の血がほとんど無くなっているのを確認し、
「これで一応、終わりにしましょう」とその医師に告げられた。
せっかく知り合った看護婦さん達ともお別れか・・・。
嬉しいのか悲しいのか、複雑な気分の一日だった。
73 :
729:2006/05/29(月) 15:33:49
名無し(K) [2005/07/17(日) 22:55]
(つづく)
今回の件で学んだ事は、一般的な健康法と糖尿病に対する認識が間違っていた事だった。
入院している間、食事の前に必ず血圧と血糖値を計り、インシュリンの注射をしてた。
看護婦さんは医師から言われるまま、機械的にやっている様子だった。
しかし、途中からやけに血糖値が低いのに気づいた。
そんなに空腹でないのに70〜80ほどしかない。
いつものように、インシュリンの注射を打とうとする看護婦さんに言った。
「血糖値が低いのに、更にインシュリンの注射を打つと私の体はおかしくなりますよ」
看護婦さんはさっそく、医師と相談をし、次から薬の投与に変更した。
また、最近になって、どうしてあれほどの低血糖症になり、脳に出血を起こしたのか
昔、ある本に書いてあった事を思い出した。
つまり、脳は他の臓器より酸素や糖分を必要とするという事だった。
私自身、低血糖症になりやすい体である事を知らなかった。
低血糖症が長く続くと、更に酸素や糖分を脳へ送る為に普段より多くの血が
脳に集中するという事だ。
それで、脳の中で血が飽和状態になって、毛細血管から血がにじみ出たらしい。
体も心も自分をよく知る事の大事さを今回、よく知らされた。
74 :
729:2006/05/29(月) 15:35:06
名無し(K) [2005/07/18(月) 14:55]
私は高校生の時、ラグビー部に所属していた。
2年生の時、恒例の校内マラソン大会があった。
同じクラスに私より一回り体が大きい人物がいて、その彼はバレー部に所属していた。
マラソン大会では彼の後について走れば、間違いなく上位に入れるだろうという
私の計算があったからだ。
いよいよマラソン大会の当日、スタート合図の音と共に皆一斉に走り出した。
予定通り私は彼の後をピッタリついて走った。
以外にも彼はのんびりと走って行く。
「まあ、前半は力を温存して、後半にスパートをかけるのだな」そう思いながら
彼と共に走っていた。
折り返しを過ぎた頃から、何かおかしいなと思い始めた。
どんどん他の者達に追い抜かれても、ペースは速くなるどころか、むしろ、徐々に
遅くなっている様子で、呼吸も苦しそうにアゴが出始めていた。
「あ、なんだ彼はマラソンが苦手だったんだ」こう気づいた時、コースは三分の二程を
通過していた。
それから私は彼を置き去りにして、全速力で前を走っている皆を抜いていった。
ゴールした時はやや中より前の方だった。
この時の経験から他人のペースに合わせる事の愚かしさを学んだ。
75 :
729:2006/05/29(月) 15:38:00
宗教を考える名無しさん [2005/07/18(月) 15:19]
>>58 どうして会員になられなかったのですか?
76 :
729:2006/05/29(月) 15:38:49
名無し(K) [2005/07/18(月) 18:48]
77年のごたごたしている最中、どうして、こんな騒動が起きているのか聞いてみようと、
GLA本部に電話をした事があったのです。
当然の事ながら、電話を取った方は「あなたは会員の方ですか」と聞いてきます。
「いいえ」と私が答えると、少し間があって、
「そうですよね、会員でなくてもいいんですよね」
意外な返事に「ええ」という言葉しか出なくて、それ以上の話が続きませんでした。
おそらく電話に出られたその方は、その後にGLAを退会されたのでしょう。
その当時のGLAでは、信次先生のテープやビデオといったものが自由に買えていました。
最もビデオデッキは当時、まだまだ高価な製品でそんなに世の中に出回っておりませんで
したから、ビデオを買われる方はそんなにおられなかったと思います。
結局、そうした事があって、信次先生の本やテープなどで勉強するので精一杯でした。
また、会員でなくっても何にも不自由さは感じなかったですよ。
77 :
729:2006/05/29(月) 15:40:08
名無し(K) [2005/07/20(水) 23:20]
私が子供の頃、我が家は両親で理髪店を営んでいた。
だから、我が家は村の中心に位置している場所にあった。
すぐ前が消防署、その隣が公民館、それらの前が広場(後に公園)。
その並びに映画館を兼ねた芝居劇場。自宅の隣が食堂
そして、すぐ近所には酒屋さんがあり、そのお店の半分はカウンターがあって、
お酒などを立ち飲みさせていた。
私が小学生の頃の事だったと思うが。
カウンターで立ち飲みしている男性を、当時の私と同年代の女の子が、その男性の
手を握って「父ちゃん、帰ろうよ」と泣きながら、店の外へ連れ出そうとしているのを
心が痛む思いで私は見ていた。
その女の子の家は、お店のすぐ近所で、
家族はその男性である父と祖母、そして女の子の弟。
母親は既に亡くなっていた。
小学生だった私は、幾度となく親の居ない自分を想像してみたが、やはり辛い。
想像だけでも辛くて堪らない。
私の両親は数年前に80歳近くで他界している。
親の愛情の事で、淋しい思い出は殆どない。
これだけは両親に感謝している。
78 :
729:2006/05/29(月) 15:41:22
名無し(K) [2005/07/20(水) 23:20]
(つづく)
考えてみると、私達の環境は神の愛によって満たされているようだ。
大地、大気、自然、どれもがそう思える。
外の世界だけではなく、内なる心はイエスや釈迦の神理によって、慈愛で
満たされる。
大自然から外の世界に出ては誰一人、生きてはいけないだろう。
それと心の世界も同じ、イエスや釈迦を通して入ってくる神の愛から
外へ出ては人の愛は分からなくなってしまうだろう。
79 :
729:2006/05/29(月) 15:42:11
名無し(K) [2005/07/21(木) 08:58]
76年の夏、私は石神井公園に住んでいて、一軒家の三分の一を一階と二階、それぞれに
貸室に改築してある一階の部屋に住んでいた。
窓を開けると、大家さんの庭があり、夏の季節は窓を開けたまま寝ていた。
ある日の夜、熟睡している時、突然、眩しい光に照らされ、その光は私の意識を強い力で
光の中へ引っ張り込もうとした。
その日も窓を開けたまま寝ていたので、てっきり、庭にUFOでも着陸し、そのUFOが
私を光で吸い込もうとしていると思い込んだ。
必死で私は歯を食いしばって、吸い込まれないように頑張った。
翌年の77年、信次先生の存在を知った時、最初にこの一件をすぐ思い出した。
何故なら、信次先生が亡くなった頃とほぼ同じ頃の出来事だったから。
80 :
729:2006/05/29(月) 22:42:28
名無し(K) [2005/07/21(木) 21:54]
もう十数年前のテレビ番組だったと思う。
都内の古い六畳一間の木造アパートに住んでいる男性を放映していた。
その男性はタクシーの運転手をしていて、休みになると、全国の埋蔵金探しに
出かけていた。
こういう生活、人生は私は大好きだ。
上京して以来、私の気持ちはスナイパーのように、密かに人間社会に対して
真実という照準を合わせていたと思う。
「真幻魔大戦」もそうした照準を持って世に出たのだろう。
確か、この作品の前半の頃だったと思うが。
当時のGLAの実在の人たちを作品に登場させ、GLA側からストップを受けた
頃だったと思う。
実は渡辺先生も一回、登場している場面があった。
東丈とある初老の男性が、始めて体面するところである。
その初老の男性が渡辺先生だ。
そして、その場面には渡辺先生の“ノアの箱舟”に記述してある文章を引用
してあったと思った。
確か、鍵と錠前の事だったかな。
81 :
729:2006/05/29(月) 22:43:37
名無し(K) [2005/07/23(土) 22:38]
7月18日NOAH東京ドーム大会
さっそくその日の夜、G+で見た。
特に小橋健太 対 佐々木健介の試合は良かった。
この一試合だけでプロレスファンである事に誇りが持てる。
3年ほど前になるが、自動販売機の前に平井先生が立っていて、その後ろ、約十メートル
離れた所で車を止め、その運転席に私が座っていた。
ひょいと、先生の方を見ると、70歳ぐらいの白髪の男性に先生が絡まれていた。
何やら白髪の男性は異常に興奮し、身振り手振りで先生を怒鳴りつけていた。
「おのれ!」とばかりに、私はすぐに車から出る為、ドアに手をかけ、窓越しに
先生を見た。
「ああ、」先生が固まっている。
白髪の男性の前で、先生が恐怖のあまり、固まっている。
そう思った私はフロントガラスから先生の表情を覗き込んだ。
「何てことだ!」そうじゃなかった。
両手を強く握り締め、仁王立ちのまま、眼光鋭く、相手を睨んでいたのだ。
そこにいるのは作家・平井和正ではなく、男・平井和正だった。
男性は先生の迫力に圧倒され、すごすごと立ち去って行った。
先生を“平井”と呼び捨てにする輩がいる。
先生の本当の力を知らないのだろう。
82 :
729:2006/05/29(月) 22:44:33
名無し(K) [2005/07/29(金) 21:59]
76年から78年、殆どの人類が気づかないまま、激動の歴史があった。
闇と光を体験した私達。
しかし、私達は勝利した。信仰に勝利した。
http://www.kf729.jp/
83 :
729:2006/05/29(月) 22:45:15
名無し(K) [2005/08/01(月) 23:38]
我が会社はある駅からバスで行って、10分の所にある。
いつも乗っているバスの中から見ていて、気になる所が二ヶ所ある。
一つが○絵画教室という、自宅を教室とアトリエにした、まだ、新しい家がある。
そこが最近、自己破産したという。
家主の美術家は70代だそうだ。
建物と土地は銀行に差し押さえられ、競売にかけられるまでという事か、昼間でも
雨戸を閉めたまま、中で老夫婦、静かに生活している。
二つ目は体育館の前で営業していたスポーツ店である。
この店は以前、私が体育館でトレーニングしていた頃、その帰りによく寄っては
買い物をしていたお店である。
それが昨年、店主の方が癌で亡くなった。40歳前後だった。
今はそのお店は廃墟のように荒れ果てている。
バスで会社へ行く途中、この二ヶ所の前を通る時、「人の人生って何だろう、」
いつも、そう考え込んでしまう。
84 :
729:2006/05/29(月) 22:46:13
名無し(K) [2005/08/04(木) 17:07]
中道を掴め
君よ嘆くな。君よ恐れるな。君よ怒るな。
私は地上の藻屑となる。
飽く事のない世にあっても君よ進め。
先人たちが歩んだ道を見失うな。
天空に輝く希望の星が指し示す我らの道。
さあ共に学ぼう神の懐に抱かれて。
2002/07/18
《私のホームページより》
85 :
729:2006/05/29(月) 22:46:55
名無し(K) [2005/08/04(木) 22:36]
信仰って、どういう意味だろう。
勿論、辞書を引けばそれなりの回答が出てくる。
ずっと、自分なりの納得できる意味が欲しかった。
そしてある時、「信仰・・・」いつものように考えていた時。
「信仰・・・」「神仰・・・」あれ、・・・あっ!
これだ。
ようやく掴んだ、信仰の意味。
天に感謝した。
86 :
729:2006/05/29(月) 22:47:47
名無し(K) [2005/08/08(月) 01:40]
私の信念として、“最低最悪の経験”がある。
我が社の組合の前副委員長が二週間ほど前に脳梗塞で倒れ、未だに意識が戻っていない。
しかし、これが二度目の脳梗塞だから、皆心配している。
前回は症状が出て、すぐ救急車を家族の人が呼び、大事に至らなかった。
今回は医師が酒やタバコを禁止していたにも拘らず、家族が居ない時に一人で酒を飲み、
脳梗塞で意識不明になったらしい。
意識不明になって、かなりの時間が経って家族の人に発見され、すぐに病院へ運ばれた
らしいが、既に脳は相当なダメージがあり、奇跡的に意識が回復しても正常な意識と
体の機能は期待できないという。
私は未だに複視という症状が残っており、これへのリハビリ中である。
多少の不便さはあっても苦痛とは思っていない。
川の流れのように私の気持ちは、下へ下へと向いていく。
上を見て羨ましいという気持ちを持つのが、嫌な性格の私である。
87 :
729:2006/05/29(月) 22:50:03
名無し(K) [2005/08/11(木) 00:07]
今日は我が社の組合の前副委員長に続き、前委員長の話をしたい。
彼は私と同じ糖尿病であるにも拘らず、周囲には黙っていて、昨年の春頃より、症状が
重くなり、朝、出社して来ると顔は人相が変わるほど腫れ上がっていて、「どうしたんだ」
と我々が聞いても、「何でもない」と答えるだけだった。
秋頃になって、めずらしく彼一人で病院へ行った。
すぐに大手の病院へ入院した。理由が分からない私は会社に聞いた。
片目は眼底出血でほとんど見えない状態だという。
それで入院して即、手術して血を抜いたらしい。もう片方の目はレーザー治療で出血している
血管を焼いて出血を防いでいるらしい。
その後、彼は強引に退院して、自宅で又、暴飲暴食して倒れ、次は別の病院へと入院した。
そこの病院を退院して、彼は人工透析をするようになっていた。二日に一度である。
そして、今年、私が退院した頃、彼は又、別の病院へ三度目の入院をした。
「なーに、また、すぐに退院できるさ」彼はそう言うが、なかなか退院しない。
先月、彼が片足を切断したという情報が入ってきた。私達は驚いた。
糖尿病で最悪の状況に彼は陥ったのだ。
それにしても前副委員長に、この前委員長だが、ほとんど努力をしないタイプなのだ。
病気に限らず、仕事でも努力をしない人間に、私はいつも厳しく接してきた。
100%、真実が分かる私達ではない。
だからこそ、努力が絶対必要なのだと思っている。
人間関係に甘え、人間関係に増長するその姿は醜い。
88 :
729:2006/05/31(水) 23:32:08
名無し(K) [2005/08/14(日) 21:40]
以前、レコード盤をデジタル化していた経験があったから、
信次先生の講演テープもデジタル化して永久保存しようと、
最近ようやく作業を始めた。
まずは白浜研修会に取り掛かって、なんとか出来上がった。
これは最も人気のある一本だ。
89 :
729:2006/05/31(水) 23:33:13
名無し(K) [2005/08/14(日) 21:44]
そうそう、先生最後の講演、東北研修会のテープも大事。
次はこれをデジタル化しよう。(ふう、)
90 :
729:2006/05/31(水) 23:34:16
K [2005/08/17(水) 14:00]
来年で信次先生が亡くなられて30年か・・・。
その間、私達は何をどの様に努力してきたのだろうか。
何もかも天上に委ねて、都合の悪い事は神のせいにして
きたのではないだろうか。
せめて、やるだけの事はやって一生を終わりたいな。
http://www.kf729.jp/
91 :
729:2006/05/31(水) 23:36:32
K [2005/08/20(土) 12:39]
私が住んでいた村の隣に佐世保という大きな市があり、小さい頃からたまにその佐世保に
出かけるのが楽しくって、わくわくしていたものです。
小浦駅という小さな駅から汽車(今はディーゼル機関車)に乗って中佐世保駅まで行くわけ
ですが、途中、右側が西海九十九島国立公園があって、左側が急勾配の段々畑があります。
その段々畑の中に白い教会があり、佐世保の町の風景も好きではありましたが、この白い
教会のある風景を見るのも好きでした。
長崎県は隠れキリシタンが多くいたところです。
迫害や弾圧に耐えながら信仰を守ってきた人々です。
処刑や投獄といった事も日常茶飯事だったのでしょう。
現代において、信次先生の神理を学び、また、少しでも多くの人々に神理を伝えていくのが
私達の務めだと思っています。
信次先生の著書から文を引用したり、講演テープを公開したりする事を著作権侵害だと言って
躊躇する事は隠れキリシタンの方々にも劣る事であります。
時々思う事があります。
一連の私の行為についてGLAからいまだに、何ら意見や注意がありません。
もしかして、一栄夫人や佳子さんは信次先生について、その存在価値を私達以上に認識して
いるのではないかと。
92 :
729:2006/05/31(水) 23:41:07
K [2005/08/23(火) 01:43]
さて、組合の前副委員長の容態であるが、先週、病床の彼の奥さんと娘さんが会社へ来て
社長と会い、彼の現在の容態がこの先も変化する見込みがないので、来月で退社させたい
という旨を伝えた、という話を聞いた。
運転手で病床の彼とは特に親しく付き合っていた者に、二人だけの話として聞いた。
彼が入院して、その者はすぐお見舞いに行ったそうだ。
勿論、その時はまだ何の応答もなく、鼻から管が入った状態でただ、横になっているだけ
だったという。
その後、彼の奥さんから電話があり、ある時、彼に声を掛けると、うっすらと目を開け、
ぼろぼろと涙を流したそうだ。
その運転手の説明だと、頑固な彼は自分の状態を知り、動けず話せない自分に情けなく
なって泣いたのではないかと言う。
それで彼の奥さんは、社長や私達には病院へ来て欲しくないから、彼の容態が変わって
いないといった事で彼を守ろうとしているらしい。
奥さんや娘さん、それに彼本人、経済的な事も含め、これから大変だろうなと思う。
信次先生は病床にあっても心を学ぶ修行だと言っておられる。
脳梗塞という病魔は、彼から体の機能と言葉を奪ったかも知れない。
しかし、彼の涙は奪う事が出来なかったようだ。
頑張れ。
93 :
729:2006/05/31(水) 23:42:19
K [2005/08/26(金) 20:01]
三越デパート、ダイエーから転職してきた二人を注目してみている。
信次先生は、年を取るにつれ、人は役に立たなくなってしまう場合が多いと言われる。
タクシー業界に入ってくる人たち、海千山千の人達が多いのも事実。
仕事よりもプライドがぎらぎらと目立っている。
しかし、先の二人は実に仕事に忠実で、相手に対する姿勢も素直である。
なるほど、大手企業ではこういった性格が求められているんだろうなと思う。
20年ほど前になるが、それまで10年ほど勤めていた会社を辞め、タクシー会社に
勤める間のつなぎとして、市谷に本社がある、ある印刷会社でアルバイトを少しの間
やった経験がある。
印刷所は東京郊外にあって、週刊誌、月刊誌といったものを主に印刷していた。
私の仕事は上司と二人で輪転機とにらめっこしながら、十ヶ所ほどの製本所へ印刷されて
出てきたものを次から次へと配車して送り出す仕事を担当していた。
そして、春の人事異動で一緒に働いていた上司が地方への出向が決まった。
私の元へは別の上司がやって来るという。
市谷の本社から課長がやって来て、新しい上司を補佐してくれと頼み込んできた。
本社も特例として君を中途採用するからと言う。
その時は考えますと言っていたが、その後、課長は3度、私が住んでいる元へやって来た。
たまたま、私が留守をしていて会う事が出来なかったが、電話で断った。
前の上司は性格に問題がある、と本社の課長は言っていた。
なるほどとは思ったが、既に私の気持ちは一日中、中の仕事をやるよりも外へ出て
がんがんやりたいと思っていたので、何ら迷いは無かった。
役に立つという自分をつくる事は一生の仕事だと思っている。
94 :
729:2006/05/31(水) 23:44:20
K [2005/08/29(月) 19:54]
小学生の高学年から中学生にかけ、相撲部でいつも怪我ばかりしていた。
何か私には、熱い血が流れているような気がし始めた頃である。
その一方で美術部や工作部の連中が羨ましく、放課後、美術部の前を後ろ髪を引かれる
思いで通り、その後、土俵の上に立っている自分があった。
上京してからも、従兄弟に漫画家がいる関係でつい、自分もすぐ漫画家になれるのではと
勝手に思い込み、その道に入ったのだが、結局は空手が好きで3つの道場に通う自分が
あった。
’77年信次先生を知った時、上京して七年、ついに来るべきものが来た。
その当時、確かに私はそう思った。
相撲の道も空手の道も仕事の道も神理の道も全て同じ。
自分を鍛えて、鍛えて、鍛えぬく道こそ修行だと思っている。
95 :
729:2006/05/31(水) 23:46:54
K [2005/09/01(木) 14:16]
タクシーの乗務員をやっている時、朝、車の点検を終え、仕事へ出ようとしたところで
後ろから声を掛けられた。
「すいません、お金を貸してください」
「はあ、」
後ろを振り向くと、40代の女性が手を差し出して立っている。
その駐車場のすぐ横に精神科専門の病院があった。
ああ、ここに入院している人か、すぐに状況が理解できた。
「おうちに帰りたいんです、お金を貸して下さい」
「私はお金なんか持っていません」
そう言うと、その女性は病院の方へ帰って行った。
また、以前住んでいた所で、昼間の3時頃になると怒鳴り声が聞こえてくる。
誰か喧嘩でもしているのかな、最初、そう思っていた。
ある時、用事で外へ出た時、いつもの怒鳴り声が聞こえてきた。
誰が怒鳴っているんだろう、と思って、声が聞こえる方を見た。
すると、一人の男性が歩いていて、他は誰も見当たらなかった。
その男性を見ていると、口を大きく開け、ぱくぱくさせている。
あ、この人だ。そう思い、しばらく立ったまま、その人を見ていた。
その男性も私に気づき、怒鳴るのを止めて、そのまま何処かにか立ち去った。
この掲示板でもそうだが、他人を茶化したり、すぐに絡んだりと心のゆとりや
思いやりから程遠い世界をつくりだしている。
私には異常な人と、そんなに変わりはないように思える。
96 :
729:2006/06/01(木) 16:31:07
K [2005/09/04(日) 22:59]
10数年前、私は東京に隣接しているある町に住んでいた。
ある日、新聞を読んでいると、住んでいる所から歩いて約8分の所の、ある私鉄線の
駅での事件の事が書いてあった。
それは、駅のタクシー乗り場で順番待ちの事で客同士で争い、一人の男性が死亡する
という事件だった。
被害者の方か加害者の方か、どちらか忘れてしまったが、その事件に絡んでいた
どちらかの男性に付き添っていた一人のホステスがいて、そのホステスの名前を見て
驚いた。
昨日と一昨日、二日連続のテレビドラマがあった。
「積み木くずし」のドラマだった。
そして、その駅での死亡事件の現場に居合わせたホステスが「積み木くずし」の彼女
だった。
「へえー、こんな所で働いていたのか」
事件の事よりも現実の彼女を知って、「みんな、苦労しているんだな」と思った。
私達は人の感情というジャングルの中に住んでいるのかも知れない。
たとえ、薄暗いジャングルであっても、ひたすら、一筋の光明である真実を求めて
前進するしか私達の道はないと思っている。
97 :
729:2006/06/01(木) 16:31:56
sage [2005/09/05(月) 13:45]
人生って大変ですわ
98 :
729:2006/06/01(木) 16:33:25
K [2005/09/07(水) 14:43]
西新宿にある東京都庁、その都庁がまだ工事中の頃、方南通り(栄町通り)を山手通りから
十二社通りを抜け次の角、東京ヒルトンホテルがある所を右折し、更に次の角を左折して
新宿駅地下西口へと向かうわけですが、今の左折した右側に工事中の都庁があり、当時はまだ
基礎工事中でダンプカーの出入り口もそこにあったのです。
朝の7時頃、駅でお客さんを実車し、工事中の都庁がある角で信号待ちをしている時、ふと、
横を見ると、一人のホームレスの男性がダンプカーの出入り口あたりで何やらうろうろして
何かを探しています。
その男性は出入り口付近にあったタケボウキを手にし、出入り口の周りをそのタケボウキで
落ち葉を掃き始めたのです。
「人間て、仕事がないとつまらないという事かな」勝手にそう思い、納得していたのです。
それから朝の7時頃、そこを通る時、ホームレスの男性がいつものようにタケボウキで掃除
をしている光景を見かけるようになりました。
ある時、女性事務員が大きな紙袋を胸に抱えて出入り口の中へ入っていきます。
しばらくして事務員は外に出て来て、回りをキョロキョロしながら掃除している男性を見つけ
声を掛けながら、胸に抱えていた紙袋から一つの茶封筒を出すとその男性の前に差し出した。
タケボウキを持ったまま、差し出された茶封筒をしげしげと見つめる男性。
女性事務員は、何やらその男性に説明している様子。
その後、男性は深深と事務員に頭を下げ、両手でその茶封筒を受け取りました。
女性の胸に抱えている紙袋から少しはみ出ている、他の茶封筒と比較してもまるで薄い
その男性の茶封筒でした。
そうした光景を見ていて、何かが胸一杯になった秋深まる一日でした。
99 :
729:2006/06/01(木) 16:34:48
K [2005/09/10(土) 01:51]
今週の月曜日、組合の経理を担当していた者が急に退社した。
理由は組合の会費と積立金の使い込みである。
彼はパチンコ好きで仕事を休んでまでしてパチンコ店に通っていたらしい。
ここで書いていた通り、前委員長と副委員長がそれぞれ重度の糖尿病と脳梗塞で
退社しており、次の新体制を決める総会を今月の15日に開く為、臨時の委員長を
務めている者が経理を担当している彼に総会で経理報告をしてくれと申し出ていた
らしい。
それにしても、5年も経理報告をしていなかったというから驚きだ。
おそらく監査役担当も何らかの責任を取らざるを得ないだろう。
前委員長に副委員長、如何にいい加減な組合の運営をしていたか、明らかになっている。
もっとも、今の臨時の委員長をやっている彼は以前、自交総連の役員をやっていたという
事から、それなりの筋は通っているのだろう。
私がこういう場で色々な経験した事を、なるべく隠さないで書いているのは皆さんに
少しでも何らかの真実を掴んで欲しいという願いがあっての事です。
100 :
729:2006/06/01(木) 16:36:12
K [2005/09/13(火) 05:56]
元愚かな弟子さん、こんにちわ。
信次先生の反省を第一の修行としている私達は、この道を確立しなければ
なりません。
共に頑張りましょう。
101 :
729:2006/06/01(木) 16:37:18
K [2005/09/13(火) 05:56]
“新しいぶどう酒は新しい皮袋に”
今回の衆院選は小泉政権の大勝利であります。
仏教もキリスト教も哲学も結局は“心の発見”への大前提です。
反省なくして神理なし。
即ち、新しい皮袋(心)を用意し、それから新しいぶどう酒(神理)を
注ぐのです。
102 :
729:2006/06/01(木) 16:40:50
K [2005/09/16(金) 05:28]
私が極真会に入門したのは23歳の頃、あの当時は稽古が厳しく、拳立て伏せなどは200回、300回
なんて普通、両手それぞれ親指、人差し指の2本だけの指立て伏せを7,80回はいつもやってはいたが
やはりハードな稽古についていけない練習生はたくさんいた。
そうしたある日、色帯の自由組み手が終わり、指導員が我々白帯に「誰か組み手をやる奴はいないか」と
声を掛けた。
すると、入門したばかりの者が手を上げた。
茶帯の高校生ぐらい者とその白帯の新人の組み手が始まった。
白帯の者の技は大した事はないが、気迫は完全に茶帯を上回っていた。
組み手が終わり、白帯の優勢勝ちとなった。
負けた茶帯の者は指導員からビンタや蹴りを食らっていた。
その後、脇でその組み手を見ていた一人の黒帯がスタスタと中央に出て来て、「次は私が相手をしましょう」
そう言って、勝った白帯と向き合った。
横を見ると二人の白帯が雑巾とバケツを持って立っている。
組み手が始まった。
しばらくズシン、ガツといった重い音が道場の中に響いていた。
一方的な黒帯の攻撃である。次はバシバシという音が聞こえ始めた。
裏平手での顔面攻撃、あっという間に白帯の顔は血だらけになった。
そのうち、顔から血が床にボタボタと落ちていく。さきほどのバケツを持った二人が出て来て、床に落ちた
血を拭いている。
なるほど、これが道場荒らし対策なのか、しかし、初めて見る壮絶なシーンであった。
時として理想と現実は大きな隔たりを見せる時がある。
修行は綺麗事だけで済まされない時だってある。
修羅場にも強くなり、自分を知り、現実を知る事も修行の一つなのだろう。
103 :
729:2006/06/01(木) 16:43:30
K [2005/09/18(日) 09:42]
あなたの皮袋(心)は何を入れる為にあるのですか。
富ですか?名声ですか?
あなたは自分を貧しい者だと思いますか?
私は自分の事を心の貧しい者だと思っています。
地上の豊かさを拒否する心はきっと貧しいのでしょう。
衣・食・住という経済の為の皮袋ですか?
私は一人の主人しか知りません。
私の皮袋は天の豊かさを入れる為のものです。
しかし、他者が私の皮袋の中で見るのは汗と埃なのでしょう。
104 :
729:2006/06/01(木) 21:51:07
K [2005/09/18(日) 23:59]
暗黒の世界へ転げ落ちるのに大した労力も時間も必要ない。
この地上の重力に身も心も預けるだけで良いからだ。
しかし、人が上を上る決心した時から奇蹟は始まる。
建築、絵画、スポーツ、神の意思が一つ一つ形としてその姿を
現していく。
悪の世界から光ある世界へ上る決心した時、私達は貴方のその努力の
姿に神の子の姿を見るでしょう。
105 :
729:2006/06/01(木) 21:51:58
K [2005/09/20(火) 01:12]
やあ、りの介さんこんにちは。
こういう掲示板にそんな遠慮はいりませんよ。
書ける時に書きたい事を書けばいいんですよ。
もっとも、スレ主は私じゃないんですけどね。
106 :
729:2006/06/01(木) 21:53:23
K [2005/09/22(木) 03:31]
一人の運転手が突然退社した。
来年62歳になって、定年退職を迎えるというのに。
その運転手は、以前、ハイヤーの仕事を長くやっていて、技能的には他の運転手よりも
優れたものを持っていて、私は彼を高く評価し、それなりに面倒をみていた。
ただ、欠点が一つあって、ハイヤーのお客と違ってタクシーのお客は雑な場合が多い。
そこが彼はなかなか我慢が出来なかったようだ。
気に入らないお客に不愉快な態度を隠さない彼の言動に、時々お客からの苦情の電話が
会社にきていた。
そうした苦情電話がきても、私がその日の担当をしている時は会社へは報告せずにいた。
しかし、他の運行管理者が担当している時に苦情電話があると、全て記録され、社へも
報告され、ついに、社長に呼び出され、彼も我慢が出来ずにケツをまくってやめた。
彼には一人の息子がいて、30歳を過ぎてはいるが仕事に就いていないという。
情緒不安定の子らしい。
人間の持つ情(心)は手で掴めるものではないから、親子であれば、親がしっかりと
情の存在を子に示していくべきなのだと思う。
すぐに怒ったり、愚痴ったり、開き直ったりする彼の姿勢は決して子供に良い影響は
与えていないのだろう。
情の存在が隠れてしまえば、当然、子供は不安定になる。
いかに“心の発見”が大事かと言えるだろう。
107 :
729:2006/06/01(木) 21:54:12
K [2005/09/23(金) 03:59]
以前“イエスの箱舟”という信仰集団による騒動があった。
主に家出した女性らが集まり、一団となって全国を放浪するという騒動だつたと
記憶している。
この頃、私はまだ20代であったが、この集団には好感をもって応援していた。
私にもこんな人生があったなら、何も迷う事なく行動を共にするだろう、当時
私はそう思っていた。
人はそれぞれに人生目標があり、高学歴、高収入という所を第一にしているの
かも知れない。
聖書を手に全国を放浪する彼らには、場所に関係なく常に神と共に生きている
彼らがすごく羨ましいと思った。
毎日の報道で事件等を見ると、大抵は心が暗くなってしまう。
しかし、“イエスの箱舟”の時は果てしない夢を見ていた。
108 :
729:2006/06/01(木) 21:55:04
K [2005/09/25(日) 05:00]
(新宿駅地下西口)
「どちらまで。」
「朝日新聞本社まで。」
「はい。」
バタン、ブォー。
朝日新聞本社が近くになり、
「えーと」
この日、初めて朝日新聞社に車をつける私でした。
建物はわかるが車をつけるのはどの玄関なのだろう。
そこで地図を広げ確認します。
「運転手さん、国立がんセンターのほうにつけて下さい」
「あ、はい」
国立がんセンターの前に出て、中央分離の間をユーターンして朝日新聞社に
つけると、タクシー乗り場があった。
翌日か、その翌日か、記憶が定かではないが、いつものように新聞を広げて
記事を見、そして、4コママンガに目を移した。
「あ、やっぱり」
『フジ三太郎、さとうさんぺい』
@三太郎が手を上げてタクシーを呼ぶ。
A止まったタクシーは後部ドアではなく助手席側のドアが開く。
B三太郎が助手席に座ると運転手が地図を三太郎に渡す。
C三太郎が地図を見ながら運転手に行き先を案内して車は走る。
もう、これだから漫画家は。
新宿駅で乗せたときからそうではないかと思っていた。
それにしてもそのまんまではないか。
109 :
729:2006/06/01(木) 21:56:23
K [2005/10/05(水) 02:24]
たとえ夜空であっても月があり星がある。
信仰を持てない者は孤独に勝てない。
太陽の光を夜でも示している、月や星。
神は決して私達に暗闇を与えていない。
信仰者の心には希望がある。
その希望の光を私達は絶やしてはならない。
師の存在を神の存在を末法の世に示そう。
110 :
729:2006/06/01(木) 21:57:46
K [2005/10/07(金) 11:26]
私達が住んでいるこの自然界。
神の意思が凝縮している空間である。
生きている間にどれだけの神意を汲み取れるか。
人間が作った世界の中で汲々としている私達。
神は“真・善・美”を如何なく発揮している。
ひたすら真実を求め善意に心が震え美しさに感動する。
永遠の転生を重ねても今尚神を求めて生きる。
111 :
729:2006/06/01(木) 21:58:44
K [2005/10/07(金) 21:57]
極真会での稽古はとにかく凄い。
地上最強カラテという代名詞の如く、強い。
稽古が始まって2,30分もすると全身から汗がポタポタと落ち。
胴衣がびっしょりと濡れてくる。
帯までもが濡れてくる。そして、帯の先から汗が床へ落ちてゆく。
気がつくと足元の床は汗で水溜りができている。
こうした稽古に通っていた頃、自分は世界で一番強いんだという気分だった。
現在も全く同じで、ひたすら神理を求め神仰生活を深めてゆく。
こうした道に励んでいるからこそ更に神理が見えてくる。
教団運営も大変だろう。会員も増やしたいだろう。
しかし、修行者としての自分を見失っては何の意味もない。
あいつは何をやっているんだろうという批判も聞こえてくる。
神理者は先に荒野に立つのが責務だと言っておこう。
112 :
729:2006/06/01(木) 21:59:41
K [2005/10/09(日) 21:23]
日本の文化を象徴している漫画。
’68年、ある漫画との出会いが私の人生を決定させた。
少年ジャンプ「男の条件」がそうだ。
「空手バカ一代」の原作者と同一人物の原作である。
私の従兄弟ともコンビで“愛と誠”という連載漫画を少年マガジンで発表
している。
ある意味で“面白さ”の戦いの時代に突入していると思う。
今、こうして宗教にどっぷりつかっているのも、ある作家の著書の影響が
あるのも事実だろう。
ルネッサンス時代、人間の想像力が大いに進歩と豊かさに貢献した。
現代ではどうか。
人間の中身がどれだけ真理を掴めるか、その真理がどこまで宗教・経済・政治・
生活の中まで浸透するか。
私達は今、時代に試されている。
113 :
729:2006/06/01(木) 22:01:15
K [2005/10/12(水) 21:20]
俺「おはよう、彼女元気かい」
「あはは・・、元気ですよ」
俺「君もホームページ持っているんだから、彼女の国の事をもっと紹介したら」
「そうですね、それはいいかも知れませんね」
俺「そうだよ、俺なんか引退したら国外へ移住しようと思っているんだから」
俺「でも、フィリピンはちょっとやだな、他の国がいいかな」
「でもどうして日本が嫌なのですか」
俺「日本なんて無宗教、無哲学、無思想だろう、それが嫌だね」
俺「映画をみればよく分かるよ」
俺「今では香港映画、韓国映画に完全に抜かれているだろう」
俺「日本人て全く想像力が乏しいな」
俺「戦後日本はすっかり役人天国になって、日本人は役人病の細菌に犯されて
いるよ」
俺「こんな国に何の魅力も感じないね」
「今度、じっくり話し合いましょうよ」
俺「おいおい、そんな事言ってフィリピンの娘を紹介しようなんて考えてんだろ」
「あはは・・、あちらの娘はかわいいですよ」
114 :
729:2006/06/01(木) 22:02:38
K [2005/10/15(土) 22:14]
地上の人々にとって天使とはどういう人物なのか、興味があるところだろう。
モーセも釈迦もイエスもそうであるが、その時の時代で最も大事な答えを彼らの生き方で
示している。
高橋信次も今の時代でこうあるべきだという答えを、その生き方で表している。
しかし、偽物の多くはイエスや釈迦の真似をするだけの中身のないものばかりだ。
現代でイエスや釈迦の外見だけの真似をしても、全く意味が無い事である。
意味が無い事をいつまででもやっているから、徐々に常識から逸脱した言動が目立っていく。
私達が学ぶべきはイエスや釈迦の心なのだと思っている。
そして、彼らの向こう側には厳然たる神の意思が存在している、だからこそ、
彼らの言葉は永遠に人類の言葉を代表しているのだろう。
115 :
729:2006/06/01(木) 22:03:56
K [2005/10/18(火) 23:37]
年とともに肉体が衰えていく。
若さの中で何をやってきたのだろうか。
年を積み重ねないと掴めない真実もある。
もう充分に生きてきたではないか。
人の思いが届かない時もあった。
真実はあってあるものの中から掴むのだろう。
そうだ、あの人はどうしているのだろう。
GLAに通い始めた頃、私に声を掛けてくださった一人の方がおられた。
たしかその方は阿佐ヶ谷のほうに住んでいるという事だった。
同じ電車に乗って帰った事もあった。
夜、GLAの明かりの中で私を待っていてくれた。
その頃のGLAの状況にすっかり肩を落としていた私。
ありがとうございました。
あなたのお蔭でいくらか気持ちが明るくなりました。
116 :
729:2006/06/01(木) 22:05:14
K [2005/10/19(水) 21:32]
人は思い込みが強いと他のものが見えなくなってしまう。
知識ばかりの頭。心で悟る事の大事さをすっかり忘れている。
数年前、不穏な動きを見せるグループがあったがその正体が
分かったように思う。
いつもの本部の人々とは違う感じではあった。
今でも私のパソコンに侵入している者達が複数いる。
知識だけの者達は行為が矛盾している事に気づかないでいる。
本気で神理を学ぶのであれば私は言いたい。
知から血へと変換して欲しい。
即ち、学んだものを血肉にして欲しい。
117 :
729:2006/06/01(木) 22:06:17
K [2005/10/21(金) 22:19]
“神の意”を学ぶ時、大いなる責任を感じる。
元来、神の意思は大調和をもってこの地上を創造されたのだろう。
人類の歴史は権力闘争ばかりかも知れない。
しかし、神の意のままに生きようとした人々の存在も忘れては
ならないだろう。
118 :
729:2006/06/02(金) 05:02:49
K [2005/10/24(月) 23:11]
地上を放浪しているあなた、何処へ行くのですか。
あなたはこの地上をいつ去っても大丈夫なのですか。
人を学び、心を学び、神理を学んで、そして、この地上に
還すものを還して私達は実在界へと帰ります。
119 :
729:2006/06/02(金) 05:03:50
K [2005/10/27(木) 21:56]
片足を切断し、人工透析をしている前委員長、その彼が最近退院したという
我々のところに時々電話をしてくる。
以前と違ってなかなか話しが弾まない。当然かも知れない。
よし、一日でも長く生きてやる。
先月は免許証の更新をしてきた。
崖っぷちに立った時から私の人生の勝負が始まる。
努力があってこそ真実がある。
120 :
729:2006/06/02(金) 05:05:29
K [2005/10/31(月) 19:28]
“佳子さん&GLA”について様々な批判があるだろう。
その一方でこれで良いではないだろうか、と思う事もある。
つまり最初は佳子さんを盛り上げようとしたグループがあり、しかし、
その事が急激だった為、組織内に軋轢が生じたのも事実だろう。
結果的に佳子さん一本にまとまる手段として、仕方がなかったのかも
知れない。
今にして思うのは、その本人に能力以上のものを望んでいたのかも知れない。
佳子さんにしても周囲の人々にしても、現在の状況が精一杯ではないだろうか。
高橋信次の時代と比較して様々な独自の言葉が出てきている。
神理の原点は平易な日常で使っている言葉で表現する事であり、決して専門的な
分野にしてはならない事だと思っている。
121 :
729:2006/06/02(金) 05:08:23
名前:宗教を考える名無しさん [2005/06/18(土) 20:03]
タイトル : 現在、過去、未来、
投稿者 : K、フクダ
登録日 : 2000年5月16日
高校生の頃、学校帰りに佐々駅の前でシュロの木を囲っていた石の上に
腰掛け、汽車がくるまで幻魔大戦を呼んでいた日を覚えています。
そして昭和52年、石神井公園の書店で見つけた1冊の本、その中で
・・・よりも偉い、宇宙の支配者である。(78ページ)、という文章
が目に入ったとき、ああ・・、ついにきたか。それ以来、彼らが本気
であることを思い知らされる日々が待っていようとは。
しかし、先の文章を書かれた方は恩人であります。
(これが最初の投稿です。)
122 :
729:2006/06/02(金) 05:11:11
名前:宗教を考える名無しさん [2005/06/20(月) 11:57]
タイトル : 壮大なる魂
投稿者 : K、フクダ
登録日 : 2000年5月20日
総和52年、そこは嵐だった、逃げ惑う子羊たちに雷や雨風が襲っていた。
私は必死に真理者の弟子達を東に西に捜し歩いた。
さあ、出て来るがいい、彼らの泣き叫ぶ声が聞こえないのか。
父の仕事を受け継ぐのはあなた達ではないか。
そして、ようやく見つけた一人、昭和53年、叫びに近い思いで訴えた。
かつて弟子と言われた方々、立ってほしい。
活字で書いてある法だけが法では無い。埃にまみれた汗や涙の中にだって法はある。
見よ。大宇宙を、大自然を、己を発見する場はなんと壮大であろう。
さあ、世界よ私達を発見できるか。
(二回目の投稿です。
123 :
729:2006/06/02(金) 05:13:21
名前:宗教を考える名無しさん [2005/06/20(月) 11:57]
タイトル : 神の生命(いのち)
投稿者 : K、フクダ
登録日 : 2000年5月25日
「主よ、私に祝福を。」
救いを求める乞食にイエスは言った。
「男よ、なぜ、その様な粗末な生き方をする。あなたのいのちは神の生命なのだよ。」
昭和53年、光の弟子達は内なる使命に立ち上がり、父と共に過ごした地を離れた。
モーセ達がエジプトを離れた時のように、イエスの弟子達が各地へ向かった時のように。
神の生命は組織に在らず、場所に在らず、一人の魂にこそ在り。
もはや、彼らに後退は無い。父が歩んだ道を彼らも又、歩んでいるからである。
預言よ、私達に続くがいい。私達は充分に熱い。
(三回目の投稿です。)
124 :
729:2006/06/02(金) 05:14:17
宗教を考える名無しさん [2005/06/20(月) 11:58]
タイトル : ミカエルよ
投稿者 : K、フクダ
登録日 : 2000年5月26日
講演会の会場、私は二階の最前列に座っていた。
そこへ入場してきたそなた、よく覚えているだろう。昭和52年。
その時の状況の中で、私の怒りが頂点に達していたことも知っているだろう。
命をかけて対決したことも、昨日のように覚えているだろう。
その後の、進路変更がうまくいかなかった事は承知している。
どうだ、父のそばでは肩身が狭いだろう。
人の思いを受けることの、罪の深さがわかったであろう。
肉の身があるうちに、やるべき事を果たすべきではないのか。
今のままで帰すべきでは無い。
いずれ父は、今回参加した私達を全員集めるだろう。
その時、平伏しても遅い、遅いのだ。
時は加速している。誰にも止める事が出来ない力を感じる。
信ずる者よ、捨てよ、捨てよ。
(四回目の投稿です。)
125 :
729:2006/06/02(金) 05:17:46
タイトル: 真実はどこにある
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月1日08時09分
地球上には様々な人がいて、様々な考えがある。
あなたのこれまでの発言を見ていて、やはり、個人的な恨みからの思いや考えだと分か
る。
そのような考えでは人は感動しない。
世の中には人を黙らせるほどの小説だってある。
小説を書く能力がなくっても、実行力で人を十分に納得させる人だっている。
己の人生を決定するのは自分自身であるのは間違いない。
過去の己の過ちを他のせいにするのは男らしくない。
人を攻撃する人生など、どこにも正当性はない。
己や人生と正面から向き合い、己と真剣勝負するところに人は納得し、感動する。
恨みで他者を中傷、誹謗するのは女々しい。
許せないほどの過ちが相手にあるのなら、堂々と裁判を起こし、法廷で戦えば良いだろ
う。
それが社会のルールであるだろうし、大人の戦いではないか。
126 :
729:2006/06/02(金) 13:17:21
タイトル: 芸がない
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月3日10時17分
君は甘いぞ。
君の文章は迫力がない。テクニックだけの文章だ。安全な場所で安っぽい文章を
書いても、何も響くものがない。
今、やっている事は自己顕示欲を満たす為の道具ではないか。
誰でも思いつく事をやって、大義名分をつけているにすぎない。
世直しでもやっているつもりかね。
宗教の話など君には向かない。今の君には宗教の話は無理だ。
既に、君の底は見えている。
とことん、人間を学び、人間を勉強するが良い。
一つ間違えば、ギャンブラー。一つ間違えば、チンピラ。一つ間違えば、詐欺
師。ぎりぎりの人生ではこういう事もある。
自分をよく見せようとしても、とっくに本音はばれている。
悪あがきはよせ。
127 :
729:2006/06/02(金) 13:22:47
タイトル: 人生は挑戦だ
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月15日23時04分
信仰には狂信、妄信がつきもの。そうした人々を批判するのは容易な事。
こうした掲示板があれば、更に加速的になるのも当然だろう。
では、いつも批判している人々というのは、一体どのような人々だろうか。
宗教団体の中にあって、学ぶ事を喜びとして、一つ一つの真理を得る事に
充実した人生を感じている人々もいるだろう。
一方で批判している側の人々というのは、どういった人生を送っているのだ
ろうか。
喜びや充実感など、彼らの文章を読んでいても伝わってこない。
相手を批判する事によって、自分を際立てさせようという意志は強く伝わっ
てくるが、それ以上のものがない。
またある者は、挫折した自分の人生を、こうした所で脚光を浴びる事によっ
て、自己満足に浸ろうとしている。
有望な若者達がアニメ、映画、小説といった分野で活躍している。
売れない物書きであっても、安アパートに住み、アルバイトで何とか生活を
立て、原稿に向かう事を何よりも喜びとしながら、充実した日々を送ってい
る人々もいるはずだ。
自分を騙し、他人さえも騙す欺瞞に満ちた者もいるだろう。
街中のホームレスの方がよほど人間らしいと言える。
宗教についても、分かっているかのような事を随分と書いているが、所詮、
彼が見ているものは影にすぎない。
大地に映っている影は、本体そのものではない。
映っている影が、三角の形をしているからといっても、本体が三角の形をし
ているとは限らない。まるっきり別の形である場合だってある。
脚光を浴びたい一心で、いつまでも女や亡くなった人物相手に息巻くってい
る。
128 :
729:2006/06/02(金) 13:24:19
(つづく)
安全な相手だからこそだろう。
世の中には批判すべく人々は幾らでもいる。
彼は挫折した自分の人生を、埋めるべく絶好の対象を発見したのである。
おそらく、彼は何が何でも、それを手放す事はないはずだ。
それを手放す事は、挫折した自分しか残らないからだ。
今の自分を認める勇気がない。悲しい事だ。
希望も充実感もない人生。なんという哀れな事よ。
一部の人に認められたばっかりに、素人の世界で思う存分、無料で直接、自
分の文章を披露すれば、きっと、みんな一目を置いてくれるだろうという打
算があったのだろう。
彼は誰が何と言おうと、突っ走るしかない。そのように決心したのである。
師に対しても不義理があり、自分の力でやるしかない。
その結果がこれだ。私達は人間が何処までも落ちていく、その現実を目撃し
ている。
欺瞞に満ちた者が書いた小説など、お金を出してまで買って読もうとは思わ
ない。ただで読めと出されても読む気にはなれないだろう。
世間を甘く見ている。人を甘く見ている。
彼はそうした現実を知らない。
129 :
729:2006/06/02(金) 13:30:55
タイトル: Re:人生は挑戦だ
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月18日14時01分
自由を夢見て、主人の家を飛び出した飼い犬。
常日頃から、より恵まれた待遇を求めていた彼である。
一日中、ひもにつながれた生活など、まるで面白くない。
自分の上に誰かが存在する事が、気に入らないのが本心だ。
こんな所で一生終える自分ではないぞ。外の世界が俺を待っている。
やりたい事だってある。たくさんあるんだ。俺より力がない奴が成功してい
るじゃないか。
今の俺にはアイデアが腐るほどある。つまらないネタで、毎日テレビに出て
いる奴もいる。
テレビ局よ、雑誌社よ早く俺に気づけよ。世間があっと驚くネタがあるん
だ。芸能人の名前や歴史上の人物の名前だって、バンバン出すんだから。
その辺の安っぽい評論家とは違うんだ。なにしろ俺の肩書きは小説家だから
な。今じゃ小説家はいろんな所で人気があるんだ。
そうだな、まずはワイドショーの解説者あたりからやっても良いな。
宗教の解説は俺に任せろって。特に○○○教団の情報は絶対だ。
誰にも負けないぐらい○○○教団の事はよく知っているんだ。
情報を収集してくれる仲間もいるしな。
こうして、その犬は夢と希望を抱き、ひもを食いちぎって家を出たのでし
た。
130 :
729:2006/06/02(金) 13:31:59
(つづく)
ところが予想に反して、世間は冷たいのです。
棒を振り回して私を追い回したり、石を投げてきたり。
なんて奴らだ。有名人になって、お前らを見返してやるからな。
あちらこちらを渡り歩いて、ようやく静かで安全な場所を見つけた。
ありゃ、なんだこいつは、また、変な奴が出てきた。
俺が有名人になるまで待てよ。邪魔ばっかりして。
掲示板のスターで満足する俺様ではないぞ。夢はでかいんだ。
彼は人の目に、自分がどのように映っているか、分かっていないのです。
主人のいない犬は所詮、野良犬です。
彼はそれが少しも分かっていない。
野良犬の世界は弱肉強食です。少しでも弱みを見せると、それで全ておしま
いです。
帰る家もない。自分に都合の良い夢を見たばかりに、厳しい現実に身を置い
ている彼です。
彼が利用している○○○教団の情報は、全て古いものばかり。
まるで子供が、紙切れで買い物ごっこをしているようなものです。
ここまでくると気の毒です。何とか成功して欲しいものです。
あれ、なんか俺って矛盾した事、書いてないかな。
(主人は法であり、野良犬は無法者。)
131 :
729:2006/06/02(金) 13:36:33
タイトル: Re:人生は挑戦だ
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月24日18時16分
数学、物理、化学といったものは、答えに対する真実は一つであり、何ら余
計な口を挟む余地はない。
宗教、精神、思想といったものは、限りなく答えは幾つもある。
だからこそ、いつの時代でも偽物が多く存在してきた世界だ。
そうした事が可能だからこそ、昔も今も人々を騙し続け、自身をヒーローに
仕立て上げ、平然と他者を批判し続けているのである。
彼の精神は、人間の存在価値を動物以下にするものである。
ある者は、お金の為なら何でもやる。そう言って、ペテン師のような事はい
つもやっていたし、会社のお金だって、社長にばれない所で使い込みをして
いた。
つまり、人を騙す事が出来るのであれば、自分の利益の為に、人を騙す事を
最大限に利用しようと、その一点にあらゆる利害を集約させるのである。
社会的名声、優雅な生活、多額な収入、優位的な人間関係。
また、相手を騙すのに、手助けしてくれる仲間がいると、その効果は更に大
きいだろう。
繁華街などで、小さな台の上に幾つもの宝石類を並べ、それらを通行人に声
を掛け、売りさばく。大抵の場合、通行人は殆ど相手にせず、そのまま去っ
て行く。
しかし、宝石などを並べた台の前に、さくらが一人、今にも商品を買いそう
なそぶりで立っていると、通行人は気になって立ち止まり、つい買ってしま
う。
132 :
729:2006/06/02(金) 13:39:35
(つづく)
掲示板でも同じ、一人の発言を正当化する為に、別の仲間が第三者のように
振る舞い、仲間の発言に同調してみたり、反対の意見が出てくると、それに
攻撃を加えたりする。
世の中、騙したほうが勝ち。こういう戦法である。
ノンフィクションのテレビ番組で、不治の病を抱えながらも、必死に生きて
いる人。障害者でありながら、人並みに生きていこうと、大変な努力をして
いる人。
こうした人々を見ると、実に頭が下がる思いがする。
他者を踏み台にして、成功を夢見る者がいるかと思えば、人の役に立つ自分
でありたいと、福祉関係の仕事をしている人もいる。
自分に正直でありたい。誰もがそう願っている。
現代の華やかさに負けている者は、誰が何と言おうとも、おそらく彼はそう
した声に背を向けるだろう。
残念な事に、彼の活動の場は、商店のシャッターや住宅の壁にスプレーで落
書きをする事ぐらいだ。
しかも実在の人の名前や、団体の名前を出している。
自分の名前は隠しているのに。
自分の名前を出されている人が、そんな落書きを見て、果たして愉快に思う
だろうか。
常識ある人は美観を損ねるとして、悪意に満ちた落書きを、きれいに洗い流
すだろう。
そうした事に彼は、何も悪い事はやっていないのに、邪魔をされたと愚痴を
こぼすのである。
それに、彼が持っているスプレーを、取り上げようとすると、床に転がり、
手足をばたつかせ、ヤダヤダするだろう。
それぐらい彼は幼稚であり、社会常識はなく、図体はでかいが心は幼い。
133 :
729:2006/06/02(金) 13:43:44
タイトル: Re:人生は挑戦だ
投稿者 : キリン
登録時間:2004年6月27日22時40分
子分「隊長、こいつ随分しつこい奴ですね」
隊長「こんな所で潰されてたまるかい」
子分「何かいい方法ないすか、こいつにギャフンと言わせてやりましょう
よ」
隊長「きっと、こいつは○○○教団の会員に違いないんだ」
子分「そうすよね、そうでなきゃ、こんなに我々の事をしつこく追い詰め
る必要はないんすからね」
隊長「○○○教団の会員と分かれば、こっちのもんだい」
子分「そうなんすか、隊長」
隊長「ばかだな、よく考えろよ、俺たちの敵は宗教にはまってる奴等だけ
に絞っとけば、俺たちもやり易いんだ」
子分「へえ〜、そうなんすか」
隊長「宗教に凝ってる奴らなんて、半分は気違いみたいなもんだからな」
子分「分かった隊長、我々の相手を気違いにしておけば、あいつの言う事は
みんな気違いが言う事だからって、知らん顔できるんですね」
隊長「それに、宗教やってる奴らなんて、何か、暗いイメージがあるだろ
う、そこを利用してだな、俺たちは明るくて健康的なんですよ、とい
う雰囲気を回りに印象付けるんだよ。なっ。」
子分「あったまいい。隊長」
隊長「手始めに、わはは、なんてどうだ」
子分「あれ、それって、あのお方のサイトで使ってたギャグだと思うんす」
隊長「おゎゎ!!なんて事言うんだお前は。お前までワシの事を馬鹿にすん
のか」
子分「そ、そんな事ないっす、どこまででもついていきます。隊長。」
134 :
729:2006/06/02(金) 22:32:31
(つづく)
隊長「それよりだな、もっと有効な手段があるんじゃ」
子分「なんでしょ、それって」
隊長「宗教を批判している勢力を、我々の味方にするんじゃよ」
子分「どうやって」
隊長「馴れ馴れしく、普通に話しかけてこっちの仲間に寄せ付けるんじゃ。
それで○○○教団の印象をもっと悪くして、こっちの言う事を正論だ
と思わせるんじゃ」
子分「すんばらしい!隊長」
隊長「喜んで飛びつきそうな話題で、相手を我々に引きつける作戦だ」
子分「絶対っすよ、隊長。」
隊長「テレビ局から、声がかかってくるまで我慢だ」
子分「朝まで○テレビなんて最高っす」
隊長「そうとも、それまで何でも利用してやる」
子分「バンザ〜イ。隊長についてきてよかった」
135 :
729:2006/06/02(金) 22:36:21
タイトル: Re:人生は挑戦だ
投稿者 : キリン
登録時間:2004年7月19日00時23分
梅本心「いや〜一時はどうなるかと思ったけど、ようやく俺のペースになっ
たな」
覆面X「色々と苦労をしているんだね」
梅本心「それはそうさ、俺の人生がかかっているんだからな」
覆面X「今回はエキサイトな発言でみんなを煙に巻いたんだ」
梅本心「えへへへ、ばれたか」
覆面X「それでまたタイトルにG○A、高○信○、高○佳○の文字を付けて
自分を宣伝しているんだ」
梅本心「そう、G○A、高○信○、高○佳○の批判とくれば、俺」
覆面X「G○Aの批判を独り占めにしたいんだね」
梅本心「他の者に真似をさせたくないからな」
覆面X「それでG○Aをどうしたいの」
梅本心「どうしたいって、何が」
覆面X「だからG○Aを批判して、その後G○Aをどうするつもり」
梅本心「なにも」
覆面X「でも批判している以上、何か目的があるんでしょう」
梅本心「何もない」
覆面X「G○Aにもっと、こんな所を良くなって欲しいなと思っている事が
ないの」
136 :
729:2006/06/02(金) 22:38:36
(つづく)
梅本心「わ〜俺って、そんなにまじめに見える」
覆面X「じゃ、生かさず殺さずって訳」
梅本心「当然だよ、社会正義のために戦っているこの姿、この印象が必要な
んだよ。ね」
覆面X「その事をテレビや雑誌に、取り上げて欲しいんだね」
梅本心「いっひひひ、みなさ〜ん明日のスターがここにおりますぅ」
覆面X「でも君って、自作自演の男というイメージが定着しているようだけ
ど」
梅本心「馬鹿だなー、そんな事当然だろう。世の中勝つ事が全てなの、勝て
ば官軍なの」
覆面X「そう言うけど、君には結構批判的な意見があるけど」
梅本心「いいか、よく聞けよ、出世するには良心や道徳心など後生大事にし
ていたって何にもならないんだぞ」
覆面X「それで師匠を捨て、心ある人の意見にも背を向けてきたんだ」
梅本心「ったく、余計な事ばっかり言って」
覆面X「出版社が君から逃げる訳が分かったような気がする」
梅本心「ば、ばか!それを言うな」
覆面X「あの師匠なんて、インターネットでの小説販売に活路を見出したけ
ど、それでも出版社から仕事の依頼がきてる、君とはまるで違う。
能力だけではなく人格、人徳にも決定的に差があると思うよ」
梅本心「るせな〜」
覆面X「ところで、あのさくら君は元気ですか」
梅本心「さくら君って、誰」
覆面X「ハエ男だよ」
梅本心「あははは、あいつか、おまえが出てきたからあいつも出て来るよ」
覆面X「今度からハエたたきを用意しておこう」
137 :
729:2006/06/02(金) 22:45:28
タイトル: Re:宗教って何だ
投稿者 : キリン
登録時間:2005年2月18日22時31分
宗教というよりも信仰って何だろう・・・といつも考えてしまう。
仏教には“生老病死”という言葉がある。
人間、生まれて死ぬまで自分の中に恐れや不安があるでしょう。
病気や怪我への恐れ、経済的な不安、その他、孤独や死に対する不安。
現在の私達を取り巻く環境ではなかなかそうした回答を得るのは
難しいのです。
だからこそ巷の様々な宗教団体へ入会して“生老病死”という不安から
脱して平安な心境を得たいという庶民の願いがあるのでしょう。
人生での不安は様々な場面で発生するものですから、予防策をしておく
事がなかなかできません。
せいぜいそれまで体験した中で、堪え得る自分をつくる以外にないでしょう。
人に勝つ自分をつくる。人より出世する自分をつくる。
こうした方法論は宗教や信仰以外の世界で発見できるでしょう。
しかし、自分、他者、“生老病死”、といったものに慈しみの心が芽生えた
時、祈らずにはいられないという気持ちになるのです。
人間の中身はとても不思議なものです。
心理学、哲学だけでは済まされない世界も私達にはあるのですから。
宗教、信仰というのは学問の世界でない事は確かなようです。
138 :
729:2006/06/02(金) 22:53:54
タイトル: Re:宗教って何だ
投稿者 : 五木寛之
登録時間:2005年2月10日15時09分
宗教にどういう意味があるのか?それは、重い荷物を背負って、俺はもういやだと
途中で投げ出したくなる、歩くのを止めて座りこみたくなる、もう何もかも放り出
して死にたくなる、こういう人間に対して、重い荷物を背負ったままで、結局歩き
続ける力と希望を与えてくれるもの、そういうものだろうと思うんですね。
ですから、荷物が軽くなる事はないんだ言う事をよく考えておいたほうがいいです
ね。むしろ信仰とか、そういったものを持った方が、その荷物の重さがひしひしと
感じることがあるかもしれない。
僕も子供のころの記憶があるけれども、ある晩、山奥の村から村へ、深夜に知らせ
に行かなければいけないことがあったんですね、下が崖で切り立った崖の淵の山肌
に沿った狭い道を歩いていくわけです。 一歩間違えば足元から崩れ落ちるかもし
れないという恐怖がある。その中で隣の集落まで夜道を歩いて行かなければいけな
い、恐ろしくて足がすくむし辛いわけです。 そういうときに、雲が切れて月の光
がパッと照ってきた、そして道が照らされ向こうの方に自分の行くべき集落の灯が
見えてくる、そういうようなことがあると、気持ちが全然違ってくるんですね。
行く道も変わらず、距離も変わらない、
だけど自分がいま歩いている道がはっきり見える。
下に崖があって、こっちへ行けば危ないけれども、山肌に寄って行けば大丈夫だと
いうことがわかる。 それから曲がりくねって、あの沢を越えて谷を上がった所
に目的の集落がある。 そこの灯が見えるというのは、もう本当に全然ちがうこと
なんですよ。その人間にとっては、歩く距離も変わらず、背中に背負ってる荷物も
変わらず軽くない、でも見えるということは全然違うでしょう。
宗教とか信仰とかは、そういうときに照らしてくれる月の光みたいなものなんじゃ
ないだろうか、光が照っていたとしても、背負ってる荷物も軽くならない、歩かな
ければいけない距離も短くなるわけではない、その点においては何も変わらない、
変わらないけれども、そこを歩いている人の心持ちがまるで変わる。
139 :
729:2006/06/05(月) 00:47:04
2006/05/29(月) 22:34:13 ID:gtabvflm
(マタイによる福音書 第六章24)
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
今日は眼科へ行って目の検査をしてきた。
帰りは駅前の喫茶店でアイスコーヒーとホットドッグを注文し、スポーツ新聞を
広げ店の前の人通りを見ていた。
なんて日本は平和なんだ。
世界は地震や内戦、貧困、そして政治、宗教の対立など・・。
この平和はいつまでもつのだろうか。
そういえば高橋信次の講演の中で天上界(イエス)が日本に大きな地震を
起こそうと計画した時、高橋信次自ら天上界に頼んで中止してもらった、
という事を言っていたのを思い出した。
やはり私達は何か大事な事を忘れている。
140 :
729:2006/06/05(月) 00:48:01
2006/05/31(水) 23:26:01 ID:i1DU91ej
調和、私なりの解釈がある。
“一体”これが私にとっての調和という意味である。
日本は経済大国であるが、物価は世界一であろう。
高橋信次も使っていた言葉で“ふんだくる”という部分もあるかと思う。
消費者側の定価というよりも、メーカーや流通業界側の一方的な値段の付け方が
多くあったのも事実だ。
しかし、特に最近は極端に安い中国製や東南アジア製といった製品に押され、
日本のメーカーはこぞって中国や東南アジアで商品を生産し、安く提供しなけ
れば生き残れない、という事情になっているようだ。
政治も経済も所詮、人間が相手であるから相手の側を軽視すると何処かでか
その分、反作用があるのだろう。
141 :
729:2006/06/05(月) 00:48:54
2006/06/01(木) 22:35:54 ID:kXYUPbVG
今日は久しぶりにちょっと大きな本屋さんに行ってきた。
これといった本は無かった。
宗教本も見て回ったが、相変わらず調子のいいタイトルの本が
多く平積みしてあった。
派手な現象や華やかな人生を求める若者の心情とどこか似ている。
前にも書いたが、ミカエルの言葉で
“我地より出で天へ帰らん”がある。
一旦、地上に出た以上、私達は学んで学んで学んでいくしかないという事で
あります。
あせりは正法・神理を学ぶ私達にとって禁物であります。
142 :
729:2006/06/05(月) 00:49:44
2006/06/02(金) 23:39:47 ID:BH98ZdeB
時々所沢の日吉会館の前を通るので
渡辺先生の事はよく想い出します。
後は余り分かりません。ごめんね。
143 :
729:2006/06/05(月) 00:50:29
2006/06/04(日) 00:24:32 ID:S4ZGKH7P
これまで私の女性への印象として我が儘で感情的な生き物という
見方をもっていた。
しかし、週三回の透析を受けていて女性への見方が変わってきた。
男性の看護士も数人いるが、やはり女性看護士のほうが病人にとって
より安心できる。
体験があればこそ真実が見えてくる。
私が通院しているところで約150人ほどが透析をうけている。
一つの自治体での透析患者数は相当な数になるだろう。
今ほど女性の存在に感謝している時はない。
144 :
729:2006/06/05(月) 00:51:12
2006/06/05(月) 00:38:20 ID:aFZtHsXc
一昨日届いたプリンター複合機のセットがようやく終了した。
昨年の12月には32インチの液晶テレビを購入し、その一年前はハードディスク
レコーダーを購入している。
どちらもBSデジタルとCSデジタルチューナーが入っている為、先週はケーブル
テレビを解約した。
ある年の秋頃、'71に買ったビクターの4チャンネルステレオを粗大ごみとして
ごみ焼却場へ持って行った。
すると翌年の夏公開の寅さん映画の中にそのステレオがでていた。
三船敏郎が出演していた作品なのでよく憶えている。
映像と音楽が大好きな私としては、この分野で少々贅沢をするのもいいかな
と思っている。
あとはブルーレイがどこまで普及するのか注目している。
145 :
729:2006/06/07(水) 07:55:32
2006/06/07(水) 07:46:44 ID:3RO5JPn0
自分の事を批判されて平気な人はまずいないだろう。
こうした2chでの批判は特に本音の部分もあり、以外と直球で飛んでくる。
少しでも本人の心に思い当たる節があれば無視できまい。
この2chで批判されている方をテレビ番組で見ているが、やはり気にされている
のか、最近ちょっと荒れているように見える。
それに相手によって態度も変わるようだ。
人に見られて嫌な自分があるのはつらいところだろう。
人を公平に見る思うというのは私達の基本的な学びではあるが、一生を通して
厳しい道でもある。
146 :
729:2006/06/07(水) 22:59:25
2006/06/07(水) 18:04:10 ID:3RO5JPn0
'77年高橋信次を知って以来、どういう訳か私の心は死と向き合っている。
死という壁を乗り越えたところに真実がある。
本能的に私はそういった方向を向いた。
世の中には自信たっぷりの方もいるだろう。
あの世に及ばない考えは全くの無力に等しいと思っている。
天上というあの世にこそ真実があるのであって、この世の処世術に
一部の真実があっても全てではない。
147 :
729:2006/06/08(木) 21:16:14
2006/06/08(木) 21:14:24 ID:6TyUFjP2
現代では外人を見かけても不思議でも何でもない。
高橋信次の説によると、天国の上段階へ行くと様々な民族、人種の
人達が一緒に住んでいるという事らしい。
既に欧米では当然のような光景。
遅ればせながら。日本もそういった社会へとなりつつあるようだ。
148 :
729:2006/06/09(金) 20:33:46
2006/06/09(金) 20:29:51 ID:1RT9lrCX
'77年、当時の高橋信次がいないGLAの有様をみて失敗だと思った。
天上は高橋信次がいなくなって、更なる計画を進めようとしていたのは事実。
地に足がつかない程に浮かれていては、もはや、心や真実という問題に
遠く及ばないという事だろう。
故に、私達は又、最初から学びを始める事となったのです。
149 :
729:2006/06/10(土) 20:18:17
2006/06/10(土) 20:16:33 ID:IcIPJZ5x
受け皿の準備が整った時にそれは起きるのです。
高橋信次は残った者達に全てを託し、地上を去ったのでした。
私がいつも気にとめていたのはこの事だったのです。
一般会員であれば学ぶ事だけを目的としても、何らおかしくはないのです。
しかし、私達はそれだけでは済まされない。
モーセがあり釈迦があり、そして、イエスがあって高橋信次があるのですから
私達の責任は大きいという事です。
150 :
729:2006/06/11(日) 16:09:55
2006/06/11(日) 16:08:01 ID:w+Lvy0QE
世界の平和の安定は私達の願いであります。
宇宙から地球を眺める時代であっても、まだまだ本能と感情が支配している
私達の世界であります。
原因にメスを入れ、真理という薬を投入するところに新しい時代の幕開けが
あるのでしょう。
しかし、私達の足る事を知らない本能は無益な争いを繰り返すばかりです。
151 :
729:2006/06/11(日) 23:34:26
2006/06/11(日) 23:33:06 ID:w+Lvy0QE
高橋信次が去って間もない頃、まだ出来立ての新しい教団が社会の注目を
集めていた。
そして、当時のGLAからその教団へ鞍替えしていった人々がいた。
これは私にとってショックであり胸が痛い出来事だった。
相手を“正しく見る”というのは学んでいなかったのか、私には理解出来ない
現象でもあった。
152 :
729:2006/06/12(月) 20:50:17
2006/06/12(月) 20:48:22 ID:rR2D3Brf
高橋信次を知った頃、霊的現象がよく起きた。
たとえば寝ている時、誰かが私の両足をがっちりと抱きしめ、それを
振りほどこうと足をばたばたとしてもなかなか離れてくれない、思わず
「神よ」と何度も叫ぶ私。
すると足を掴んでいた何者かは、突然姿を消した。
そこで自分の足の方を見ると、私の足は壁と柱の中でばたばたしていたのだ。
つまり、私の体はベッドの上に浮かんだ状態で、足は壁の中にあるという格好
であった。
153 :
729:2006/06/13(火) 21:57:35
2006/06/13(火) 21:56:01 ID:ty4wYGcl
中道と言うと少し大げさな言い方かも知れない。
普通に、と言えば身近な表現なのかも知れない。
客商売をやっていると普通という意味が実に大切に思えてくる。
我が強い客に当たると何かと問題が起きてしまう。
普通に仕事を終え、普通に一日を終えたい。
普通という中道の大事さが分かった自分の人生に感謝したい。
154 :
729:2006/06/14(水) 20:43:57
2006/06/14(水) 20:42:41 ID:djKjO4Ya
一つの道を達成する為には何かを犠牲にしなければならない場合がある。
私達が進むべき道は私利私欲を捨て、地上の華やかさから離れ、常に
天上の世界に思いを馳せる事を忘れないで、一日一日を大切に生きて
いくのが今ある私達の責務でしょう。
高橋信次の場合は在家者として、その道をまっとうしたのでしょう。
155 :
729:2006/06/17(土) 00:18:17
2006/06/17(土) 00:14:23 ID:R5KC2ARU
さあ、皆で目指そう、ユートピアを。
声を出して、書き記して、いつの時代も勇気がいる。
希望という風が私達を後押ししてくれる。
156 :
729:2006/06/18(日) 07:36:05
2006/06/18(日) 07:32:06 ID:ER+52iWB
私達と同じく高橋信次や神理・正法という単語を使用していても、その中身は
まるで違うという程に個人差があるのに驚く。
その第一原因が心を外に向けているという事だろう。
外の世界は外見の世界であり、自尊心の世界でもあります。
幻影の自己を求め、果てしない世界をさまよう事になるのです。
私達の同胞は内なる世界にいるのであって、決して外の世界に求める
ものではないのです。
157 :
729:2006/06/18(日) 14:23:36
2006/06/18(日) 14:22:32 ID:ER+52iWB
高橋信次が解説する八正道に初めて触れた時、正見、正思・・という順番が
違うと思った。
正見が正思より前にあるのであれば“心の発見”とは矛盾すると思ったのです。
ある時、どの本でどのページだったかは忘れてしまったが、高橋信次の著作本の
中に、ただ一箇所だけこう書いてある部分があった。
正見、正思・・という順番はこの世でそうなっているが、あの世では正思が前に
なるのだ・・、といった説明があり、これで私の気持ちも納得したのです。
158 :
729:2006/06/19(月) 00:52:49
2006/06/19(月) 00:45:20 ID:AmzdhoAp
W杯も熱戦連続です。
スポーツも映画も最後まで諦めないというのが、観衆に感動を与える要因に
なっているのだろう。
私達の活動は人に見せる為のものではないが、結果的に後に続く者達に私達の
生涯を通して知り得た神理を今後の参考にして欲しい、という願いを込めて
いるのは事実である。
159 :
729:2006/06/19(月) 18:49:21
2006/06/19(月) 18:47:38 ID:AmzdhoAp
高橋信次の言葉に「悪友ほど怖いものはない」というのがあります。
まるでトイレの落書きのような書き込みをやって、鬼の首でも取ったかの
ようにはしゃいでいる姿は哀れである。
同じ程度の者同士の集まりだから、現実の自分が少しも分かっていない
という事だろう。
160 :
729:2006/06/21(水) 21:01:22
私のような透析患者というのは、腎機能が殆ど停止していて、膀胱に水が
溜まらなくなっている。
その為に一日に飲む水の量は最小限にとどめている。
多くても500mlから800mlというところだろう。
飲んだ水は膀胱に尿として溜まらずに、水のまま肺や心臓に溜まってしまう。
だから、透析が終了して疲れるのは、そこに原因があるのです。
直接、肺や心臓から水を抜くのですから、しんどいです。
161 :
729:2006/06/21(水) 21:15:28
不思議な事に透析患者というだけで、年齢や住んでいる場所が違っていても
凄く身近な存在に感じてしまう。
そこには同じ苦しみを共有している、という気持ちからだろうか。
どちらにしても、親近感が持てるのは良い事だと思っている。
162 :
729:2006/06/23(金) 03:53:13
医師、弁護士、政治家、大学教授などといったものは、社会的に恵まれた
地位にあるのだろう。
それでも現実は大衆と向き合い、その中で私達の生活があり、意識の活動も
あるのですから、まさに公平な社会になりつつあるのでしょうか。
あとは、立場に関係なく皆で学ぶという事でしょう。
学びの中にこそ、公平平等があり真実があると言えます。
163 :
729:2006/06/23(金) 15:35:29
皆、現実の中で生きているという連帯意識があればこそ、ホッとするところが
あるでしょう。
特に思い悩んでいたり、病気で辛い思いをしている時など、同じ様な人と
出会ったりすると、どこか安心する部分もあるでしょう。
そうした所に人間としての真実があるように思います。
164 :
729:2006/06/23(金) 20:40:07
高橋信次はこう言っております。
「私達が人間を思うのは私達が人間だからです」
しかし、人間である相手を思う気持ちに怒りや増長した心、それに、人間関係
から逃避するといったものが気持ちにあるとするならば、その心に希望や救い
というものはあるのでしょうか。
突然、「あなたは誰か愛していますか」と尋ねられた時、大体異性の事を
考えるに違いありません。
そうではなくて、男女の違いがなく立場の違いがなく、公平に愛を持って
身近な人々と接していますか、という事になるでしょう。
こうした所から神理・正法への取り組みは始まるのです。
165 :
729:2006/06/24(土) 15:39:35
連鎖反応だろうか、子供が親を殺害する事件が相次いでいる。
中学生や高校生といっても、まだ子供の部類ではないか。
大人であれば少々の不愉快な事でも耐えられる。
しかし、子供は大人の言う事を何でも正面から受け止めてしまう。
そうした大人に情緒がなく、単に厳しい教育だけだとしたら果たして
子供の気持ちはどうなるのだろうか。
高橋信次は何よりも情操教育が大切だ、と言っている。
人が人に与える影響というものを時々は考えてみたい。
166 :
729:2006/06/25(日) 10:02:33
私が人を評価する第一の決め手は、その人が人を見る目である。
その目にこそ、その人の真実が全てあるのだと思っている。
人に騙された、宗教団体に騙された、インチキ商売に騙された、などと
騒ぐ人もいるだろう。
しかしそれは本人が、人や人が作った世の中を正しく見るという目がまだ
未熟だった、という事だろう。
167 :
729:2006/06/25(日) 10:20:24
神理・正法を学んでいく中で常に問われるのは勇気だと思う。
間違いから離れる勇気、批判する勇気、自己を認める勇気。
こうした勇気に背を向けていては、何ら前進は無いだろう。
168 :
729:2006/06/25(日) 11:38:06
私がまだ泳げない頃、海が満ち潮になり2,3メートルほどの深さになって、
泳げない者達は皆、石を積んである岸に掴まって浮かんでいた。
一人になれない者は、いつまででも情にすがり断ち切れない。
真の自由とは情にも束縛されないものだと思う。
169 :
729:2006/06/25(日) 20:39:46
中学、高校生で登校拒否をしている生徒は随分いる。
もちろん、本人に原因があるのは当然だと思う。
しかし、誰か思い悩んでいる時にこそ、きっちり話し相手になって
あげる事こそ本当の仲間と言える。
あなたも私も今を生きている同期生であり、仲間であります。
どうか、そっぽを向いて迷い子になりませんように。
170 :
729:2006/06/25(日) 20:53:29
さてと、またそろそろ入院して体調を整えよう。
私は独身なので食事が不規則で内容も偏っている。
それに医師から禁じられている外食も時々やっている。
神理・正法での修行といっても結構エネルギーは使う。
どういう世界でも、そう甘くないと言う事だろう。
171 :
729:2006/06/25(日) 21:58:28
神理・正法を考える時、常に現実から目を離さないようにしている。
電車に乗っていても街中を歩いていても、どの場面でも神理・正法について
考えさせられる。
それだけ考える材料があるという事だろう。
人を学んでいくと必ず壁に突き当たる。
しかし、この人に出来て、あの人に出来ない、こうした問題なんて幾つも
あった。
その違いを学ぶだけでも、随分と人を知る参考になった。
172 :
729:2006/06/25(日) 22:16:06
高橋信次を知った頃、調和した文面の実体を求め、浅草へ通った。
まだ分裂する前で、高橋信次の匂いが残っていた。
講演で講師の方から、高橋信次の思い出を聞くのも楽しい時だった。
クリスチャンがイスラエルを訪問し、仏教徒の方がインドを訪問するのと
同じ様な気分であった。
173 :
729:2006/06/26(月) 23:29:04
神理の核心に触れる段階になっていくと、何故か考えていた事をよく忘れて
しまう。
これは神理という世界を、潜在意識で考えているからだろう。
表面意識を普段使っているから、急に潜在意識にコンタクトを取ろうと
考えをそちらに向けても、なかなか思うように考えが回転しない。
これは“二人の主人に仕える事が出来ない”という意味に通じる事でもある。
174 :
729:2006/06/27(火) 23:15:59
私は最近、病院へよく通うようになって、ある疑問を持つようになった。
自分の病状は自分がよく知っている。
そうした自分の病状についてネット、書物などで調べたり、あと、その病状
に関連したテレビ番組があればそれを見て勉強したりと、それなりに努力を
しているわけです。
しかし、医師のほうはどうも、そんなに詳しいとは思えない。
それに最新治療法さえ、よく分かっていないような気がする。
医師は一つの職業であるから、患者より詳しく医療を知っているのは当然で
あります。
それでも、現代の医療でまだ解明されていない治療法なんて、いくらでも
あるはず。
それらを素直に認めず、治療の限界が見えても、その事を患者に正直に
伝えず医師という立場に固執してしまう。
こうしたところで、医者と患者のトラブルがよく発生してしまう。
神理・正法の世界も同じです。
人間に分からない世界は幾らでもある。
高橋信次は言う。
「この世は不確実性なのだ」と。
175 :
729:2006/06/28(水) 16:13:35
たとえ女性であっても、気持ちが権力志向に傾いていくと、男性のような
顔つきになり、性格も荒々しくなっていく。
権力志向はどだいからして自己中心的な考えであるから、余計な心配も
しなくてはならないし、常に相手との駆け引きや利害関係で思い悩む事も
でてくるわけです。
神理・正法の世界では、こうした事を思い考える事を厳に戒めています。
176 :
729:2006/06/28(水) 16:37:54
神理・正法で最も中心になるのは中道です。
宗教と言う名の下で金儲けを企んでいたり、華やかな生活を夢見たりと、
足る事を忘れたその心は神理・正法や宗教から掛け離れたものでしょう。
177 :
729:2006/06/28(水) 21:26:24
足る事を知った生活とはどの様なものでしょうか。
私のような糖尿病患者は味が濃いものはだめ、カロリーが高いものもだめ。
よりシンプルで味は薄め、量も少々でバランスが取れたもの。
といった事になるのですが、心もそのような食事を積極的に受け入れる事が
望ましいとなります。
激しい運動や仕事をしている場合、なかなか節制は難しいでしょう。
そこで一週間に一度、或いは10日に一度とか、ある一定の区切りを付けて
やってみるのも一つの勉強かもしれません。
178 :
729:2006/06/29(木) 23:19:19
もう20数年前になるだろうか、池袋の書店で宗教本を立ち読みしていた時、
私と同じ年頃の男性が話しかけてきた。
話を聞くと、立川にある仏教系の新興宗教に入信しているという事だった。
性格は真面目で、教祖の教えを広める事に生きがいを感じているようだった。
しかし、彼の話は消化したものではなく、暗記したものをそのまま伝えるだけ
というもので、聞いていても退屈だった。
その後、彼について分かったのは、人生の殆どが精神病院への入退院の繰り返し
という事だった。
ほとんど社会経験がない人物。
私達にしても、もし、真っ暗な宇宙空間にただ浮いているだけだとしたら、
人としての喜怒哀楽も言葉も分からないでしょう。
上下、東西南北だって分からないはずです。
もしかすると、人間の最大の不幸かも知れません。
179 :
729:2006/06/29(木) 23:36:38
パソコンについて時々考える時がある。
現代のコンピューターは日進月歩であるが、しかし、これはあくまでも
生活を豊かにする一つの道具に過ぎないのであって、感情の捌け口として
使っているのなら、やはり、不健全と言わざるを得ない。
180 :
729:2006/06/30(金) 09:30:25
ネットでの書き込みは自分の顔が見えず、相手の顔も見えない。
暴走した感情のままに不満の捌け口としている。
自分というものが人に分からなければ、何をやっても良いだろう、という
ほとんど犯罪者と同じ手口である。
それでも、相手よりも自分のほうが正しいという主張をしたいのであろうか、
時々は高橋信次の言葉を引用しているようだ。
真の正しさは、他人の言葉を引用するだけではなく、自分の言葉、行為に
どれだけの誠意があるか思いやりがあるかというのであって、暴力的に力で
相手に勝利する事ではない。
181 :
729:2006/06/30(金) 22:12:54
もう随分昔の話になるが、新入社員として入ってくる人は様々な過去を
持っているんだ、と考えていた時期があった。
その中でも私が気になったのは、結構、年配者なのに性格が穏やかで
仕事もよく気が利いて、真面目に働く新入社員である。
そうした人を見ながら私は決心したのである。
私もあのような性格になれるのだったら、少々苦労するかも知れないが、
頑張ってみよう。
今の自分がどの程度なのかよく分からないが、努力はしているつもりだ。
182 :
729:2006/07/17(月) 03:05:39
漫画家である従兄弟は私と同じ村で生まれた。
私より3歳年上であるが、彼が生まれて間もなくして、父親は病死します。
その家は私の母の実家であり、永安家の本家でもあるのです。
その本家の長男として彼は生まれたわけです。
本家の主が亡くなると、次男に本家を譲り渡すのが昔からの風習であります。
ですから、彼は母と2人の姉と共に母の郷里へと引越しをしました。
その後、彼はある劇画家の下へ弟子入りし、10代でデビューしたのです。
その一方、私は高校3年の夏休みの頃、東京へ行って漫画家になるんだ、
と言い張っていました。
(つづく)
183 :
729:2006/07/17(月) 03:33:36
しかし、私の母は頑として私が東京へ行くのを認めません。
東京は危険な所であるし、漫画家というのも大変な仕事だと母は
思っていたようです。
そんな時、突然彼は彼の母と共に我が家にやって来たのです。
8月のお盆で彼の父のお墓参りだというのです。
一晩我が家に泊まり、私の母に東京の事や漫画家の事などを説明して、
母もようやく私の東京行きを認めてくれたのです。
漫画家という彼の存在があればこそ、私の東京行きが実現したのです。
高橋信次は言います。
「この世に偶然はない」と。
184 :
729:2006/07/30(日) 22:57:58
以前勤めていた会社で、仕事を終え皆で同じ電車で帰宅する際、同僚に
ある質問をされた。
「福ちゃん、最近テレビによく出ているあの新しい宗教団体をどう思う」
そこで私はこう答えた。
「本物か偽物か時間をかけて、じっくり見てると分かるよ」
本物であれば、高橋信次のように益々充実していくだろう。
偽物であれば、すぐにタネ切れになり、片っ端から周囲を批判していくだろう。
そういう意味で言ったのである。
185 :
729:2006/08/01(火) 08:19:50
高橋信次に学ぶとは“マサダの戦い”に似て厳しいものがある。
これは安閑と生きている者達との戦いかも知れない。
「私は孤軍奮闘してきました」
高橋信次のこの言葉は、もはや他人事ではないと言う事でしょう。
さて・・、そろそろ病院へ帰ろう。
186 :
729:2006/08/07(月) 23:16:49
一生懸命に働き、質素な生活をし、自分の趣味を大事に育み、
毎日謙虚に生きていく。
神の光は今も昔も変わらない。
人間のエゴが何もかも分からなくしている。
愛は憎しみを乗り越えて。
187 :
729:2006/08/14(月) 08:59:48
先週の透析中、看護婦とアルバイト男子による不手際があり、その影響によって
その日の深夜まで高血圧となり250まで上昇したままだった。
翌朝、ようやく血圧も正常に戻り、ホッとしたところで婦長(士長)が不在なので
主任を病室に呼び1時間ほど話し合った。
その後、血圧を測ってもらったが、それまでになかったほど、とても安定した血圧
に私と主任は驚いた。
血圧だけではなく、頭も気持ちもスッキリとし、まるで昨日のトラブルが信じられ
ないほどに透明感に包まれていた。
高橋信次がことさら対話を口にしていた、その理由を私は体験を通して分かったのです。
188 :
729:2006/08/14(月) 09:10:10
高橋信次が神を語る時、「太陽は無償のままに莫大なエネルギーを私達に
与えています」という事を言っております。
だからこそ、私も胸をはって、こうした掲示板で書き込みをやっているわけです。
189 :
729:2006/08/20(日) 18:34:30
他者を見て、あれこれと批判するのはたやすい。
しかし、そんな人物に限って自身については甘い。
なぜか・・。
自分の中にある悔しさに、いつも翻弄されているのだろう。
私達に真善美を求める本能があるのであれば、いつかはそうした邪心と
決別すべく決心するべきではないだろうか。
第三者的立場で自分を見る。
何事も勇気と強い決断力が求められる、という事だろう。
190 :
729:2006/08/21(月) 16:26:59
広大な宇宙、その中の小さな地球、その地球上で限られた地域。
私達が毎日を生きている場というのは、極々限定された世界。
その世界で沢山の人々がいて、それに比例した人間関係がある。
人間関係とは現在・過去・未来を支配し、幸・不幸を演出する。
それとは別に病や災害に見舞われる事もあるだろう。
人生の中で幾多の試練を乗り越え今に至る。
生老病死から実在の世界へと確かな一歩を踏みしめる。
191 :
729:2006/08/28(月) 22:23:56
入院して、透析を週に3回受けている。
1回につき4時間の透析である。このペースと時間は大体の透析患者が
守らなければならない基本。
透析患者で入院しているのは大抵の場合、足が壊疽になっていて、それで
通院が出来なくなっているという事である。
透析中、悲鳴をあげる人が必ず数人いる。
「いたーいっ」「早くしてーっ」「帰るっ」「あーっ」
殆どが女性。
結果論で言うと、覚悟がないまま、透析治療に入っていると言う事だ。
透析治療は延命治療でもある訳だから、もう少し心の準備をしていて
欲しいと思うわけです。
足の壊疽にしても、今では再生治療(血管再生)によって治るところ
まできているわけだから、普段から学ぶ姿勢があればと思う。
192 :
729:2006/08/28(月) 22:35:51
イエス(愛)、釈迦(慈悲)の愛や慈悲というのは一人の問題ではなく、
人と人の関係に存在するものだと言う事が分かります。
ですから、人が人を思う世界にこそ真実があるのです。
193 :
729:2006/09/04(月) 10:42:26
>人が人を思う世界ですか?
>人が神を思う世界は不要ですか?
>なんの為の神の存在なんでしょう・・・
“真実”と“神理”、これらの言葉の意味を混同してはならないでしょう。
真実とは人間の世界で使われているものであります。
時と場合によって変わる可能性があるのも、真実の特徴ではないでしょうか。
他方で“神理”といえば高橋信次の言うところの“神理”です。
時代や事情に影響を受けないのが神理であります。
人間の想像力さえも近づけない広大な宇宙、しかし、神理はその宇宙を貫き
私達の身近な大自然にまで到達しております。
(つづく)
194 :
729:2006/09/04(月) 19:07:40
イエスや釈迦の時代、大衆は殆どが無学であり、今の時代のように人類が
宇宙に出て他の惑星を画像で見たり、又、宇宙から地球を眺めるという事は
一切在りませんでしたから、より具体的な神の説明は難しかったのでしょう。
むしろ、当時の人々が生活している環境の中で、天国というものを説明する事
の方がより大事だったのであります。
高橋信次が悟った翌年、人類はようやく月の上に立つ事ができました。
'60年代、米ソは競って宇宙へ出て行きます。
即ち、人類の目は必然的に宇宙に向けられていきます。
そうした頃、高橋信次はアインシュタインのE=mc2によって悟りを得ます。
東の果ての国、さらに、その国の東の京(東京)で神理を人々の前に
明らかにするのです。
(まだつづく)
195 :
729:2006/09/04(月) 19:36:01
最初の神の言葉は「光あれ」であります。
これは宇宙的でありますから、神は自身を宇宙的存在として言っているのです。
そこで私達も神を説明する時は、宇宙的でなければなりません。
イエスは愛を釈迦は慈悲を人々の前に明らかにしました。
そして、高橋信次は神理を明らかにしていったのです。
天使がこの地上に出生して悟る時、時代もそれに呼応するのです。
私達が神理という言葉を使う時、常に神を心に思うわけです。
当然のことです。
(まだまだつづく)
196 :
729:2006/09/10(日) 17:31:55
'68年、米映画「2001年宇宙の旅」が公開され、そこで使われている
「ツァラトゥストラはかく語りき」という曲と共に登場するは我らが
エルヴィス・プレスリーであります。
その彼も'68年に復活し、'77年に他界します。
まるで、高橋信次を追うかのように。
197 :
729:2006/09/10(日) 17:51:47
'69年に月面に降り立ったアポロ11号の乗組員、彼らの中には信仰心に
芽生えていった者もいるといいます。
完成された宇宙空間。
完成された静粛。
完成された調和。
将来、多くの人々が宇宙から地球を見るようになった時、きっと、広大な
宇宙に神を見る事でありましょう。
高橋信次は言います。
「宗教とは宇宙を示す教えなのです。」
198 :
729:2006/09/11(月) 05:33:17
静粛→静寂
199 :
729:2006/09/11(月) 18:38:14
イエスや釈迦、彼らは何故、この地上に出生したのでしょう。
彼らの時代だって宗教は幾らでもあったはずです。
最も分かり易く説明しますと、天上への道が殆ど分からなくなって
しまったから、という事でしょう。
りっぱな事を言っても、行為が伴なってなければだめです。
言葉と行為があっても、気持ちに執着心があってもだめでしょう。
そこで、イエスや釈迦は自らの生き様を通して、天上への道を
明らかにしていったのです。
200 :
729:2006/09/11(月) 18:51:24
では高橋信次は、何故に出生したのでしょう。
それは、本人も言っておりましたが、宗教は一つ、世界は一つ、に
する為であります。
その為の神理を明らかにしていったのです。
高橋信次は自らをヤハベとして、モーセに十戒を授けています。
その内容を見ると、高橋信次の今生の目的がよく理解できます。
201 :
729:2006/09/17(日) 20:34:33
最近のニュースで2050年頃に世界の人口は90億人になるという。
これは高橋信次が言っていた事と一致する。
つまり、「地球人口は最終的に90億人になります。」という事である。
単に人口が増えるという事ではなく、そこに高橋信次の言葉が存在して
いるのは平坦な道のりではないと言う事だろう。
地球全体が神理を受け入れるかどうか、という問題にもなってくるだろう。
(つづく)
202 :
729:2006/09/17(日) 20:56:36
アトランティス時代、イエスが前世にアガシャーとして一国の長となり
国を治めていた頃、何らかの理由でアトランティス大陸を離れる事を
決断し、その後、初代のエジプトファラオになったという。
そして、アトランティス大陸は海中に没している。
私は世界人口90億人とこの関係がどうしても気になる。
203 :
729:2006/09/18(月) 21:08:29
私達は高橋信次を“補助する者”であります。
'76年以降、渡辺先生、堀田先生、そして、幾人かの弟子である方々。
こうした方は間違いなく“補助する者”であります。
204 :
729:2006/09/18(月) 21:24:03
“補助する者”はあらゆる想定の中で配置されております。
ある者が失敗をすると、次の者が出て来るというふうにです。
グローバルな現代にあって、突如として次の者は出てくるのです。
もはや、失敗は許されないという事であります。
205 :
729:2006/09/19(火) 03:24:16
>いつか必ずGLAを辞めます。今は仕方なく会員になっていますが・・・。
>会員以外の人が参加出来る集会で、医師や教授など社会的地位の高い人の
>生き方を例に取り上げるのずるいですよね。
なるほど、あなたがGLAで体験されている中で、疑問に思われている事はよく分かります。
実は私も'77年頃より役1年程、毎週、浅草のGLA本部へ通っておりました。
佳子さんが表に出るようになって、様々な問題も噴出してきたと思います。
本部での土曜日講演会では「え、こんな人が講師なの?」といった事も
よくありました。
そうした事が幾つか重なっていく内に、GLAから私の足は遠ざかっていきました。
高橋信次は次の言葉を引用しております。
「触らぬ神に祟りなし」
相手を見て変だと思ったら、その原因をしっかり掴む事が大事だと思います。
・法より自己を優先している場合。
・生神様になっている場合。
・組織に虚飾や虚勢が満ちている場合。
などといった場合は危険であり、近づかないほうがよいと思います。
>戸田恵子さんは会員なのですか?
私はこの方を全く知りません。
206 :
729:2006/09/19(火) 04:24:57
>高橋信次師、亡き後、法灯を守っている方々はどのようにして、
>心について学ばれていらっしゃるのでしょうか?
野球やサッカーなどといったスポーツで、プロになっている方は殆ど子供の
頃から始めている場合が多いと思います。
ですから、おもにイエス、釈迦、の頃から弟子であった方々が高橋信次の下へ
集まってきたわけです。
高橋信次の講演会ではよく“イエス、釈迦、モーセの法に還れ”という垂れ幕が
あったように思います。
高橋信次の本を見て、「これだ!」と思われる方は人の心について何かしら
疑問を持っていた方でしょう。
それにイエス、釈迦、モーセについても懐かしさを抱いている方も多いでしょう。
人によって心を学ぶ入口やそこに至る道筋は千差万別です。
何事も自分自身が持っている疑問から、始めるべきではないでしょうか。
疑問は大事な心の体験であり、己自身の牽引役でもあります。
207 :
729:2006/09/24(日) 12:48:25
神理を学ぶ日々でありますが、すっかり秋らしい季節となりました。
思えば、私が高橋信次を知った頃、私の心は高橋信次を「先代」と呼び、
そして、「全き我」を求める人生でありました。
現在は高橋信次を「補助する者」という気持ちで一杯であります。
208 :
729:2006/09/24(日) 21:50:31
人生の殆どは人間関係かも知れない。
人間関係の中で人の真実を沢山学ぶ。
ホラ吹き大会にも参加し、ギャンブル談義にも参加してきた。
いつも雑談ばかりなんだと思っても、やはり、皆、見るべきものは
見ているんだなと気づく時がある。
高橋信次は次の事を言っております。
「心は情である」
209 :
729:2006/09/25(月) 08:05:59
現実の中でしっかりと心の歯車が回転していなければ、何も学ぶべきものは
ないだろう。
学歴優先の時代にあって、自己を見失う場合が多いのも事実。
また、実践派にあっては頑固な性格に陥りやすいのも事実だろう。
学ぶというのは、如何に自分を砕くかという問題にも直面するのである。
あらゆる場面で心が空回りしないように、柔軟さと強い心が求められる
という事だろう。
210 :
729:2006/09/25(月) 08:14:02
せっかくの人生。
しかし、悪意は何もかもを台無しにしてしまう。
善意があればこそ希望があり、前進がある。
悟りは肯定の発見でもある。
211 :
729:2006/09/25(月) 21:11:49
心は正直である。
不完全消化になっている部分は、不調和な状態で表に出てしまう。
正常な人間関係が欠如している場合、他人の迷惑など全く考えず、
いつまででも、我が儘やりたい放題、一人で何役もやって、あちらこちら
スレを食い散らし放題である。
心の障害者というのは実に哀れだ。
212 :
729:2006/09/25(月) 21:21:37
高橋信次の弟子の方々に出会って、最初の印象は
みなさん、謙虚であったという事であった。
謙虚は何らかの努力を普段からしているから、
身に付くのであって、お調子者は我が儘の中で
いつも踊っていると言う事だろう。
これが特定の中国人留学生だけの話だと思ったら大間違いなのが辛い。実は中国人の大部分が、日本人には大戦で酷いことをされたから、
何をしても構わないと教えられているのだ。彼らのモラルからすれば日本人を殺して褒められることはあっても貶されることは無いのだ。
214 :
Nanashi_et_al.:2006/10/16(月) 08:58:07
215 :
729:2006/10/17(火) 04:22:29
突如として私の中でビッグバンが生じる。
その後は燃焼し尽くした自分があるのみとなる。
仕方無い、枯れた井戸にまた水が溜まるのを待つしかないのである。
216 :
729:2006/10/17(火) 05:06:22
人はパンによってのみ生きるにあらず。
私は子供の頃から大きくなったら小説家になりたい。
漫画家になりたい。哲学者になりたい。武道家になりたい。
などという夢をいくつも持っていました。
高校生の頃、内面性が変化しようとしていた時、現実の世界に対し
何か自分の世界とはまるで違うものを感じていた。
これは今だから表現できるのだと思う。
即ち、自分の中にある真実が外の世界にある真実とかなりのギャップが
あったという事だったのだろう。
その結果として、これから真実発見の為に生きていこう、そう決心
したのであります。
これが私の原点であります。
217 :
729:2006/10/17(火) 05:33:05
初心者さんお元気ですか。お久しぶりですね。
挨拶が遅れましたが、散歩なさってますか。
あの大きな公園の中にあるイチョウの木が来月頃黄色に染まって
とても見ごろですよ。
私のデートのコースでもありました。
218 :
729:2006/10/22(日) 20:46:28
昨年、薬局で頂いたパンフレットを見て「なるほど」と思った事があった。
それは糖尿病についての説明文で、
・糖尿病は健康な人よりもインシュリンの出が少ないので運動によって
・少ないインシュリンを補い、また、少ないインシュリンに合わせて
・食事なども取る必要があります。
それまで糖尿病についての説明は色々と聞いてきたが、これほどに単純明快
で納得できるものはなかった。
さて、高橋信次はこの世で死ぬ事よりも、あの世に生まれる事の方がより
大事なのです。
などと明言しております。
(つづく)
219 :
729:2006/10/22(日) 21:10:11
病気が治って良かったね、長生きできて良かったね。
この世では生きるか死ぬかというところで価値判断を置いている
場合が多いようです。
しかし、高橋信次によるとあの世からこの世の死を見るとこの世(あの世)へ
生まれてくる生まれ方が大事だといっているわけです。
この地上に生まれてくる赤ん坊は皆、健やかで純真であります。
それは天上から生まれてきている証拠でもあります。
しかし、逆にこの世を去る人々達が怒りや苦しみなどを持ったまま、あの世へ
旅立った場合、どういったあの世へいくのでしょうか。
220 :
729:2006/10/23(月) 03:22:03
makiさん、元会員さん、初心者さん、こんにちは。
こうやって時々、みなさんの声を聞くと嬉しくなります。
誰かこれを読んでくれている、これだけで私は幸福だと
思っています。
221 :
729:2006/10/24(火) 03:31:59
高橋信次の神理を学びながら、ふと気づく事がある。
それは相手を見る目が、以前とは変わってきていると言う事である。
人は大抵の場合、自分一人で生きていると思っている。
しかし、高橋信次の神理を学んでいると、人は誰でも皆、守護・指導霊と
共にこの世を生きている事が理解されてくる。
それで私が人を見る時は、その人の守護・指導霊とセットでその人を見て
判断するという習慣が、いつの間にか身に付いているのに気づく。
222 :
729:2006/10/24(火) 03:48:12
簡単に常識を逸脱しても、なかなか自らを修正できない人物がいる。
こういう場合、その人物の守護・指導霊もだらしが無いという事が言える。
いづれ、その本人があの世から指導霊なり守護霊となって、地上に出ている
魂の兄弟を守護・指導霊となって善導する段階で、果たしてどこまで魂の
兄弟を守り指導できるか疑問である。
だからこそ、今というこの時を大事に、一つ一つを真剣に学んでいくべきでは
ないだろうか。
223 :
729:2006/10/28(土) 23:34:59
幾人かの婦長と知り合いになり、色々な事を話す機会がある。
それぞれ受け持っている部署は違うが、責任に対する思いは強いようだ。
その分、孤独と戦う部分が結構あるようにみえる。
大切な人生、いつの日か心を開く大事さを知って欲しいと願う。
224 :
729:2006/10/29(日) 08:32:00
人は誰でも自己に目覚める時がある。
善我に戻る瞬間であろうか。
懐かしい記憶は永遠の自己との再会。
225 :
729:2006/10/29(日) 13:56:07
人は人生の中で「これだ」というものを掴む時がある。
いわゆる道標というものだろうか。
それは人生をより充実させ、さらには意味あるものとしていく。
226 :
729:2006/10/29(日) 17:54:28
もし世の中に、苦しみ悲しむ人々がいるのなら、私はその中に
入っていき共に心の苦しみを体験しよう。
もし憎しみや怒りで、心を燃やす人々がいるのであれば、私もその中に
入っていき体験を共にしながら心の真実を知りたい。
20代の頃の私の熱い思いでありました。
227 :
729:2006/10/29(日) 20:56:01
「神よ我に七難八苦を与え給え」
上京する前から私の心にあった、一つの祈りでした。
本当に苦しい時、暴力や犯罪などの結果なんて殆ど気になりません。
心は野獣になり、無法の世界に野放図に生きるようになります。
しかし、今はどうでしょう。
すごく女性や子供に同情的であります。
どんなに強がりな事を言う女性がいたとしても、やはり女性です。
男性の腕力には勝てないし、社会的にも男性よりまだ評価は低いのです。
同情する自分は、まるで泥沼でもがいているようでもあります。
もしかして、私の弱点かも知れません。
228 :
729:2006/10/30(月) 00:31:00
プロレスラージャイアント馬場が死去し、アントニオ猪木は引退。
絶対的なスターであるレスラーが居なくなった現在、各団体は生き残りに
必死である。
特にメジャーである新日本とノアは、他の団体からレスラーを招いて活性化
を図っている。
そこにはそれぞれの違うレスリングスタイルのぶつかりがあるから、観客に
とった更に面白い。
(つづく)
229 :
729:2006/10/30(月) 00:49:13
見ている側にとって、別々のものが存在しているから、それぞれの特性が
よく見える。
高橋信次在世中、多くの人が集まって心の勉強をしている場面がよくあった
ようだ。
高橋信次はこうした時を、絶好の学びの機会としていたらしい。
様々な人々の中にいてこそ、自分の長所、短所がよく分かるという事だろう。
他者の存在は自己を知る為と思え、そういう事と理解している。
230 :
729:2006/10/30(月) 06:50:52
何事も愛情が必要だ。確かにこれは真理だと思う。
一方で自分の過ちに気づかない者もいる。
周囲から指摘を受けても、更に意地を増す。
高橋信次は「慈悲魔」は良くないという事を何度も言っている。
戦時中や貧しい時代と違って、現代は過保護になり易い。
そこで、こうした現代に高橋信次は警告を発しているのである。
231 :
729:2006/11/05(日) 11:29:31
学問は真理を希求し、心に氷解を得、人間の創造世界は神の領域に限りなく
到達せんと歴史的時間を消化しているのであります。
私達の人との出会いは、予測できないものである。
そこには一人の人間として、あらゆる人の個性を推し量る事は不可能という
限界が私達の現実としてある。
232 :
729:2006/11/05(日) 11:52:58
内的エネルギーがあればこそ、喜びがあり、苦しみがある。
そして、考える事もエネルギー。
地球が自転、公転しているのもエネルギーであります。
人の思う、考えるというエネルギーは大半が問題を発生させてしまう。
しかし、宇宙の惑星の運動エネルギーは調和の中にあって静寂を維持している。
私達の学ぶべき教科書は実に巨大である。
233 :
729:2006/11/05(日) 14:07:01
仕事に従事している人をみると、みなさん生き生きしていて若い。
60前後の方々もおられるが、やはり生き生きとして充実している。
患者という優位な立場でいつも我が儘を言っているのは、どうにも
不健全としか私の目には映らない。
234 :
729:2006/11/05(日) 16:36:05
悲しみの中にいては地獄だ。
寂しさの中にいても地獄である。
そこで、風という存在をしっかり学ぶのである。
風は有害な大気を吹き払い、新鮮な大気を運んでくれる。
私達の思いも閉塞的で元気を失くす場合、思いや考えを
切り替えるという作業が必要となるだろう。
無意味に、風は存在していないという事である。
235 :
729:2006/11/05(日) 16:58:12
不登校、引きこもりというのが社会現象として問題になっている。
戦時中や終戦直後をみると、食べるという事だけでも必死。
自然と生きる事に鍛えられていたのだろう。
現代は甘やかしの時代であるようだ。
自己との戦いは、どこか忘れられているのである。
自己に厳しく、他者には寛容に。
人としてあるべき精神を学ぶ。
236 :
729:2006/11/06(月) 01:34:44
人との関係で気持ちの行き違いが最も難しい。
そこで私なりのやり方であるが、自分の立場が難しい立場に
追いやられたとしても、騒がず弁解もせず、主張もしない。
相手に弁明を求められれば、その時に自分の気持ちを説明
すればよいと思っている。
ただし、普段から身近な人間関係のあり方なども真剣に
考えておくべきだと思う。
大宇宙、大自然を考える事は大事であるが、身近な人間関係
などもいかにあるべきかという事を考えるのも大事である。
237 :
729:2006/11/06(月) 22:02:01
「時は進むが人は進まず」
これは私が2002年に初めてホームページを開設した時の言葉である。
一見して文明が高度化して、人も前進しているかのように思えるが、
いじめの問題、ホームレスの増加、役人の汚職などといった諸問題が
依然としてある。
これらは必然的に起きている問題ではない。
心の問題である。
いつの時代でも、心を学ぶ事を求められている私達である。
238 :
729:2006/11/06(月) 22:19:52
「出会いは別れの始め」
私が子供の頃、叔父から聞いた言葉である。
そろそろ今の病院を退院する事になりそうだ。
約4ヶ月半の入院。
可愛い看護婦さん達ともお別れ。
楽しい思い出、ありがとう。
239 :
729:2006/11/10(金) 09:25:44
私達は今という現実に生きている。
宗教に深く関わっていると、いつの間にか現実から遊離し
逃避している場合がある。
常に現実の中で己を洗濯(反省)する事を忘れてはならない。
240 :
729:2006/11/10(金) 09:38:29
相手が小さく見えて、自分の心が自己満足に傾いている場合、
危険信号が点灯していると思ったほうがよい。
バランス(調和)を失った心に安らぎはないだろう。
241 :
729:2006/11/10(金) 09:47:16
人生に特別なものはない。
人生に近道はない。
人が歩むべき道は一歩一歩前進しながら、
喜びを悲しみを噛み締めていくもの。
242 :
729:2006/11/12(日) 11:03:21
思い、願い、祈り。
所詮、私達は肉体をもったただの人間。
自分の思い通りにならない事はいくらでもある。
聖者と言われる者は、泥沼化した人間社会を何とかしたい、
その願い一心で、救いへの祈りを人生に行為に
体現しているのであります。
243 :
729:2006/11/12(日) 11:14:16
人は言葉を発する事がなくとも、相手に通じる場合がある。
言葉は自分の意思を相手に伝達する手段であって、目的では
ない。
沈黙を選択する事によって、乱れた言葉の世界から一歩引いて
心の平安を守る事も出来るだろう。
244 :
729:2006/11/13(月) 00:32:26
高橋信次は人を見る基準の一つとして、「相手の私生活を見よ」と
言っている。
頭デッカチの宗教を目的とした団体があるとしよう。
オリジナル的なものは殆どなく、既成の宗教教理を寄せ集めたものばかりで、
言っている事と行為は矛盾だらけ。
そして、異常なほど他団体に敵対心を持ってしまう。
それにやたらと、宗教専門用語を好んで使い、会員達には釈迦時代に使われて
いた呼び名を与え、会員である事に誇りを持たせようとする。
現実には私生活さえも、組織の一細胞として管理し、取れる金銭は何かの
名目をつけて取り上げてしまう。
(つづく)
245 :
729:2006/11/13(月) 00:52:23
こうした組織の一人が、自由に何でも書き込める掲示板に出没するように
なったとするとどうなるか。
元々、言動不一致で自己の心まで浄化出来ないのであるから、手足が感覚
麻痺状態で何を触って、何を踏んでいるのかさえも理解出来ないのである。
だから、自分が暴れる事によって、周囲にどれだけ迷惑掛けているかは
到底分からないのである。
私生活はといえば、毎日が集団生活で殆ど「宗教ごっこ」ばかりであるから
いくら常識を説明してもなかなか本人に届かない。
(さらにつづく)
246 :
729:2006/11/13(月) 01:04:32
様々な人々が集まっている所で、彼らが「宗教ごっこ」している事に
一つでも何か気づいてくれればと、いつでもその事を注意しながら
彼の書き込みを見ているわけです。
しかし、気づくのは彼自身の問題ですので、私達はそれを忍耐強く
見守るしかないのでしょう。
247 :
729:2006/11/13(月) 09:47:35
日本国内には様々な宗教が大小いくつもある。
高橋信次、釈迦、イエスなどの場合は霊現象や預言などで存在感を示し。
一歩、彼らの世界に踏み入れると、生きている責任の殆どを本人の問題として
真理追究に励む事を求めている。
その一方で高橋信次、釈迦、イエスなどは自らの体験を交えながら、人が
到達すべき真理の世界を人々の前に明らかにしている。
248 :
729:2006/11/13(月) 10:09:32
医学、物理、科学といった学問は時代と共に新しい世界を切り開いている。
しかし、宗教や哲学、思想といったものは旧態依然のままである。
そこで高橋信次は「哲学や思想を超えた真理を得なければならない」と
言っているのであります。
249 :
729:2006/11/13(月) 10:22:57
人がこの世を生きていくのに、大切なものはいくつかある。
衣、食、住を経済の基本とし、心がそれらにどう関わっていくのか。
何故なら、私達が地上の人生の目的が心の調和であり、たとえ、物との
関わりであろうとも、そこでの心の調和を発見していくのが私達が果たす
べき目的なのであります。
250 :
729:2006/11/13(月) 10:43:00
未来に真理を託すのは簡単な事。
過去に愚痴を溢すのは簡単な事。
何よりも難しく、厳しいのは現実という今の自分の中に
真理を血肉にできるのかという問題であろうか。
「怒るな」「愚痴るな」という問題さえも一生の問題
だと思っている。
251 :
729:2006/11/16(木) 23:17:25
世の中には誰もが納得できる真理がある。
それにはとてつも無く、勇気を必要とする場合が多い。
依然、密室的行為によってあらゆる犯罪を犯した教団、今もその教理を
受け継いでいる。
たとえ、教団名を変更しても中身をみると一目瞭然。
彼らに残された道とはどのようなものか。
252 :
729:2006/11/16(木) 23:46:04
彼らの無法ともいえる行為によって、多くの犠牲者がでた。
実行犯の大半は逮捕されている。
それでもあとに残された教団は、会員と資金集めに躍起になっている。
もし、彼らが本気で真人間になろうとするならば、何もかも捨て、
社会の中に出て、何でもいいから働く事だ。
工事人でも皿洗いでもよいではないか。
月に1万円でも2万円でもいいから、今も苦しむ被害者や遺族の方々に
損害賠償金として払っていくべきではないのか。
自分達の労働を通して払っていく事にこそ、被害者に罪を償う真の
人間としての姿があるのではないのか。
253 :
729:2006/11/17(金) 19:46:23
私達に肉体保存という本能があればこそ働く。
性欲という本能があればこそ恋人を求める。
人としての感情があればこそ幸福を求める。
人としての知性があればこそ日夜学ぶ。
人としての理性があればこそ調和を得たいと思う。
自分の力不足を知ればこそ自分と向き合う。
自分の足りなさを知ればこそ他者に学ぶ。
小さな自分を知ればこそ宇宙に学ぶ。
魂の故郷を求めるからこそ神理を学ぶ。
254 :
729:2006/11/17(金) 23:04:12
私が生まれ育った長崎県の佐々町という町。
私の家と海は約800m程の距離がある。
その中間に母の実家である永安家の本家がある。
小学6年生の時に泳ぎを覚え、それ以来海に行くのが何より
楽しかった。
特に、満ち潮の頃に海に行くと、海岸に満々と透き通った
海水を見る事ができる。
しかも、大きな魚が満ち潮と共にやってくる。
当時の私の楽しい体験の一つでありました。
255 :
729:2006/11/17(金) 23:13:12
テレビ番組で、南太平洋やカリブ海などでの釣り番組を見るのが、
最近の楽しみであります。
何処まででも透き通った海水、それに大きな魚。
そして、青く眩しい空。
高橋信次は言います。
「人間以外は神の創造物であります」
256 :
729:2006/11/17(金) 23:27:44
魚の種類、形、模様なんて、一体どのくらいあるのでしょうか。
それだけを考えても、人間の創造など神の創造に比べて、何て
小さいのだろうと思うわけです。
小説家、漫画家、脚本家などストーリーやアイデアでいつも苦労
をしているのです。
しかし、魚の世界、人間の世界、パンダの世界、自然界の世界など、
ドラマに満ち溢れているではありませんか。
やはり、神の創造はすばらしい。
257 :
729:2006/11/19(日) 06:05:41
高橋信次の「この世には絶対はない」といったような言葉があります。
これまでの自分の人生を振り返ると、いつも失敗ばかり。
そのくせ、他人には当然のように完璧さを求めていたわけです。
実に我が儘な私であります。
「他者に寛容に」
これは自分との戦いでもあります。
人を認める。自分の中で起きた大きな変化でありました。
(つづく)
258 :
729:2006/11/19(日) 06:19:48
誰だって面倒くさい仕事は嫌なはずです。
警察官だって、政治家だって、学校の先生だってみな同じ
生身の人間だから、嫌なものは嫌なはずです。
だからといって、全てそういう事を認めていたのでは
世の中、おかしくなってしまいます。
(次も続きます)
259 :
729:2006/11/19(日) 06:42:55
そこで釈迦やイエスの生き方をみると、人として何が大切か、
その意味を私達に提示しているように思います。
お金にならなくとも、名誉を得なくとも、彼らは真の人としての
あるべき生き方を、示しているように思えるのです。
もし私達が釈迦やイエスだったら、人の真実を求め、王子の座や
家族を捨て森の中へ入って行くでしょうか。
相手を許し、自ら十字架にかかるでしょうか。
(そしてさらに続く)
260 :
729:2006/11/19(日) 07:05:28
釈迦やイエスのように、生きている内に悟るというのは大変な事です。
私達の場合はもっともっと、時間がかかるのは当然でしょう。
ならば、相手に対してもそのように、せめて苦しくないような、
余裕のある見方をするのが、思いやりではないだろうか。
自分が修行中の身であるなら、相手も修行中であるわけですから、
絶対は修行の対極にあるように思います。
261 :
729:2006/11/19(日) 20:54:38
聖書の時代より、私達の仲間は動物のような生活をしていても
常に天上のコンタクトを受け、心は肉体次元を超えて調和した
菩薩、如来の霊囲気の中にあって、より充実した人生を送って
いたのでありましょう。
262 :
729:2006/11/19(日) 21:15:46
神の霊囲気を味わうというのは、なかなか普段、在り得ない事であります。
しかし、使命に全てを捧げている者に、時として天は私達に勇気を、或いは
直感や霊感を与えるわけです。
本物と偽物との大きな違いは、偽物が人々に与えるのは「絵に描いたぼた餅」
ぐらいで、中身を伴わない場合が殆どであります。
本物である者達は悪とは一切妥協せず、ひたすら天への道を歩んでいるので
あります。
263 :
729:2006/11/20(月) 00:20:17
高橋信次の話によりますと、ヒットラーやムッソリー二は今も
無間地獄にいるといいます。
多くの人々を殺害し、それだけの怨念がヒットラー、ムッソリー二を
無間地獄に追いやっているようです。
被害者の怨念が無くなるまで、彼らがどんなに反省しても無間地獄から
出られる事はないともいいます。
264 :
729:2006/11/20(月) 00:30:22
私達が心が全てと悟るのは、いつの事なのでしょうか。
権力の座に己を見失い、人の心を踏みにじる。
たとえ、相手を殺害し、この世から抹殺したとしても、その続きは
必ずあの世で待っているのです。
265 :
729:2006/11/20(月) 00:39:10
現代では人を殺害すれば、本人の命で償うか、一生、刑務所の中で
反省の日々を送るかという事になるでしょう。
それでも、真の裁きはあの世にあるわけですから、心や魂についても
学ぶ必要があるのです。
266 :
729:2006/11/20(月) 16:08:12
・マタイによる福音書(26-52)
剣をとる者はみな、剣で滅びる。
-------------------------------------
親が子を殺し、子が親を殺す。
金や財産の為に人を殺す。
目的達成の為、人を騙す。陥れる。
(1)
267 :
729:2006/11/20(月) 16:25:38
目的が平和であれば手段も平和的であるべきです。
目的が真理であれば手段も真理的であるべきです。
目的が教団会員への勧誘であれば、教団がどのようなもので
教団活動の実態も明らかにすべきでありましょう。
(2)
268 :
Nanashi_et_al.:2006/11/20(月) 16:41:48
高橋信次は人類の地上での目的は自己確立と仏国土ユートピアの
建設だと明言しております。
そして会の存在の目的は共に学ぶ為のものであって、
会員獲得の為に働けとは一言も言ってはおりません。
(3)
269 :
729:2006/11/20(月) 22:18:47
高橋信次は「天使の心はいつも義務と責任で一杯です。」といった事を
言います。
これは「剣をとる者はみな、剣で滅びる。」に似た言葉で、
本人の真の目的は、いつも心の中にどのような思いがあるのか、
その思いが、意志となり目的となっているわけですから、
普段の言動や私生活をしっかり見ておくべきです。
(4)
270 :
729:2006/11/20(月) 22:43:20
自分の思いは自分の世界、と思われているのではないでしょうか。
実は、心という世界は循環の法則として存在しております。
私達の心は、他者に対して影響を及ぼしながら、毎日を生きているわけです。
心の中で他者を軽視する者は、いつかその反発が返ってきます。
人への殺害目的で何かの道具を手にすれば、相手も護身用にそれなりの
道具を手にするという事でしょう。
(5)
271 :
729:2006/11/21(火) 02:52:55
私達は今という現在に生きています。
特別な事情がない限り、今、流通している最も便利な機器を使用します。
ワープロ専用機からパソコンへ。
レコード盤からCDへ。
フィルム写真機からデジカメへ。
手紙からEメールへ。
時代は確実に前進しております。
(A)
272 :
729:2006/11/21(火) 03:06:05
そこでいつもの私の意見です。
「世の中、便利になって良かったな」
などと喜んでいる場合ではありません。
何故なら、'90年以降、世界事情も確実に変化して
いるわけです。
(B)
273 :
729:2006/11/21(火) 03:25:32
'90年前後、世界の社会主義体制は次々と崩壊していきます。
'95年、windows95の発売によってPCは急激に社会に普及
していきます。
それによって、世界の情報はより確実に、より早く大衆の
ものとなります。
そして、これまで個人の意見が限定された場でしか発信
出来なかったのがPC一つで、経費も安価で可能になって
いるわけです。
(C)
274 :
729:2006/11/22(水) 00:19:16
さて、今は2006年、つまりイエスが生まれて2006年目という事でしょう。
一方で高橋信次に学んでいる私達はというと、高橋信次が逝去して今年で
何年になっただろう・・などと考えるわけです。
つまり、世界はイエス生誕の年数を一年一年数えて、私達は高橋信次逝去
からの年数を計算しているのです。
(D)
275 :
729:2006/11/22(水) 00:31:10
・ヨハネの黙示録(22-12)
見よ、わたしはすぐに来る。
報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
わたしはアルパであり、オメガである。
(E)
276 :
729:2006/11/22(水) 00:54:41
天は間違いなくその仕事を、その任務を果たしているのです。
即ち、地球の透明化であります。
情報公開、最大公約数的個人の自由・・人類の歴史はこれらを
獲得する為にどれだけの血と汗を流してきたのでしょう。
天は地球を暗黒から光の世界へ、引き上げているのです。
モーセがユダヤの民を、エジプトからイスラエルへ導いていったのと
同じ現象が今、起きているのです。
(F)
277 :
729:2006/11/22(水) 13:39:41
最初の者であり、最後の者である。
初めであり、終りである。
一=初め 九=終り
1900年代、高橋信次はこの地上に出現し、そして、1976年逝去したのでした。
(G)
278 :
729:2006/11/22(水) 14:04:30
ヘレンケラー、シュバイツァー、チャップリン、マハトマ・ガンジー、
そして野口英世。
人類に魂や心を強く印象付ける天使達。
やがて、人類の科学は宇宙へと出て行きます。
そこで待ち受けていたのは、高橋信次と神理であります。
1900年代、土台は全て完了したのであります。
(H)
279 :
729:2006/11/23(木) 00:57:50
考えてみると、子供の頃から心に響くものをいつも
求めていたように思う。
情熱的な人生、情熱的な恋、私にとって上辺だけの
人生は考えられない事だった。
創刊間もない「少年ジャンプ」で連載漫画「男の条件」が
始まった時、私の中に眠っていた将来への夢とロマンが
全て爆発したのだ。
「この生き方こそ、私の生き方だ」
何の迷いもなかった。
(あ)
280 :
729:2006/11/23(木) 01:09:04
高校三年の夏休み、「東京へ行って漫画家になる」
もはや、私の熱い思いは未来へ向かって歩み出していた。
しかし、母の反対で足止めを食っていた。
そんな時、従兄弟の漫画家が我が家にいきなりやって来た。
そのお蔭で、母は私の上京する事に同意してくれた。
(い)
281 :
729:2006/11/23(木) 01:21:43
更にもう一人、ある人物が我が家にやって来た。
中学の時の仲間で、東浅草の靴工場で働いていた友人だった。
話はトントン拍子で進み、彼がお盆休みが終わって浅草へ帰る
段階になる頃、私を一緒に東京へ連れて行くというのだ。
この時、私は目に見えない力を感じていた。
(う)
282 :
729:2006/11/23(木) 01:43:12
話が決まった以上、即、学校へ退学願いを出した。
私の退学が決まって、それまで色々と私の相談相手
をしてくれてた先生が夜、酔っ払って私の部屋に
入ってくるなり、倒れて大の字になった。
「何でやめたんだ、何でだ」
そう叫ぶ先生を見ていて、人の思いやる心の重たさを知った。
(え)
283 :
729:2006/11/23(木) 02:01:31
私が上京したのは昭和45年、初めてアパート住まいを
したのが足立区梅島3丁目、毎週日曜日は東浅草で働いて
いた彼の寮へ遊びに出かけていた。
日比谷線で南千住駅で降りると、高架線の駅から当時の
東京球場が見えていた。
それに駅の前は路面電車が走っていた。
しかし、途中、山谷を通るので酒臭かったのを覚えている。
(お)
284 :
729:2006/11/23(木) 02:21:19
上野、浅草などをぐるぐると散歩をし、お腹が空くと下町浅草の
小さな小料理店で食事するのが私達のコースだった。
'77年、GLAを知った時、正直、私は驚いた。
何度もそこは歩いていた場所なのに、どうして、それまで
気が付かなかったのだろう。
(か)
285 :
729:2006/11/23(木) 19:55:34
漫画を描いては出版社へ持ち込むという、それまでの人生は変わらなかった。
GLAを知った頃、何度も原稿を持ち込んでいた出版社があった。
編集者とも顔見知りになり、ある時、原稿依頼の声をかけてくれた。
「原作はこちらで用意しますから、やってみませんか」
内容は少々エッチであったが、やってもいいかなという気持ちだった。
(き)
286 :
729:2006/11/23(木) 20:10:58
いざ返事をする日、編集者とテーブルを挟んで向き合い、
快く受諾しょうと口を付いて出たのは、断りの返事だった。
「あれれ」
自分でも驚いてしまった。
この時の私の気持ちには力がなく、それまで必死に漫画の事
だけを考えていたつもりが、漫画の世界から私の気持ちが
遠ざかっているのに気がついた。
(く)
287 :
729:2006/11/23(木) 20:31:30
心の変化はそれだけではなかった。
お金が無くなれば、適当にアルバイトをやって、後の
時間は全て漫画制作に熱中するのが私の日課だった。
ところが、依頼を断ってから、それまでの生活を捨て、
外へ出て、無性に働きたい。
自分で説明がつかないが、そう強く思った。
(け)
288 :
729:2006/11/24(金) 02:03:23
私の人生はこのように、説明がつかない場合が多かった。
「一体、私って何だろう」
渡辺先生と知り合った頃は摩訶不思議の連続で、天を恨む
気持ちを抱いていた程だった。
そして、つい最近まで仕事優先でやってきて、これもまた、
大きな変化があり、これらはいづれ話す機会があるでしょう。
(こ)
289 :
729:2006/11/24(金) 02:32:56
・ルカによる福音書(17-20)
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、
イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで
来るものではない。」
290 :
729:2006/11/24(金) 02:43:59
イエスは、各自の心の中にこそ神の国を打ち立てるべきだと言う。
しかし、これは大変難しい問題である。
まず、利害をもった心では到底、神の国など無理であり、
心に神の国を打ち立てる事ができるのであれば、死を克服したのと
同じだからだ。
(2)
291 :
729:2006/11/24(金) 02:57:49
高橋信次の「仏国土ユートピア建設」もこれと同じ意味に
なると思う。
私達の一生をこうした事に費やしたとしても、それだけの
価値はあるのです。
結局、自己確立の行く先が明確になっているわけです。
あとは、地道に学ぶしかないという事でしょう。
(3)
292 :
729:2006/11/24(金) 23:05:56
・マタイによる福音書(5-39)
もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも
向けてやりなさい。
更に高橋信次は次のような事も言っております。
「たとえ腕一本、?ぎ取られるような事があっても怒っては
ならない」
(A)
293 :
729:2006/11/24(金) 23:20:26
イエスや高橋信次は平和の使者だと、思われている部分が
あると思いますが、上記の言葉をみますと、何て厳しい
事を言うのだろうという事になります。
世に言う、悪人と呼ばれている者達は、常に人々から
どうやって金銭や財産を奪い取ってやろうかと考えて
いるわけです。
(B)
294 :
729:2006/11/25(土) 18:22:03
そして、イエス、高橋信次といった使者はこの世のあらゆる
困難に人類が克服して、生きていけるように徹底した心の
準備を促すのです。
現在は振込み詐欺事件が多発しておりますが、この問題に
しても、普段から被害者にならないように、どれだけ考える
努力をしているかという事になるでしょう。
(C)
295 :
729:2006/11/25(土) 18:37:27
謙虚さにしても、見掛けの謙虚さをイエス、高橋信次は嫌います。
何故なら、偽我は自己を腐敗させる第一原因だからです。
私達は常に相手の本音に騙されないように、思いや考えを鍛えて
おく必要があります。
そうした努力抜きにして、愛だとか善意などと言っても実効は
殆ど期待できないのです。
(D)
296 :
729:2006/11/26(日) 01:47:04
暗闇から声が聞こえる。
「何を迷っているのか」
「あなたは誰ですか」
「闇が怖いのか」
「ここはどこですか」
「おまえはどこからきた」
「わかりません、気がついたらここにいたのです」
(1)
297 :
729:2006/11/26(日) 01:56:17
「自分の名前と生年月日を言えるか」
「・・・はい大丈夫です」
「今の自分の状況が分かっているのか」
「さあ、何も分かりません」
「では、何を見たいのか」
「・・・何をって」
「何か見たいものはないのか」
「・・・」
「会いたい人はいないのか」
(2)
298 :
729:2006/11/26(日) 02:06:05
「両親に会いたいです」
「それから」
「兄や妹にも会いたいです」
「他は」
「昔の友人にも会いたいです」
「最後に会ったのはいつなのか」
「さあ・・」
「生きている時に、人を大事にしてなかったな」
(3)
299 :
729:2006/11/26(日) 02:18:23
「生きている時って・・・」
「おまえは死者の国へきているのだぞ」
「え、でも生きていますよ」
「ちゃんと息もしているし」
「最初はみんなそう言うんだよ」
「病気で意識を失っていただろう」
「その時の事は覚えているか」
「あ、そうだった」
(4)
300 :
729:2006/11/26(日) 02:32:25
「それじゃ、そのまま私は死んだのですか」
「そうだよ、残念だが心不全を起こしてな」
「そうだったのか・・」
「私はこれからどうなるのですか」
「仕事は、病院の予約もあるし」
「肉の体から離れて、まだ、そんな事考えているのか」
「よく気持ちの整理をする事だ」
「そんな事言っても、洗濯物もあるし」
「部屋の掃除もしてなかった」
(5)
301 :
729:2006/11/26(日) 02:49:22
「いいか、よく聞くんだ、地上の生活は終わったのだよ」
「地上での事は全て終わったのだよ」
「そう言われても、こんなに元気だし」
「仕方がない」
「私の腕につかまりなさい」
「それ」
「あぁ」
「どうだ、ここの場所ならよく知っているだろう」
「分かりますよ、ここは駅へ行く道ですよ」
(6)
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