>確率の話はどーも世界はすくなくとも実際的には決定論的なもので、しかも実用的には
>確率論はつかえるんだからい いのだ、というあたりで落しどころになりそうな感じですが、
>いや、ぼくはだいたいそんなとこかなーと思ってるのですが、 なんかそれって良識が
>ふつうに勝っただけでぜんぜん思考の努力がないような気もして、一をゼロで割ったり
>逆だった りっておかしいだろ、とかそういう誰でも躓くけど納得しないと高度な議論に
>もっていけないようなことって、実は最先端で はたしかにふたたび問題になるようなことも
>多いので、あんまり簡単にかたづけてはいかんと思うのですが、というか、傾 向性解釈
>みたいな、確率の実在論的解釈とかはどーなってるんだ、とか、なんか奇妙にアイン
>シュタインの隠れた変数 説に好意的なひとがおおかったりしますが、本当にいまは否定
>されてるんだけどやっぱり神はさいころを振らないのだっ て本当ですか。とはいえ、量子論
>的なミクロでの不確定性が、人間的なレベルでの自由意志や偶然性の根拠だというの は
>ぜったいにうそなので、(考えてみてください、自由という概念を、自由と偶然性は違うで
>しょう。わたしの意思が偶然に よって決定されるということをして自由と称するのはおかしい)、
>問題はむしろ数学的「手続き」としての確率を疑うという よりも、(実際に有効なんだから
>あんまりそんなことをしても意味はない)、必然性、偶然性、可能性という様相的な概念
>の理解の仕方がけっこういいかげんなのではないですか、というあたりなのかと思うの
>です。
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