392 :
Nanashi_et_al.:
>>390 暗記は,文字を見ないでも「言える」ことで,
丸暗記は,対象の全てを暗記するということになる
しかし,暗記という行為は「言える」が主であり
その行為に「解釈」という行為は含まれない
つまり,丸暗記とは暗記-解釈における比が
暗記:解釈=10:0ということを意味する
結局,丸暗記批判は
解釈という行為が含まれない
という丸暗記学習の姿勢に向けられている
お。
>>390 どうやら言いたいことは私と同じようだね。
ケコーンしますか?
続き
当然,記憶力と思考力を排他的に批判することは無意味であり
思考は記憶なしに拡張されることなく
記憶は思考なしに利用されることはない
問題は,学習過程における記憶力-思考力向上のための戦略を
どのように設計するかが重要なのだろうと思う
ちなみに九九が出てきたが,数え上げにおける能力としては
計算の速度と精度が要求される
九九の丸暗記も九九の範囲において有効であるが
そろばんと同等の処理機構を身に付けた人にはかなわない
計算機構を身に付けた者は,九九をはるかに上回る速度での数え上げができるのだ
>>395の最終行を修正
計算機構を身に付けた者は,九九の丸暗記をした者をはるかに上回る
適応範囲で高速・高精度の数え上げができるのだ
397 :
Nanashi_et_al.:02/06/21 16:07
>>395-396 それを理由に九九なんかやらないでいいからその高度な計算機構を身に付けろと君は言うのかね?そうでは無かろう?
私がそうした発展的能力を否定して暗記マンセーを唱えているように見えるのかね?
君は単に理系の真骨頂とも言える高度な推論計算の威力を宣伝して自己満足したいだけちゃうんかと。
398 :
Nanashi_et_al.:02/06/21 16:09
計算機構が身に付いた人は、外国でお釣りの詐欺に遭わないですむね。
あ、でも、語学力がないと、外国では意味無いか・・・
・・・寄り道 スマソ
>>392 >結局,丸暗記批判は
>解釈という行為が含まれない
>という丸暗記学習の姿勢に向けられている
この意見にはもとより同意している。
ところが、世の中はそうなっていない。
あえて、
>>392の言葉使いを使うなら、
世間でいう「丸暗記批判」は、「暗記批判」にエスカレートしている。
3割削減で批判の多い文科省の新教育課程なんぞは、
明らかに丸暗記批判と称する暗記批判に基づいていると思うが。
>>341 >>何度も何度も繰り返し覚えさせて、もう絶対に忘れない
>>だろうって思えるくらい反復させて
>>よし、じゃあ新しいことを教えようって張り切って、
>>そこでまた苦労して、苦労して、やっと通分ができるようになった
>>「今度は念のため図形の面積を復習してみようか、長方形の
>>面積ってどうやって出すんだっけ?」「忘れた」
>>376 >>単に「縦x横」と公式を暗記させただけなのなら、彼の言ったような事は
>>起きうるかもしれない。
>>380 >>再三言うが、丸暗記の危険性などというものは無い。
>>あるのは、丸暗記「のみ」で終わる学習の危険性だ。
>>382 >>普通「丸暗記」と言えば「丸暗記「のみ」で終わる学習」に近いことを
>>指している場合が多いと思うが。少なくとも
>>377 はそういう風に読み
>>取ったぞ。
>>390 >>世の中にはびこる丸暗記批判の多くは、
>>「丸暗記だけ」批判にとどまらず、丸暗記そのものへの批判となってる。
>>そういう現実を分かれよ…
ここで話がずれてしまう。長方形の面積の出し方をすぐ忘れるという事実に
対して「公式を丸暗記させているのでは」という疑問が、何故か「世の中の
丸暗記批判に摩りかわっている
>>391 >>理解の伴わない暗記に対する批判は広く理解されてるし既に常識の範疇だ。今更指摘するほどのことではない。
認識が甘すぎる。
どれだけ丁寧に時間をかけて解説しても、答えを出す段階では
丸暗記によってのみ答えを出している子供を何人か見たことがある。
こっちは「これだけ時間をかけて説明したんだし、答えもちゃんと
出せているんだからOKかな」と思ってしまうのだが、実はそれは罠。
答えを出せる≠理解しているなんて当たり前なんだが、
ついつい見落としてしまう罠。
罠、罠、罠だらけ。
>>399だけでいいのかな...レスするのは,っと...
>>392では
「暗記」は解釈を伴わない
>>394では
記憶力-思考力向上の戦略設計が必要
>>395では
(九九を例にした場合)計算機構を身に付けることが理想的「目標」
ここでは「必要ない」とかを議論しているのではなく
「知識の獲得」から「知識の合理化」までをいかに効率良く学習するか
を考えることが重要(と明言してないけどね)と
なのに,
>>394だけ無視されて,悲しい...
ただ,「覚える」=「暗記する」ではないよ
説明
暗記とは
「A→B」,「C→D」,「E←F」,「A←F」の組があるとき
語:A,B,C,D,E,F,や規則:→,←の意味を解釈せずに
「」のセットで覚えること
そのため,「A→B」と「C→D」の類似性や「A←F」の非類似性
を認識している可能性が低い
対して,「覚える」とは暗記や解釈を合わせて記憶すること
解釈による規則の合理化は
「A→B」,「C→D」,「E←F」,「A←F」から
「*→*」や「*←F」を導き出すこと
404 :
Nanashi_et_al.:02/06/21 18:09
何故か言葉の定義の話になっている。
「暗記」の単語の意味の解釈講座は別の所でやってくれや(藁
>>341 に戻るが、本当に理解した上で忘れてしまうのと、
丸暗記しかしてなくて忘れてしまうのでは、かなり酷さが違ってくると思う。
実際の所はどうなの?
別に理解していなくても、実生活の中の具体的な経験とリンクすると忘れにくい
とかある。
理解する→忘れにくいはありうるが、忘れにくくする手段は理解するだけとは
限らないというお話でした。
>>405 最初に定義の話だけど,それはスレの議論中で
いったん何らかの定義をしておいて,それぞれの立場の人がどこを
問題にしているか指し合うことで,間のギャップを無くすためだよ
次に,酷さの違いについてだけど
人間は情報の記憶と行動の記憶どちらが忘れにくいかという問題において
行動の記憶は一度獲得すると,鈍ることがあっても忘れることはないと言われている
情報の記憶(色々と議論はあるが)は長期記憶に定着されるまで
時間がかかり,かつ情報を要約する/忘却するといった機能を持っているため
忘れることが多々ある(つまり,保証が無い)
ここで問題になるのが
「解法」も情報の記憶として覚えてしまうと意味がないということ
「解法」を行動の記憶(上のレスでは「機構」)として獲得することが重要
>>405 で,
> 別に理解していなくても、実生活の中の具体的な経験とリンクすると忘れにくい
これは記憶法と呼ばれる戦略で,これはすでに理解しているものとの関連付けが
その記憶の定着を強くしている
このすでに理解しているものを用いて,
ある内容をさらに理解することにおける最適解が存在するとすれば
その最適解へと進む戦略はその内容の理解への行為に他ならない
ここで,一つお詫び
「暗記」は解釈を伴わないという表現を訂正する
「暗記」には,解釈を(伴う/伴わない)という拘束がない
そして「丸暗記」は解釈(理解)を排除した「暗記」である
なので,説明時に何も参照することなしに
説明することができれば「暗記」した
と表現可能
とすれば,
>>390の「丸暗記批判」→「暗記批判」への議論すり替え
に対する反論は正しい
409 :
Nanashi_et_al.:02/06/21 19:59
>>401 ひどく勘違いしておるな。
理解の伴わない詰込みは良くないという『認識』がすでに普及している、と言っているのであって、暗記依存の生徒はもう撲滅したなどとは一言も言っていないのだがな。
「現場に暗記バカ生徒が1人でも居る限り、論理的思考力の重要性が社会で認知されているとは言えない」とでも言う気かね?
理念の普及とそれが現場に反映しているかどうかは別。それでも認知されていれば改善努力はされる。
「暗記軽視の風潮」が深刻なのは、君のようにその認識すらない人が多い点。だからこうして人前で言う意味がある。
410 :
Nanashi_et_al.:02/06/21 20:19
>>一連の392
推論理解力重視一辺倒で出来上がる人物(悪い例)の典型。
文章を考えているうちに些細な論理的整合性に拘泥していく。
考えながらその場でロジックを導出しているので閃けない。
ついには何を言いたいのか見失い、それでも出来上がった文の論理的整合性がとれて満足する。
ニワカ哲学者に多く見られるタイプ。