【部落解放同盟犯罪史】

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37もっこす
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 ところが、市民の反応は行政や解同、市同研とは正反対だった。私たちが住宅地や
商店街、農村で小郡中事件の真相の糾明を訴えると、商店主がわざわざ店先にでてき
て耳をかたむけ、民家から市民たちがビラをもらいにでてくる。子どもたちを学校に
通わせる若い主婦たちは家の窓をあけて熱心に訴えを聞いてくれる。訴えがおわると
拍手をして「がんばってください」と頭をさげる。それは同和地区でも同じ。地区の
環境が軒並み整備されているから、私たちはどこからどこまでが同和地区か皆目、見
当がつかない。ビラをまき、街頭で訴えていると三々五々、人だかりができる。熱心
に耳を傾けて、終わると拍手があり「がんばってくれ」と声が飛ぶ。あとでそこの街
が同和地区だったと知らされることが二度ならずあった。

 街頭宣伝で解同らしきものからの妨害があったのは小郡市役所付近でに一回だけだ
った。そのとき、私たちはマイクのボリュウムをいっぱいあげて「市民のみなさん!
見てください。これが解同の正体です。暴力団のように私たち市民の表現の自由を妨
害しようとしています」と訴えると、かれらはあたふたと逃げていったのである。解
同や解放研・市同研グループは自分たちの正体を市民にみられること、真実を知らさ
れることを極端にきらっている。まるで太陽にさらされることをきらうばい菌のよう
な存在だ。

 こうして私たちは小郡中事件の真相糾明と11・23県民集会の案内を市内のすみ
ずみまで、宣伝してまわったことはいうまでもない。

 8 全国調査団を拒否

 県民集会の開催をマスコミ各社に案内したが記事になることはなかった。しかし県
民集会の会場許可取り消し裁判の顛末を『赤旗』が、19、20日の社会面で三段記
事(西日本版)の扱いで報道した。記事は大阪以西の読者の知ることとなった。この
ことが全国調査団への関係者の参加をあおったのはなんたる皮肉か。

 私たちは県民集会の前日(22日)、全国調査団による調査を小郡市に文書で申し
入れていた。これに対して小郡市から二度にわたって「受け入れ難い」との返事が全
解連県連事務所に届いていた。拒否の理由は3点。ひとつは、これまで二度、貴調査
団と会見しているからこれ以上会見は必要ない。二つめは、会見内容が「教育長の言
」として、真意が伝わらないまま一部報道され、市民等に誤解と混乱を招いているの
で、今後このようなことを避ける必要がある。三つめは、学校現場にこれ以上の混乱
をさけたい、というものだった。

 果たして当日、全国十三都道府県から全解連中央の中野初好委員長を調査団長に、
全教中央の小松正明執行委員など五十人の代表が小郡市役所につめかけた。調査団の
なかには遠く北海道からウタリ協会の代表二人の姿もあった。ウタリ代表は「私たち
の中学校では生徒二人の自殺事件があったが、九州に来たら今度は校長先生が自殺し
ていた。どうなっているのか」と眉をひそめた。解同に屈服した解放教育がもたらし
た糾弾がらみの校長自殺事件とあって、私たちの予想以上の全国調査団だった。解放
教育の弊害をなんとかしたい。その思いが、会場にあてていた小郡商工会議所大会議
室を埋め尽くした。

 中野団長は「私の県、広島ではこれまで15年間に15人の校長や教師などが、解
同の教育介入のもとで命を落とすなど犠牲になっている。なんとしてもこうした事態
を是正しなくてはならない。そのために、わたしたちの部落問題にたいする考え、国
民融合の考え方を主人公である市民に広めたい」とあいさつ。

 このあと調査団は商工会議所と道を隔てた小郡市役所に出向き、市教委に調査のた
めの会見を申し入れた。市教委は教育長などの不在を理由に応対を拒否。それじゃと
市長、助役に面会を申し入れたが、こちらも事前に雲隠れ。庁舎内には姿はなかった
。応対した総務部長に市長への取り次ぎを申し入れたが埒があかない。役所側の不誠
実な対応に全国調査団はカリカリ、総務部長に解同の教育介入と偏向教育の是正を行
政執行部に伝えるように強く迫ったが、のらりくらりと人を食った態度は露骨でさえ
あった。解同にぺこぺこするが市民には横柄な小郡市。横着な応対が、はしなくもそ
の行政姿勢を証明してみせたのである。調査団は怒るまいことか。