誘拐殺人犯が罪も認めず野放しなてますです。

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1腐れ厨房:2001/01/05(金) 18:06
●狭山無恥悪あがき事件の歴史
1963年5月1日〜4日女子工房誘拐され殺される。
1963年5月23日恐喝や傷害を繰り返していたとされるならず者部落民の石川一雄別件逮捕。
1963年6月20日〜23日誘拐殺人犯の石川一雄、犯行をほのめかし自白。
1963年9月4日第1審第1回公判(浦和地裁)。誘拐殺人犯の石川一雄起訴事実を認める。
1964年3月11日第1審浦和地裁、誘拐殺人犯の石川一雄に死刑判決。(当然@)
1964年3月12日誘拐殺人犯の石川一雄、東京高裁に控訴。(悪あがき)
1964年9月10日第2審東京高裁第1回公判、誘拐殺人犯の石川一雄、一転して無実を訴える。(無恥な悪あがき)
1974年0月31日第2審東京高等裁判所、無期懲役判決。(部落民だたのが同情されたのか誘拐殺人犯の石川一雄命拾いをする。A)
1974年0月31日誘拐殺人犯の石川一雄、最高裁判所へ即日上告。(無恥な悪あがき)
1977年8月9日最高裁判所、上告棄却の決定。(口頭弁論をするまでもなく事実は明白。B)
1977年8月11日誘拐殺人犯の石川一雄・弁護団、最高裁判所へ異議申し立て。(無恥な悪あがき)
1977年8月16日最高裁判所、異議申し立てを却下。無期懲役が確定。(当然C)
1977年8月30日誘拐殺人犯の石川一雄・弁護団、東京高等裁判所へ第1次再審請求を申し立て。(無恥な悪あがき)
1980年2月7日東京高等裁判所、再審請求棄却の決定。(当然D)
1980年2月12日東京高等裁判所へ異議申し立てをおこなう。(無恥な悪あがき)
1981年3月25日東京高等裁判所、異議申し立てを棄却。(当然E)
1981年3月30日誘拐殺人犯の石川一雄・弁護団、最高裁判所へ特別抗告。(無恥な悪あがき)
1985年5月28日最高裁判所、第1次再審請求の特別抗告を棄却。(当然F)
1986年8月21日東京高等裁判所第4刑事部へ第2次再審請求。(無恥な悪あがき)
1991年1/10〜 1992年2/4社会党国会議員による仮出獄連続要請行動。
1994年12月21日誘拐殺人犯の石川一雄、仮出獄。(圧力に屈してしまったのか無恥な悪あがきで罪も認めていない人殺しが野放しに)
1999年7月9日東京高裁、再審請求を棄却。(当然G)
1999年7月12日弁護団が東京高裁に異議申立。(無恥な悪あがき)
■結論■公正な審議の結果、一審を含め8回も有罪あるいは有罪を覆すことは出来ないと断定されており、同和がしつこく何を言おうが石川一雄は誘拐犯で人殺しです。