平穏な市民生活を送る為に知っておきたい

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239はじめ@全国連
>>234 公三さんへ

>「現実に部落差別のなかで苦しみながら生きている生身の部落民の姿は全くない。それ故
>に、部落差別をなくそうとする人にとって、ほとんど意味を持たないものだった」と言っています。
>議論の中身の正否でなく、議論に「生身の部落民の姿は全くない」と批判しています。

 議論の中身の正否として、「生身の部落民の姿」「差別の現実」を見なければなら
ないと言っているのです。だって、部落問題とは、まさに部落差別をうける人間がい
るということが重要でしょう。それ抜きに、論議が進むというのはおかしいといって
いるのですよ。
 そもそも学問にしても、政治にしても、経済にしても、本来なら「人間の生活」が
きちっと考えられなければならない。部落問題にしても、その差別で苦しむ人間がい
る以上、「純粋学問的関心」や「興味本位」では語ることが出来ないといっているん
です。

>もし、この論法を進めて「生身の部落民の姿のない議論は排除されるべきだ」となったらどうします?
>更に、主張に「生身の部落民の姿」があるかないかは、被差別者である部落民が決める。あるいは、その委託を受けた「解同」「全国連」が決める、と
>言われたら認め、同意しますか?
 前段での論法を進めると、何で「生身の部落民の姿のない議論は排除されるべきだ」
となるんですか。それこそ、偏見であり、論議を妨げるものでしょう。私たちは、当
初から「排除」や「削除」を問題にしていない。むしろ、このスレを見ている多くの
人たちに、真剣な論議を訴えている。私たちは、当初から自分たちの見解を何一つ隠
すことなく、明らかにして、参加しているじゃないですか。
 「現在も知らずのうちにそうした論理が通っている」という客観的な態度でいるか
ら、私たちにも偏見をもって、あなたは対応しているじゃないですか。そんなことじ
ゃあ、何も変わらない。