議論:サンカについて★★★

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1ピア
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/h-tatsuta/
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/sanka.htm

古くは矢切止夫が研究の大元。作家の五木寛之が「瀬振りの物語」や
直木賞作家の作「しばれる瞳」などは読んでみたい。
2ピア:2001/05/29(火) 12:13 ID:wLTVAHWQ
五木の小説は「風の王国」でした。ごめん。
しかし、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」のサンカ?
特殊部落はかつて、すべての日本だったという時代を騒がせた
諸説です。どう思いますか?
3https://ymgc3DS33.ygc.mesh.ad.jp.2ch.net/:2001/05/29(火) 12:27 ID:j09hg1iA
香川 45
4来来軒:2001/05/29(火) 21:21 ID:kV4FHIWU
サンカは原始の部落? 今も現存するのか?
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/29(火) 23:18 ID:qGKk3LmU
文献(前出のURL)に現存すると記してあったよ。
6もっこす:2001/05/29(火) 23:42 ID:S3Onerj6
>>4
三重県とか、他にも、サンカ起源という未解放部落があります。でも、独特の誇りがあって、他の部落とはつきあっていないそうです。明治以後に里に下ろされたところですしね。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 02:06 ID:WcLv0LZo
民俗版で紹介されていたのを見たけど、
サンカを語るにはここしかないでしょう。
サンカの末裔を意識した人たちが参加しているし、
本を出しているような人もいるみたいだ。
掲示板ではサンカだけでなく部落についても語られている。

http://www.kumanolife.com/
8名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 02:46 ID:WcLv0LZo
9百済人:2001/05/30(水) 13:06 ID:qzMjjhvg
風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」もサンカ?
10百済人:2001/05/30(水) 13:09 ID:qzMjjhvg
8さんへ

見たよ。しかし、現住計日本人と百済帰化人が全部サンカという
考え方は、ともすると、対抗勢力に対する・・・と思うね。
だから三角や矢切は干されたのか? それとも解放の民俗学的攻防
なのか。そこらへんを知りたい。とすると、宮崎駿もサンカ=部落?
11名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/30(水) 13:36 ID:v23H54Mo
この国にとっては最後の隠し玉のような存在なのがサンカの人達ではないのかと思う。
勿論、末裔の話しではある。
現内閣の支持率の高さにもそれが伺える気がするのは考え過ぎだろうか。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/31(木) 00:40 ID:reDAU4ho
10さんへ
百済人は支配者側の人達で差別する側だと7さん紹介の掲示板には書いていましたが?
だからサンカは原住民系の人達ではないでしょうか。
13ななしさん:2001/05/31(木) 04:37 ID:ppWHKknM
東京の奥多摩にもサンカの人は居る。
今でも、いろんな虫を食べたりする。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 01:34 ID:bbl7mBNQ
天智天皇と藤原鎌足を中心とする政府は、まず「戸籍」を作って自分たちの仲間だけ登録しておき、
つぎに例の「班田収受の法」によって戸籍に登録していない、
政敵や異民族や賤民たちが開拓した土地を「浮浪者が不法占拠している土地」と称してどんどん没収した。
こうして、山に追いこまれたのが山窩となり、河原の荒地に追われたのが河原者、すなわち穢多になった。
穢多は田畠を作ることができないから、瓦焼きや、皮革工業を専業とするようになり、
その結果 、逆に莫大な経済力をもつようになった。その最大の実例が、浅草を中心とする江戸の穢多部落だった。
穢多は一般 の寺にも神社にも詣ることを許されなかったから、彼等は、彼等だけの力で、彼等自身の寺や、
神社を作った。それが浅草寺と「おとり様」である。この新興勢力を最初に利用したのが源の頼朝であり、
最大に活用したのは徳川家康だ。家康は浅草財閥とタイアップするために江戸をその本拠とし、浅草財閥の力をもって、
大阪財閥をバックとする豊臣家を打倒した。だから大阪の陣が終ると、家康の旗本たちよりも威張ったのは穢多部落の代表、
花川戸の助六であり、番随院の長兵衞 だった。同時に、家康から最大の信頼を受けたのは、穢多財閥を紹介した、
無名の穢多僧天海だった。家康は天海の功績にむくいるために、東叡山寛永時を作って浅草寺をその傘下に入れた。
15???:2001/06/01(金) 01:43 ID:WpMdEYWQ
浅草財閥?穢多財閥
16名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 02:00 ID:.4ZIOmh2
行って見たいのでサンカの部落の所在地を教えてほしい。
17名無しさん:2001/06/01(金) 07:06 ID:A4vq6L2Y
妄想が多いようだな。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/01(金) 07:56 ID:FuB0xduE
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/rb3/dappan/fujiwara/books/asahi.html

[歴史の証言]番町グループとサンカ人脈の秘図
文化人類学の盲点サンカ/山岳民としてのサンカの再定義/民間中心の明治の日本の産業化/社会の変化とタブーの変質/株の利鞘稼ぎと帝人事件の黒い影
19百済人:2001/06/01(金) 12:10 ID:Yep2dL8c
14さんへ

へえ、そうなんだ。私は向島の人間だが、花川戸の親分の
縄張り(現在は靴問屋が多い)隅田川沿岸台東区は怖い
と言われていた意味がわかった。お祭りで騒がないように
しているが、あのエネルギーは縄文(サンカ)のエネルギー
かなあ!
20スターリン:2001/06/01(金) 20:22 ID:.CA2dRkQ
非常に興味深いです。
ただし
>14
文章は素晴しい。一瞬ほんとうのように読めるが
ウソ、妄想が多すぎる。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 02:15 ID:seDH7m8c
確かに古い話しはよく判らない。
しかし、被差別民が一般の人や特に偏見の強い人が思っているほど惨めでも弱者でもないってことは確かです。
同和地区外に住んでいる部落民も相当な数になるだろうし成功者も多いと聞きます。
医師や弁護士などの職業についている方も多いと聞きます。
案外、上司や先輩にいるのではないですか。
特に成功者は勘が鋭いですから、うちに偏見をもっていることなど直ぐに見抜かれてしまいます。
社会的に上層の方ならよく心得ている話しです。
特にサンカの末裔ともなれば、社会的に落ちこぼれた人も沢山いるでしょうが、
後は言わずもがなですね。
22スターリン:2001/06/02(土) 02:25 ID:t7VcZdro
>21
確かに弁護士、税理士、医者なんてのは多い。
だけどこれは部落民だから偉いのではない。
どんな人間でも努力すれば
偉くなれるという事。
>社会的に上層の方ならよく心得ている話しです。
こういう考え方がいわゆる偏見、差別
偉そうな事をいいなさるな。
>特に成功者は勘が鋭いですから、うちに偏見をもっていることなど直ぐに見抜かれて
しまいます。
だから ?
23スターリン:2001/06/02(土) 02:28 ID:t7VcZdro
確かにお宅に偏見があることは見抜けるな。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 03:44 ID:5zRXmyFQ
それでサンカってなんなのよ?
25フエ:2001/06/02(土) 09:32 ID:iJtCWOy2
サンカを少し勉強したけど、自分の実家が怪しい(失礼な言い方
ですまみせん)という疑惑にとりつかれてしまいました。
韓国が歴史教科書ので文句が言いたい部分とかも何気にわかるし、
そうすると真紀子の対応が結びつかない。ああ、もう相当妄想に
入っている感じです。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 09:50 ID:vJVXMOpg
サンカの政治家・有名人

田中角栄、田中真紀子
小泉純一郎
東京相互銀行の元会長
27名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/02(土) 11:21 ID:awQW0uRw
フエさんへ
熊野ライフの掲示板を最初から丁寧に読めばかなりの事が分かると思いますよ。
そして真摯な態度で質問すればある程度の答えは出してくれるかもしれません。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 02:08 ID:z55hy3jA
「小泉首相はサンカ出身、サンカと客家は酷似する」
という内容で、宇野正美氏が講演を行います。
東京は、6月19日18:00 JAビル9階ホール 2100円、予約不要

大阪の日程は、お問い合せ下さい。
0795−52−7082リバティ情報研究所
29名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/03(日) 02:41 ID:T89HBytU
予想通り(藁)、電波スレになったな。

それから22,23のスターリンてのは自覚症状のない厨房。
みんな相手にしないように。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 00:06 ID:hnEG9c6Q
>7、27さん

確かに凄いかも。
内容もレベルが高いし信憑性も感じました。
それに感じも良いです。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 01:45 ID:z1zCoFA.
昭和50年くらいまで戸籍のないサンカが静岡にいたそうです。
日本も不思議な国です。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 13:37 ID:EVokWbnA
>>185
もっともっとたくさんいますYO!
口分田もらって何百年、タンボ耕して年貢を納めるしか能のなかった人たち
(いまでもそのへんにいる公地公民以外を差別する喜びしかないシトたち)
にくらべて、ケタ違いの能力がある「種族」だから当然なんですYO!
日本が危機になると農奴型ボンクラにまかせておけなくて出てくるんです。
チラとでもそのへん知りたいシトは
藤原肇『朝日と読売の火ダルマ時代』国際評論社\1809を読めば、
ごく一部だけサラリと書いてあります。首相の名もね。

まあ、たまたまぶつかった金太さんにあまりプレッシャーかけるのは
気の毒だなあ。
在日3世にとっては、たぶん、
あの公地公民農奴どもの悲しい「差別」もうるせーし。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 16:39 ID:bouBET5M
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 00:21 ID:xNfcIKiA
柳田国男の若い頃の主要な感心はサンカをはじめ被差別部落などに向けられていて、
被差別民の民俗は日本列島の文化の古層に属する重要な残留物を表示していると指摘しているそうな。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/06(水) 00:32 ID:IYxe7K8c
民俗学や人類学を研究する上で部落問題など避けては
通れない道ですが、大学の教官も
同和問題は難しいなと言ってました。
やっぱり、タブーなんですかね。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/07(木) 00:16 ID:XxONYpVE
そのタブーをなくさないと、
いつまでたっても真相は薮の中ということですね。
37みんみん:2001/06/08(金) 00:14 ID:U8KYQgJA
楽市楽座の郊外に特殊部落は多いのかも。
堺、大津、桑名など、ね。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 00:50 ID:46sT/swI
歌舞伎の創始者である出雲阿国ってサンカだという話しです。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 02:36 ID:sIQyM0Tw
サンカ生活体験記などの著者である矢切止夫は、
日本での評価は低いが、アメリカでは高いそうです。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 09:57 ID:TmKvRAsI
八切止夫だよ。
41nanashi:2001/06/09(土) 10:26 ID:bQSJPivE
三角寛サンカ選集 全七巻 好評発売中!!!
とくに第七巻の資料集は必見!

http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-7021-1.htm
42 :2001/06/09(土) 16:54 ID:1m/maem.
日本は昔から下克上の精神。「新しい歴史教科書」(扶桑社)
において、それを想起させる記述は多い。
「新しい歴史教科書」三角版を誰かわかりやすく書けばイイの
になあ。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 18:32 ID:9QqmtXNc
面白いのであげ。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/09(土) 23:59 ID:E8OB2QfQ
ふむふむ。
日本の差別の歴史を考えるのにサンカは面白いかもしれない。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/10(日) 02:52 ID:sPfGsCMc
ファンタジーですな。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/10(日) 23:13 ID:atlI/5bo
ファンタジーといえば、最近やたらとサンカと思しきキャラクターがゲーム等に出てくるなあ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/11(月) 01:29 ID:fJLXlgT.
山窩を通してこの国の歴史を見ていくと、とんでもないことが分ってきそうな気もする。
底辺と上層の人間が同じ類いの人間だということはよく言われていることでもあるので、
そうなのかもしれない。
まっ、とにかく山窩でも部落でもないオレが何故そのような存在に惹かれるのか、
もう少し知らべてみたい気がするのである。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/11(月) 07:55 ID:mG7nHFow
49  :2001/06/11(月) 11:55 ID:f4pRatwA
山窩は縄文の血か?
50推古天皇:2001/06/11(月) 17:42 ID:MVNSKNHs
ふーむ。後醍醐天皇の落ちた地は後に部落となった。南朝に荷担した
公家(北畠氏など)は奥州にまで逃げる。公家がサンカと結びついた
例ではないか。とすると、山窩=縄文=東北系かも。楠木正成や藤堂
高虎は大男で有名。東北でなくてもいい。平安京の昔は、不破及び尾
張以東は東国であり、畿内の山岳、鈴鹿山麓や井吹山麓は暗みの僻地
である。山岳人は東国のサンカや山伏や楽、藤内と結びついてもおか
しくない。海賊との結託も、同じ際の民族としてシンパシーがあった
のでは? 可哀想なのは都市内のエタヒニンである。近世の中頃には
検地により、採算性の悪い者(身障者や疾病の類)は排除された。従
前は農家を束ねる惣村内にあり、検地完成後は惣村は無くなったもの
の、石高により各付けされた農家の名主の村付けとして明示された事。
都では、上記の民は悪い環境の地域に竹に囲われ住まわされた。近世
の兵農社会では身分差別は政策上、治安上、必定であった。近代に入
り、新平民とまた差別された当該民は、左翼活動と結びついた。水平
社運動は、階級闘争の支柱となる。が、この社会主義闘争は迷走を余
儀なくされた。未だ被差別民が増加している背景は、資本主義と被差
別という問題が多いに検討されねばならないが、思うに、日本人の精
神風土、価値観が払拭されない以上、差別は無くならない。これは、
天皇制に多いに関係する。
「新しい歴史教科書」(扶桑社)では、社会安定の為に身分差別は近
世においては不可欠であったと記されている。とすると、現代は同和
消滅とは反対の方向に世論が動いて行くのは頷ける。
未だに、天皇を中心とする身分制度は名前を変えて残存している。
戦後処理において、日本固有の多重的な差別、身分構造は不可思議と
考えられ、GHQは天皇制を温存。膨大な被差別に関する資料はGH
Qが保管しているのだ。
まだ、我々は12歳の少年に過ぎない。
51日本史板 サンカスレより転記:2001/06/11(月) 19:56 ID:ZoABURZc
こんなのありました。コピベしました。

38 名前:山窩、記憶にあり。 投稿日:2001/05/29(火) 15:43

昭和36年、鈴鹿山脈麓の三重県北西部のとある神社の境内で、竹篭売り、鍋修理等の集団が
商売してました。場所は大安町の田光だったと思われ。何せ幼かったので記憶は曖昧。
52三重県人。:2001/06/11(月) 23:24 ID:aOStbVV2
へえ、っっと。
びっくりですね。
私の身近に酸化の形跡があるなんて。
>>6もそうだし。
三重県情報頼む、マジで。
俺すぐ調査して報告すっからさ。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 00:56 ID:i3OZCNPY
まじめに差別や歴史を考えるには、このスレは面白いと思うのだが?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 00:59 ID:WaQcir.2
サンカって、酷い差別受けてたの? それ今でも続いてる?
55名無しさん@未熟者:2001/06/12(火) 01:23 ID:tJ6lCdy.
ここの板にきてはじめてサンカの存在を知りました。
サンカも迫害めいた差別を受けていたのですか?
56散華することに意義がある:2001/06/12(火) 01:28 ID:EWfU7ER6
>>41
三角寛の論文?はフィクションだよ。数年前に倅がばらした。
椋鳩十とか読んでみれば。これもフィクションだけど。

>>54
サンカかどうか、今じゃ全然わかんないのに差別なんてしたくてもできない。

芸能界、演歌とかにはサンカ伝説があるよね。サンカ出身の歌手は芸名で
わかる、彼らのレコードは不思議とヒットする(サンカネットワークが
買い占めるから)なんて。古くは五木ひろし、新しくは山瀬まみ??
(この例は芸名がそれ臭い、というだけの話です)
57名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 02:26 ID:cJcP7x2M
すばらしいレスじゃな。
一昔前に、ヤクザ屋さんの間で「サンカ語」が流行ったのを知ってる?
「銀シャリ」なんかがそう。他にも独自の言語がたくさんあって
「あー、その言葉知ってる」ってのが結構あるよ。
>>54
戦前までは、あのひとは「サンカ」と分かってたらしい。
戦後は定住を迫られて、少しずつ解けこんで今じゃはっきりとは
分からんみたい。
ただ、相互扶養制度ってのがあって賢い子がいたら、みんなで援助して
その子をいい学校に入れ出世(大企業や政府関係、など)できるまで
助け合う。そうして優秀な人材を育成させ、またその人たちが
子供たちを・・・。そう繰り返して大きな一団(組織)を形成して
生きてゆく。
だから、自然と裕福な暮らしを手に入れることができるんじゃね。
「助け合い精神」って言う、今の日本人には大きく欠けてるもの
を、昔からのしきたりって言うか、当たり前の事かな、それを
行ってるだけで良い暮らしができるんじゃね。

1さんのページを読んだらおもろいよ。今は差別は受けてないんじゃないの?
少なくとも街に住んでる人たちは。とけこんで分からんじゃろうし。
所謂、部落に人たちとは違うからね。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 07:51 ID:jjpnObyI
1さんのページでリンクしてあったのが7さんのサイトで、
そこの掲示板にかなり突っ込んだことを書いている1さんの話しは凄いな。
59千鳥 :2001/06/12(火) 19:52 ID:EhroSmxI
私のおばあさんの言葉(今生きていたら120歳位)で、
「このハンカ者!」と罵る言葉がありました。
これは伊勢弁ですが、「ハンパ者」とかの転位かと思って
いましたが、古代語の多い三重県ですので、興味が再度
湧きました。「ハンカ者」とは、伊賀出身者を蔑視する
ときにも使われました。
60層雲:2001/06/12(火) 20:21 ID:JtLuW2ik
>51
田光は三重県菰野町なんですけど、情報はだいじょうぶですか?
61名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 21:13 ID:kT.MjtVI
>>59
流石は紀伊半島ですね。一説によると、サンカの人たちは奈良から紀伊山脈を抜け
那智を目指して行く。その参道には、社が点在しお参りをしながら・・・。らしいです。
「ハンカ者」も意味合いには、「言う事を聞かない。」とか「わがまま」
なんて意味合いもあるんでしょうか?
62そもそも:2001/06/12(火) 21:38 ID:Vhpc4WKo
サンカって何なんですか?
部Xは学校でやったから知ってたけど
サンカなんて聞いた事無いよ
また、小泉総理がサンカって本当ですか?
63うねべ:2001/06/12(火) 22:00 ID:gUKMsyrA
52さんへ
私も調査したいわあ。大安町の田光は山岐鉄道沿線。
山岐鉄道の沿線には被差別部落が点在しています。
そして終点の藤原町、ここは鉱山だか銅山で有名。小野田セメント
の発祥地だったと思う。藤原町は一部に被差別部落を残しているのは
当然でしょうね。ここは都に対しての僻地ですから。どこかで読みましたが、
住民は野武士のような粗野というか濃い風貌で有名。一説には藤原後裔が
存するとか。山岐鉄道の沿線、ここはキーポイントです。
64うねべ:2001/06/12(火) 22:01 ID:gUKMsyrA
あ、思い出した。「はんかくさい」というのは名古屋弁では?
尾張サンカは有名ですね。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/13(水) 00:23 ID:nGFBckgo
>>G県のK村の某集落は、住民の9割が藤原姓なんですよ。
藤原氏の末裔という伝説は、有名です。ただ、落ち武者としてのだけど。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/13(水) 01:52 ID:7Q1DVuck
57さんへ

山窩を知る人達の中には多少綺麗事だと云う人もいるかも知れません。
確かに犯罪を犯したりヤクザになった人達もいたでしょう。
明治から昭和へと加速度的に物質的豊かさを求めた時代の中、その質素で被差別 的な生活を嫌い、
瀬降りを捨て一般社会に溶け込み、物質的豊かさを追い求めた人達もいたでしょう。
しかし、ヤクザの中にも、一般に溶け込み何代か経て、山窩の流れを汲む意識も自覚も無く普通に暮らしている人達、
また政治的、経済的、社会的に成功した人達、また周辺から差別された処において生活している人達の中に、
今も山窩の魂は生き続けていると思いたいのです。ですから魂よ蘇れと云う思いで掲載するに至りました。

と7さん紹介ページに書いていましたが本当なのですね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/13(水) 02:25 ID:4UEyZKA6
>>66
そうですね。しっかり自覚している人。これは戦前生まれの方(60歳)
以上の人で所謂「サンカ狩り」を体験した方だけでしょうね。
セブリ生活を続けたくとも、強制的に溶けこみせざるを得なかった
思いを持つ人々。
町での仕事は、手先の器用さを生かした仕事、また、その身軽さから
当時の鉄骨造の現場などでも働いていた様です。
何かの本には、当時ボルトを締めるとき赤くなるまで火に炙って締めを行ってた様です。
それを地面から頭上のサンカ仲間に投げ、受け取り締める。
そんな作業を得意とした、とありました。
今のサンカ出身の若者は、三代目か四代目ぐらいでしょうか?
もしかすると、溶けこみ三代。というしきたりも薄れているのかもしれませんね。
自分で調べた本などと比べれば、大方、本当のように思います。
ただ、「サンカ狩り」という国が行った、全国規模の政策には触れてないのは、
残念ですね。
68編集h:2001/06/13(水) 14:48 ID:s4uFS5do
極論。
縄文人、百済王末裔以外の渡来人の低位荘、これらは部落民の
根底を成す。しかし、日本は昔より下克上の精神が夥しかった
ので多少の転移はありえる。近世/江戸幕府より政治的に被差別
民を産したという史観には疑問があることは主流。
サンカを代表に、被差別部落民はもっと歴史を勉強し、日本の
固有な重構造的差別(身分差別と感情差別)を解き明かして下さい。
今なら、ベストセラーにあるぞ!
69編集h:2001/06/13(水) 14:50 ID:s4uFS5do
訂正。

渡来人の低位荘 ⇒ 低位層
今なら、ベストセラーにあるぞ! ⇒ なるぞ!
70名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/14(木) 00:54 ID:/1q0ly1g
どちらかというと、原住民系である縄文人と渡来系でも支配者層とは違う人達が
部落やサンカの根底だと思いますが?
中華思想を持って渡来してきた人達が差別という概念を植え付けたと思うのですが?
どうでしょうか?
71名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/14(木) 01:20 ID:tuj9GQkw
>>65
その村を流れる川沿いにはサンカの末裔とおぼしき方々が定住している。
72名無しさん@お腹いっぱい :2001/06/14(木) 18:10 ID:oIArpK7.
あのう、天皇家は朝鮮系といいますが、部落=異民族だとすると、
天皇家と部落は同根ですか? するとサンカは縄文系だったりして。
73名無しさん@お腹いっぱい  :2001/06/14(木) 18:39 ID:LCKJzn.o
>72
天皇家=渡来系説を信じてるアホ発見
74 :2001/06/14(木) 19:45 ID:Mz3iwtmU
天皇家=渡来系説じゃないの?あの朝鮮面。
75層雲:2001/06/14(木) 23:33 ID:jU11WdZQ
名作映画:「瀬降り物語」萩原健一主演をチェックせよ〜み!
76スターリン:2001/06/14(木) 23:36 ID:1KZDzDz2
>73
常識を否定できるアホ発見
77名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/14(木) 23:54 ID:4F6CeAH2
騎馬民族襲来説とかありますけど、僕は渡来人が銅・鉄などの半島・大陸
技術・文化をもって日本に渡り、それらが先住の縄文人と混血していき、弥生人が
生まれてきたと思っていましたが。
縄文人も僅かですが稲作の文化はあったらしいですが、本格的に生産性を持つのは
弥生人から。
自らのルーツが大陸渡来人にあるのは、皇室の人自体がすでに認識していることで
はなかったですか。
まあ、万世一系も古代においては崇神王朝、仲哀狗奴国遠征後、戦死して
狗奴国の王が畿内に移りうち立てた仁徳王朝。そして武烈の王位継承者がいなかったために
新しくできた継体王朝。これを三王朝交代説というのですが、こういう話はわが國ではタブ
ーみたいだし。
天皇家の根は渡来人にありでしょうな。
やはり王として君臨したのですから、財力・軍事力・半島国家の
政治的・軍事的援助や支援の考えられる渡来人が有力でしょう。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 00:24 ID:Zr./TBsA
内容のあるスレで面白いです。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 02:21 ID:lHH52rhE
>>77
なるほど!その説はかなり有力ですね。
渡来してくる前の日本では、小さな範囲での統制はあっても、国土すら把握できて
なっかたであろう先住日本人では、無理でしょうね。また、衣食住さえ確保できれば
よし、という農耕の民にはわざわざ遠方にまで出向き、制圧などする必要もなかった
でしょう。田畑に適する土地は十分にあったでしょうし。
大陸では文化も進み、王という富と名声を求めて、戦いを繰り返してきた先駆者たちが
海を越えやって来た。
そう考えると、まさに有力説ですね。
80卑弥呼:2001/06/15(金) 13:39 ID:vS4Lx6Q.
先住民はいつも追いやられ差別される。王の奴隷となるか、
僻地に落ちるのじゃないかな。だから、それらの先住民が
部落民の発祥じゃないかな。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 13:41 ID:0ZYAL1Zg
小泉首相は、お爺さんからだからトケコミ三代?
82卑弥呼:2001/06/15(金) 13:45 ID:vS4Lx6Q.
だからサンカは、縄文のある程度生粋の血を守ったネイティブじゃないかな。
だから、もっと歴史の真相を明かして、部落民の有り方にも意味を感じたい。
たしか、穢多は古代より特殊な(ある種シャーマン的な)能力があったとい
う記述がある。自然や特殊な感性を持ち得るのは先住の土着民の特性だし、
それがキヨメの発祥だし、近世にまで『長吏由来書』として難解ではあるが、
累々と残されている。
83卑弥呼:2001/06/15(金) 13:54 ID:vS4Lx6Q.
しかし、アメリカのインディアンのように人種的にそれと
判る要素がないので、うまくはいかないよね。この板で
騒々しく何処か部落なのか否やと意見が飛び交っているが、
この議論を収束させるために部落民(特にイェッタカースト)
をマイノリティとして認めるような指針が出たりすれば、
今日の日本の産業社会では著しい動乱が起こるかもしれない。
田中角栄や児玉誉士夫、小佐野賢治、もしくは小泉の祖父等は
戦時下、上海や満州で徒党を組んだ結社であり、その統率力
や動きは凄い。彼らは戦争を生き残ったが、決して出自を
明かにせず、誰かの力の元で動いたパワー集団だろう。誰かが
誰かは当時の軍部のお偉い方か、それ以上の方。
戦時下、ハノイの食糧300万人分を日本に引っ張ってきた渡辺
美智雄等はその血を持っていたろう。おかげでハノイでは300万人
の餓死者が出たのは有名な話とか。上海馬賊やハノイ馬賊の正体
が知りたい。もしかしたらサンカかもしれぬ。
8477さんへ:2001/06/15(金) 15:00 ID:B3uo2UPY
まあ、万世一系も古代においては崇神王朝、仲哀狗奴国遠征後、戦死して
狗奴国の王が畿内に移りうち立てた仁徳王朝。そして武烈の王位継承者がいなかったために
新しくできた継体王朝。これを三王朝交代説というのですが、こういう話はわが國ではタブ
ーみたいだし。

上の記述、もっとわかりやすく説明して。タブーってことも。崇神という地域の
由来なのかしら?
85素人ですが:2001/06/15(金) 16:42 ID:V0BuAUgo
王朝交代説は別にタブーじゃないです。研究書も啓蒙書もあります。

崇神と崇神天皇は関係ないとおもうけど。。。。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 17:29 ID:s0QtMDsY
サンカは謎が多い。
かの出口王仁三郎もサンカだといわれている。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 18:23 ID:4MpJDfuA
崇神と崇神天皇の直接の関係はないと思われ
88名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 18:57 ID:9s1KezP6
サンカの本をちらっと読んだ事があるが
彼らは日本語とは違う言葉をもっているのでは
なかったかな。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 19:05 ID:4MpJDfuA
>>84
私も専門家ではないのでうろ覚えなんですけどね。
神武・すいぜい・安寧・いとく・こうしょう・・・と続く第一代から
十代くらいまでの天皇は実在しないといわれていますよね。
実在が確認される最初の天皇は崇神天皇で、それが最初の王朝だと。
でも、日本国内を完全に制圧していたわけではなくて、九州や東国など
制圧できていないところが多かったわけです。むしろ畿内周辺に
制圧できていた部分のほうが少なかったかもしんない。

九州の狗奴国で反乱だか、なんだかが起きて崇神王朝系統の仲哀天皇が
征伐しに遠征するのですが、逆に狗奴国の王に負け戦死してしまいます。
それで崇神王朝は敗退。逆に狗奴国の王が畿内に移り、王朝を作った。
これの初代が仁徳天皇。つまり狗奴国の王−仁徳王朝。
仁徳朝の5代だったか、武烈天皇というのがいたのですが、子供がいなくて
直径の後継者が途絶えたようです。それで後継者探しが始まるのですが、
最終的に近江の北部出身の母と彦根付近出身の父を持つ継体天皇を後継にした。
ただ、継体天皇は当時福井県の三国町付近にいたらしく、三国付近出身と言わ
れていますから、大和朝廷−畿内出身の人間ではないとされているらしいのですね。
ですから3王朝交代説と言われているのです。

戦前・戦中は当たり前ですが、こういう話題はタブーでしたために、語られることがなかった。
今はタブーじゃないようですね。まあ、個人的には地方の保守的な場所に住んでいますから
天皇家のルーツなんて、おおっぴらに語れる環境でもないわけですよ。

静岡大の小和田哲男教授の著書だったと思いますが、もし宜しければ
ご覧になって下さい。

なにぶん、随分昔に読んだ本なので記憶が曖昧です。
フォローしていただければ幸甚です。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/15(金) 19:20 ID:tqP2/q8I
>>88
そうそう。発音は同じじゃけど、単語の言い方がまるで違うんよ。
前のほうに良く出てくる「トケコミ」もサンカ語。
かなり沢山あるよ。方言とも違うものがね。
91誰か調べてきて。:2001/06/15(金) 21:39 ID:fmOZczhc
こんなのありました。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=991634884&ls=50

3 名前:酸化に会いたい。名古屋人。 投稿日:2001/06/13(水) 18:07
賛歌みたいな人の噂を聞きました。
全然関係ない話ですが、聞いてください。
鈴鹿市北部に、四日市市と境を接する町で国分町と言うところがあります。
ここに十年以上も前から、ビニールテントを張って住んでいる一人の老人がいます。
彼は日雇い労働者ですが、竹篭細工が得意で、数千円で近所の人に作ってあげてるそうです。
噂ですが、かなり確かです。
詳しいことは、国分町の田中理容店の店主さんに聞いてください。
店に竹細工があります。
ーーーーーーーーーーーーー以上ーーーーーーーーーーーーーー

どなたか近所のかた調査お願いしまし、たいです。

サンカって私自身は、人ずての話しか聞いたこと無いんです。
太平洋戦争中も、戸籍がなかったんで徴兵されなかったとか。
その他、不思議な魅力を秘めた人々のように思います。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/16(土) 00:17 ID:jNOJopdg
卑弥呼さん。
尊敬します。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/16(土) 04:18 ID:Fy2g8K3g
芸能界なんかで使っている逆さ言葉はサンカの言葉からきているって聞きましたが。
94卑弥呼:2001/06/16(土) 04:53 ID:hO62dQPA
もうそろそろ、よろしいやろ。
日本混血雑種民族の愚配を示したのは信長であり、南朝ですよ。
混血と半島人から言われようが、我々は原点に向かうべき。
賤民=選民という卑弥呼の概念に戻って、大陸中華に挑むべきです。
サンカ、サンカ、真紀子も今一つですが、頑張ってサンカ=縄文の
大らかな精神で行きましょう。神の国=原始国家です。
日本人は虚飾が多い。これは島国根性とか部落思想に通じる。

尾張のお菓子:
「あわ餅、あわ餅、備前屋のおわ餅」「置き上がり小法師」・・・

縄文の血には差別は無い。
95卑弥呼:2001/06/16(土) 04:56 ID:hO62dQPA
ついでに。
三重県のタビカというところにヒカレマス。
一所に行きましょう。
縁(よすが)、寄る辺(よるべ)です。
同和、融和なんて糞食らえ!
日本人を確立する時期です、今。
96卑弥呼:2001/06/16(土) 18:00 ID:ROQZP.6E
歌田光の母は放浪生活をしていた盲目の門付けの娘(富士稽古)
ごゴゼと違うのだろうか?それともサンカ系?
97名無しさん:2001/06/16(土) 19:11 ID:vPc8nTq2
ベルルッティのアンディーは、トゥが絞られたロングノーズのシルエットといい、色といい、本当に最高ですよネ。
パリでは、サイズがあれば多分買ってしまうと思います。
スリッポンタイプをフィッティングしたことがないことと、小さめなサイズがないことが多いことが、不安です。
あ〜、早くフランスに行きたくなって来ました。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/16(土) 19:48 ID:DGlDQzt2
卑弥呼ってシャーマンでしょ
99卑弥呼:2001/06/16(土) 20:32 ID:TvWeCe6Q
占い師のおばさんです、はい。
100名無しさん:2001/06/17(日) 06:52 ID:SUSZQIhk
件  名 :タイプミス
差出人 :NeoMugicha2001
送信日時 :2001/06/17 00:25

--------------------------------------------------------------------------------

>それって、もしかしてHなものでしょうか?
>それか、地雷とか(今地雷除去キャンペーンじゃないですか)

>> 基地外発見(ピュア
>>
>> そろそろ、検索はじめないと
>> (marianasela.com系、めんどくさいんだよな
>> ヘッダ書き換えるの(糞))
mariansela.com
スペル間違えた(いいや、ピュア

ただたんに、中高年さん
変な宣伝を8回も送ってくるなボケェ
と言いたかっただけ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヘ(ーーヘ)(ノーー)ノヘ(ーーヘ)(ノーー)ノ
ネオむぎ茶2001
http://domo.mariansela.com/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
101名無しさん:2001/06/17(日) 07:01 ID:SUSZQIhk
私は今、現実世界において、非常にインパクトの
大きな問題に直面しています。もしかして、この
危機を乗り越えることができなければ、私が私で
なくなってしまうかもしれません。それくらい、
今の自分にとっては重大な事件なのです。
この問題に対処するために、当面私は自分のもて
るリソースの全てをこの問題の対処に集中しなく
てはならなくなりました。このため、荒しは、し
ばらくの間、停止します。
掲示板には目を通すつもりではいますが、復帰で
きるまでの間私からのレスポンスは期待しないで
ください。本当に、いつも応援してくださる皆さ
んには感謝していますが、しばらくの間、許して
ください。誤解のないように付け加えておきます
が、決してこの問題というのがネット上の誰かの
せいというわけではありません。全て、私の中の
問題です。このまま放置してしまうことは私も非
常に心苦しいのですが、私のいない間もよろしく
お願いします。本当に、ごめんなさい。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/17(日) 23:13 ID:nj/vbZXY
>縄文の血には差別は無い。

素敵な言葉だと思います。
103天皇家は朝鮮系ではない:2001/06/18(月) 04:02 ID:fDhRNQ1I
天皇家は朝鮮系ではない。
天皇が朝鮮系だったら、日本人全員が朝鮮系ということになる。
しかし日本語と朝鮮語は異なる言語体系をもつ。
言語学的に日本語と朝鮮語は兄弟語でも親戚語でもない。
日本人が朝鮮から渡ってきたとしたら、日本語は朝鮮語と類似するはずだが、
類似しない。
母音が違う。
弥生人が大陸や朝鮮半島から渡ってきたという話もデマ。
そんな民族大移動があったなんていう証拠も無ければ根拠もない。
まして日本語は朝鮮語や中国語とも異なる。

あと今の天皇の顔は朝鮮系だ!とかバカなことを言ってる奴に一言。
明治天皇は朝鮮顔?昭和天皇は朝鮮顔?
違うでしょ。以上。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 07:55 ID:ONYjsDEQ
>天皇家は朝鮮系ではない。
こんな事はあたりまえだが
>弥生人が大陸や朝鮮半島から渡ってきたという話もデマ。
お前はバカ ?
ボウフラみたいにわいたのか ?
105名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 07:58 ID:sHOF.7N2
>そんな民族大移動があったなんていう証拠も無ければ根拠もない。
考古学者の書いたたくさんの書籍をお前は証拠とは認めないのか ?
かなりの自信だな
106オイ:2001/06/18(月) 13:22 ID:KLCKrID6
>>103
お前頭悪すぎるぞ
広く知られてる明治天皇の顔は写真じゃないぞ
107名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 14:24 ID:MzH1nL1s
>>103
君は中国に言語がいくつあるか知ってますかー?
北京語、広東語、それから・・?なあに???
天皇家から日本人が生まれてきたと思ってるのか?
蜂並か?蟻並か?マンボウ並か?

天皇家の方たちは、選ばれし者のみ。
小学校の教科書から読め!高校までだぞ!
108https://IP1A0728.tky.mesh.ad.jp.2ch.net/:2001/06/18(月) 14:41 ID:k1tjBTDk
123
109ちゃま:2001/06/18(月) 15:06 ID:cwFXgsqw
>>103
 言語学的にいえば朝鮮語と日本語って同じグループですよ。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 18:08 ID:xZ2QtxyQ
天皇家は朝鮮系だと思うよ。縄文系だとはちょっと思えない。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 19:42 ID:Y23MADuI
弥生人が大陸から渡ったのではないですよ。
大陸・半島から渡来人が、やってきまして、先住民の縄文人との間で混血が進み
その上で弥生人が発生してきたと申し上げているのです。

ちなみに三王朝交代説の継体天皇から現在まで脈々と続く天皇家は、渡来人系の
可能性はあると思いますよ。
今でこそ日本は太平洋側が発展し、日本海側は未発達のイメージがありますが、
歴史的経緯から見れば、渡来人は朝鮮半島・大陸経由で渡ってくるのですから
長崎の有明海・福岡・島根県(出雲大社あり)そして福井県若狭の名田庄・小
浜という土地は仏教に由来のある場所ですし、大陸から渡来する人々の重要ル
ートでしょう。一説に仏教は百済から小浜・名田庄を経て近江−奈良に入って
きたとも言われています。
半島から海を渡れば日本海側の何れかの土地に漂着するのは自然でしょうね。
また、継体天皇は現在の福井県の三国町の出身と言われていますし、渡来人が
現在の三国港にたどり着き住み着くというケースは考えられると思いますよ。

騎馬民族襲来説は個人的には受容できません。
もっと長い年月をかけて縄文人との混血が進み弥生人が生まれてきたと考えております。
ただ、天皇陛下が朝鮮系だとか、そういうことはどうでも良いですよ。
なにしろ千年以上も前の話でしょう。
たとえば有田焼=伊万里焼など北九州の焼き物のルーツは、秀吉の朝
鮮出兵のおりに半島から連れてこられた陶工陶工の李参平(りさんぺい)
にルーツがあるのですから、現代の窯元の先祖は云々という話にもなり
かねませんしね。
唐津焼きのように、ルーツは室町時代の日本人にあっても、文禄・慶長の役以降に
同じく朝鮮から連れてこられた陶工によって発展したものもありますし。

以下参考までにエンサイクロペディアから転載しました。名田庄村について
若狭国でもっとも京都に近い村であり、奈良時代から1600年(慶長5)まで、
土御門家(つちみかどけ:安倍家)が管領する泰山府君(たいざんふくん)の
神領地であり(→ 陰陽師)、朝廷と幕府の庇護のもとにあったという。村内
の暦会館には、古暦や陰陽道、土御門家に関する資料が展示されており、
安倍晴明(あべのせいめい)画像などがある。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 20:34 ID:Y23MADuI
あげ
113名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 20:35 ID:Y23MADuI
あげ
114スターリン:2001/06/18(月) 20:37 ID:twjmD4nA
>111
いい加減にしろ
115スターリン:2001/06/18(月) 20:40 ID:twjmD4nA
>111
NHK見てるか ?
116名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 20:42 ID:Y23MADuI
>>114

専用の板が用意してあるよ。
来いよ!
117名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 20:43 ID:Y23MADuI
>>115

NHKしか見ないよ。
民放の歴史番組は見るに耐えんからな。
時宗は見てないよ。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 20:45 ID:Y23MADuI
スターリンて、万世一系しか受容できない右寄りダンディか??
119スターリン:2001/06/18(月) 23:30 ID:R2eB7UXw
日本人の起源については
当初、当然のことながら一つの民族だと考えられていた(島国だから)
だから狩猟民族だった縄文人が稲作をはじめて
弥生人となったとい説が一般的だったし
教科書もそう書いてあったと思う。
でも両者の特徴、骨格、顔の骨、身長などを比較すると
かなり違う。
そこから日本人のルーツは一つの民族ではないのではないか ?
という事になったわけ
縄文人と渡来してきた弥生人との混血はまちがいなくあるだろうが
それらに屈しなかった連中もいるわけ。
また一般に縄文人と人括にしているが、一つの民族ではない。
弥生人(渡来系)も同じく。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 23:58 ID:ZSR.wK1U
>>111
111はオワダテツオ信奉者。歴史おたく。オワダテツオとクワタダチカ
が人生の師であり学問の師。小和田教授が滋賀県で戦国関連の講演やると
仕事休んでも聴講するタイプ。もち大河ドラマの時代考証は小和田が最高
だと思っている。
小和田の学説が世界中で一番正しいと信じる盲目の小和田教信者。
しかし、そんな君が皇室について言及するのはやばいだろ。
娘嫁がせたわけだし。あっオワダチガイダヨ。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/19(火) 12:35 ID:NliQ98Jc
>>561 名前:https://h028.n068.nhk.or.jp.2ch.net/ 投稿日:2001/06/19(火) 00:29 ID:0Vklm/R2
>>高知県高知市本町1−1−1 30才 男
あらあら、またNHKだってよ....
122名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/19(火) 13:08 ID:Lei6Q.fE

荒らしだけが注目される生活って、どんな感じ?
少し寂しいの?
123名無しさん:2001/06/19(火) 15:57 ID:a/T2CMJw
家康が入府の折、由比ガ浜の長吏と幕府関係者が会談しており、
当時は被差別民を「異民族」と言ったそうだ。確かに、東国は
まだ未開発であったのでそういう説明に至ったし、事実、粗野な
風貌であったのかもしれない。しかし、維新後の明治政府内でも
地租改正で苦労し被差別民からの税徴収に困った経緯があり、
その以前からの諸説よりまた「異民族説」を持ち出した。その時は
『三韓』が祖であり、部落民は朝鮮へ帰れだの、蝦夷地の開発に
駆出せだのと意見が交換されたらしい。実際はそうでなかったの
はご存知でしょうが。私は、どうしてもこの「異民族説」が気に
かかる。逆ではないのか?侵略者は先住民を駆逐する、という一般論
からすると、被差別民、特にサンカは山峡の原住民と考えるが。
124柳田国男:2001/06/19(火) 23:20 ID:Fyzj8aHg
被差別民のベースとなったものは原住系の縄文人との認識をしていますが。
125スターリン:2001/06/19(火) 23:21 ID:xwrMcvjs
>124
その通りです。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/20(水) 01:03 ID:hHS1Cjp.
>>123
最後の「サンカは山峡の原住民」はその通りでしょうね。
山道という山道を知っていて、移住生活を山峡でしていたのは事実ですからね。

話は少し変わりますが、今度のNHKの朝ドラは、紀伊半島の熊野での話らしい
ですね。あそこには、古道がありサンカも良く使っていた。という本を
読んだ事があります。楽しみです。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/20(水) 01:21 ID:nUKnOd5s
熊野といえば熊野ライフの掲示板は面白いですよ。
サンカファンの人には超オススメです。
128名無しさん:2001/06/20(水) 08:56 ID:IaNZsqRs
熊野ライフは面白いけど掲示板は難しくてついていけない。
吉野熊野の一部は関西弁じゃないよね。三重の尾鷲や、山陰もそう。
この方言の飛び地化現象とサンカの関係をしりたい。東北弁に近い
ものだが、これは南北朝の遺産なのか?
129126:2001/06/20(水) 14:36 ID:Z5nhsk4E
>>127
そんな板があるんですか?どこにあるんでしょうか?
よかったら教えて下さい。ぜひ、行ってみたいです。
130http://csa.cc.kindai.ac.jp.2ch.ne/:2001/06/20(水) 14:42 ID:wEHdKWko
guest guest
131名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/20(水) 18:18 ID:yQkNZ6yo
age
132名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/21(木) 00:19 ID:erws1sCQ
スターリンさんへ

渡来勢力に支配されることを拒んだ縄文系の人達が被差別民の始まりだとしたら、
支配階級の人って殆どが渡来人ってこと?
133667j:2001/06/21(木) 01:29 ID:Ypbfk5NU
山窩という言葉,そのイメージ自体が明治期の警察によって
作られたモノだろ。
三角寛の著作は,すべてフィクションだったと,息子が暴露してたね。
マージナルで。
所謂山の漂泊民はいただろうし,瀬伏りに寝泊りして川漁を糧に
していた人々もいただろう。
箕つくりやささら,籠などの竹製品製造販売は
確かにサンカと呼ばれていた人々の大きな収入源だったが,
同時に山深い農村では下層農民もこれらに従事していた事実がある。
定住民の中にも下層民はいたる所にいたのがこの国の現状。
もちろん,戦前の話だけど。
それと,無戸籍者にしても,都市のスラムにもごろごろいたから。
134999:2001/06/21(木) 18:01 ID:A8FGeNMo
133へ
では野非人ですか?
135スターリン:2001/06/21(木) 20:17 ID:auATcF9Q
>支配階級の人って殆どが渡来人ってこと?
結論から言えばそうです。
渡来人 = 弥生です。
当然ですが、文化的な落差が大きいため
両種族が婚姻関係になった例は少ないと思います。
一部の王族だけでしょうね。(あればですが)
また従属したものもいわゆる奴隷となりました。
色々な細かい種類にわかれるようですが
江戸時代のような厳しいものではなく
丁稚と番頭のような関係だったのでは ?
136667j:2001/06/21(木) 20:35 ID:Ypbfk5NU
>>134
モノを作る人たちは、少くとも江戸時代の制度上は非人とは
呼べないと思う。
しいて言えば漂泊下層民としか、今となっては判らないのが現状。
137スターリン:2001/06/21(木) 20:41 ID:BnhG/lSw
>136
>モノを作る人たちは、少くとも江戸時代の制度上は非人とは
呼べないと思う。
正しいとも言えるが更に深い解釈が必要
いつの時代でも非公式なものはある。
部落産業の麻染め(だったか ?)
のように特定の産業は
賎民のやる仕事として存在している。
それは現在でも部落産業として残ってるでしょ ?
皮のなめし → 履物とか
138スターリン:2001/06/21(木) 20:42 ID:BnhG/lSw
↑ はエタの例
非人の金貸しなどは有名
139667j:2001/06/21(木) 21:18 ID:Ypbfk5NU
スターリンさん、おっしゃっていることがよく判らないのですけど。
あくまでも穢多と非人の制度上区分を一般論として書いたのですが。
確かに所謂皮田だけが皮剥ぎから鞣しを独占していたわけでは無く
特定の非人に命じて、作業をやらしていた地域もあったようですがね。
140スターリン:2001/06/21(木) 21:45 ID:4CyYaAnU
>139
>あくまでも穢多と非人の制度上区分を一般論として書いたのですが。
どうもどうも。
私の勘違いでした。
141132:2001/06/21(木) 23:45 ID:yacwPMBA
スターリンさん。
ありがとうございました。
難しいですが勉強になりました。
142名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/22(金) 17:30 ID:MoBjyzuI
最後のサンカに会った ロマンに潜む虚像の怖さ
池田知隆(大阪社会部編集委員)
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独特の川魚漁を見せる最後のサンカ=広島県で
 ◇差別された窮民の子孫

 「私たちはサンカ(山窩)と呼ばれていました」。広島県東部に住む男たちが、
目前で語り出した。サンカとは、かつて日本列島で箕(み)作りや竹細工、川魚
漁などを生業とした漂泊民のこと。1950年代末に消えた。虹のような幻の民
としてロマンチックに語られてきたが、実像は被差別民だ。より学問的に解明し
ようと桃山学院大学名誉教授(比較文化論)、沖浦和光さんがこの5月、部落解
放同盟の人たちの案内で聞き取り調査をした。それに同行し、最後のサンカと言
われる人たちから生の声を聞いた。「3歳のとき、父が亡くなり、隣のおじさん
と10歳のころまで川魚漁をして回った。とにかく魚を食べられるのがうれしく
て……」。尾道市に住む公務員、Aさん(59)は懐かしそうに語り出した。両
親は、大正時代に被差別部落内にできた「融和」住宅に入って定住。「地区内で
も『山のもん』とか『サンカホイト』と差別された。中学のころから、何をして
いいのか分からなくて、暴れていましたよ」 サンカといえば、三角寛(190
3〜71)の名を思い出す古老は少なくない。朝日新聞記者を経て、昭和のエロ
グロ時代に猟奇的なサンカ小説を書きまくった人気大衆小説家だ。昭和の初めに
現れた説教強盗を、その犯行の特異さから「サンカの仕業」と考えた警察の見方
にのって「伝奇ロマン」ものや荒唐無稽(むけい)な物語を生み出した。戦後、
三角は約30年にわたる研究成果をまとめた「サンカ社会の研究」で文学博士を
取得したが、学問的に信頼できないとして柳田国男などの民俗学者からは無視さ
れた。沖浦教授も「三角のサンカ像は奔放な想像力の所産であり、虚構の部分が
少なくない」と指摘する。だが、一方でサンカのイメージはよりロマンチックに
なる。私がサンカの世界を知ったのは「戒厳令の夜」「風の王国」など五木寛之
の作品からだ。国家の規制を超えて独自の文化をもち、管理社会の下で閉塞(へ
いそく)した状況に風穴を開ける集団として登場し、痛快だった。中島貞夫監督
の映画「瀬降り物語」(85年)では、山々を流浪する孤独な生活を萩原健一が
好演した。作家の椋鳩十は、自然に生きる漂泊民として詩情豊かに描き、自由に
生きる人間の原風景を呼び起こした。昨年末から刊行されている「三角寛サンカ
選集」(全7巻)が今、予想以上に版を重ねている。版元の現代書館編集長、村
井三夫さんは「もう読めないとあきらめていたが、よく出してくれたと喜ぶ高齢
者が多かった」と語る。社会の窒息感が昭和初期のころと似てきているのだろう
か。だが、サンカの実像はいったいどうなのか。サンカに関する初出史料は安芸
国(広島県)の庄屋文書(1855年)とみられる。三角がサンカ発生の地とし
て「雲伯石の三国」(島根・鳥取両県)を示唆しているが、「それに広島県を加
えれば、その指摘は当たっている」と沖浦教授は語る。ただ、サンカが古代国家
成立前の山人という説に対して、「近世末期発生説」を提起した。当時の度重な
る大飢饉(ききん)で農山村が荒廃し、餓死を逃れて山へ入った窮民が山間川辺
を漂泊する流民となった。サンカは漢字では「山家」「山窩」という字があてら
れるが、「山にひそむ盗賊」の意味だそうだ。文明社会から置き去りにされた漂
泊民をあたかも犯罪者集団と見た名残がある。そのサンカは明治初期から次第に
被差別部落や都市部のスラム街に溶け込んでいったというのである。「学校があ
るから、と私を残して両親はあちこち仕事に出かけ、寂しかった」とサンカの古
老、Bさん(83)は話した。聞き取り調査の後、Aさんたちが川で代々伝わる
「はえなわ」の仕掛けを教えてくれた。「車や冷蔵庫がなかったころ、山間地の
人々にとって川魚は貴重なたんぱく源。農家でよく米などに換えてもらいました。
この川魚漁は私たちの生活文化として子供たちにも伝えたいですね」。そのにこ
やかな表情には、差別に屈せず生きてきたサンカの人たちのたくましさが息づい
ていた。漂泊へのあこがれと、隠された差別の実態。サンカの人たちの話を聞き
ながら、ロマンに彩られた虚像の怖さを改めて思い知らされた。
(毎日新聞2001年6月22日東京朝刊から)
143名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/22(金) 17:48 ID:mLWhAOGU

 ・飲み過ぎ
 ・かぜ気味
 ・エスプエイド燃え中
 ・ビール2ケース購入
144名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/22(金) 19:46 ID:vTAMKpZk
新聞に載ってたんだ。
特別視しないとこがいいね。
145ななしのごんべえ:2001/06/22(金) 19:56 ID:k7p5dpUI
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5802/
ここにかいてたよ。
必見だね.
146:2001/06/22(金) 21:03 ID:dB9I5B1Y
金太は何処へ逝った?
147667j:2001/06/22(金) 21:27 ID:siYd2B.o
柳田の場合は無視したと言うよりも、初期の自分の研究で
サンカに対する漂泊民のイメージを幻想化し過ぎた為に、
黙殺せざる得なかった事情があった事を指摘する人も居る。
それに下層民の中でも、近代被差別部落については触れまいと
する姿勢がはっきりしているので、余計黙殺せざる得なかった。
148:2001/06/22(金) 21:58 ID:dB9I5B1Y
金太、本当に何処へ逝った?
149名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/22(金) 23:24 ID:QGn7Zm4.
歴史民俗学20号も「サンカ特集」
150名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/23(土) 01:33 ID:V2Q9Upfc
サンカ語が掲載されてる本を見つけたので、少し書きます。

アサケ=朝食(朝餉) オギンサマ=米飯 ナガシャリ=うどん カナ=川魚 キューベ=魚
クリカラ=麦  イイカシ=飯を炊く  オミダラ=百姓  ムシ=味噌  カモシ=酒

アマリ=男  アハズ=女  ツルミ=夫婦  イロ=母  カゾ=父  ヤカラ=親族
ニク=美人  シカメ=ブス ワザオギ=俳優、役者

オカネ=蛇  タチゴモ=蛇採り、

クマド=男根  ホド=女陰  サキハエ=初潮の祝い  ツマゴミ=婦女暴行  メゴメ=てごめ
マガビ=夫婦の交合  コモド=夫婦の交情の場

アヤメル=殺す  バタリ=盗み  ハズル、ラカン=逃走  フケル=逃げる 
ホケナス=うそを言う  カンヤリ=死罪  カモザリ=人の死  ドメル=埋める サンマ、ホウスケ=巡査

ナリハイ=生業  モトオヤ=親族  モヤ=煙草  カン=平等に分け合う ウラヤス=日本国  ハカリ=会議
ミソギ=水浴  ヨツギノコリ=婚礼法

など、今でもみんなの使う言葉も多いですね。まだ、たくさんあります。
性用語が多いのは、サンカはセックスが強いから、だそうです。
なかなか、興味深いです。
151息子:2001/06/23(土) 19:34 ID:mhfw9jHI
上へ。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 00:53 ID:HHf3DMN2
>>150
出雲神話の歌謡に出てくる単語がかなり含まれてるのが
作為的な気がしませんか。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 00:57 ID:d.NZPKh6
中上健次の小説に路地での会話に「イネつらいね」というのがあるが、
イロ=母 に近い意味だと記憶する。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 01:54 ID:XxHt9BTk
>>152
それはありますね。サンカの仕事の中に「遊芸」がありますよね。
歌舞伎、白拍子、猿舞など。この歌舞伎の発祥の地が出雲らしいですよ。
阿国さんという女性が始めたとのことです。サンカは笛なども作りますから
みんなで舞を楽しんだ。と考えやすいですね。
ですから、作為的ではなく、必然かと思います。
漂泊の民ですから、全国に広まったと考えてよいのでは?
やがて、河原で見世物として人気を呼び、江戸でイツキ(トケコミ)現在に至る。
なんて考えるとおもしろいですね。
三角氏の本に全国サンカ分布図がありましたが、東京、埼玉がもっとも
セブリが多い。とありました。明治40年頃の数ですが。
155乙女:2001/06/24(日) 02:12 ID:isQN6rVE
出雲、称えよ!
156150、154:2001/06/24(日) 05:18 ID:6oKdvarA
>>155
ですね!出雲大社の起源が知りたいですね。何かサンカと繋がるものがありそうです。

サンカ語の追加です。
ロセ=兄 タラ=母 スグリモノ=代表者  サンショダマ=言葉  ウツシ=生きている人
ツ”ラ=耳飾  テラシ=火  トヨシ=いただきます  ホキ=めでたい  ヤテラ=太陽
ソマル=大便をする ユマル=小便をする クモ=不良  トベナイ=まじない
などです。
ソマル、ユマルなどは「おまる」に近いですね。
やはり、「全体的に短い言葉を使う。」という特徴が見て取れます。
>>153
イネ=イロ=母 近いですね。やはり、どこかで使い続けられてますね。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 06:32 ID:RNno2UOM
日本スクールオブビジネスのCFで流れてる「夢は終わらない」って曲のCDやVideoって、
売ってないの?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 10:48 ID:9KC4Z7Rk
>個人的な口撃は読んでいて不愉快です。
そういうあなたも同じ事やってるね(^。^;)
>閲覧者代表さん もういい加減にして下さい!!
あなたはストーカーですね!
159名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/24(日) 13:59 ID:8O6Mj1aY
>>158
どれのこと?っていうか、お前がストーカー?
160名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/25(月) 01:02 ID:9RVpqHqI
へえ−
161名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/25(月) 13:53 ID:W5VniGFw
サンカや部落について、かなり突っ込んだ話をしていますねぇ?

http://www.kumanolife.com/guestbook/index.htm
162150,154,156:2001/06/25(月) 15:24 ID:K6cSsqvo
>>161
いいサイトですね、しかもレスが速い!楽しませていただきます。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/26(火) 00:10 ID:pcFAHjkk
さっき161で紹介されている掲示板を読んだけど確かになかなか面白い
164星娘:2001/06/26(火) 01:30 ID:UqozM/E.
ところで韓国・慶州の金太の話、どうしたの?
165名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/26(火) 06:51 ID:mSeI/Eao
もしかしたら歴史民族学とやらに発表されるんじゃないか?
166:2001/06/26(火) 10:58 ID:rpv1Mnbw
批評社に電話したけど、無視みたいな感じだった。やっぱ、金太が連絡したのか、
それともワイのようにデバ亀が問い合わせたのか?
167 りーまん:2001/06/26(火) 23:34 ID:ilzCEW52
上げまする。他のレス酷すぎる。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/27(水) 01:12 ID:YfaOCjms
歴史民俗学は夏頃に発売されるそうだから、
それを読めばなんかわかるでしょ?
169名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/27(水) 01:27 ID:zdiPttB2
>>168
そうですか!期待しましょう。
170ななし:2001/06/27(水) 05:57 ID:kU1iE7j2
被差別民のベースとなったものは原住系の縄文人の容姿などの特徴を
教えて下さい。初心者なので。
171なんもなし:2001/06/27(水) 15:08 ID:zzbK21OU
礫川さんが主催する歴史民俗学会は、彼だけがメンバーみたい。美しい。
だから、批評社みたいな有限会社でさえも適当に扱ってる。酷いね。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/27(水) 23:23 ID:IEqwQfkU
>171
えっ、でも批評社から礫川さんの本が多数出ている様ですが?
173なんもなし:2001/06/28(木) 00:26 ID:Z7ixHino
なんか電話しずらかった。
174ho:2001/06/28(木) 15:21 ID:L45NtV3Q
age
175七資産:2001/06/28(木) 15:58 ID:EtoKUD3g
俺は毎日にメールしたぞ!返信もないぞ!無視された金太の問題。
韓国・慶州登山敢行しないか?
176名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/29(金) 02:27 ID:KHS5Csg.
遺伝子の解析技術の進歩により、本州の日本人の約四分の一の人が中国特有、韓国特有の遺伝子と一致することが分ってきています。
また、中国や韓国にも縄文人に近いとされるアイヌや沖縄の人たち特有の遺伝子を持った人たちがいることも分ってきています。

と熊野ライフの掲示板に書いてあったが、ほんまかいな?
177なんもなし:2001/06/29(金) 04:54 ID:LlzkqA/Q
ふむ。しかし25%じゃないだろ・40%は漢と半島のだぜ。
やっぱ大東亜共栄だね。混血の日本の血族が東アジアを牛耳るのよ。
縄文の血のもとに被差別は小賢しい。
178コピペ:2001/06/29(金) 16:14 ID:WpEZSKL6
NHKの番組で見た資料です。なにぶん記憶して書き留めた資料ですので、
少し違っているかも知れません。
下記の遺伝子パターンは本州に住む日本人のものです。
日本人特有の遺伝子 4.8% アイヌ人特有の遺伝子8.1% 琉球人特有の遺伝子16.1%
韓国人特有の遺伝子24.2% 中国人特有の遺伝子25.8% 五つのパターン以外の遺伝子21%
なお中国に於いては中国人特有の遺伝子が60.6%を占め、
韓国に於いては韓国人特有の遺伝子が40.6%を占めている。
日本人の多様さが伺い知れる資料である。

だそうです。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/29(金) 18:36 ID:bKoW28pQ
渡来人というとすぐに朝鮮系と思い込んでる人がいるみたいだけど、
渡来のルートは複数ありました。
古代の道は、陸路より海路が圧倒的に便利で早い。
たとえば北朝鮮から南端まで行くとしても、陸路を行くよりは岸ずたいに
黄海を船で来たほうがずっと早くて経済的。小船でも来られる。
そうしてみると、朝鮮の最北端よりはリャオトン半島や山東半島から
船でくるほうが早い。
それに、朝鮮半島は、もともと生産力の低い土地で当時の半島などそんなに
人は住んでいなかった。
船の技術は北方遊牧民は持っていないが、中国では発達していたし、
揚子江河口付近などには海洋民もいた。ここから日本までも、山東半島経由
で来れば小船でも来られる。揚子江は内陸部とも水路でつながっている。

以上のことを勘案すると、渡来人のほとんどは中国系で、半島南部は単なる
中継基地だったと考えられる。倭人の租界のようなものは古くからあったはず。
天皇が朝鮮系というのは日本人の教養のない爺いもよく言うが、むかし朝鮮人を
いじめた事へ後ろめたさから来た妄想のようなものだろう。韓国人が言う場合は
いつもの電波に過ぎないが。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/29(金) 18:50 ID:bKoW28pQ
弥生人がインドから来たという説も無視できない。
大野晋氏の日本語タミル語同起源説もある。
南インドには、ユダヤ民族のキリスト教徒がかなり住んでいた。
これは原始キリスト教の時代、すなわちパウロが異教徒に宣教する
以前のキリスト教がまだユダヤ人だけの宗教だった時代にインドに
渡ってきた人々だ。原始キリスト教徒は、自分達の信仰こそ
本来のユダヤ教の教えだと信じていたはず。キリストもつねにそのような
文脈で教えを説いていた。
ともあれ、日本の神道に見られる、ユダヤ教的な特色は、彼らの影響
を受けているとも考えられる。神社の構造や、本殿に偶像がない事、
神器は神霊の降りるより代と考えられている事(「聖所」の観念)、
「臨在の幕屋」という観念(=式年遷宮、組立て式の神殿)なども、
ユダヤ教と共通する。

古代日本は中国のみならず、南インドからも影響を受けていたと私は
信じる。マラッカ海峡さえ見つければインドはさほど遠くない。
181スターリン:2001/06/29(金) 19:34 ID:vWWoKNOk
そう言えば
天皇家 ユダヤ人説というしょうもないのが
ちょっと前にあったな。
182nana:2001/06/30(土) 07:32 ID:2isucDLE
下がったので上げるの。
183t:2001/06/30(土) 11:57 ID:Ygzs3ZEc
184:2001/07/01(日) 02:25 ID:XTh7qQJw
185名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/01(日) 12:52 ID:/PxTy.qQ
7 月です。新世紀最初の年・2001 年ももはや半年が過ぎたというか、第 3 四半期まで来たというか、ともかく 7 月です。7 月といえば 4 日は米国の独立記念日を連想する人は少なくないでしょうが、7 月の記念日は何もそればかりではありません。そう、今日 7/1 は、VAIO の誕生日。

1996 年 7 月 1 日にソニーが VAIO ノート「PCG-707」および「PCG-705」を、2 週間後の 15 日にデスクトップ「PCV-T700MR」を発売
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/970603/sony.htm
してから(正確には前年の 1996 年 9 月から米国で先行して発売されていたのですが)早 4 年。この 4 年間で、「へえー、ソニーもパソコン作ってるんだ」という程度の認識から、PC をよく知らない人にも「ああ、VAIO ね」と言われるまでの市民権を獲得し、今や日本の PC 市場を牽引する立場に立ったソニーの戦略はやはりすごいと思う。ある意味 VAIO を模倣した製品が出てきたり、「PCG-505」がきっかけとなった「銀パソ・ブーム」や、従来のベージュ、グレーといった無難な配色から個性的でカラフルな PC が当たり前になってきた今の傾向(まあ、これは iMac によるところも大きいのでしょうが)など、この 4 年で VAIO が PC 業界に与えた影響はすごく大きいですよね。

この 7/1 という、VAIO にとってある意味特別な日に、VAIO に施してあるある仕掛けが発動するようになっています。
http://www.ascii24.com/24/news/topi/article/2001/06/29/627464-000.html?24b
『ソニー(株)の“VAIO”シリーズに、公開していない隠し機能“イースターエッグ” があるらしいことが、29日に明らかになった。』
とありますが、まあ、確かに公開していない隠し機能ではあるものの、29 日に『明らかになった』って・・・(^^;鋭い人なら気付いているよね、とっくに。『ソニーのデジタルマーケティングソリューションズ部にこの噂の真偽を尋ねたが、「現時点ではノーコメント」という回答だった。』って、あからさまにスクープ記事っぽい書き方。うまいんだからもう。ASCII の「Sony Flash on ASCII」しかり、インプレスの「impress Watch for Sony fan」しかり、日経 BP の「Best Buy Sony」しかり、報道においてソニーのマーケティング的な力が影響していると思われることって少なくないですが、この記事なんてちょっとベタベタすぎでしょう(^^;ま、面白いので許す!(笑)

それはそうと、この 7/1 限定壁紙について、そして「VAIO」という製品に込められたフィロソフィー(哲学)について、公式サイトでも記事にされています。
http://www.vaio.sony.co.jp/Info/vaiologo.html
http://www.vaio.sony.co.jp/Enjoy/Inside/vaiologo/
まあ、古くからの VAIO フリークならばほとんど知っている内容ばかりなのですが、初代 VAIO のネーミング・ロゴデザイン・筐体デザインから名機・PCV-S シリーズや PCG-N505 シリーズあたりの世代までの意匠デザインを手がけたデザイナー・後藤禎祐氏のインタビューも掲載されていて、なかなかに読み応えのある内容となっています。

ちなみに、この壁紙ですが、その気になれば毎日でも見られます(笑)。「季節と時間で変わる壁紙」がプリインストールされているモデルならそのまま、インストールされていない機種でも
http://www.vaio.sony.co.jp/Download/Wall2000/
↑からダウンロード・インストールした上で「コントロールパネル」の「画面」を開き(デスクトップ上を右クリック→「プロパティ」でも可)、「背景」タブの中の「参照」ボタンをクリックしてフォルダをたどり、「C:\Program Files\Sony\VAIO HTML Wallpaper 2」フォルダ内の各解像度・色数のフォルダに存在する「○○-anniversary.png」を指定してやるだけ。何も ASCII24 の記事にあるように『その壁紙のデータは、プログラムの中に隠されており、通常では発見できないようだ。』ということは全くないのでご安心を(笑)。

それにしても、一番最初の VAIO って 50 万円もしたんですね。そう考えると今の PC は安くなったというか、時代を感じるというか。

ともかく、誕生日、おめでとう。これからも、よろしく、私の相棒よ。
186 なし :2001/07/01(日) 21:32 ID:WSAqj/2A
対策屋
187ない:2001/07/03(火) 10:07 ID:g40Gcg5U
対策屋
188!・!:2001/07/03(火) 13:32 ID:EPseswFs
金太、何処へ逝ったんだべーーー
189お〜い:2001/07/04(水) 02:56 ID:WOe57Y4M
お〜い
190梅吉:2001/07/04(水) 11:22 ID:R44pEEJs
おーい
隅田村に来いや
191名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/04(水) 23:41 ID:FGQcIkrk
>初出史料は安芸国(広島県)の庄屋文書(1855年)とみられる。

これ読みたいんだけど何処にあるんですか?
192縄文のアイドル@卑弥呼:2001/07/05(木) 12:31 ID:SmdjkGxA
日本混血雑種民族の愚配を示したのは信長であり、南朝ですよ。
混血と半島人から言われようが、我々は原点に向かうべき。
賤民=選民という卑弥呼の概念に戻って、大陸中華に挑むべきです。
サンカ系真紀子も今一つですが、頑張ってサンカ=縄文の
大らかな精神で行きましょう。神の国=原始国家です。
日本人は虚飾が多い。
これは島国根性とか部落思想に通じる。

191さん、>初出史料は安芸国(広島県)の庄屋文書(1855年)って
どこに書いてあったの?
193名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/05(木) 15:09 ID:Tj1r1mO2
五木寛之は「戒厳令の夜」の中でサンカが重要なプロットになっており、
そのため三角寛「サンカ社会の研究」が多く引用されています。この本は
最初昭和30年代に朝日新聞社(!)から「サンカの社会」という書名で
出版され、その後
母念寺出版というところ(三角寛の関係と思われる)から「サンカ社会の
研究」と改題のうえ、サンカ全集全60巻(!!)の1冊として出されました。
全60巻は当然完結せず、>>41さんご紹介の復刻版として出ているものがすべ
てです。
「研究」はまだある程度学術色がありますが、他のもの、特に小説類はサンカ
を蔑視しているとしか思えない記述満載で、かなりひどいです。なので「研究」
の意義もやや疑問視されているといってよいでしょう。

>>41
情報ありがとう。これまとめて復刻というのはすごいですね。
194ヘミングウェイ:2001/07/05(木) 16:42 ID:kTvdXbAE
2800円×7巻かあ、高いなあ・・・
しかし、「大好評 5刷り出来!  5月20日毎日新聞で紹介!」と書いてあるが、
2001年6月22日付(既出)の記事『最後のサンカに会った・ロマンに潜む虚像の
怖さ 池田知隆(大阪社会部編集委員)』とは矛盾するね。広告と記事の違いか。
大阪毎日と東京毎日との見解のズレか?
195名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/05(木) 21:52 ID:DhsmxRps
up
196名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/06(金) 13:06 ID:0jGq8qcw
まだまだサンカっているのかな?
197名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/06(金) 14:47 ID:Iwn3VdgU
>>195
荒らしは来ないで下さい。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 16:47 ID:pNMlXu92
読ませてもらいました。
ってかなぜにこのスレ荒らすの?
199無名:2001/07/22(日) 16:50 ID:u5T0zCDU
もっといろいろ知りたいあげ
200名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 21:17 ID:n6iUHcQ6
200いただきまーす!
201名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 22:35 ID:PeRoUPv6
各地に「国府」という知名があるだろう。皇族が島流しされて近隣の山頂に
神社立てまくったんだよな。山頂が本宮でフモトの郷に大きな鎮守を立てる。
本宮とサンカは無関係とは言えない。当然、地域差はある。かなりの差が。
しかし「山の民」としての連携はある。

少し前に出ていたが「瀬振り物語」はレンタルビデオで借りられるが、セブリ
という用語が、わざと違って使われている。セブリはサンカの象徴であるが為
わざと誤用しているフシがある。体ひとつで山で生きるとはどういうことかは、
痛いほど勉強させてくれる作品だな。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 22:41 ID:.yZ3yiBY
203名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 23:31 ID:.yZ3yiBY
204名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/29(日) 06:52 ID:MYGDBPd.
日本のジプシーと言われていたのは知ってた。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/29(日) 07:31 ID:qBbBXB5E
アイヌやギリアークの人達のような、先住民族なのですね。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/29(日) 08:04 ID:ZsunWbc2
日本の先住民族というのは、アイヌ、ギリアーク、オロッコのほかにも
いるのでしょうか?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 01:46 ID:60JiKD6A
最近、実録泥棒大家族なる本を読みました。少し前筑豊スレで話題になった
泥棒部落のことが書いてある本です。それによると、どうもこの集落は、
サンカ集落であったようです。
まず、明治の中ごろに大分県の山中から移住してきた。
竹細工の行商で生計を立てていた。
完全な女系社会でフリーセックスがまかり通っていた。
など、サンカの特徴に当てはまります。
福岡にも居付きのサンカがいたとは以外でした。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 04:21 ID:S6w.LFdI
>207
以外→意外
209名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/17(金) 12:03 ID:9yiZRvpg
さんかか普通の村かはっきりしませんが,赤松啓介の著作で明治初期までは両性交互スワップのセックスだったとありますね。
だからこどもの本当の親はわからないケースも多かったと。
210名無しさん@お腹いっぱい。
なんとなく保全