1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:49:36 ID:rs6VjzNA0
マスコミによる人権侵害を詳しく教えてくれるヒトラー大先生に学ぼう
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:50:22 ID:rs6VjzNA0
3つの新聞読者グループ
すなわち、ほかならぬジャーナリストの仲間の中では、新聞を国家の中での「国家」と好んで表現する習慣がある。
事実、新聞の意味はなんといっても、じつに巨大なものである。新聞は一般的にいって、いくら高く評価しても
過大評価されるということはありえない。なにしろそれは現実に、相当の年配になった人々に対し、
教育の延長という働きをするからである。
新聞の読者はその際、一般に三つのグループに分類される。
すなわち、第一は読んだもの全部信じる人々、
第二はもはやまったく信じない人々、
第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳をもつ人々、である。
第一のグループは数字の上からは、けたはずれの最大のグループである。かれらは大衆からなっ
ており、したがって国民の中では精神的にもっとも単純な部分を表している。しかしかれらを
職業でもって示すことはできず、せいぜい一般的な知的程度で示すことが出来るだけである。自
分で考えるだけの素質もなければ、またそのような教育も受けていない人々は、みなこのグルー
プにはいる。そしてかれらは半ば無能から、半ば無知から白地に黒く印刷して提供されたものを
全部信じる。さらに、たしかに自分の頭で考えることもできようが、それにもかかわらず、考え
ることの単なる無精さから、他人はきっと正しく頭を働かしたに違いなかろう、とつつましく仮
定して、その他人がすでに考えたことをありがたく全部そのままもらってしまうような、無精者
もまたこのグループにはいる。ところで、大衆を意味するこれらすべての人々にとって、新聞の
影響はまったく驚くべきものであるだろう。かれらは提供されたものを自分で吟味する境遇にも
ないし、またそんな意思もないので、あらゆる時事問題に対するかれらの一般的態度というもの
は、ほとんど例外なく他からの外的影響に還元できるのである。このことは、かれらの啓蒙が、
真剣で真理を愛する方面から企てられるならば有利であるだろうが、しかし人間のくずや、うそ
つきがこれに手を出す場合には害悪となる。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:51:44 ID:rs6VjzNA0
第二のグループは数ではまったく決定的に少なくなる。かれらの一部は、最初は第一のグルー
プにはいっていたが、長い間の苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目
に映るものならばなんでも、もはや全然信じなくなってしまった分子から構成されている。かれ
らは新聞という新聞を憎み、およそ読まないか、あるいは、その内容がかれらの意見からすれば、
まったくうそと、事実でないことだけで構成されているにすぎないのだから、例外なしに、そう
した内容に憤慨するかである。なにしろ真実に対してもつねに疑ってかかるだろうから。これら
の人々はきわめて取り扱いがむずかしい。かれらはそれゆえ、あらゆる積極的な仕事に対しては
だめな人間である。
最後に第三のグループはけたはずれて最小のグループである。かれらは生まれつきの素質と教
育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることについてかれ自身の判断を形成すること
に努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけて、その先の結
論を引きだすような、精神的にじつに洗練された頭脳をもった人々からなり立つ。かれらはいつ
でも、自分の頭をたえず働かせながらでなければ新聞を読まないだろう。だから、編集者の立場
は容易ではない。ジャーナリストはこのような読者を実際括弧つきでしか愛しはしない。
この第三のグループに属する人々にとっては、新聞がでっち上げうるナンセンスもほとんど危
険がないか、あるいは意味があるとさえも考えられる。とにかく、かれらはたいてい生活の過程
の中でジャーナリストなどは通例として、真実をたびたび語るにすぎない詐欺師とみなす
ことに慣れてしまっている。しかし残念なことは、このようなすぐれた人間の価値が、まさにか
れらの知能にだけあるにすぎず、その数にはないことである。−このことは賢明であることに
意味がなく、多数がすべてであるような時代における不幸なのだ。大衆の投票用紙があらゆるこ
とに判決を下す今日では、決定的な価値はまったく最大多数グループにある。そしてこれこそ第
一のグループ、つまり愚鈍な人々、あるいは軽信者の群衆なのである。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:52:36 ID:rs6VjzNA0
危険な弾劾者の道徳的武装解除
しかしユダヤ人およびかれらのマルクス主義的闘争組織の
すべての底知れぬ嘘は、ほかならぬただひとり超人的な意志力と実行力でもって、自己に予見で
きた破局を防ぎ、国民をどん底の屈辱と不名誉な時代から免れさせようと努力した男に、崩壊の
責任を負わせたのである。かれらは、ルーデンドルフが世界大戦の敗北に責任があると極印を押
すことによって祖国の反逆者に対抗して立ち上がりうる唯一の危険な弾劾者の手から、道徳的正義
という武器を取り上げてしまったのである。かれらはその際、まったく正しい原則、つまりうそ
が大きければ信じてもらえる一定の要素がつねに存在するという原則、から出発した。なぜなら
国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落
させられるものであり、したがって、かれらの心情の単純な愚鈍さからして、小さなうそよりも
大きなうその犠牲になりやすいからである。というのは、かれら自身、もちろんしばしば小さな
うそをつくのだが、しかし大きなうそをつくのはなにしろあまりにも気恥ずかしく感じてしまう
からである。そのような大きなうそはかれらの頭にはとてもはいり込めないし、したがって不名
誉きわまる歪曲をするような、まったく途方もない厚かましさは他人の場合でも可能だなどと信
じ得ないだろう。それどころか、このことについて説明を受けてさえも、なお長く疑いつづけ、
動揺するだろうし、そして少なくとも、なにか一つくらいの理由はやはり真実だと受け取るだろ
う。したがって、実際きわめてずうずうしいうそからは、つねになおなにかあるものが残り、続
いていくだろう。−以上はこの世のあらゆる大うそつきや、大うそつき団体が底の底まで知
っており、したがって卑劣にも利用している事実なのである。
ヒトラー著 「わが闘争」
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:53:23 ID:rs6VjzNA0
民族体の三クラス
いずれの民族体も、三つの大きなクラスにわけることができる。すなわ
ち一方の側では最良の人間性という極端で、あらゆる道徳の意味で善良で、とりわけ勇気と献身
によって特徴づけられる。他方は、最悪の人間の屑という極端で、あらゆる利己主義的衝動と悪
徳が存在しているという意味で劣悪である。両極端の間に、第三のクラスとして、大きな広範な
中間層があり、ここにおいては輝かしい英雄的精神も、卑劣きわまりない犯罪者的根性も具体化
されていない。
民族体の興隆期は、この極端によい部分の絶対的指導によって特徴づけられ、そのうえそれに
よってのみ存在する。
普通の、均整のとれた発展期、あるいは安定状態の時代は、明らかに中間の分子の支配によっ
て特徴づけられ、またそれによって成立している。この場合両極端は、相互に平衡を保ち、あ
るいは相殺しあう。
民族体の崩壊期は、最悪の分子の優勢な活動によって定められる。
ただそのさい、大衆は−わたしたちはかれらをそう呼ぼうとするのだが−中間のクラスとして、
両極端自体がみずから相互の格闘にしばられているときだけ、はっきりとあらわれるのであり、
だがかれらは両極端の一方が勝った場合には、つねによろこんで勝利者に従属するものだ、とい
うことにも注意すべきである。最良のものが支配している場合には、大衆はこれに従い、最悪のも
のが興隆している場合には、かれらは最悪のものに何の抵抗もしない。というのはこ
の中間の大衆は決してみずから戦わないからである。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 21:54:07 ID:rs6VjzNA0
宣伝
宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、
そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に
行われなければならない。人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとすると
すぐさま効果は散漫になる。というのは、大衆は提供された素材を消化することも、記憶しておくことも
できないからである。それとともに、結果はふたたび弱められ、ついにはなくなってしまうからである。
大衆感情
民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦ない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、
逆に他者の絶滅を断念することは、たとえそれを自分が正しくないことの証明と感じはしないにしても、
自分の正義についての不確実さと感じとる。
大衆は本能のかたまりに過ぎず、かれらの感情は、敵同士であることを望んでいると主張している
人々の間のお互いの握手を理解しはしない。かれらが望んでいることは、より強力なものの勝利と
より弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 22:01:40 ID:ADpsXgJ20
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