952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 21:56:37 ID:dliun4ty0
>>941 君も少しは考えるようになったが、
ウソはいかん
国交省持ち出したら信ずると思ったかな_?
愚かだが、もっと勉強しようんね!
帰ってきたら
穢多が必死に揚げ足取りをしていてワロタ
www
>>950 物部氏の宗家は滅んでいる。仮に多岐氏を物部の分家の一つとすると菊紋は明らかにおかしいだろ?もちろん皇族が菊紋を公に使いはじめた時期とも大きくズレがある。
それに菊紋は皇族以外には許されていない
臣下になったものは基本的には別紋を使うし
下賜するのは桐だろ
それと物部氏といえば石神神社だしな
これは残党が石神氏を名乗ったからだが
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 22:51:51 ID:8da5tvWT0
どうでもいいが、YR町とTRI町HS以外でニコイチ並んでるのはどこだね
956 :
名無しさん@お腹いっぱい:2010/01/16(土) 23:45:44 ID:kytQUJl50
>TRI町HS以外で・・・・・
HSと表記しているがあれは「hyousa」と呼ぶのではなく「OSA」と読みます。念のために。
穢多が出てこないので補足しておくが
天皇が菊紋を用いたのは鎌倉時代の後鳥羽上皇が初めて
したがって多岐神社の菊のマークは地位云々は全く関係がない
また菊の紋であるかも疑わしい
本来、日月紋で、菊紋は明治以降限定されただけw
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 06:51:20 ID:qf8Ugz+f0
>>947をよく読んでください。
本当に読解力ないな。神社創始から菊紋が使用なんて書いてないよ。
菊紋は、のちに天皇家から与えられたものであり、その神社の歴史を覆すものでない。
たとえば、南宮大社も十六菊ですが鎌倉以前の神社ですよ。
ねーー
>>957 よく勉強してますが、もう少し頑張ろうね!
言いがかりはウマイですが・・・・
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 06:52:56 ID:qf8Ugz+f0
もうひとつ、国土交通省を持ち出した方。
国交省と神社庁のかかわりも教えてほしいな。
961 :
もっこす2.0 ◆KwQQLUeBQnhU :2010/01/17(日) 07:30:10 ID:3s8Q43YC0
菊紋は古代エジプトまで起源が遡れる文様です。
昔考古学の本を読んでいてその話が出てました。
発掘された遺跡に刻まれていますね。
菊紋なんて、有り触れてた証拠。
国内最古級の神社の多くが、菊紋を採用していないw
>>961 もっこすくん、菊と蓮は全く関係が無いw
また作爺に迷惑掛けるな!
964 :
もっこす2.0 ◆KwQQLUeBQnhU :2010/01/17(日) 07:40:16 ID:3s8Q43YC0
>>964 今度聞いてみるよw
菊紋を採用している神社も、それ以前から別の紋も持っている。
菊紋は、鎌倉以前平安に流行しただけ。
菊自体も日本には中国経由で入り、欧州にも江戸時代に中国経由だが、
人気が出たのは、品種改良が進んだ日本から輸入されてから。
中国文化の影響で「花貴種」「百草王」などと称されるようになった菊の文様は、平安時代
から一般に愛好されるようになった。鎌倉時代、後鳥羽上皇がこの菊花紋を大いに気に入
り、身の回りのものに用いるようになった。その後の天皇・上皇も先例に従ったため、臣
下は菊花紋の使用を遠慮するようになっていった。十六菊が皇室の紋章として確定しのは、
幕末である。戊辰戦争が起きたとき、朝廷は薩長軍に対し十六菊の錦旗を下賜している。
そして慶応四年(1868)の太政官布告で、公式に皇室の紋章と定められた。
「十六八重菊」が公式に皇室の紋とされたのは、明治二年(1869) 太政官布告
皇族以外の菊花紋の使用が禁止されたのは、明治四年(1871) 太政官布告
皇族家紋の雛形として十四葉一重裏菊が定められた。
親王家の菊花紋として十六葉の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替
えることとした。社寺で使用されていた菊紋も、一部の社寺(神社は伊勢・八幡・上下賀茂
など、寺は泉涌寺・般舟院など) を除き一切の使用が禁止されたが、その後、徐々に菊紋
の使用を許され、明治十二年(1879) 太政官達で、一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として
使用することが許されている。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 13:02:01 ID:qf8Ugz+f0
ここへ来ると。Bうんぬんが学術的に、議論されてるね。
やはり、岐阜県大好き。
他県のBスレアホ・バカ・シネ。ドエッタ・のオンパレードだね。
他県のスレにこのスレ紹介してくよ。・・・変な奴来るかも知れんがゴメン。
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 13:12:21 ID:qf8Ugz+f0
たとえば 鎌倉の鶴岡八幡宮は清和源氏だから鶴に丸が紋として使われてる。
菊じゃない武家神社。
ドエッタ♪ドエッタ♪
>>963 もっこすの場合
菊紋ではなく菊門だ
奴が根っからのホモであることを忘れてはいかんぞ
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 13:21:35 ID:qf8Ugz+f0
福岡の太宰府天満宮は菅原道=人間神であるし、歴史が浅い。
よって梅の紋であり菊の紋は与えられてない・・・将来与えられるかは不明。
972 :
もっこす2.0 ◆KwQQLUeBQnhU :2010/01/17(日) 13:21:40 ID:3s8Q43YC0
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 13:24:55 ID:qf8Ugz+f0
>>972 きみか?精神病棟から投稿してるのは?全国的に有名だよ。
でも、君の治療に手助けしてやるから。国学勉強しろよ。
974 :
もっこす2.0 ◆KwQQLUeBQnhU :2010/01/17(日) 13:40:00 ID:3s8Q43YC0
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 18:16:52 ID:qf8Ugz+f0
>>972 >>974 馬鹿だな・・・
エジプトから菊のご紋は・・推測の推測だろ!
ネットの推論引っ張ってくるな。
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 19:01:54 ID:qf8Ugz+f0
>>969 :(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
君はウソつきだし、あることないことムチャクチャ書き込む。(たぶん幼少のころは
この子は頭がいいと育てられたかな・・・怨むは親族)
いくら2Chでも来るなよ。君の行くべきところは精神病院か監獄だよ。
977 :
もっこす2.0 ◆KwQQLUeBQnhU :2010/01/17(日) 19:05:35 ID:3s8Q43YC0
>>975 4〜50年くらい前からある説なんだが。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 19:33:12 ID:qf8Ugz+f0
さて 次は関ヶ原の合戦に移ろうか。
島津(今の九州鹿児島)は豊臣方についたのは周知のとおり。
関ヶ原の合戦の敗走路も牧田川沿いも史実のとうり、治水に薩摩義士が携わったのも史実のとおり。
なぜ、敗走路の治水にかかわったのか?幕府の命はいわずもがら。でもなぜ利根川や大井川等々でなく美濃国にしたのか・・・
敗逃のお礼という学説もある。また、恩を感じ多岐神社に詣でたという・・・・
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 19:35:49 ID:qf8Ugz+f0
>>977 4〜30年前って現代史じゃないかな・・・つまりコジツケか学説
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/17(日) 19:40:07 ID:qf8Ugz+f0
ほんと みんな 純粋 じゃないな
何もBがうんぬんでなく、事実を語ろうよ!
阿川尚之(日本大使館 ワシントン)
旅券の表紙には、その国の紋章を入れることが国際慣行となっています。わが国には正
式の紋章(国章)が存在しませんが、昭和40年以降、伝統的に国を代表する花の一つで
ある菊の花を図案化して、旅券の紋章として使用しています。
なお、明治以来、旅券には皇室紋章が使用されていました。第二次大戦後、新しい旅券
のデザインを定める際、わが国が正式な国章を定めることなく一方的に旅券の紋章を変え
ることは、国際的な混乱を招くおそれがあるとの判断により、引き続き菊の花を図案化し
たものを採用することとなりました。ただし皇室の紋章は16葉8重ですが、旅券の紋章
は16葉1重です。
在外公館の門頭などに、自国を示す何らかの紋章を用いることも、国際慣行となってい
ます。前述のとおり、わが国には正式の紋章(国章)は存在しません。しかし従来から、
わが国は菊花の紋章を在外公館の門頭などに使用してきており、これが国際的にも広く知
られているという事情に鑑み、引き続き菊花の紋章を使用しているものです。
旅券の場合とは異なり、在外公館で使用している菊花の紋章は、皇室で使用されている
ものと同じです。また、菊花の紋章の一般的使用を規制する法令は存在しません。
なお、菊花の紋章を採用するに至った経緯に触れた文書は、採用が決まったのが50年
以上前のことでもあり、私の知る限り、そのような文書が存在するとは承知しておりません。
『日本をダメにした官僚の大罪』 後藤 英彦 講談社 (2002年10月) 1,785 円
ttp://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sokai/03f/02.htm
>>972 もっこすくん、何度貼っても、それは菊じゃなくて蓮w
>>977 前回、作爺にまで迷惑掛けてたが、
当時の発言でも探したら?w
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 16:02:41 ID:xZvrGATc0
どうでもいいけど
部落にどれだけの税金が使われてるんだ?
商売やってる人が多いんだけど
やっぱり助成金とかで始めたのかな
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 18:15:01 ID:PLZTmTH90
美濃國
一宮
南宮大社
岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
二宮
伊富岐神社
岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1
大領神社
岐阜県不破郡垂井町宮代森下765
三宮
多岐神社
岐阜県養老郡養老町三神町406-1
伊奈波神社
岐阜県岐阜市伊奈波通1-1
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 18:42:08 ID:PLZTmTH90
さて、戸田藩(今のおおむね西濃地域)が三宮である多岐神社の氏子を、
尼崎から連れてきた家臣の武具製造(鎧、馬具、陣太鼓等に見られる被皮、に当たる職人)
を三宮の氏子としたのか。そして今を歴代続いている事実。戦後も郷社から金幣社に社格があったのか。
いろいろ推測はたつが、今のYのBは信頼ある家臣であったことは推測の藩中であろう。
また、多岐神社には、重要文化財も所蔵されている。
やはり 封建制度は搾取する側と9割を占めたという濃奴百姓との戦いであったと考えても不思議でない。
明治維新は百姓VSエタの構図を見事演じた上級武士の勝利と言えよう。
ちょっと事実から私見入れました・・・まあ少しは研究した者の意見ということでお許しあれ・・
■神社の運営費を着服 氏子総代の男2人逮捕
03月06日:17時46分22秒更新
去年5月、養老郡養老町の神社の運営費約100万円を着服したとして、氏子総代2人が6日、業務上横領の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは、養老郡養老町直江の会社員、岩田夫二男容疑者(52)と、養老町三神町の会社員村上旭容疑者(47)です。
県警などの調べによりますと、2人は、町内にある多岐神社の氏子総代を務めていた去年5月に、神社の定期預金を解約して、約100万円を横領したということです。
岩田容疑者は、氏子総代の会計係、村上容疑者は書記係を務めていて、2人とも、横領した金を競馬などの遊興費などに使ったと容疑を認めています。
2人は、平成17年9月から去年5月まで氏子総代を務めていて、引き継ぎの時に、横領が発覚し、氏子総代長が告訴していました。
警察では、この期間に、ほかにも1100万円の使途不明金があることから、余罪を厳しく追及しています。
南宮大社
仲山金山彦神社(延喜式神名帳)→南宮大社(国幣中社→国幣大社)
(古い神格の金属神)
伊富岐神社
伊福部氏(古代豪族)の祖神→伊吹山の神
気吹戸主と云う神。根之国底之国に気吹放ち天如此。伊吹放ちては根之国底之国に座坐す。
(ヤマトタケルは、この神との戦いに敗れ敗走し勢洲の能褒野にて亡くなる)
多岐神社
倉稻魂神・・・穀物神(おいなりさん)
素盞嗚命・・・八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を
養老町商工会
ttp://www.yoroshokokai.jp/
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 23:20:17 ID:tlyRQ00T0
>986
あーそれねー元々村に居た人たちじゃなくここ最近の他所からの転入組やねー
あとその中の一人がマルアキの元工場長の(rya
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 07:34:33 ID:RHi+sNJw0
>>987 もう少し貼り付けてもらいたかったな
多岐神社・・・
祭神は、神社明細帳によれば倉稻魂碑・素盞鳴命・大市比洋神である。
明治十四年の『町村略誌』大墳村の條には「郷肚多岐神社、祭神倉稻魂・猿田彦神・大宮盗_」
と記してゐる。多藝郡の多藝は古事記の倭建命の條に地名起源に関する記事を載せてゐるほど
古い呼称で、多岐神杜はこの地の豪族多藝氏の租神をまつつたのであらう。神社の本殿裏に本殿
に接して一基の圓墳がある。圓填は上面が直経五メートル餘の平面となつて居り、傾斜角約三〇度の
斜面四メートル餘をもつてゐる。この濁立圓填は恐らく多藝氏の墓であらう。
神社では祭神を宇迦之御魂神とし、當社勅額と伝へるものは「正一位三宮護法大菩薩」となつてゐる。
配祀 大市比盗_
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 19:53:31 ID:RHi+sNJw0
田代神社は従六位、
多岐神社正一位
また
田代神社は多藝郡十六社のひとつであり、多岐神社と社格がずいぶん違う。
明治以降、祭事や隆盛は逆転したのも、百姓>エタ(下級武士OR藩の使用人)
田代神社は美濃国神名帳に、従六位國津明神とある古社であると史実で明らかである。
本来は「国津」という名前だったようだ。
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 20:07:13 ID:RHi+sNJw0
>>992 余所者(ヨソモノの表現はいかん)
>>989 は最近の他所からの転入組と表現してるよ。
また熱田神宮はじめ総代に、君の言う余所者が名を連らねてるのは今やオーソライズされてるよ。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 21:40:35 ID:RHi+sNJw0
金屋にある御井神社も歴史ある神社で、
式内社の美濃国多芸郡御井神社であり、 「美濃国神名帳」に従五位下御井神の記載がある。
養老町の観光案内に正一位であり重文がある、多岐神社の案内がないのは、
寂しいかぎりである。
また、町OR教育委員会の怠慢なのかも知れない。
多岐神社は和銅年間(708〜715)に建立されたとされるが、
元正天王が養老の滝にお越しになったのは717年である。
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 22:22:02 ID:qiygZX2J0
>>994 宗教法人の乗っ取りは、有力な資金源の一つだし。
(下級武士OR藩の使用人)明治には、士族やそれに匹敵する身分ですが?w
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 07:49:15 ID:0ZVbfFC60
>>996 たとえば、藩御用達の職人は士族ではない、武家しか使わない
武具製造が主である故使用人という表現にしたのだが。
君の説で行くと、藩の木戸番や庭師、料理人等々も士族にならないか。
明治維新は武士の仲間内の争いで、天皇を上位にあおぎ上級武士は士族で残りシャンシャン。
だから、日本の封建制度が本当に崩れたのは戦後と考える。
>>997 それは端から町人。
維新後、警察や軍隊で採用された大半が、士族。
要職に就けなくても、身分は保証された。
後に人が足りなくて、平民まで採ったんだし。
維新後に、新平民という「区分」が出来たのを、
理解した方がいいです。
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 19:09:55 ID:0ZVbfFC60
スレの趣旨から
>>998さん
まず「延喜式」から勉強したらいかがか。
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 19:26:00 ID:0ZVbfFC60
もう終わるねこのスレ。
最後は自分の心の問題になるのだろうね。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。