在日朝鮮韓国人の女とやった奴いる?

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300同和問題を学ぼう!
 自分たちの縁者であるバク徒と同じく、初期の頃のテキヤを主に構成していたのは、
社会不適応者であったが、彼ら以外に日本伝来の追放者の階級の出身者の関心も引いた。
これらの人々は“小村落の人々”という意味の部落民たちで、インドの不可触民にも似た
隔離された階級の人々であった。部落民は恣意的に設定された階級で、皮革労働者などの
動物の死骸を扱う人々や、葬儀関係などの「不浄な」職業に就く人々により成り立ってい
た。部落民に対する差別は残酷で容赦のないものだった。彼らは一般的に「穢多」とか
「非人」と呼ばれていた。ちょうどサムライが平民を虐待することが許されていたのと同
じように、平民は部落民を苦しめることが許されていた。

 徳川幕府のもとでは、法や監修を破った者は、非人の地位に落とされることもあった。
それ故にテキヤの中には、すでに人間に非ずと烙印を押されているものもいた。また部落
民の家族に生まれた者には、みじめな貧困と恥辱から抜け出す道を供給してくれるテキヤ
に加わるものもいた。テキヤになって物を売り歩くということは、部落民にとって、そこ
にいれば永遠に追放者であるとの烙印を押される生誕地から離れることのできる数少ない
チャンスの一つだった。ちなみに一八六七年の徳川時代の終りの時点で、部落民は日本の
人口三三〇〇万人のうち四〇万人もいたのである。

 部落民に対する法的な差別は、一八七一年の解放令により公式的には終了した。しかし、
これらの人々に犠牲を強い、虐待することは今日も続いている。

〜カプランとデュブロ著
『ヤクザニッポン的犯罪地下帝国と右翼』より