戦前に大左記に中央と牛場がありましたが、そこで働いていた人達が暮らしていた場所に行ってきました。
私が見た当時の記録では、2ヶ所紹介されていて、ひとつはと牛場の脇で、現在は巨大なビル施設になり消滅していますが、
もうひとつの場所は、まだ住宅地として残っていました。ただ大左記に屠場があったのは戦前のことで、
その頃から暮らしている人たちが現在もそこにいるということはないと思いますが。
中央屠牛場関係ノ人ノ集団及ビ一般生活ニ困難ナル人ノ集団。
600坪、46世帯、人口154人。省線大左記駅に一丁。
戦前の地図を見ると、その地区に入って行く道があります(途中で消えている)。もちろん現在はその道はありません。
現在はビル、マンションに隠れて普通の一戸建ての住居や町工場系の建物がいくつかある、そんな地区になっていました。
大正期に生まれた都市の同和スラム。戦後もしばらくは場所と形を変えて存在したのでしょうね。
場所は浅草。ある寺の門前。
おとく(花屋の娘)「あら、いけないよ、そんな車をそこに置いていっちゃあ」
長吉(犬殺し弟)「おいら一人じゃ挽けねえもの」
おとく「だから兄(あに)さんの帰るまで待っておいでよ。一体その車には何匹這入っているの」
長吉「けふはまだ一匹も殺さねえ。兄きも自棄で飲みにいったんだらう」
おとく「犬を一匹殺すといくらになるの」
長吉「警察から貰うのは一匹二十銭さ」
おとく「皮や肉も売るんだろう」
長吉「むむ、さうでなけりやあ商売にならねえ、皮も肉も骨もみんな売るのさ」
おとく「忌な商売だわねえ」
長吉「それでも坊主の妾よりましだ」
おとく「え、なんだつて・・・」
長吉「なんでもいい。近所でみんな知つてゐらあ」
おとく「なにを知つてるんだよ」
長吉「はは、大黒様が般若になった。怖い怖い。食ひ殺されねえうちに、逃げよう逃げよう」
おとく「仕様のない子だねえ」
長吉「判らねえ人達だなあ」
(下の方より長吉の兄長太、廿四五歳、やはり棒を持ちて出づ)
長吉「おい、アンちやん、いいところへ来てくれた」
長太「なんだ、なんだ」
長吉「首環のねえ犬を見付けたから、追つかけて行つてぶち殺そうと思つたら、この人達が邪魔をして仕様がねえんだ」
長太「その犬はどこにゐる」
長太「この寺の中に隠れてゐるんだ。ほら鳴き声が聞こえるだらう」
長太「確かに首環はねえのか」
長吉「むむ」
善隆(住職)「あの犬はなんと鳴いてゐるのか。おまへ達にわかるか」
長太「冗談云つちやいけねえ。いくら犬殺しだつて、犬の鳴く声がわかるものか。おまへさんに判りますかい」
善隆「判る。ちやんと判つている。あの犬は救ひを求めてゐるのだ。
たとひ首環のない犬にしろ、のら犬にしろ、生あるものを無慈悲に殺すのをわれわれが黙って見てゐられるものではない。
あの犬はわれわれの法衣の袖の下に隠れてゐる。それを救つてやるのは出家の務だ」
長太「そつちが務なら、こつちも務だ。
わつし等だつて、洒落や慰みで生き物を殺してあるんじやねえ。警視庁から立派に野犬撲殺業の鑑札を貰つて、今日の商売にしてゐるんだ。
道楽半分に鉄砲をかついで、雉や鳩をぽんぽん撃つてあるくのとは訳が違はあ。第一、のら犬をぶち殺して悪いものなら、警視庁で鑑札をくれて置く筈がねえじやありませんか。
寺でも唯の家でも、理窟に変りはねえ。のら犬をかくまつておくのは、お尋ねものをかくまつて置くやうなものだ。
意地の悪いことを云はねえで、早く犬を出しておくんなさい」
>>712 >>713 >>714は人気時代小説シリーズ「半7捕物帳」の作者O本K堂が大正時代に書いた芝居の台詞の一部です。
芝居の内容は寺の坊さんの俗性を風刺した短い喜劇です。
>>715に補足。
犬殺しの兄弟や花屋の娘が生き生きと描かれていて、読むだけでもおもしろい。タイトルは「寺の門前」です。
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 22:39:53 ID:mZsnftRQ0
>>711-714 「幼女の肛門に口つけてウンチ直食いしようとしたらハラワタまですすり出してしまって」
まで読んだ
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 00:19:05 ID:hzvqZ0CKO
起動までよんだ
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 00:45:06 ID:FSm3QYNG0
何枚か写真がUPしてありますが、どれも貧民窟や廃墟などではなく、昭和の世では普通の家だったものです。昭和は遠くなりにけりとでも申しましょうか。
何年か前に神社のお祭りを手伝ったら、
打ち上げに招待されてごちそうになったとき、
メインの料理の味噌煮込みが、鶏の臓物だけの鍋だった。
ひものついた卵の原型の奴とかいろいろ。
普通こんなのだしますかね?
つぎに手伝ったときも出た。
ちなみにM区です。
あまり接待されたくないねw
それは「ポンチリ」とかと呼ばれて、そうなら貴重なんだけど。
卵の原型は「きんかん」だよ。ウマイ。
なかなか食べられないし、私なら喜んでいただく。
ポンチリ(ぼんじり)は尾羽の付け根部分。
うまいかどうかは・・
てかその二つは地方に行けば
いつでも食べられるよ。
真珠苦区・菜加野区あたりにいってきました。
旧字名YODOBASHI姿、現NORTH真珠苦A、下層社会御用達のスーパー・3Pストアがあった一帯は現在再開発のためほとんど更地になっていますね。
「尾宇目街道裏通リニ在リ、附近住宅佳良ナルガ故殊更見劣ナリシ風紀悪シク悪感生ズ、」
私が見た記録ではこの地区のことは「不良民」「横暴」などめちゃくちゃ書いていますね。
地区の居住人口も書いていないし、調査員がまともな調査ができなかった可能性もあります。
トタン葺四拾戸、瓦葺十五戸。
north真珠苦Bにある寺の横に老人ホームがありますが、あそこもスラム地区だったようですね。
現在は民間の施設かと思いますが、もともと区立の施設で、かつては国鉄の寮だった場所でもあります。
時計工場の職工達の住宅がスラムに発展していったそうで、その時計工場について調べてみましたが、まったくわかりませんでした。
しかし、その近くのヨロイ神社近くの中欧線沿いのあたりのほうが雰囲気はありました。
住民しか入っていけない線路沿いの場所に鳥居みたいなのがあるし、表の通り沿いの壁には聖書の言葉。
線路と至近距離で、ほとんどガード下みたいな場所だし、好んで住むようなところではないですね。
north真珠苦Cの子多機橋附近、KO百貨店の物流倉庫がある館打川沿いの一画は、砂利採掘人の集落をルーツとするスラムだったようです。あのあたりで砂利がたくさん取れたんですね。
館打川も改修工事でかつてと随分姿を変えていますので、現在では当時の状況を想像するのも難しい感じです。
汚痴愛斎場の近くの寺山の墓地の裏の斜面に、戦前の話ですが、「非任部落」「山の人」といわれた場所があったというので、行ってみました。
当時の様子はといえば、卒塔婆などで作った掘立小屋が雑草が茂る中にいくつも建っていたとか。
関東大震災後、別の場所からそこへ集団で移住してきたらしく、生活スタイルを考えると、震災前から似たような生活をしていた人達かもしれません。
現在はSマンション、Gマンションという古いマンションが建っていますね。
そのマンションの下にかつて木造都営アパート群があったのでしょう。
ttp://www.linkclub.or.jp/~k-nomura/tokyo/kamita.html 現在は雑草が茂った空き地で、附近には新しい都営アパートも作られていたし、公園を作ったり、再開発の途中のようです。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 19:20:14 ID:7ChxlCGy0
age
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 14:33:38 ID:nknqZg2d0
犯人は両方とも朝鮮系!
伊藤一長・長崎市長が17日夕刻に銃撃を受け、18日未明に亡くなった事件で、報じられた犯人の
指定暴力団山口組系水心会会長代行、城尾哲弥容疑者(59)の本名は「白正哲」であることが判明。
読者より情報をいただき、通信社筋に確認したところ、確認が得られたので小稿に報告する。
一方、米国・バージニア工科大で、米犯罪史上最も多い32名(米時間17日現在)の犠牲者を出した
銃撃事件が報じられたが、凶行に及び、現場で自殺した犯人は、韓国人で同大学の寮に住む
チョ・スンフィ容疑者(23)であった。
まさに、悲惨な両事件は、朝鮮系による「日米同時銃撃事件」であった。「やはり」と思われる方も
おられるに違いない。
無防備、無抵抗な者を銃撃する。後ろからフイ撃ちする。身体の中でもっとも無防備な顔面を狙う。
これらは、朝鮮人の犯罪の特徴である。要注意のご参考まで!
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 15:33:55 ID:rmVGeas10
アメリカ人から見れば。朝鮮人も日本人も中国人もベトナム人もみな同じ。
東京で最悪のコリアタウンは何処?
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 16:35:20 ID:MyZA0sMT0
最「悪」だったら大久保だろうな
規模・質の悪さともに頭ひとつ抜けている
頭数では西日暮里・三河島もそんなに遜色ないが
1st 大久保
2nd 三河島
3rd 東上野
4th 枝川
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 16:51:56 ID:kx6kD0+wO
NKMRって苗字、Bに多い気がする。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 17:15:14 ID:ywpze0QvO
ヤッパ長崎も在日だったわけだ。
>>734 中村社長でググったら
松下電産、NTTドコモ研究所、ソニー何とか研究所・・・
と沢山ヒットしたぞ。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 20:54:34 ID:iLAH499w0
KYS市を空撮写真で眺めると怪獣っぽいので埋め尽くされてるんだけど、
ただ単に公営住宅が多いだけ?
>>738 怪獣はぁ、リィヴァッサッィ、モンブランもリィヴァッサッィ、城跡リィヴァッサッィ♪
ウォウォオ、リィヴァッサッィ、リィヴァッサッィ、リィヴァッサッィ♪
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:46:09 ID:/eI9V6DO0
>>726氏
何の資料をもとに回っていらっしゃるんですか?
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 15:13:24 ID:uVeTRsSlO
733 間違えてたらスイマセン 枝川をご存知の様で聞きたいのですが、あなたは眼鏡をかけて体格がいいですか?
743 :
726:2007/04/20(金) 22:39:19 ID:jN92IcSzO
>>737 あの山周辺の地形を知らずに、最初はあの場所を目指して行きました。確かに多少奇異に感じる場所ですね。
寺が集まっている山なので歴史もあるだろうし、斎場も近いということで、あの山自体特別な雰囲気があるかもしれません。
>>740 戦前の行政資料が中心です。細民地区、不良住宅地区、震災被害地区調査の類です。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 06:40:36 ID:Cy7i8KAe0
そう言えば、昔オカ板で江古田周辺(だったかな?)で土地の成立に関するタブーがある、
ってのを見た事があるんだが、Bとは関係ないの?
大江戸線の新江古田駅の利用者にはかわゆい女の子が多いというオカルト。
まあ、江古田駅(練馬区だが)の前には児童福祉施設や斎場(焼き場こそないが)なんてのがあるからな。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 14:30:22 ID:ME1T0pnw0
>焼き場こそないが
焼きぞこないと読んでガクブルしてしまった・・・・
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 16:39:16 ID:bIx2k7jNO
土地の成立のタブーと言えば横浜北部。
港北ニュータウン?
751 :
◆AaA/Ch5mc6 :2007/04/22(日) 13:38:35 ID:ZsqksxVEO
>>743 東京市社会局年報か?
青梅街道を当て字にするなや。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 09:51:39 ID:yFsWWO+T0
あげ
>>743 ありがとうございます。
今後とも、レポ期待しております!
世田谷の弦巻5丁目の一部の旧地名が供養塚。昔はよくある地名だったのかな?
755 :
いたぱし:2007/04/26(木) 04:18:00 ID:xXo6e3h80
もとやそ、じょいとい、どこいった?
まだいるのかな?
かつてぶらくかいほう同盟高騰支部があった場所に行ってきました。
高騰区SREAのSK学会の会館の近くです。このあたりは大きなスラムがあった場所に近いですね。
同盟支部の事務所といっても、70年代の話ですが、○○荘という小さな風呂なしアパートの一室だったと思われます。
現在はそのアパートは取り壊されていて、そのアパートと同じ名の方がビルタイプの大きな家を建てていますね。
SK学会の会館も、現在そこここで見られるような豪華な建物ではなく、地味な地区会館のような雰囲気です。
SK学会が現在のような巨大組織になる前に作ったものでしょう。その近辺はかなり古いアパートが少なからず残っていますね。
>>757の続き
そして南東方面のIWAI橋へ。このあたりがかつて隠亡堀と呼ばれていたことは有名ですね。
現在のガソリンスタンドあたりに極楽寺という火葬寺があったんでしょうか。
四谷怪談で、板に張り付けられたお岩と非人の死体が流れついたのはこの隠亡掘という設定ですね。
その西側にある1000石@のBIG横川沿いは、江戸時代はishijima町、suehiro町という細長い町で、俗に船饅頭といわれた水上娼婦達が大勢暮らす町だったそうです。自ら舟を漕いでFUKA川やNI本橋の盛り場に出向き、入り江などで商売をしていたということです。
明治に入って埋め立てが進み、現在の1000石@のBIG横川とF川W中学校の間あたりがF川の屠場になるわけですね。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
そこで
書名 江戸明治東京重ね地図 改訂版
著者名 吉原健一郎監修 俵元昭監修
出版社 東京 エーピーピーカンパニー
発売社 東京 丸善
出版年月 2004.7
価格 18000円
ページ数 321,8,286p
大きさ 26cm
ISBN 4-901441-30-2
件名 東京都−地図 古地図