福 岡 ス レ 2

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248名無しさん@お腹いっぱい。
245の言っていることも解るよ。私も、70〜80歳代の高齢者にいろいろな話を聞いたが
245の言うような公営住宅の経緯も聞いている。博多駅の近くに日本人ではない人々の集落があったこと、
街を整備するにあたって、それら集落が邪魔になったため立ち退きさせる必要があったこと、
(特に、博多駅は昭和39年に呉服町から現在地へ移転させるための大規模な工事があったので)
これらの理由で、戦後に出来たバラック小屋の集落を整理、住民を公営住宅に移したのだろう。
この問題は、日本に古来から続く血統的B問題とは、また事情が異なってくると思う。

日本古来の血統的Bは、むしろ田舎で先祖からの土地と家屋を所有していたので
公営住宅に住む必要がないし、現代の世の中の住宅事情において箱庭のような安普請の住宅に住み
せっせとローンを払っている人達よりは、先祖から受け継いだ土地と家屋のおかげで
広くて立派な家に住んでいる例の方が多い。

240で私が述べた公営住宅の成り立ちについては、かつて公営住宅があり、現在は古い住宅街化している町が
誤解されがちな町並みであることの理由を説明するため戦後の住宅事情と都市開発の話をあげてみた。
南区と城南区は、30年ほど前までは森と沼地の間に田畑がある未開の地だったため
土地はいくらでもあった。都心部に近い郊外ということで、真っ先に宅地開発が進められた地帯なんだよ。
花畑、柳河内など、最も早くから宅地開発で切り開かれていったと聞いている。
南区、城南区の住宅街は、まさに野放し状態で家が建ったので
あの辺りの町並みが無残なのは見てのとおり。都市計画も何もあったものじゃない。
昭和50年以降ぐらいから、新興住宅街ではきちんとした区画整理がなされるようになった。

町並みが複雑で道が狭く、ごちゃごちゃしていること=Bと誤解している者がいるので
町並みとBは関連性はないということを知っておく必要がある。
また、そうなった背景には、戦後の住宅難などあらゆる原因があるために長々とした説明になった。