京都の部落ついて語ろう

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658名無しさん@お腹いっぱい。
かわた」の地名が多いように製革業は「四つ」の限定職業で、柳生なども「四つ足
の里」とよばれて仏教側から苛められていたのは私の、「柳生新陰流」に詳しい。レ
ザーのない時代で製革が儲かり、皮をなめすアンモニヤの代用に桶を沢山つんで馬車
隊で小水を集荷して廻ったから、今でも、「かわや」と便所のことをいうが、徳川綱
吉は「神仏混合令」を発布するに先立って、その当時、「犬も歩けば棒にあたる」と、
辻の木戸ごとの「四つ」の番太が野良犬をみつけると六尺棒で撲殺し、製革原料に渡
された。荒川の三河島に橋のない川として居付きさせられていたのが、関東入部の人
手不足の家康に、御家人、旗本に採用され略して三河譜代と称したが、彼らも白の
「四つ」の子孫ゆえ、革屋をスポンサーにガードマンとなり、「旗本白柄組」「神祇
組」と称して護衛していた。「生類憐れみの令」つまり獣を殺して皮を剥ぎ反仏派の
資金に充当するなという仏法護持の法律を施行するに先立ち、貞享四年に直参とはい
え皮屋加担の者は江戸だけで家族もろとも二千余、地方まで入れると二十万余が、居
つき限定地へ追われ収容される。

ちっと長かっためんご
犬も歩けばーーー
犬の方から棒にあたるじゃなくて
誰かが歩いてる犬に棒を当てるんだったのか。