>>417 近現代に「朝鮮部落」というのが存在したことを知ってるよね。
大阪では今の生野区の馬飼野という窪んだ土地柄で、
雨がたまってぬかるむ場所にあったし、
今は梅田の繁華街になってるが、元は被差別部落の近く、
淀川べりにもあった。中津らへんだ。許永中の出身地だね。
そこで朝鮮人がどぶろくの密造を家業にしてて、
母親なんかがしょっちゅう警察に引っ張られるもんだから、
子供ながらに権力への憎悪をたぎらせて育ってああなったようだ。
もし朝鮮半島併合後に生じたこのような朝鮮部落が、
江戸時代や奈良時代にあったとしたらどうだろう?
現代ではそれを朝鮮部落とは見ずに、
被差別部落の一つと数えてることだろう。
つまり被差別集団というのは、元は自他ともに認める被差別者だ。
それが集団の歴史的継続性、存続に重要な要素となっている。
元々毛並みの違う集団が、既存社会に参与できず、
僻地の劣悪な場に居を構え、
そのまま異分子としての位置を固定される形で
そのままいついたのが部落である。
よって「なぜ選ばれたのか?」という質問は適当ではない。
“選ばれた”のではなく、元からそうだったのである。
僕らは江戸時代に日本列島に住んでいたのが日本民族だけだと考えている。
しかし徳川時代成立前の文禄慶長の役では、
多数の朝鮮人が連行されているし、
それ以前にも異民族は流入していたのである。
そして識者らは、そのことはあえて無視して部落の歴史を語っている。
ただ、被差別部落の歴史も様々だ。全てがそうだとは言えないだろうが。