群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。
私は駅を出ると横を通り、駅舎の裏側に出た。
部落は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではないが、
ここはいわゆる一般的な偏見通りの、条件の悪い部落に入る。
以前の地名は「目車町」といい、道端の案内板によると、
昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、
そう名付けられたという。
ここは非常に説明しにくい部落だが、非常に貴重な部落でもある。
なぜなら、ここから女性が一人、皇族に嫁いでいるからである。
この土地については、ある研究者の方に紹介して頂いて知ったのだが、
最初は私も半信半疑であった。
しかし今回実際に訪ねてみて、それを確信するに至った。
まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、
女性はその社長の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。
江戸期から何代にも渡って記録的な成長を続けてきた一族の歴史は、
この地にあるN記念館で辿る事が出来る。
老舗の醤油屋も現在この地にあるが、その醤油屋から分家して出来たのが
N社である。「粉屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、
故にこの地ではうどんが名物となっているが、これは不味いので余り有名
ではない。醤油もそう良質なものではなかったと聞く。
駅の裏にはこれらの工場群が散在する。大企業であるから、
本社は随分前に東京に移転したが、工場は小規模ながらまだこの発祥の地に
残っている。いずれも古い施設だ。この工場の一つをぐるりと回ると、
その裏にひっそりと、これまた古ぼけた白山神社が立っている。
神社周辺には廃屋と呼んでもよさそうな、朽ちかけた家々が並ぶ。
この地は女性が皇族に嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。
指定を受けると部落と分かってしまうからである。こうした住環境は
同和対策事業の恩恵を受けられなかった結果である。
家々の間を泥川が流れている。
ここはまた、有名な城下町であるので、城跡はまだ残っている。
この城跡は目車町からかなり離れているのだが、江戸時代には目車町近く
まで城の勢力があった。
城門跡を示す石碑が、この地のすぐ側に置かれている事も、
それを示している。部落には牢番人や職人が多かったので、便宜上、
城の周囲に置かれる事が多かったといわれているが、
これもその一例であろう。
その女性の実家での生活は、非常西欧風のものだったという、
夕食後には家族でバイオリンやピアノを弾いて楽しんだと、
記念館の記録にあるが、そのような西欧かぶれの生活は、一見華やかだが、
劣等感の裏返しと見る事も出来る。
そんな西欧かぶれの大企業の一族から、女性が皇族に嫁ぐ。
これは正に部落民史上、最大のサクセスストーリーであり、
また最大のタブーでもある。
無論、皇族や宮内庁内には数々の抵抗があったと予想できるが、
私達にそのことを窺い知る事はできない。結婚後、
この女性の出自に関する事実がまことしやかに広まる事も無かった。
一部の研究者や関係者の心の中だけに留め置かれたのである。
『実話GONナックルズ』(ミリオン出版)における
ジャーナリスト・上原善広氏の連載より抜粋
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