東北地方にBが少ない(特に39°〜40°以北)ことはよく知られている。
また「芸能系」の少数例外を除いては旧城下町に限られ、皮革工業者(多くは他地方出身)により成立した。
つまり以南の地においてはBの起源を中世にまで「成立→「差別」→「制度化」なのに対し東北では「制度化」=「成立」→「差別」
それは東北特に北東北が中世以前において化外の地であったことと関連する。
東北は以南(今後「内地」と呼ぶ)と異なる文化のもとにあった。
縄文文化→弥生文化→古墳文化「内地」で大きく変容したのに対し東北では
縄文文化→後縄文文化→擦文文化と生活様式の大きな変化を伴わず漸次変容したに過ぎない。
東北土着の生活様式は擦文期は半農半猟でありそれを担ったのがアイヌに近いとされる「エミシ族」である。
内地からの移民や交流により内地の文化の影響を受け中世以降漸次内地化するものの
その文化の痕跡は半農半猟生活を伝える「マタギ」(Bに非ず)に見ることが出来る。
狩猟肉食を常とする文化の本においてはそれに対する差別意識というものは生じ得ない。
そして自給自足的に家内工業として獣皮革製品を生産(近世におけるアイヌの生活より容易に類推される)
故に近世になり城下での武具製造によりBが成立し城下での制度となることによって差別が発生した。
また、Bの成立が内地系領主の東北への移封に伴うことにも着目したい。
土着系の安倍藤原安東氏の支配下にもその気候風土から言っても獣類皮革武具を製造していたであろう。
(芸能系を除く)Bが土着系でなく内地系領主の下で成立したのは
1製造能力が低く高級品を輸入していた
2一般人民が内職的に生産していた(差別が起こりえない)
3職能集団はあったものの一般に差別意識がなかったため動乱により消滅
が考えられるが地域の特性上1の可能性は低く2または3もしくは両方と推察される。