し ず お か

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194名無しさん@お腹いっぱい。
>>115
>今は地震関係の建物がある。
気になったんで行って来た。
地震関係の建物の横に小さなお稲荷さんがあったがこれの事か。
境内に【双街の碑】というのがあったのでググッてみた。

S府二丁町(現S岡市独楽方五丁目界隈)

慶長の時代、S府府中のA倍川町に遊郭があった、通称「二丁町」と呼ばれていた。
昭和20年6月19日のS岡大空襲によってこの二丁町は完全に焼失して無くなった。
その一画にある稲荷神社があり、「双街の碑」がある。
コ川家康が駿府に隠居するにあたり、天下諸藩に賦役を命じたので各地から多くの
将士達が駿府に集まって来た。
遠くから妻子を残して来た男達で駿府の遊女屋は繁盛し、女の奪い合いなど喧嘩公
論が絶えなかった。そこで、家康は長年、家康の鷹匠を勤め、老齢の為、辞職願いを
願い出た伊部勘右エ門(山城伏見の人)にA倍川町の土地を二丁四方(約200米四方)
を与えて遊郭を作らせ、これを支配させた。

少し付近を回ったら やはりレアな県営団地をハケーン!