関西に部落が多いのは、関西人が差別的なのではなく
「部落」というものの意味が違うからなんだよ。
簡単に言えば、関西で部落といえば暴力団と同じ意味だ。
明らかに部落に、被差別という名目を利用して、法をくぐりぬける人たちがいる。
関西人は穢れた部落を避けているのではなく、暴力団をさけているんだよ。
就職や結婚で部落が不利になるのもそれが理由で、
穢れた部落に住んでいるからではない。
法律の効かない暴力団を会社にいれたり、身内にしたいと誰が思う?
こう書くと、一部の人を全体のように見るのは差別だと言う人もいるだろう。
しかし、明かに部落というものの特徴としてあり、善良な人と暴力団の区別が簡単に付かなかった場合、
人は防衛として、全体が暴力団のようにふるまう。
これは差別ではない。差別だというなら、この差別は正常な防衛意識だ。
社会に情報の開放性があり、こういった長年続いてきた問題の原因を
関西人などの、ある集団の悪意に求めるのはあまり好ましくないぞ。
2 :
新成人 ◆6DQ83JaUMI :03/03/13 22:11 ID:oAZIW2MH
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3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 22:23 ID:xgdk60Lq
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4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 22:23 ID:rtzGTBSW
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5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 22:24 ID:cxFCX9Nl
5
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 22:24 ID:LJho2JEE
ろく
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 22:59 ID:XCvvKMy8
奈々
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 23:04 ID:2Si2kEIs
蜂
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/13 23:31 ID:yobrh1mi
kuso
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 00:45 ID:u1jCqjlr
関西に部落が多いってのは、事実はともかくとして一人歩きしてるよ。
日本史勉強すればわかる話なんだろうけど。
いくつか考えられる原因を。
1、歴史が古い。奈良、京都など日本の中心だったところには、
大和朝廷や仏教勢力などの、時の支配者によって服従させられた人々が多く、
古墳や墓の番などをさせられた。
2、当然、今と違って近畿は圧倒的に非労働人口が多く、消費の中心地だったので
忌み嫌われる仕事につく人間も多かった。
この二つが近世以前の要因。
3、東京との都市化の差。おそらく東京の肥大化は部落消滅の最大の要因のはず。
4、在日朝鮮人や暴力団などのマイノリティの数。東京と違って権力の中枢ではないために、
マイノリティや裏社会の勢力が集中し、一部が現在の「部落」と重なり合っている。
これが近代以降の要因。
まあ、なんの資料的根拠もないが。
11 :
ウメッシュのむ菅野:03/03/14 01:01 ID:bsOSMOht
おうむがやってくる。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 01:26 ID:tTrij/VD
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 01:40 ID:61mvn0f5
部落は一括りにしても関西人は一括りにするなってこと?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 04:41 ID:8ry5eFYB
関西部落の歴史は大和朝廷以前にまでさかのぼります。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 06:28 ID:m2PthD5d
>>14 日本最古の文明発祥地=日本最古の『ハレ・ケガレ』思想の発祥地である事は当たり前。
(仏教のセンダラ思想からしても)
しかしそんなものは朝挺の移動や戦乱の混乱に伴いうやむやになり、
『家系図』等も金で書き換えたり買ったり、いくらでも捏造できた時代も。
現代の部落問題と日本書紀以前の歴史などというものは、およそ関係がない。
遡れば、誰の体にでも流れている可能性があるのだ。Bの血は。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 06:59 ID:8ry5eFYB
>>15 現実的な血の問題ではなく、歴史的に民族や豪族の入れ替わりが激しかったということ。
権力者が頻繁に交代していれば、対抗勢力も入り乱れるわけだから。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 07:15 ID:Lf31oU+8
>>16 ますます現代の部落問題との関連性は薄い。
という事だな。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/14 11:33 ID:ROtKXd/e
確かに平安時代には「五色の賤」という制度があって、罪人や賤業者を制度的
に差別する、という体制が敷かれてはいたものの、その後の幾たびもの戦乱・
天災・人口流出入・政権交代などによって、現在への関連性は証明できなくな
ってしまったのだそうだ。だから関西に古都が多くても、それは関西に部落が
多い証明にはならないよ。
さらに関西は都市化が遅れた・充分に発達しなかったという説も、明治期に入
って京都だけでも(部落を含めて)年間数千万人もの人口の流出入があったと
いうことが分かっているので、これも解同系の学者でさえ否定している。
やはり部落が関西に多い(と考えられる)真の理由は、部落解放運動が京都で
始まったということだけに終始するのではなかろうかね。日本中に部落はある
ものの、よほどの地域(皮革産業を営んでいて明らかな蔑視を受けるなど)で
ない限り、関西以外ではあまり強く「問題として」認識されなかったのかも知
れませんな。関西人が同和を問題ではなく利権として考えた、というのもある
であろうが…
19 :
to:03/03/14 11:40 ID:mb3KnRnX
明治で年間数千万人やと国民全員が一度は京都に移住して出た勘定になるやん。
そもそも情報の開放性のある現代社会で、
関西人だけが「穢れ」などという宗教的な差別意識を持っていると考える事は
無理があるわけで。
被差別者という名目が非常に便利なのは、
例えば明らかに暴力団が集中している土地があり、周辺地域を圧迫して、周辺住民がその土地を避け、言論の弾圧がある為言葉にするのも憚られた場合
第三者は、周辺住民が被害者で暴力団が加害者だと思うだろう。
だが、その暴力団が被差別者という名目ならまったく逆になる。
周辺住民が上の例と同じ考えで同じ事をしていても、
第三者が見ると、周辺住民は部落を差別し、その土地を避ける加害者で
暴力団は、周辺住民に差別され避けられるかわいそうな被害者になる。
こういった、加害者と被害者を逆転させ、事情をよく知らない第三者に
暴力団を援助させることができる機構、これが被差別者と利権・暴力団を結びつけた
大きな一因だ。
21 :
百済:
>>18 寺社勢力による荘園制、惣村自治が多かったこと。
今で言う、プロ市民が多かったこと。
寺社の強訴はキツカッったそうだしね。そういうときは
神人や公人を尖兵として政権と戦った、という歴史もある。