901 :
謙信:
>>686 亀レスだけど、「てなもんや三度笠」の歌にも
「おいら旅人 一本刀♪」ってあるね。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/23 10:50 ID:AKja9XhD
質問!
この理論で行くと、江戸時代の豪商の子孫は農民の子孫よりカスという
事になるのかな?
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/23 11:44 ID:Uvlh82qT
漏れは豪商=豪農だとホモってるが、両者の家で比較すると
豪農>豪商だね。
上級武士>下級武士≧豪農≧豪商って感じになるのかな??
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/23 16:27 ID:FsWm8+23
そういう図式でほぼ間違い無いでしょ。ただし、商人も庄屋も、自宅しか封地を持たず、住民をどうこうできない上士や下士から直接支配されてた訳では無いだろうけどね。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/23 16:34 ID:OfjwmEXV
部落地域がどこにあるか地名・人名をUPしたHPができました。
ただしアングラにつき普通にリンクを張ることはできません。
見方は
1.書き込みの名前の欄に
http://fusianasan.2ch.net/ と入れる。(裏ドメイン名)
2.E-mail欄に、burakusearchと入力する。(パスワード)
3.本文にパスワードと都道府県名(検索用)を入れて、書込みボタンを押します。
4.タイトルが「地域情報(極秘データ館)」に変わればOK!
5.サーバーが重いと2chに戻ってくるけど、くじけずに何度も挑戦。
うまく行くと、目的のページにつながります。
6.家庭の電話回線よりも、企業や学校の専用回線からの方がサーバートラフィックの
都合上つながる確立が高いです。
(注意!)全て半角で入れること!
23:00〜03:00の間はつながり難いです!何度もトライ!
http://fusianasan.2ch.net/←は、裏ドメインの為「直リン」で飛んでも
「鯖が見つかりません」になります。入り口は「表2ch」のCGIだけです。
補足:どうしても繋がらない場合は↓の宛先へメールを下さい。メールには、あなたの住所、
と知りたい理由を明記していただければ、追ってお知らせします。
アドレス:
[email protected]
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/24 05:48 ID:GCoHcr47
誰か新スレたてれ
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/24 07:22 ID:cjwg1UqH
江戸府内と他国ではだいぶ違うよ。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/24 09:55 ID:cjwg1UqH
江戸時代、江戸府内では、暗黙のうちではあるが、苗字もあったし、
帯刀する者もあった。もちろん一部の町人。江戸では、他国の下級藩士
や旗本で食い扶持の無い武家の次男坊以下は豊かな商家以下の生活であ
った。刀を質に入れるのはザラ。そういうモノを好事家(町人)が購入
いた事実も残っているよ。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/24 09:56 ID:cjwg1UqH
うちは江戸の商家だったが、嫁は武家の出だったよ。
ストレートじゃ無理だから、養女に出されて商家に嫁ぐ、という仕組み。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/24 18:03 ID:mSP1H/My
>>909 商家は原則娘相続だったらしいな。
息子だと出来が悪いと放蕩して身代を潰してしまうが
娘に出来た婿を取らせれば安泰と云うわけだ。
でも、娘が出来なかった商家では嫁を取るわけだが
読み書き算盤が出来て躾もよいとなると平民では
余りいない。そこで武家の次、三女を迂回させて
もらう事にしたんじゃないのかな・・・。
911 :
to墓石報告@ここで良かった?:02/12/25 15:53 ID:rM7u7r+r
墓石見て来たが、戒名は○○○○信士、信女、(霊士?居士もあったかも)みたいなんしか無かった…
しんどかった…
ほとんどの石がボロボロで字読めず…
唯一天保ダケ確認。
元○←読めずもアリ。
正面に戒名のと、正面は仏の彫刻で横に戒名との2タイプあり。
ついでに質問やけど、何宗なんやろ?
>>911 俺、仏の道に少々詳しいのでマジレスするけど、
天保なんて時代に墓石を持っている地域なんて本当に裕福だと思うよ。
基本的に町民級はその時代、墓標は木だからね。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 05:02 ID:vdd8SXkN
お前らの墓も遺骨盗まれないよう気をつけろや
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 19:53 ID:nY8eOYHp
>>912
天保といえばもう幕末ですね。
普通に石碑が建ってて不思議はないのでは?
木の墓標は、まあ棺桶が腐食して土が落ち着き、
石碑を建てても傾いたり倒れたりしなくなるまでのものでは?
元禄の頃から普通の家にも石碑が普及していたように思いますが。
>>911
お話の様子では、元禄か、元文ですね。
霊士というのは、多分霊位の読み間違いでしょうね。
これからだけでは宗旨は分かりませんが、
本家筋の方にお尋ねになれば、過去帳か位牌があるはずで、
どの墓が誰のものかは分かると思います。
そのうち年を取って、子供にも相手にされず、
毎日墓参りをするようになる頃には、みんな分かりますよ。
915 :
to:02/12/26 20:24 ID:rpzNYF1r
墓石自体がボロボロで、7代以上遡ると横の文字も読めんかったよ。石が柔らか過ぎたんカモ…
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 06:00 ID:CrOmk8RK
お前らお墓あんの?すげー!金持ち?うちが貧乏なだけかアハハ
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/29 19:18 ID:4TnPl1pX
吉宗の母は農民の出らしいが、どのような経緯で将軍の母となったのか教えて欲しい
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/29 20:40 ID:m4sSORxM
911>武士なら下士、農民なら自作農クラスだよ。上士・豪農クラスは居士
上でもなく、下でもなく中流階級だす
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/29 20:54 ID:m4sSORxM
上士=名主 下士=村方三役 自作農=足軽
江戸時代末期に、郷士にシフトされた農民の身分推移だよ。
武士と農民の違いは、有産階級の身分制度と無産階級の身分制度の違いと捉えると解り易い
戦国時代、荘園領主の直系の豪族は、有産階級であったので農地・商業施設を手放せず帰農した。それが名主とか米屋とか酒屋。
特に酒屋(尤も製酒だが)は設備と流通が必要なので大規模な豪族が帰農して経営した。
藤原秀郷流の渕名氏(大規模な荘園領主である)の子孫も帰農して酒屋(製酒)を江戸時代に経営した。
その為に、家が破綻したりすると旗本家の侍になったりする(村落支配に詳しいので代官や、経理系の仕事をサラリーをもらって行う)
又、自作農でも、土地持は侍に準じた階級を与えられている。有産階級だからである。江戸時代中期には農民の娘と武士の縁組も流行する。家老クラスの次男が名主をパトロンにする為に、嫁を豪農から貰う。
実は日本の階級移行は比較的簡単であった訳だ。
920 :
to918:02/12/29 21:03 ID:h3qjIR/5
戒名での身分て事?
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/29 21:04 ID:m4sSORxM
参考に、帯刀7両(藩内だけと全国可がある。全国のは倍程度)苗字5両、羽織袴着用5両、これが平均的な苗字帯刀の金額
中には、藩主よりの下賜という形の羽織袴 15両 というものもある。
苗字帯刀は侍に準じた平民、株は、侍身分の購入、似ているけど違う。株は家も付いてくるので豪農は嫌った。本業は地主だからだ。
株は賎民身分でもお構いなしに買えた。御家人株を購入した賎民の史料もある。門構えに関して名主と係争した事件だ。御家人なので門構えをした所、秩序を乱すとして名主と係争になり、御家人なので幕府にまで飛び火した。
922 :
918:02/12/29 21:09 ID:m4sSORxM
例題であげたけど、自分で書いていてなんだけど、あんまり関係ない部分もあったりする。
923 :
to:02/12/29 21:22 ID:PxXxEzYK
苗字が金で買えるんは知っとったが5両とは安いね…
ちなみに坂本龍馬んちも郷士株買って郷士を名乗った商家よ。
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/29 23:47 ID:bDhBk1aX
名字帯刀←これはなんと読むのですか?
925 :
to:02/12/29 23:55 ID:fVJ0oR1X
みょうじたいとう
926 :
to:02/12/29 23:56 ID:UoUNqi/m
ふと思うたんやが、名主も庄屋も一緒ではないん?
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 01:20 ID:lzVqjgHL
関東ではふつう名主という。
牢名主とか
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 01:56 ID:KfM5MSZk
帯刀って苗字の人いるけど、これは何?
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 02:00 ID:KlnW3sdx
名主と庄屋は基本的には地域的な呼称の違い。微妙に違う点もあったと思った。
名から来るものと、郷からくるもので呼称の語源がなんとかかんとか、と地域的に呼び方が変わるといったが詳細は忘れた。
923>5両といったら、特産品のある農業地帯なら、職人の2ヶ月程度の給与だから知れています。地域によっては村の自作農全部が苗字帯刀だったりします。
また、別の貧しい地域では、名主すら苗字帯刀がないとか。色々です。ちなみに御家人株は安いやつだと10両前後、旗本株はすこし高くて300〜30000両(かなり差がある)
関東地区の名主クラスの農民の収入が100〜500両(年)が平均とすれば(江戸時代中期以降)いまの感覚でいえば、ブランドのバックを購入する程度の感覚なのかも。
尤も、苗字帯刀は数多く売られているけれど、株は、いつも売られているのでは無いから地方の人間の手にははいりづらい。
地方では、藩の下士株(これは一代毎更新のケースが多いので、更新時に株を買い士分になる)を名主の次男が手に入れるケースが多かった
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 02:03 ID:KlnW3sdx
929>それはたてわきでしょ。神主とかにおおいですね。あっ、でもそれで「たいとう」と読む同級生がいた。
そのまま、官職の通称を苗字にしたのですかね。
932 :
to:02/12/30 07:11 ID:UfWEeMLB
ケド、農民の年収が年100両以上もあるのは変やで。テレビで1両は米の値段から計算したら約8万て聞いたで…
933 :
>:02/12/30 13:17 ID:/0RuAxzK
幕末辺りでは郷士株買った人が多かったらしい。というか、下級藩士の
貧窮が原因かもしれないが。とにかく幕末の1両って貨幣価値が下がって
いたので約2万円くらいじゃなかったの? 米の値段から計算するのが基本
だけど、米経済って事実上崩壊してたでしょ? 大名は札差に米を入れて
金にしていたからね。割引料も高かったし。町民も農民も金の社会でしょ?
934 :
to:02/12/30 13:24 ID:6GikBr0l
貨幣経済が農村まで浸透したのは明治の終り頃からでない?明治の小作人は勤め人の月収の2ヶ月分位の年収しか無かったとか新聞で見た様な気がするが…
935 :
>:02/12/30 13:39 ID:/0RuAxzK
明治初期の地租改正一揆、大正の米騒動。
明治末期って日清戦争の前夜? つうか、それは飢饉旱魃とかでしょ?
浜口内閣は大正だしさ。
936 :
to:02/12/30 14:26 ID:yjlaGS6R
いま本から貨幣価値を探ってるんやが、いまいちハッキリせん…
天正三年(1575)時点で9石=2両=67万5千円相当
1両=33万7500円
やったらしい。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 14:53 ID:PXmlJTiW
我輩の辞書には1両=10万円=1石と書いてある。
938 :
to:02/12/30 14:54 ID:6GikBr0l
仮に米の品種等から現在の7割位の取れ高やとすると、田んぼ一坪から約1、5キロ程度の籾米が取れる事になるから、
1両=4、5石(675キロ)の籾米を作るのに450坪の土地が必要になる。
さらに四公六民を考慮すると2、5倍の土地
(1100坪)が必要になる。
これは天正年間の貨幣価値から計算したんやが、生活は苦しいかったんでは?
939 :
to937:02/12/30 15:01 ID:UfWEeMLB
1両=1石だとすれば、年貢も考慮して250坪あれば、金1両ダケを手元に残す事が出来る計算になる。
※ただし、出来た米を全て使ってやから、作った米を食べると小判は残らない。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 15:02 ID:9K3JU+bB
農家は肥料代を前倒しで買っていた。しかし、その利息が支払えず
暴動が起きたようだな。そこで大地主に二束三文で土地を売った。
地券をな。地券はかつての石高より嵩上げされたものだったらしい。
そういうことで、農家は大挙して都市に集中したのさ。
都市でも部落の失業率は50%←百済の請売りだけど。
941 :
to:02/12/30 15:15 ID:UfWEeMLB
ふと思うたんやが…
米1石=150キロって今も昔も一緒の単位?
何かトンデモない計算になってしもたが、どっかで間違えたんやろか…
942 :
930:02/12/30 20:52 ID:a843J9FE
小作と自作農では、中小企業社長と、使用人位の差がある。
貨幣経済の浸透は、関東地区では江戸時代からである。江戸の後背地だから商品決済を通じて貨幣経済は浸透していた訳だ。
だから郷町が関東北部では異様に発展している訳。だから関東地区と話を限定している
米の生産では江戸後期の農村は語れない。商品価値の有る特産品が貨幣経済のメインだからだ。
農民の年収100両というのは、江戸時代の船津氏と言う本百姓の史料から言っている。
田のみの生産(江戸中期迄)の帳簿では、年間の収支が1町辺り10両前後で有ったが、中期以降は、養蚕と藍染の副業収入で100両/反程度の収入に上昇している。
この船津氏は、村でも中堅規模の自作農であったので、特産品地域の農民の収入の規模が解る。名主クラスならば耕作地が5町程度あるので、収入も500両程度はある。
事実、養蚕地帯の名主の帳簿は、大体が年500両程度の収入の記述が多い。だから田舎に大規模な屋敷と門構えを抱えた農家が多いのだ。
もっとも、他の地方はこの限りにあらずであろう(私は調査していないのでほか地域は知らない)
943 :
938へ:02/12/30 21:09 ID:a843J9FE
当時の租税は収入に対しての完全な課税じゃない。江戸初期の検地の1反=1石の生産と仮定しての課税が多い。
後のいっきの原因は、再検地を行おうとして富農が叛旗を翻す場合が多いのだ。
力のある制度の固まった大藩の農民と、飛地ばかりの大名や旗本、そして天領の農民は再検地が徹底しなかったから豊かなんだ
944 :
943:02/12/30 21:10 ID:a843J9FE
力のある制度の固まった大藩の農民と違い〜が本当 まちがえました
945 :
to:02/12/30 21:26 ID:yjlaGS6R
1町=10反やったっけ?
946 :
943:02/12/30 21:47 ID:a843J9FE
1町=10反 1町=自作農可能な最低限の単位ですね。 だいたい、兵農分離前の地侍の最低クラスかな。 あっ942の100両/反間違え 100両/町だ
947 :
to:02/12/30 21:58 ID:0pu3nE8A
確に四公六民なら1町で4〜6人の食い扶ち(←一括での漢字変換不可能)で手一杯になるから自作で生活が可能のラインとしては妥当やね。となると収入は全て副収入からと言う事になるん?
948 :
943:02/12/30 22:23 ID:a843J9FE
だから副収入の無い百姓は1町を切ると潰れ百姓になる。再生産が出来なくなるからだ。947の言うとおり、実際の所そうだ。その潰れ百姓の土地を買い占め、近代地主(ブルジョワ層)
が各地に発生し、その拡大再生産した資金力で郷士や株を購入する階層が増加する。潰れ百姓は近隣の郷町に出て働いたり、そのまま小作になったり。
しかし、そういう人が増えて、富農の発生によって封建制度が瓦解して、それを労働力にして家内制の手工業が富農の中で発展する。それが養蚕であったり藍染めであったり。
そして生き残った底辺の自作農で、その手工業の分業によって生活が向上し、前述の船津氏のような100両/町の生産高になる訳である。
国定忠治の活躍もその辺りが根幹なんだ
949 :
943:02/12/30 22:28 ID:a843J9FE
947の発想は極めて的を得ている。それにより生き残った自作農はブルジョワ化していき、潰れ百姓は無産階級に降格する。
国定忠治も潰れ百姓を集めて徒党を組んだ。そういう階層が多く出現し飽和状態になると、世直し一揆という独特の暴動が起こる。
世直し一揆 資本化VS無産階級 という新しい図式だ。以前の一揆は 領主階級VS資本化 の図式であった。
950 :
943:02/12/30 22:29 ID:a843J9FE
資本化× 資本家でした。すんません
951 :
to:02/12/30 22:36 ID:yjlaGS6R
年100両は飛び抜けた部類に入りそうなモンかケド…
特産品がキーワードなら確に納得行く事もあったよ。ある村の小作解放令でGHQとの交渉にあたった地主側代表が3人居たんやケド、その中の1人は3つ向こうの村の地主やった。その名前を見て不思議に思うたんやケド、そんな流れで地主やったんかも知れんね。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/30 23:20 ID:a843J9FE
GHQ編集の『農地改革顛末概要』なんか見ると、北陸は、寺社系で不在地主が多かった。潰れ百姓寸前の資金融資により抱き込んだものだ。
関東では、家内制手工業により取組んだ事例が多い。5町以上所有は不在地主がおおかったみたい。
953 :
百済:02/12/31 01:00 ID:J21GmMWy
藩によって違うので一概に言えないと思います。
県史とか、読んでみないと。
私の郷土では、米騒動で、思想に被れて家が没したかのような気がします。
でも、戦争中は物資がいっぱいあったらしい。
954 :
to百済:02/12/31 01:10 ID:2PxAMZoF
海軍は陸軍より配給が良かったらしい。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/31 01:33 ID:Pq8VvTFK
953 そりゃあそうだ。でも飽くまで傾向を言っているだけだよ。
956 :
上級武士末裔ホワイトカラー:03/01/06 06:20 ID:7lcBdFHx
お前らYO!
盛り上ってるねーッ!YEAH!
今年もお前ら庶民の家系の庶民どもを相手にしてやるぜYEAH!
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/06 09:22 ID:099MJ9Ml
江戸幕府天領の農家と地方の藩の下級武士って、どっちかというと
天領百姓の方がえばっていたよ。薩長なんて糞みたいなかんじ。
958 :
to:03/01/06 10:34 ID:IWL6Efui
天領の農民に非があっても切ったりすると、切った方は罰せられたみたいやで。
確か、天野氏やなかったっけ?それがきっかけで結果取り潰しになったのは…
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/06 16:29 ID:72D6plFM
>>957 いかにも自分がその現場を見てきたかのように言ってるのが笑えるw
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/08 23:42 ID:DBtUuv8y
切捨てなんて、天領でなくても取り潰し確実ものだよ
そもそも、板の名前の>江戸時代に名字帯刀を許可されてない家系は
これ自体、武士を指すのでは無く名字帯刀とはブルジョワを指す用語である
ブルジョワが特別に武士に準じる地位を貰う事を苗字帯刀というのであり、武士=苗字帯刀ではない
藩によっては、苗字帯刀の無い武士(下士だが)もいるからだ。
961 :
百済:03/01/08 23:50 ID:4j55/zjq
あんまり人権板に関係ないと思うけど、
江戸の末期になると、府内は勿論、外様の大藩でも、大商人は勿論、
藩お抱えの職人にも名字帯刀はありますよ。神々しい苗字を鎌倉時代
にまで遡って金で売買してますし。
勝てば官軍、負ければ賊軍の不文律って、古代からありますし。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/09 00:48 ID:mYavsES3
>961
お金で身分も買えたそうですね。
お金に困った武士が名前(身分)を売ったりしたと本で読みました。
家系図だって、お金をだせばそれなりのものを作ってくれるし…
963 :
to:03/01/09 00:51 ID:K07EfaZY
徳川も将軍になる為に系図を詐称して藤原氏から源氏に倉替えしたし…
964 :
to:03/01/09 00:52 ID:uL/l6erS
倉替え?鞍替え?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/09 10:26 ID:bc7BJrI+
どっちでもいいだろ
966 :
百済:03/01/09 12:00 ID:VHhJ/EO+
昨夜の「その時、歴史が」を見て、歴史は時に慙愧に耐えない評価を
する時期がある、という言葉を聞いて、悪政、悪法、悪人、弱者とい
ったものが、ことごとく翻ってくるような気がした。
開国が150年前なら、あと20年生きていれば、いろんな事象の評価も
異なってくるのかも知れないと、嬉々とした。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/09 17:10 ID:Pw6ttuWs
井上と岩瀬
直弼「是非もなし」
968 :
百済:03/01/09 17:33 ID:ZaRdDpCa
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/09 23:38 ID:PFYLv9In
真家って名字は多摩に多いですか
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/10 03:18 ID:mWrpv710
あげまん
971 :
上級武士末裔ホワイトカラー:03/01/10 05:25 ID:cbUGWxYk
真家という名字の発祥は茨城(鹿島)だ。
だから茨城に多いぜ。
さて、今日を終えれば3連休だな。あはは。
先祖が旗本のメルトモ♀と会ってくるぜ。
楽しみ〜。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/10 08:38 ID:aabngtH/
俺のクラスメートの某酒造メーカー(京都)の御曹司は特別推薦(無試験)で
学習院大学に入ったぞ 自称上級武士・自称旗本程度では無試験で学習院大学
には入れんだろう
江戸期に苗字帯刀を許可されていなくても豊田家・松下家・本田家とかは
もはや華族並だな 自称ホワイトカラーと言ってもピンキリだしのう・・・
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/10 09:17 ID:AMM0HD1F
>井上と岩瀬
>直弼「是非もなし」
>あんたも好きね_(ヘ。ヘ) エヘヘ
誰か意味教えろ
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/10 16:12 ID:507X83W4
>>973 つまり井上と岩瀬が井伊大老に勅許を待たず開国を迫った。
そこで井伊大老悩んだあげく一言・・・・「是非もなし」
ってことでしょ
975 :
百済 ◆sUOXLav4ic :03/01/10 18:37 ID:WR6KJLAD
歴史小説なんかを読んでいると、江戸時代って、システムとしての身分制度
であって、実際は、現代より人情も智恵もある。
ま、そういう江戸時代は今少し見直されているので、時代劇が売れるわけね。
兵農分離と町民文化。武家は、むしろ律することが多く、生活は楽でない。
農家はピンキリだけど、けっこう強烈な巨大圧力団体みたいな一面も。
町人は武家も百姓もなろうと思えばなれる(江戸末期)
幕府が大政奉還され一番困った人達は循環社会の低層身分にいた人達でも
ある側面もある。
ああ、薩長、嫌い。
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 01:09 ID:1OhLTq3D
恐らく、自分のポケットマネーは武士が一番少なかったのだろうね。
上級武士なんて殆ど法人だからね。私人とは言えないよ。
ポケットマネーでは、豪農・豪商がダントツだよ。
攘夷強盗の記録だと、2万石程度藩の小藩の常備金なんて7000両程度だ。豪農に攘夷強盗に入って500〜700両だったそうだから
豪農10件も有れば小藩程度の経済規模なのかもね
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 01:10 ID:ZJpvfp+A
漏れのウチは神奈川の郷士出身の平民小地主だったんだけど、明治に士族に
編籍されたヤシってどんな基準からなん?ちなみに親父のお袋は江戸の穀物
商出身、漏れのお袋は千葉の豪農(じじばば共に)出身。マジレスでスマソ
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 01:20 ID:1OhLTq3D
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 05:31 ID:0iwdb5aB
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 15:53 ID:Nv/960Ei
豪農と地主と郷士の違いを教えれ
981 :
to:03/01/11 16:27 ID:loMtq1oU
だいたい、
庄屋=地主
郷士=足軽
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 17:15 ID:d6UjFt5R
無知にも程がある。。
983 :
to:03/01/11 17:27 ID:J9c8ThYJ
近いトコ突いてない?
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 17:33 ID:QyinshK2
本当にtoって無知だな。(w)
そんなんで人権板うろうろする資格ないぞ、オマイ!
郷士といえばtoの出身地にも有名人がいるだろ?
坂本竜馬がそうだろ。
985 :
to:03/01/11 17:41 ID:J9c8ThYJ
卒族全般の扱いは足軽やと思うが?
坂本竜馬は株買うて武家を名乗った質屋兼金貸やと思うが…
986 :
百済 ◆sUOXLav4ic :03/01/11 17:42 ID:BvNUJpIA
あんまり知らないのですが、士族って士族令が出るまで、壬申戸籍
でも記載されていない(削除の印はあっても)のじゃなかったっけ?
987 :
百済 ◆sUOXLav4ic :03/01/11 17:43 ID:BvNUJpIA
郷士=足軽
藩によって違うけど、郷士は足軽身分より下。郷士の方が金を持って
いたのではないでしょうか?
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/11 18:06 ID:wagV7DLu
toは高知の恥晒し!
坂本竜馬を晒し者にしようとしている。
おまえなんか大嫌い!
989 :
to@はいはい。:03/01/11 18:10 ID:wxqHIifk
結局、昨日の続きか…
恥やと思うなら無視しとけよ…
他の人に迷惑やから、粘着するなって。
アイメと別人て分かったなら付きまとうな。
ね?
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:15 ID:QR4B60kU
>>987 郷士は足軽より殆どの藩では下じゃないよ。
郷士という呼称である以上は士。郷足軽というものが足軽相当。
ただ、郷士というのは一般的に、小田原の役・関が原等の敗北で帰農した武士(田舎の領地に隠遁、公的には農民だか、村では殿様)や、
苗字帯刀層、そして郷足軽を含めて世間では言われる事が多い。
正式には、士分で農村に拠点を置くものが郷士だ。
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:25 ID:PQ7qYEnj
toのボケも990の見解をよくおがんでおけ!
歴史を語るにはオマイラは100年早いよ!
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:25 ID:QR4B60kU
地主というのは課税単位の土地を所有している者。今と異なり土地の売買は形式的には固定されていた。
土地持ちが課税単位になるので、彼らを地主と言った。(会社でまとめて、給与から源泉徴収しているのとおなじかな)
その中で、村の行政を行うのが、庄屋と村方三役。この階層はいわゆる大地主という階層が多い。
天領では、庄屋と郷士の兼帯は禁止している。村落で権力を持ちすぎるからだ。
もっとも、父が庄屋で息子が郷士という例は非常に多い。
幕末頃には、藩の身分制度もいい加減で下士程度なら、株を売却して、城詰身分の株なのに農村で殿様している輩が多かった
993 :
to:03/01/12 00:31 ID:H0sqrWT2
勉強になったよ。
あと、何故だか他人のレスで威張るカスが一人…
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:38 ID:QR4B60kU
985>>卒族は、全般的に、世襲の下士身分だよ。太政官布告を年度順で見ると良く判る
明治8年頃から世襲の足軽が編入している。
尤も、世襲の足軽は幕末には大藩位にしか存在しなかったし、小藩ではいても数家。財政難により、下士未満は、リストラされて雇入れになっている。
だから、卒族の足軽というのは非常に希少なんだよ。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:42 ID:P23hjTGN
幕末頃には、藩の身分制度もいい加減で下士程度なら、株を売却して、城詰身分の株なのに農村で殿様している輩が多かった
>>992 なんか東南アジアあたりの在外日本公館で、現場採用されて
現地で特権生活を送っている、万年三等書記官みたいだなw
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 00:49 ID:QR4B60kU
郷士は農村だからこそメリットのある制度だからね。士分でも役職はないから小普請組みたいなものだからね。
幕末、上士(郷士)に取り立てられた庄屋が、調子に乗って大鎧を着て馬に跨り、足軽に洋式鉄砲を持たせて登城したという話がある。
郷士にとって登城=晴れの舞台だったんだろうね
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/01/12 01:18 ID:/ZHABsR0
1000!
998 :
to:03/01/12 01:25 ID:hHjuBSBe
(@_@)まだよ!
ん?
1000だ